第八話 『A判定の重さ』
早瀬 俊は高校1年の模試から、ずっと北関東医科大学A判定だった。
毎年医学部を20~30人輩出する有名私立 鳳凰院学園高校でも、俊は成績優秀で
校内模試の度に掲示板に貼りだされる成績優秀者一覧も彼は常連だった。
「すごいな、さすが医師家系の息子だ」
「もうどこでも受かるだろ」
「兄貴たちと同じ道だな」
そう口々に言う同級生たちの言葉に、俊は小さく笑う。
「まだ分かりませんよ」
声は穏やか。
表情も柔らかい。
だが、指先は少し冷えていた。
A判定。
志望校のそれは多くの受験生にとって喉から手が出るほど欲しい“安心”の証。
だが俊にとっては違う。
——取れて当たり前のもの。
それがA判定だ。
俊が予備校から帰宅すると、一番最初に目に入るのは
下駄箱の上に置かれた家族写真だ。
俊の家は5人家族で、医師の父親と専業主婦の母親、そして彼の上には兄が二人いる。
俊は医師一家の三男だった。
長兄は兵庫県の難関国立大学医学部。現役合格。
次兄は東京都の私立最難関・慶順会大学医学部。現役合格した。
どちらも、A判定を取り続け、危なげなく合格した。
この写真は次兄が大学入学前に、記念に写真館で撮ったものだ。
写真の中の兄たちは、誇らしげに笑っている。
俊が玄関で動けずにいると、母がキッチンから顔を出す。
「今日、校内模試の返却日じゃなかった? どうだったの?」
「北関東医科大学、A判定でした」
母は大きな感動も、褒める様子もなく当然のように頷く。
「俊なら当然よね」
リビングのソファに座っていた父も、俊には一瞥もくれず新聞をめくりながら言う。
「お前は兄弟で一番要領がいい。心配していない」
当然。
当たり前。
その言葉は、褒め言葉のはずなのに。
胸の奥に、ゆっくりと沈んでいくように感じていた。
俊は知っている。
兄たちは“失敗していない”。
模試も、共通テストも、二次試験も、面接も。
全て想定内で通過した。
だから家族にとって、医学部現役合格は“当然”だ。
自分が落ちれば、唯一、現役で受からなかった人間となる。
それどころか医師になれるかもわからない。
想像するだけで、呼吸が浅くなった。
――いったい自分が落ちたら、どうなってしまうんだろう。
俊にはいつもその不安が付きまとっていた。
出来損ない、の烙印が押されてしまうのではないだろうか。
________________________________________
そんな不安をかかえて、彼は高校3年から予備校に通うべく、医学部専門予備校 メディカル∞インフィニティの申し込みに行った。
すると教室で浪人生たちが騒いでいる。
「オワーッ! 俺4浪のくせにE判定なんだけど! 伸び代しかない!」
「ポジティブすぎるだろう」
そこにいたのはタロウ、五條、そして終だ。
俊は初めて浪人生というものを見た。
何故落ちたのにあんなに明るくいられるのだろう。
だからこそ俊は3人に声をかけ、そして聞いたのだ。
――ところで、落ちた時って、どんな気持ちなんですか。
今思えば、相当不躾な質問だった。
しかし3人は眉を寄せることなく、答えてくれた。
「受験に失敗しても人生は終わりじゃない」
俊は少しだけ、息がしやすくなった。
浪人生トリオたちは正解のないくだらないこ
とを話しながら
なんだかんだ日々真面目に勉強をしている。
俊はその空間が、少し好きだった。
ここでは“医者の息子”ではない。
父や兄の話をされない。
ただの受験生。
順位も家系も関係ない。
机と問題と自分だけ。
「合格」はしたい。
だがそれは、医者になりたいからなのか。
家族の期待に応えたいからなのか。
兄たちと同じ物語をなぞりたいからなのか。
それとも——
一度、そこから降りてみたいのか。
3人に出会うまで、俊はまだわからなかった。
しかし今は強く思うのだ。
「この3人と合格したい」
だからタロウのE判定脱出プロジェクトを提案した。
4人で同級生になれる日を、思いながら。
________________________________________
一週間後……
早瀬 俊特製の小テストを終えたタロウは
教室で、終と五條を待ち構える。
二人が来るとタロウは意気揚々と報告する。
「数学、前回42点」
「おお、で、今回は?」
終はいいやつなので、タロウの茶番にちゃんと付き合ってあげるのだ。
「61点!!!!俊先生テストの最高点!」
「上がったなぁ」
「息を吹き返している」
五條も会話に加わった。
「E判定は脱出可能です」
俊は満足げに言った。
「まだE判定だけどな!」
「でも今回はギリギリE判定です。E判定の中でも上位に入りましたよ」
「E判定E判定言わないで!傷つく!」
俊は明るい笑顔で笑った。初めて出会ったときは表情が硬くクールな印象だったが、最近は年相応の幼い笑顔を見せる。
「なあ俊」
「はい」
「俺、北関東医科大、まだ行けるか?」
「行けます」
俊は即答する。
「諦めた人は無理です。でも、諦めない人は可能性があります」
「……やる」
「では明日も7:30です」
「やっぱり鬼ぃ!!」
タロウの明るい叫び声に、また俊は笑った。
あとがき小話「俊と1ポイントの合理性」
「B判定!? こんなの初めてです…。」
俊は模試結果を見てごくりと唾をのんだ。
そのとき、天井がピカーンと光った。
白いヒゲの神様(再登場)が現れる。
「願いを言え。ちなみにあと1ポイントでお前はA判定になるぞ」
どうやらこの世界の神様らしい。
「ではどれだけ勉強しても疲れない体力をください」
俊はきっぱりと言う。
「えっ本当にそれで良いのか?」
「……ではプレッシャーに負けない強いメンタルを……」
今度は俊は少し言いづらそうに言う。自分の弱点をよく理解しているようだった。
「……本当の本当に……?
ポイントはいらないのか?」
ここは読者にポイントをお願いする場所。
企画倒れにならないよう、神はおずおずと聞いた。
だが俊は
「A判定は自力でつかみます」
ときっぱりと言う。
「……お前は真面目過ぎてつまらんわい。
読者の方がくれても嬉しくないのか?」
「それは……」
俊、言いよどむ。
「……嬉しいです」
そこは素直な俊であった。
「それでいい」
というわけで。
もしよろしければ、
俊の“あと1点”を
そっと置いていっていただけると嬉しいです。
神様はたぶん喜びます。
作者は嬉しさのあまりバンジージャンプに挑戦します。
俊は……
いつも通りA判定です。




