ない記憶
僕の名前は一ノ瀬ハルト。
僕の生まれた一ノ瀬家は、代々王国の中枢を担う貴族の頂点の四つの家系の一つ。
そして僕はその家の跡取り息子。
たくさんの兄妹の中で誰より期待されて、誰よりも失望させてきた。
18歳を迎えると成人の儀を受けられて、晴れて当主として認められる。
だからそれを目指して、自分なりに精一杯やっていたけど、現実は弟の方が優秀だった。
双子の弟も継承権は同等。じゃあ弟がやればいい、って息抜きを楽しんでいたら、ある日突然手から火が出るようになっちゃった。
「火の王に認められた!数代ぶりだ!」
父さんと母さんが大喜び、あの瞬間に弟ルカの目に宿った殺意は今でも覚えてる。
かわいい俺の弟、俺を殺したい弟
俺は弟のために死んでやるべきなのかな
「なんでそんなところで丸まってる」
ぼーっと木の根本で膝を抱えていたら、人の気配で顔を上げた。凛とした女性が立っていた。輝く黒い髪はまっすぐ背中に沿って流れていて、肌は雪のように白く、瞳は黒曜石のように黒色で美しい。彫刻のような女性だった。
「憂鬱な顔をするな、昼の時間がもったいない」
「……すみません…」
「……全く仕方ない…私はかわいい女性に弱いんだ。その顔に産んでくれた親に感謝しろ。手を貸せ」
強引に手を引っ張ると、詠唱を始めた。
「この愛し子を悲しみや痛みから守りたまえ。美しいものはより美しく。痛みは与えた本人に跳ね返すこと。愛し子の眠りが健やかであるように」
そう言って手に口付けると、こちらに手を返した
「守護は今日1日だけだぞ。今日1日くらい幸せでいろ。明日以降も幸せが続くようにな」
そう言ってパンをもぐもぐと食べ始めた。
守護を他人にかけられるなんて、それを名乗り出ただけで王国で仕事が貰えるレベルなのにこの人は何者なんだ。
いや、口から出まかせを言ってるだけなのかもしれないな、それでも少しは嬉しいけれど。
「……ありがとうございます」
そう言ってその場を離れた。不思議と気分は晴れやかで、いまなら何でもできそうな気がした。
それが美しい人に手に口付けされたからなのか、本当に効果があったからなのかはわからなかった。
前日僕に料理を運んだメイドが息絶えたことを聞いた僕は、それが毒による死であると知る。
そしてそのメイドが、元々は弟の専属だったことに気付いた。
加護によって、毒が弾かれて、盛った犯人に戻っていたのだ。
僕はその日死んでいてもおかしくなかった。
たまたま気まぐれで彼女が僕に加護をくれていなかったら、もう二度と会えなかった。
「いつもありがとうございます、さくら先輩」
「だからまだ救ってないぞ」
あの時のことを忘れてしまった命の恩人は、僕だけにいつか微笑んでくれるだろうか。
さくらの香りがする。
それ以外にも嗅いだことのある匂いがする。
私はこの香りを知っている。
膝を抱えて木のそばで泣いていた小さい愛し子。
泣かないで、守ってあげるから、幸せに生きなさい。
「なんかいい香りがする」
「ヒッ!!!」
後ろから体を抱きしめられて悲鳴に似た声を上げてしまった。
抱きしめてきた張本人は、私の髪に顔を埋めて思い切り呼吸を繰り返している。
「女性になんたる仕打ちだ!」
後ろから誰かの声がして振り返ると、オレンジの髪と白髪の人が立っていた。
これはまずい、この二人の髪色は私でも知っている。
「私は無害な一般生徒でございます、今の犯罪スレスレの行為はなかったことにしますので失礼してもよろしいでしょうか」
「ごめんね怖がらせて、俺たちはリアとシオン、四家の……」
「…存じております」
南を守る雷の王 アウガス家
西を守る風の王 降谷家
四家の人間と出会ってしまうなんて望んでない……せめてこれ以上揃わないでほしい揃わないでくれ頼む
「さくら先輩!」
「来た……」
一ノ瀬が来たことで四家の人間が集まってしまった。最悪だ。しかも半分は次期当主だ。
王都に住むと決めた当時の私を恨む。
なぜこんな揉め事に首を突っ込んでいるのだ、私はあと一年好きな授業を好きなだけ受けるつもりだっただけなのに。
「俺も守護してほしいなあ」
レイアス・グレインが私にそう言う。
一ノ瀬はこの人たちに全て話したようだ。一ノ瀬が申し訳無さそうにこちらをチラチラ見ている。
「守護は万能ではありません。自分から攻撃したあとの相手からの反撃は対象にならず、自己に理由がある場合も多くは対象外です。もちろん痛みのない衝撃も」
「だからキスできたんだ」
「そんな記憶はありません」
悪意がない相手からの物理攻撃は防げないことが多い。過度に期待をされて、勝手に失望されるのにはうんざりだ。
「命を狙われる理由が成立してしまったら、守護に効果はありません」
私が断言すると、グレインは笑う。
「俺が刺されても仕方ないって言ってるみたい」
「理由があるならそうですね」
「刺されると痛いんだよなぁ」
なぜか経験のある言い方をするので気になったが、まぁ気にしても仕方ないので忘れることにした。
しかし四家の中でも一ノ瀬は一緒にいてもそこまで目立たないのに対し、この三人はそれぞれが有名なのかざわざわと人が集まってきた。
ああ、絶対に関わりたくない。
「では失礼します」
「この後の授業一緒にいこうねえ」
「遠慮します」
「まあまあ遠慮しないで」
腕を掴まれて、引きずられる形で授業まで向かうことになった。
全くありがたくない。
一ノ瀬は違う学年なので一人で残されていた。
一ノ瀬の存在感の甘さが一番マシだったなんて、最悪だ。
十月十八日 晴れ
腕の痛みあり、記憶なし
特筆すべきことなし




