第二話 『5浪、4浪、現役。』
医学部専門予備校 メディカル∞インフィニティ 茨城校
― 可能性は、無限大。浪人も、無限大。―
「最後の一文いらなくない?」
このなんだかズレている名前の予備校が、タロウのまた一年お世話になるところだ。
さっそく今年度の入試の結果が幟になって張り出されている。
北関東医科大学 8名合格
今日も教室に向かい
タロウは定位置の窓側の二列目に座った。
彼の前の席、最前列には五條 政宗がいる。これも毎年の並びだった。
後ろのドアが開く。
入ってきたのは、
末永 終
22歳・タロウと同じ4浪だ。
「終ぅぅぅ!!!」
入ってきたソウルメイトに、タロウは大きく手を振った。
「叫ぶな。終わるどころか まだ始まってない」
これは彼のきめ台詞。
終は席に座り、授業の準備をする。
カバンから出てきたのは――
赤本。
参考書。
そして。
高卒者用の国家公務員試験 一般職 過去問集だった。
「ちょっと待って。なんだその保険。具体的すぎる」
終はにやりと笑う。
「選択肢は常に複数持つ主義だ」
「毎年“今年で終わり”って言ってるやつの台詞じゃない」
「今年で終わりだ」
「何年目だそれ」
「4年目。タロウと同じ」
「重い~……」
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そこへ教室のドアが再び開いた。
「失礼します」
制服姿。
この近くで最も偏差値の高い中高一貫校・私立鳳凰院学園の高等部のネイビーのブレザー姿だった。
――俺がもう4年前に着る資格を失った制服、眩しい。
私服しか着るもののない浪人生だらけの教室の空気が変わる。
「若……」
「原石だな」
終と五條が小声でつぶやいた。
「早瀬 俊です。模試ではいつもA判定です」
教室がざわつく。
「いつもって言ったぞ今」
俊はこのざわつきにも動じず、自己紹介をつづけた。
「最大限に効率化を図りたいので、早めに二次対策をしようと思いまして」
「現役のくせに冷静すぎて怖いんだけど」
どこに座ろうか教室を見渡した俊が、ふとタロウを見て視線をとめた。
「越知内さん、ですよね」
「え、はい」
この将来有望な若人に声をかけられて、ビビったタロウは思わず敬語で返事してしまう。
俊は軽く頭を下げる。
「いつも最後まで残ってますよね。尊敬してます」
「ええ…尊敬ってどこを…」
「折れなかったところです」
彼の言葉に、浪人生だらけの教室が少し静まった。
聞こえようによっては嫌みに聞こえる。
――ううむ。賢いようだが、微妙に空気が読めないやつだ。しかたない。
「何を言う。折れてはいるぞ」
タロウはあえておどけてみせた。
その言葉に、少しまた教室の空気は柔らかくなった。
「でも折れても花が咲けばいいからな」
「名言風に言うな」
終が突っ込んでくれる。さすが、戦友だ。
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講義を2コマ終え、昼休みになる。
終とタロウは自販機の前で、午後のお供を吟味していた。
「公務員の過去問集、また持ち歩いてんのか」
「これは逃げ道じゃない。選択肢だ」
終はブラックコーヒーのボタンを押す。
「さっきも聞いたぞ。今年は二刀流か、大変だな」
タロウの言葉を聞いた終は少しだけ目を伏せた。
「……補欠だったんだ」
「……知ってるよ」
「初めての合格発表のときは番号があったんだ」
「……」
「でも大学から通知は来なかった」
医学部では毎年補欠が数名出される。
終はそこに現役の時にひっかかったのだが、合格とまではいかなかった。
浪人生になってからは補欠にもひっかかっていない。
「“あと一歩”って、怖いぞ」
「……」
タロウは何も言えなかった。
それは味わったものしかわからない恐怖だ。
「だから毎年言いきかせるんだ。今年で終わりって」
「浪人生活を?」
「違う」
終は少しだけ笑い、そして続けた。
「“あのときの自分”をだ」
終が決め顔でアニメのセリフみたいなことをいうものだから、タロウは少し笑ってしまった。
「重い重い重い」
そこにどこからかひょっこり出てきた五條につっこまれた。
「安心しろ。全員重い」
去年と変わらないメンバーで今年も一年過ごせることを
気が緩んでしまいそうな心配はありつつも、
タロウはどこかほっとしていた。
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【共通テストまで 276日】
講師がホワイトボードに書いた。
「まだありますね」
俊が言う。
浪人生は浪人生、現役生は現役生で自然と座る席が分かれるものだが
俊はなぜか俺らに懐き、いつも近くに座るようになっていた。
現役生の そののんきな言葉に、
タロウ、終、五條は次々と突っ込む。
「いや、もうない」
「ないな」
「時間はあるといえばある、ないといえばない」
「哲学予備校じゃないんですから」
俊は我々のボケに真顔でツッコんだ。
「ところで、落ちた時って、どんな気持ちなんですか」
4浪×2と5浪、止まる。
このお坊ちゃんは賢いが、デリカシーや心の機微というものどこかに落っことしてきたようだった。
「そうだな、心拍数が上がる」
と、終。
「視界が狭くなる」
と、五條。
「レベルアップする」
と、タロウ。
俊はタロウたちの回答に少しだけ考えて、
「……僕、知らないんです」
「知らなくていい」
「知るな」
「知るな」
浪人トリオはすぐさま突っ込む。
世の中は知らないほうがいいことのほうが多い。
「でも、もし落ちたら」
「……その時は、俺たちがいる」
「歓迎する」
終と五條は、決め顔でいう。
「歓迎するな」
タロウはつっこんだ。
俊は笑った。
気を許したような笑顔だった。
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こうして医学部専門予備校 メディカル∞インフィニティに不思議な4人組が出来上がった。
4浪が二人。
5浪が一人。
現役が一人。
国家公務員過去問集が一冊。
ここは医学部専門予備校 メディカル∞インフィニティ。
可能性は無限。
未練も無限。
そして――
それでも、全員が医学部を目指している。




