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荷物持ちを「もう要らない」と追放した王子様へ。その一言、誓約の解除呪文です ~実は国内唯一のSランク、手遅れになっても知らんぞ~

掲載日:2026/08/23

「バルト。お前は今日でクビだ」


 焚き火の向こうで、第四王子レイモンドが腕を組んでふんぞり返っていた。


「貧弱な荷物持ちは要らないんだよ」


 ——パキン。


 澄んだ音が、俺の胸の奥で鳴った。酒盃(さかずき)の氷が割れるみたいな、いい音だった。


 ああ、言ったな。言いやがったな、この馬鹿王子。


 焚き火に照らされた王子様は、今夜も無駄に顔がいい。赤毛の癖っ毛に、宝石のトパーズみたいな太陽のような目。母君譲りだという白い肌には傷ひとつなく、黙って立っていれば絵物語から抜け出してきたような十六歳だ。着ている鎧は特注の白銀(しろがね)で、鏡みたいに磨き上げられている。——ちなみに毎晩磨いてるのは俺だ。


「聞いてるのか、バルト。貴様はこの一年、俺たちの後ろで荷物を担いでいただけの男だ。俺はもうB級冒険者だぞ? 聖女と剣士を擁(よう)する『暁(あかつき)の剣』に、平民の荷物持ちは釣り合わん」


「……レイモンド様、それは」


 聖女のセラが腰を浮かせた。蜂蜜色の髪を胸の前でゆるく三つ編みにした、たれ目の娘だ。白い法衣に金の刺繍。国に数人しかいない回復術の天才が、なんでこんな駆け出しパーティにいるのか七不思議の一つである。


「バルトさんがいなくなったら、誰が野営を張るんですか。誰が薬の在庫を数えて、誰が道を引くんですかっ!」


「そんなもの、金で人を雇えば済む。なあトマス?」


「へへ、その通りで。荷物持ちなんざ、どこにでも転がってますって」


 鼬(いたち)みたいな顔の斥候が、王子の後ろでにやにや笑った。剣士のユリア——夜色の短い髪に赤い切れ長の目、小柄なくせに腰に剣を二本差した娘だ——が眉を吊り上げて何か言いかけたのを、俺は目で止めた。


 むしろ最高だ。


「いいんだ、嬢ちゃんたち」


 俺は背負い袋を地面に下ろした。一年間、こいつらの飯と薬と替えの下着まで詰めて運んだ袋だ。我ながらよく働いた。


 言っておくが、俺の見た目はしがない荷物持ちだ。灰色の髪をぼさぼさに伸ばして、無精髭、日焼け、目つきは自分でも褒められないと思う。三十過ぎの中肉中背の平凡な見た目で、取り柄は分厚い手のひらと、八十キロ担いでも減らない口くらい。……ってことに、なっている。


「王子様が要らないってよ。なら、要らないんだろ」


「わかればいい。報酬は今月分まで払ってやる。感謝しろ」


「おう、感謝するよ。……ほんとにな。お前の親父さんの次くらいに感謝してる」


「は? 親父……?」


「こっちの話だ」


 俺は袋から自分の毛布と酒瓶だけを抜き取って、立ち上がった。ついでに、袋の底に忍ばせてあった魔物避けの香(こう)——俺が毎晩こっそり焚き直していた、S級素材の香だ——も回収した。もうこのパーティのものじゃないからな。


「じゃあな、『暁の剣』せいぜい輝けよ」


 夜の街道を、俺は鼻歌まじりに歩き出した。


 一年ぶりの、自由だった。


 ◇


 ことの始まりは一年前。王都の裏路地にある酒場「古(いにしえ)の王冠」だ。


「マレナちゃん。今日も別嬪(べっぴん)だな。その前掛け、新しいだろ」


「三日前からです。麦酒(エール)?」


「麦酒、そこは気づいた俺を褒めるとこだろ」


「はいはい。えらいえらい」


 看板娘に子供みたいにあしらわれる。この店に通う理由の三割がこれで、残りの七割が酒と、悪友だ。


 その夜、俺はいつもの席で、いつもの悪友と飲んでいた。


「バルトよぉ、儂(わし)は悲しい」


「ガレスの旦那、酔うと湿っぽくなるの直せって」


 悪友の名はガレス。五十がらみの髭面(ひげづら)で、赤毛に白いものが混じった、熊みたいな大男だ。腕は丸太、笑い声は雷。左手の薬指にだけ、指輪を外した日焼けの跡がある。この店では「隠居した傭兵」で通っている。


 正体は、この国の国王陛下であるんだがな。


 嘘みたいな話だが、本当だから困る。十年前、お忍びで城を抜け出したこの親父が酔っ払いに絡まれてるのを、たまたま俺が助けた。以来、月に二度はこの店で飲む仲だ。向こうは俺の正体を知ってるし、俺も向こうの正体を知っている。知った上で、互いに「旦那」「バルト」で通している。それがこの飲みの唯一の決まりだ。


 ちなみに俺の正体ってのは——まあ、これも噓みたいな話なんだが。


 この国に一人しかいない、Sランク冒険者。登録名「灰狼(かいろう)」。狼の面(めん)を着けて仕事をするから、素顔は誰も知らない。ギルドマスターと、目の前の旦那くらいだ。


 なんで顔を隠すかって? 決まってるだろ。顔が売れたら、酒場で静かに飲めなくなるからだよ。


「末の息子がな、冒険者になると言い出しよった」


「へえ。いいじゃねえか」


「よくないわい。あれは剣の才だけはあるが、中身は膨らんだパンよ。外はそれらしいが、中は空(から)ぞ。城の外を知らんまま冒険者の真似事なんぞしたら、三日で死ぬ」


「死なせときゃいいだろ、それで死ぬ器なら」


「バルトよぉ……」


「わーった、わーった。泣くな、面倒くせえな」


 で、酒が進んで、進みすぎて、俺は言ってしまったのだ。


「よし、旦那! 俺がその坊主、いっぱしの冒険者にしてやんよ!!」


「おお! 言うたな! 誓約(ギアス)じゃ! 誓約の魔法で誓え!」


「上等だァ!」


 誓約の魔法。古い魔法で、酒盃に魔力を落として誓いを立てると、破れない約束になる。破れば魔力が心臓ごと止まる、洒落にならん代物だ。


 酔った俺と旦那は、その洒落にならん代物で洒落でやった。店主が「またやってるよこの二人」って顔で新しい酒を置いていった。この店の店主は、俺たちが何を誓おうが酒代さえ払えば文句を言わない。ほんと良い店だ。


 誓いの中身はこうだ。


 一つ。バルトは身分を隠し、レイモンドを一人前の冒険者に導くこと。


 一つ。導いている間、バルトはレイモンドの前で実力を明かせない。荷物持ち以上の何者にもなれない。——これは旦那の案だ。「Sランクが隣で無双したら、あやつが何も学ばんじゃろ」と。まあ、正論だった。


 一つ。この誓約は、レイモンド自身が「もう要らない」と口にしたとき、解除される。——これも旦那の案だ。


「息子が自分からお前を手放すようなら、それはもうそこまでの器ということよ。……そのときはあやつを見限ってええ。好きにせい」


 あの夜の旦那の目は酔ってるくせに、酔ってなかった。


 ◇


 だからこの一年、俺は「荷物持ちのバルト」だった。


 言っとくが、荷物持ちってのは肩書きだけの話じゃない。俺は本当に荷物を持った。四人分の野営道具と食料と薬、締めて八十キロ。それを担いで、パーティの誰より先に危険に気づき、誰にも気づかれないように潰して回った。


 夜営地の周りに魔物避けの香を焚いた。トマスが見落とした罠を、つまずいたふりして踏み壊した。セラの解毒が間に合わない毒を、最高級解毒ポーションをぶっかけて消した。依頼主と揉めれば頭を下げ、報酬を値切られれば夜中にギルドと交渉し直した。


 一度なんか、街道の先に盗賊が二十人、待ち構えてたことがある。


「ちょっと小便」


 俺はそう言って森に入り、五分で戻った。


「遅いぞ荷物持ち! 貴様のせいで日が暮れたらどうする!」


「わりぃわりぃ。歳でキレが悪いんだわ」


 その日の街道は、不思議なくらい静かだった。翌朝、縄で簀巻(すま)きにされた盗賊二十人が街道脇に転がってるのを見つけて、レイモンドは「我が国の衛兵は仕事が早いな!」と満足そうに頷いていた。まあ、そういうことにしておいた。簀巻きにした奴の身にもなれ、五分で二十人は結構ぎりぎりなんだぞ。


 剣の稽古だけは、堂々とやれた「荷物持ちの爺さんに昔習った型だ」と言い張って、レイモンドに毎朝、剣を教えた。


 教えたのは、基礎の構えをひとつだけ。腰を落とし、剣を後ろに引いて、息を三つ数えて撃つ——それだけの型だ、名前は教えなかったが「朝の型」とだけ呼ばせた。本当の名前を教えるのは、あいつが一人前になった日でいい、そう思っていたんだ。


 予想外だったが、あの馬鹿、飲み込みだけは本当に早かった。一年でB級まで来たのは、半分は俺の仕込みだが、半分はあいつの才だ。


 そこは、認めてやってもいい。


 ついでに白状しておくと、俺は女が好きだ。


 宿場に着けば女将を褒め、酒場の給仕に軽口を叩き、市の花売りから一本買って渡してみたりする。たまに肘鉄を食らって笑っている。旦那には「その歳で懲りんのう」と言われるが、褒めて減るもんじゃない。名を名乗れん男に残された、数少ない贅沢だ。


 ただし、うちの二人は別枠だった。


 仲間で、王家からの預かりもので、しかもこっちは身分を偽ってる。口説くなんぞ論外だ。だから俺は一年、その線をきっちり守った。


 ……守りすぎた、というのを知るのは、もっと後の話になる。


 問題は、強くなった分だけ、中身のパンが膨らんだことだ。


「セラ、ユリア。お前たちは俺の女になれる名誉を——」とか言い出したあたりから、雲行きは怪しかった。聖女と剣士は完全に俺の稽古と俺の飯のほうに懐いてたから、王子様は面白くない。面白くない理由をあいつは俺に付けた。


 で、冒頭の追放、というわけだ。


 ……なあ、旦那。あんたの読み通りだよ。


 この坊主、そこまでの器だったわ。


 ◇


 王都に戻った俺は、その足で「古の王冠」の扉を開けた。


「おう、バルト! 久しいの!」


「旦那。聞いて笑え。クビになった」


「なんじゃと?」


「『もう要らない』——一言一句、この通りだ。誓約はパッキパキに割れた。証人はいらねえよな、あんたの魔法だ」


 旦那はしばらく黙った。それから、髭の奥で長い長いため息をついた。


「……そうか。あれは、言うたか」


「言った言った。いやあ、いい音だったぜ」


「馬鹿息子がっ」


 卓が拳で割れた。店主が「勘弁してくださいよ隠居さん!」と悲鳴を上げる。


「すまんの、バルト。一年も付き合わせてこの様(ざま)か。……誓いは果たされた。文句なしの満了じゃ。お前はもう自由よ」


「おう。だから今夜は祝いだ。飲むぞ旦那、あんたの奢りでな」


「当たり前じゃ! 飲め飲め! ……じゃがのう、バルト」


 旦那は新しい酒を呷(あお)って、静かに言った。


「あれの転び方だけは、見届けてやってくれんか。親としてではない。……酒の相手として、頼む」


「趣味悪いねえ、旦那」


 俺は笑って、盃を合わせた。


 見届けるも何も。俺が消えた『暁の剣』がどうなるかなんて、賭けにもならねえ。


 ◇


◆side レイモンド


 バルトを切って三日目の夜、野営地が魔物に襲われた。


「なぜだ!? この街道は安全なはずだろう!?」


「わ、わかりません! 一年間、夜襲なんて一度も——」


 トマスの悲鳴を、ゴブリンの群れの咆哮がかき消す。たかがゴブリン、されど四十匹。俺の剣で二十は斬った。セラの結界とユリアの剣でどうにか凌いだが、天幕は破れ、食料の半分が駄目になった。


「おかしい……この一年、夜襲なんて一度もなかったのに……」


 ユリアが呟いた。セラが小さく言った。


「……バルトさんが、毎晩なにか焚いていました。天幕の風上で」


「そんなのは偶然だっ」


 俺は言い切った。荷物持ちの線香ごときで魔物が防げるものか。


 五日目、ギルドで護衛依頼を受けようとしたら、商人に断られた。


「『暁の剣』? ああ、あの灰色の髪の兄さんがいるパーティだろ。え? 辞めた? ……なら、いいや。別を当たる」


「な……俺は王子だぞ! B級冒険者の!」


「あのねえ王子様。あんたらの護衛が快適だったのは、あの兄さんが宿と飯と揉め事を全部さばいてたからだよ。商人はみーんな知ってる。知らなかったのは、あんたらだけだよ」


 七日目、昇格査定が下りた。B級からの降格勧告だった。


「ふざけるな! 俺たちは強くなっている! 現にゴブリン四十を退けた!」


「達成報告書を見てください」


 受付嬢は淡々と書類を積んだ。


「過去一年、五十七件。うち四十九件の報告書が、同行者バルト氏の署名です。彼の署名がある依頼は達成率十割、苦情ゼロ。……先週の依頼、彼が抜けて初めての一件は、納期遅れと備品破損で違約金が出ています。ギルドの査定は、パーティではなく実績に付くんです」


「そんな、馬鹿な……」


 八日目、新しい荷物持ちを募集した。応募はゼロだった。


「B級パーティの専属だぞ!? 相場の倍払うと言っているんだぞ!」


「王子様よぉ」


 ギルドの酒場の隅から、古株の冒険者が笑った。


「あんたの前の荷物持ち、この街の裏方連中の兄貴分みたいな人だぜ。宿の親父も、道具屋の婆さんも、みーんなあの人の顔で動いてた。……その人をゴミみたいに捨てた雇い主んとこに、誰が行くかね」


 酒場じゅうが、くすくす笑っていた。


 王族のこの俺を、笑うな


 十日目、セラとユリアが荷物をまとめた。


「待て! どこへ行く! お前たちは俺の——」


「私たちは、あなたの物になった覚えはありません」


 セラの声は、祈りの時と同じくらい静かだった。


「レイモンド様。あなたは強くなりました。それは本当です。でも、誰のおかげで生きて強くなれたのか、一度でも考えたことがありますか」


「荷物持ちのおかげだとでも言うのか!? あいつは俺の成長に嫉妬して——」


「稽古をつけていたのは、どちらですか」


 ユリアの一言に、何も返せなかった。


 毎朝の、あの型。荷物持ちの爺さん直伝だという、あの馬鹿みたいに実戦的な型。俺の剣は、ぜんぶ、あれで——


「……出て行け! 女など、いくらでも代わりがいる!」


 二人は出て行った。トマスは翌朝、置き手紙も残さず消えていた。


 後で知ったことだが、トマスはパーティの備品を勝手に売り払おうとして、ギルドに捕まったらしい。査定表の写しを裏の商会に流そうとした件も足がついて、冒険者証は没収。俺の腰巾着だったあの男は、俺より先に、冒険者ですらなくなった。


 俺は、一人になった。


 ◇


 その頃の俺——バルトの話もしておこう。


 クビになって十日。俺は王都で、実にいい休暇を過ごしていた。朝から風呂、昼から酒、夜も酒。合間にギルドの裏口から灰狼の仕事を二件ばかり片付けて、財布はあったかい。最高かよ。


 その夜も「古の王冠」で一人飲んでたら、扉が開いて、見覚えのある二人が入ってきた。


「……バルトさん。やっぱりここだった」


「うちの姫様(セラ)が、どうしてもって」


「げっ」


 聖女と剣士だ。逃げ場のない席まで、まっすぐ来やがった。法衣を脱いだセラは町娘の格好で、三つ編みをほどいた蜂蜜色の髪が肩に流れてる。ユリアは相変わらず腰に二本差しのままだ。酒場に剣を二本持ち込む美少女、悪目立ちにもほどがある。


「げっ、とはなんですか。げっ、とは」


「いやあ……嬢ちゃんたち、こういう安酒場に来ていい身分じゃねえだろ」


「パーティ、抜けてきました」


 セラはあっさり言って、俺の隣に座った。ユリアが反対側を固める。挟み撃ちだ。盗賊二十人より質(たち)が悪い。


「バルトさん。一つだけ、教えてください」


「なんだよ」


「あの魔物避けの香。あれ、王都の道具屋を全部回っても、売ってませんでした。……素材から言って、S級火竜の心臓の腱(けん)。市場に出れば、家が三軒建ちます」


「…………詳しいねえ、聖女様は」


「教会の薬草学は伊達じゃないんです。——あんな物を毎晩惜しげもなく焚く荷物持ちが、どこの世界にいるんですか」


 俺は酒で誤魔化した。ユリアが横から、ぼそりと言った。


「私は、剣でわかってた。あの型、対人じゃなくて対竜(ドラゴン)の型でしょ。荷物持ちの爺さん直伝、なんて嘘。……でも、聞かない。話したくなったら、話して」


「……お前ら、いい女になるよ」


「なりました。誰かさんの飯で」


 そこへ、麦酒の追加を運んできた看板娘が口を挟んだ。


「バルトさん、その台詞、あたしにも言いましたよね」


「言ったな」


「……マレナさんにも?」


 セラの声が、半音下がった。


「言うのよ、この人は。誰にでも」


 ユリアが果実酒の杯を置いた。置き方が、ちょっと強い。


「へえ。じゃあ私たちのも、その他大勢と同じ口ですか」


「違うに決まってんだろ」


 俺は麦酒をあおって、顎で二人を指した。


「マレナちゃんは器量を褒めた。あんたらは中身を褒めた。——全然ちがう」


 二人が同時に黙った。


 ……なんだよ、その顔は。


「……ずるい人ですね」


「そういうとこ」


 嬢ちゃんたちは顔を見合わせて、それきり何も言わずに杯を合わせた。俺には何が起きたのかさっぱりわからん。わからんが、二人とも耳まで赤かったのは、たぶん酒のせいじゃない。


 まったく、口の回る嬢ちゃんたちだ。その夜は三人で飲んだ。聖女様は見た目の三倍飲む酒豪で、麦酒(エール)を十杯空けても祈りの姿勢が崩れなかった。教会は何を育ててるんだ。ちなみに馬鹿王子の話は誰もしなかったな。


 ◇


◆side レイモンド


 認めない。認めるものか。


 俺は強い。この一年で強くなったんだ。それを証明すれば、全部元に戻る。女たちも、査定も、全部だ。


 だから俺は、掲示板のいちばん上の依頼を剥がした。


 ——A級討伐依頼。火竜(ヴォルカノ・ドレイク)。通称「谷の主」。竜の谷にて目撃。討伐報酬、金貨三百枚。


「王子様、正気ですか!? A級はB級パーティでも全滅する案件——ましてやソロなんて!」


「うるさい! 俺を誰だと思っている!」


 雇った傭兵五人と谷に入って、半日で理解した。


 俺は、何も、わかっていなかった。


 谷の主は、噂の倍の大きさだった。赤黒い鱗(うろこ)は城門みたいに厚く、吐く火焔(かえん)——竜焔(りゅうえん)は、岩を飴(あめ)みたいに溶かした。傭兵は最初の一吹きで二人焼かれ、残りは俺を置いて逃げた。


 だから俺は、最後の力で、あの構えを取った。


 毎朝の、あの型。腰を落とし、剣を後ろに引いて、息を三つ。


「うおおおおおッ!!」


 渾身の一撃は、確かに入った。この一年でいちばん冴えた、最高の一太刀だった。


 入って——鱗の上で、折れた。


 もう左脚が、折れてる。剣は、根本からへし折れた。目の前には、口を開けた竜の喉。奥で、火が渦を巻いて——


 ああ。


 死ぬ間際ってのは、本当に、いろんなことを思い出すんだな。


 毎朝の稽古。飯の匂い。破れた天幕を黙って繕っていた、あの背中。


 ……あの人の担いでいた八十キロの中身を、俺は一度も、見たことがなかった。


「たす……けて……」


 誰にともなく、俺はそう呟いていた。


 火焔が、来る。


 ——が来なかった。


「よお」


 いつの間にか、竜と俺の間に、男が立っていた。


 灰色の狼の面。夜みたいに黒い外套。左手に無造作に提げた、黒鞘(くろざや)の長剣。中肉中背。俺より頼りない体つき、なのに体幹にぶれがない。


 男は俺の折れた剣を一瞥(いちべつ)して、それから、静かに腰を落とした。


 剣を後ろに引く。息を、三つ。


 ——同じ、構えだ。


 俺が毎朝やらされた、あの「朝の型」と、寸分違わず、同じ——


「灰狼剣(かいろうけん)、一の牙」


 男が、囁(ささや)くように言った。


「——『風喰(かざは)み』」


 風の音がした、と思った次の瞬間、火竜の首が、胴体と別々の方向に倒れていった。


 遅れて、谷じゅうの空気がまとめて震えた。斬撃の余波が向かいの崖を撫でて、岩肌が豆腐みたいに一枚、滑り落ちる。抜き打ちの一太刀。剣が鞘を出た瞬間すら、俺には見えなかった。


 巣から飛び立った火竜の眷属(けんぞく)——飛竜が六匹、悲鳴のような咆哮を上げて男に殺到した。


 男は、面倒くさそうに首を鳴らした。


「六か。……二の牙、『群狩(むれが)り』」


 黒い剣線が、横に一度だけ閃(ひらめ)いた。


 六つの首が地面に落ちるまで、俺は瞬(まばた)きを二回しかしていない。剣筋は、一本も見えなかった。B級になった俺の目で、一本もだ。


 これが。


 これが、本物の——


 ——そのとき、谷が、鳴った。


 崖の上の空が翳(かげ)り、太陽が消えた。翼だ。翼が、空を覆っている。


『——ォォォォォォォッッ!!』


 鼓膜じゃなく内臓で聞く咆哮とともに降りてきたのは、谷の主の番(つがい)——雌竜だった。竜は雌のほうが大きい。倍、大きかった。開いた顎の奥で、白い火が渦を巻いている。あれを吐かれたら、谷ごと蒸発する。終わりだ。今度こそ、何もかも——


「ちっ。……悪いな、デカいの」


 男は空を見上げて、初めて剣を両手で握った。


「こっちは今夜、酒を飲んで女なんだ——」


 腰が沈む。剣が背中まで引かれて、黒い外套が風を孕(はら)んだ。息を、三つ。


 白い火焔が、降る。男が、掻(か)き消える。


「灰狼剣、終の牙——『月墜(つきおと)し』」


 世界が、縦に割れた。


 そうとしか言えなかった。天から地まで白銀の線が一本走り——降ってくる火焔ごと、雌竜の巨体が真っ二つに分かれて、谷の両側へゆっくりと倒れていった。地響きが、二度。それきり、谷は静かになった。


 俺は声も出せずに、立ち込める土煙の中の背中を見ていた。


 朝の型。あの馬鹿みたいに地味な、素振り一万回のあの型。あれは——この化け物の剣の、入り口だったのか。


「Sランク……『灰狼』……」


 国内にただ一人の、生ける伝説。ギルドの緊急要請でしか動かないという、仮面の最強の冒険者。


 その灰狼が、面に手をかけた。


「生きてるか、馬鹿王子。——」


 面の下から出てきた顔を、俺は、忘れるはずがなかった。


「バ……ルト……!?」


「おう。お前がクビにした、荷物持ちだよ」


 ◇


 時間を少し巻き戻す。その日の昼、俺はギルドの裏部屋に呼ばれていた。


「灰狼! 頼む、緊急要請だ!」


 ギルドマスターの禿(は)げ頭が、卓にめり込む勢いで下がった。この男と俺は十年の付き合いだが、ここまで慌ててるのは初めて見た。


「例の馬鹿王子が、単独でA級討伐に出た。火竜だ。止めたんだ、受付総出で止めたんだが、王族命令だと喚(わめ)いて振り切られた。……なあ灰狼、頼む。あれでも国王陛下の」


「知ってるよ。俺がクビになったパーティのリーダー様だ」


「〜〜〜っ、だから頼みづらかったんだ!!」


「規定の報酬でいいぜ。竜素材の優先買取権も付けろ。あと」


 俺は狼の面をかぶりながら、ついでみたいに言った。


「急ぎの仕事だ。走るぞ、爺さん。竜の谷まで」


「あ、ああ」


「夕方までに終わらせて、夜は酒と女だ」


 俺は身体強化の魔法を、無詠唱で三枚重ねた。


「——『疾風(はやて)』、三重(みがさ)ね」


 扉を開けて、蹴(け)り出すように加速した。窓という窓が風圧で鳴って、ギルドマスターの「せめて扉から出ろぉ!」という叫びが後ろに消えた。


 別に、急いでやる義理はない。ないんだが。


 ……間に合わなかったら、旦那があの湿っぽい顔で飲むことになる。あれに付き合わされる身にもなれ。俺はあくまで、俺の晩酌と女のために走るのである。


 ◇


 いやあ、良い顔みれたわ。


 ちなみに技の名前は、ぜんぶ俺が付けた。かっこいいだろ。旦那には「四十を前にその名付けはどうなんじゃ」と笑われるが、うるせえ、技ってのは名前を呼んでやると冴えるんだよ。俺は昔からそう決めている。


 念のため言っとくと、俺は駆けつけたわけじゃない。ギルドの緊急要請だ。「B級冒険者が単独でA級討伐に出た。止められなかった。頼む灰狼、間に合ってくれ」——報酬は規定通り貰う。人助けはSランクの仕事で、俺は仕事に手を抜かない。それだけだ。


 ただ、まあ。面を外したのは、完全に私情だな。


「うそだ……うそだうそだ! 荷物持ちが、Sランクのわけが……だってお前、一年間、一度も……! それに、いまの構え……朝の型……!」


「お、気づいたか。そうだよ。お前に教えてた型は、灰狼剣の零(ぜろ)の牙——全部の技の親だ。三年振り込めば一の牙が出る。……お前、あと二年だったんだぜ」


 俺は転がってる馬鹿の横にしゃがんで、ゆっくり教えてやった。


 一年前の酒場のこと。誓約の中身のこと。「レイモンドの前で実力を明かせない」という縛りのこと。


 そして、その誓約の解除条件のこと。


「『もう要らない』。……お前が俺をクビにした、あの一言だ。あれが解除の呪文でな。お前は自分の口で、自分の守り紐(ひも)を切ったんだよ」


「じゃ、じゃあ、その誓約は、誰と……誰が、そんな……」


「飲み友達とだよ。……ガレスの旦那っていうんだが」


 背後の崖道から、雷みたいな声が降ってきた。


「——馬鹿息子がァァァ!!」


 鎧も着けず、馬を乗り潰して駆けつけた髭面の大男を見て、馬鹿王子は今日いちばんの悲鳴を上げた。


「ち、父上ぇ!? なぜ、ここに……なぜ父上が、バルトを……」


「なぜもクソもあるか! 儂の飲み友達を! 儂の頼みで一年もお前の尻を拭いてくれた大恩人を! お前は! クビにしおったんじゃあ!!」


 拳骨(げんこつ)が落ちた。良い音がした。ちなみに旦那、あれでも手加減してる。素の拳なら頭蓋(ずがい)が割れてる。


「聞け、レイモンド。沙汰(さた)を言い渡す」


 旦那は——いや、この時ばかりは国王陛下は、心が折れた息子を見下ろして言った。


「王籍からの除名は、せん。じゃが冒険者資格は剥奪(はくだつ)。B級の実績は、もともとバルトのものじゃ。返してもらえ。そしてお前は明日から三年、身分を伏せて働け。——荷物持ちとしてな」


「に、荷物持ち……」


「不服か。ならば聞くがの。お前をここまで生かした荷物持ちより、お前は偉いのか?」


「それは……俺は、王子で……」


「たわけ。王子だから何じゃ」


 旦那の声が、一段低くなった。城で聞けば、臣下が残らず平伏する声だ。


「肩書きは荷物と同じよ。中身が入っとらん袋を、人は担がん。……お前は一年、目の前で見ておったはずじゃ。八十キロ担いで、罵られて、笑っておった男をな。あれが、中身の入った男というものじゃ」


 馬鹿王子は、返す言葉を一つも持っていなかった。


 血と泥の中で、長いこと黙り。


 それから、絞り出すみたいに言った。


「……分かりました……」


 俺は立ち上がって、外套の埃(ほこり)を払った。


 で、一年ぶんの気持ちを込めて、にっこり笑ってやった。


「——よう荷物持ち」


 ◇


◆side レイモンド


 隊商の朝は早い。


 偽名で潜り込んだ俺に親方がまず教えたのは、荷の縛り方だった。次が水の配分、次が野営の風向き。……ぜんぶ、見たことのある手際だった。あの男が毎晩、焚き火の横でやっていたことだ。


 三十キロの荷を担いで、山道を一日歩く。夕方には肩が肉ごと剥がれそうになる。飯は働いた分しか出ない。その飯が、悔しいくらいに美味(うま)い。


「兄ちゃん、剣を持ってたんだって?」


 隊商の子供に聞かれて、俺は少し黙ってから答えた。


「……昔な。強いつもりでいた」


「今は?」


「今は、荷物持ちだ」


 夜、荷を下ろした後、俺は誰もいない場所で構えだけをやる。腰を落とし、剣の代わりに天秤棒(てんびんぼう)を後ろに引いて、息を三つ。


 零の牙。全部の技の親。あと二年だったと、あの人は言った。


 ……もう一度、あと二年を積む資格が、俺にあるだろうか。


 あの男の背中に追いつくのは、いつになるのだろうな。


 ◇


 後日「古の王冠」。


「かんぱーい!」


「……なんで、こうなった」


 俺の右隣で聖女様が麦酒(エール)をあおり、左隣で剣士の嬢ちゃんが果実酒を舐めている。二人とも今日、正式にパーティ申請を出してきたらしい。リーダー欄は空白で、その下に「荷物持ち・バルト」と書いてあったそうだ。ギルド中が大笑いだったと受付嬢が教えてくれた。


「だってバルトさん、Sランクだってバレたんだから、もう隠す意味ないでしょう?」


「大ありだっつーの。……バレてからこっち、道を歩けば決闘を挑まれ、酒場に入れば奢らされ、ギルドに顔を出せば依頼の列だ。面(めん)の有り難みが骨身に沁みてるとこだよ」


「あら。じゃあ私たちのパーティに入れば、受付は全部私がやりますけど?」


「私は決闘を全部斬る」


「勧誘の手口が旦那と同じなんだよなあ、お前ら……」


「あ。それと、バルトさん」


 セラがにっこり笑った。笑っているのに、目だけが祈りの時の顔だ。


「昨日ギルドで、赤毛の受付嬢さんに『その髪の色はいい』って仰いましたよね」


「言ったかもなあ」


「今日、その方から差し入れが届きました。わたくしが受け取りました」


「おい」


「ちゃんと、わたくしが食べておきました」


「食ったのかよ!」


「半分は私」


 ユリアが真顔で頷いた。


「……なあ嬢ちゃんたち。それ、どういう了見だ」


「さあ」


「知りません」


 声が揃った。息もぴったりだ。仲がいいのは結構だが、こっちの菓子を返せ。


「私たちは知ってます。あなたの荷物の中身がぜんぶ、私たちを守るためのものだったこと」


「……酒がまずくなる話はやめろ。飲め」


「では飲みつつ、交渉です。——灰狼剣、私にも教えてください」


 ユリアが果実酒を置いて、真顔で言った。目が本気だ。剣士の目だ。


「はぁ、『朝の型』からだな。素振り一万回、三年」


「やる」


「即答かよ。……ったく、王子様に聞かせてやりてえ返事だ」


「まあまあ飲んどるの、お主ら!」


 奥の席で旦那が笑う。ちなみに例の馬鹿息子は今ごろ、隣街の隊商(キャラバン)で三十キロ担いで山道だ。最初は三日で音を上げて、逃げようとし、隊商の親方に拳骨を貰ったらしい。良い親方だ。俺の古い知り合いでな、まあ、偶然だ。偶然。


「なあ、バルト。それで、儂の頼みなんじゃがの」


「断る」


「まだ何も言うとらんじゃろ!」


「顔に書いてある。『三年後、性根を叩き直したあれをもう一度』——だろ」


 ……そういえば俺は、竜を斬りに走った日に「今夜は酒と女だ」と言った覚えがある。


 酒はある。女も、まあ、両隣にいる。


 いるが、これは、そういうんじゃない。……ないよな?


 旦那は髭を撫でて、にやりと笑った。


「酒代は、儂が一生持つ」


「…………」


「王家の酒蔵、開け放題じゃ」


「……考えといてやるよ」


 まったく。


 誓約の魔法ってのは、酒の席で使うもんじゃねえな。


(了)

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。


 「追放した側が、自分の口で解除呪文を唱えてしまう」——思いついたのはその一点だけで、あとはバルトが勝手に喋ってくれました。楽しんでいただけたなら幸いです。


 ★評価や感想をいただけると、跳ねて喜びます。

 ——反応が良ければ、連載版をやるかもしれません。三年後、荷物を担げるようになったあの馬鹿王子が戻ってくる話が、頭の中には一応あります。

 続きが読みたいと思っていただけたら、ブックマークで教えてください。数が見えたら書きます。


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 作者は連載でこちらも書いております。


 『名字マニアの天下取り ~名字が国名の戦国で、俺は47の名を誉めて味方にする~』

 https://ncode.syosetu.com/n1116mn/


 名字マニアの会社員が、国の名前が全部「その土地でいちばん多い名字」という戦国日本に転生する話です。名の由来を言い当てて誇りを誉める——奪えば恨みが残るが、誉めれば名が味方になる。

 毎日20時10分更新。第一部・琉球動乱編は完結済み、第二部・九州動乱編は9月3日(木)に完結予定です。


 こちらもよろしければ、どうぞ。

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