表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

散歩の日



田舎に引きこもるとはいえ、仕事を完全に手放したわけではない。

東京にいた頃から引き続き受けている仕事もあり、楓はどうしても机に向かう時間が長くなっていた。


この家に越してきてからも、それは変わらない。

ノートパソコンの画面に向かい、静かな部屋でキーボードを叩く時間が一日の大半を占めていた。


そのせいで、かーみ様と顔を合わせるのは食事の時だけ――

そんな日が、しばらく続いていた。


だが。


ようやく仕事が一段落した、その日のこと。

居間では、かーみ様がテレビを見ながらくつろいでいた。


昼下がりの柔らかい光が、窓から差し込んでいる。

古い家特有の静けさの中で、テレビの音だけがのんびりと流れていた。


そこへ、楓は声をかける。


楓「かーみ様、今日……散歩しませんか?」


かーみ様「散歩?」


きょとんとした顔をしたかと思うと、すぐにぱっと表情が明るくなる。


かーみ様「いいよ!!

 お仕事、終わったの?」


楓「はい、なんとか」


そう答えながら、楓は小さく肩の力を抜いた。

数日間続いていた緊張が、ようやくほどけたような感覚だった。


楓「ずっと家に籠もっていたので、身体も訛っていると思いますし……

 それに、この周辺のこともちゃんと知りたくて」


一拍置き、少しだけ姿勢を正す。


楓「よければ、かーみ様。

 案内をお願いしても大丈夫ですか?」


かーみ様は、少し嬉しそうに笑った。


それから二人は家を出て、細い道を歩き始める。


舗装されていない土の道。

所々に小石が転がり、踏むたびに乾いた音がする。


人の気配はほとんどない。

遠くで鳥が鳴き、風に揺れる木々の葉がさわさわと音を立てていた。


楓にとっては、まだ見慣れない風景。

けれど隣を歩くかーみ様にとっては、昔から変わらない土地だ。


かーみ様は周囲を見渡しながら、どこか懐かしそうに歩いている。

この土地を知り尽くしているはずなのに、楓と並んで歩く今は、

少しだけ違った景色に見えているようだった。


しばらく沈黙が続いた後、不意にかーみ様が口を開く。


かーみ様「ねえ、楓さぁ」


楓「はい」


かーみ様「昔、江戸……今で言う東京にいたって話、してたよね」


足を止めず、前を向いたままの問いかけ。


かーみ様「なんで、ここに来たの?

 土地神の私が言うのも、ちょっとおかしな話だけどさ」


楓は少しだけ考え、視線を遠くの山に向けた。


青く霞んだ山並みが、ゆっくりと連なっている。


楓「うーん……」


言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。


楓「特に、大きな挫折があったわけでもないんです。

 学生時代は……まあ、それなりに過ごせていましたし」


一拍置き、息を吸う。


楓「ただ――社会に出てから、駄目でした。

 馴染めなかったんです」


もう少しだけ、踏み込む。


楓「言葉を強くするなら……

 適合できなかった、って言った方が近いですね」


その言葉に、かーみ様は意外そうな顔をした。


かーみ様「えっ、でもさ。

 楓って、人間関係を悪くしそうな子には見えないよ?」


少し考えてから、首を傾げる。


かーみ様「最近読ませてもらった漫画に出てきた、

 ああいう“悪い子たち”みたいな感じでもないし」


楓は、苦笑に近い笑みを浮かべた。


楓「それは……たぶん、先程も言いましたけど」


足元の小石を避けながら、淡々と話す。


楓「学生時代までは、誤魔化しが効いたんだと思います。

 空気を読んで、合わせて、無難に振る舞えばどうにかなる」


少しだけ声が静かになる。


楓「でも今思えば……

 どこか、ずっと上辺だけの関係しか築いてこなかった気がします」


風が少し強く吹いた。

木々の葉が揺れ、影が地面を滑る。


かーみ様は、しばらく黙って歩いていたが、やがてぽつりと聞いた。


かーみ様「……楓は、人が嫌いなの?」


楓はすぐに首を振った。


楓「いいえ。嫌いなわけじゃないです」


少しだけ、言葉を探してから続ける。


楓「私の場合は……

 大勢の人と関わるのが、駄目なんです」


かーみ様「ふーん……」


短く相槌を打つ。


それから、少しだけ柔らかく笑った。


かーみ様「でもさ。楓は、偉いと思うよ」


楓「……偉い、ですか?」


意外そうに聞き返すと、かーみ様は当然のように頷いた。


かーみ様「うん」


かーみ様「自分をそうやって、冷静に見られるのってさ。

 みんな出来てるようで、実際は出来ないことなんだよ」


風が吹き、木々がざわめく。


その音に紛れるように、かーみ様は続けた。


かーみ様「嫌だって思う前に、

 “自分は向いてない”って理解するの、結構勇気がいるんだから」


楓は、少しだけ足を止めた。


胸の奥に、何かが静かに沈んでいくのを感じる。


それは否定ではなく、

むしろ――肯定に近いものだった。


楓「……ありがとうございます」


その言葉は、誰かに認めてほしくて出たものではない。

ただ、自然に口から零れただけだった。


二人は再び歩き出す。


静かな道を、同じ速さで。


俗世から離れたこの場所で、

楓は初めて――


自分の話を、否定されずに聞いてもらえた気がしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ