彼の国への旅立ち
「もう明日の支度は終わってるだろうし、今日の夜は食事に行こうか」
「‥実は支度、まだしてないんだよね」
俺の言葉にさくらが驚いて声を上げた。
ついに半日後に海の向こうの国への出航を控えていたが、色んな支度にかまけてまだ身支度をしていなかった。
「忙しいのはわかるが‥行くのが嫌なのか?」
俺が慌てて首を横に振ると、ほっとした顔で胸を撫で下ろした。
ただ、今回の事が終わればさくらとの仮の婚約者の関係も終わってしまうと思うと辛くて、現実が見たくなくてつい支度をせず当日までズルズル来てしまっただけだった。
「帰ってすぐ支度するよ」
「行く気があって、もし支度に手間取っているだけなら私が手伝うよ」
放課後の鐘が鳴り、支度をしたさくらが立ち上がる。
「え‥うちに来るって言ってる?」
「一ノ瀬もいるんだろう?さっさと終わらせよう」
手を差し出されて講堂を出た。
さくらが高く手を上げて指を鳴らす。目を開けるともう部屋の前だった。
俺は一人暮らしをしていて、今はハルも居候している。今日の午後はいなかったからハルは先に家にいるはずだ。
「おかえり〜あれ、櫻子さん?どうしたの?」
部屋に入ったらパジャマ姿のハルがいた。随分と寝る支度が早い。俺の横にいるさくらをみて驚いている。
ハルたちには今の状況を説明していた。今夜の船で旅立つことも知っている。
「レイが数時間後に私の国へ向かうのにまだ支度をしていないと言うんだ。」
「え!レイが?!珍しいね!?」
ハルがそう言って、どこからかカバンを出して来た。俺のカバンの場所なんてどうやって知ったんだろう、
荷物を玄関に置いたさくらと、パジャマ姿のハルが二人でカバンを開いている。
「まずは服?」
「服は先に送ってある。シワになるからな。」
「じゃあ下着?これは櫻子さんにやらせるわけにいかないから、僕がやっておきますからね!」
ハルが俺に言う。ありがとうと言うと俺の寝室に消えた。俺の下着の場所まで把握しているのか。
「あとは歯ブラシと、ベリー味の歯磨き粉ね?」
「‥向こうにもありそうだけど」
物心ついてからこんなふうに誰かに支度を手伝ってもらうのなんて初めてだ。
常に完璧にしておけ、常に先回りしておけと育てられたから、ギリギリまでやらずにいたのなんて初めてだった。
「え?トランプはいらないだろう」
「いや絶対いるよ。櫻子さん、僕を信じて」
「いいや!この甘味は絶対にいらない!キッチンがあるから食べ物には困らせないぞ」
二人で俺の荷物をあーだのこうだのと考えてくれていて微笑ましい。俺は、こんな風に過ごす毎日が幸せだ。
ハルもさくらも一緒に居る日々が心地よかった。
「これでよし!あとは何かあるかなぁ?」
「いいと思う。ありがとう二人とも」
途中から俺も加わって明日の支度を終えた。
座ってて!と言われてほとんど手伝い出来なかったが、二人は満足そうだった。
「じゃあまた数時間後に。」
「うん、おやすみさくら」
「おやすみなさーい櫻子さん!」
12時間の航海のため、約束の時間に合わせて出航は今夜の深夜だった。
「一ノ瀬、数日ここを離れるけど‥よく寝てよく食べて元気に過ごしていてくれ」
「うん。ありがとう櫻子さん」
ハルにそう言い残してさくらが帰った。指を鳴らしてすぐに消えた。
ここから数日間二人きりで過ごすことになると思うと、かなり不安がある。
そもそもあの国はかなり情報が少なく、貿易も少ない。俺も国王や数人の人しか会ったことはない。
その上さくらにとってはいい思い出のない国だ。戦争をすると断言までしてきている。
正直言って怖かった。
「じゃあ、僕寝るね?おやすみレイ〜」
「‥‥ハル、寝るのが早いね?」
「ちょっと疲れててね‥おやすみ!」
ハルは明日は普通の授業だったはずなのに、もう寝る準備を終えてるなんて。
俺たちだけが行くってことに納得したとは思えないのにやたらとすんなり支度していたな。
何も言わずにベットに潜ったハルを見て、嫌な予感がしたが、まさかなと思って風呂場に向かった。
数時間後
夜中の2:30に出航する船には、俺やさくらの他に、リアとシオンとハルがちゃっかり乗っていた。
「やっぱりな‥」
そんな気がしていた。絶対ついてくると思ってた。
船に乗り込んださくらが荷物を床に落として震えている。どうやら怒っているようだ。
「っ観光旅行じゃないから連れて行けないってちゃんと細かく丁寧に説明したのに!!!」
さくらが大きな声で3人に怒鳴る。3人はバツの悪そうな顔をしていたが、ハルがスッと手を挙げた
「レイが一番外交的で、婚約者に向いてるってのは理解したよ。でも櫻子さんとレイだけで行かせるなんて心配だったんだ」
「‥っそれは貴方達が増えても変わらないだろ‥心配が増えるだけだ」
船の中のソファに座り込んで頭を抱えている。
3人も恐らく、ただ呑気に来た訳ではないはずだった。
さくらの肩をリアが叩く。
「俺たちは一応四家の人間だ。そう簡単にやられないぞ」
「‥‥アウガスさん」
「なあ、こんな時くらい頼ってくれよ櫻子。俺のことも名前で呼んでくれ」
「‥リア‥」
シオンも笑って頷いていた。
俺は正直言って、二人きりより気が楽だったので助かったと思った。どんなきっかけで理性のタガが外れるかわからなくて、自分が一番怖かった。
「僕のことだけまだ名前で呼んでないですけど‥」
「一ノ瀬はいいんだよ。昨日しんみり挨拶した私がバカみたいじゃないか」
「え〜櫻子さんのケチ!」
ハルが拗ねて、さくらは笑った。
「皆さん、ここまで来たからには事情を全て聞いて貰わなくては‥面倒に巻き込むことになります。ごめんなさい。」
「櫻子さんは僕の命の恩人ですよ。そんなことで今更悩まないでください」
ふう、とさくらは息を吐いて3人に向き合った。
「では出航しましょう。行きながら説明します。」
その合図で錨が上げられ、船は動き出した
もう後戻りはできない。船は海の向こうへと進み出した。
さくらの話を聞くにつれハルたちの顔色が変わり、やはり俺と同じように、王族への礼をしようと立ち上がる。
こうなるのが嫌で話したくなかったのに‥」
さくらが立ち上がって皆を止めている。
「お姫様だったんですか‥」
「そんな柄じゃない。国内で私は、生まれてから今日まで病気の療養で床に臥せている事になっている。まともに公の場に顔を出したことはないよ」
「‥あの、デビュタントのドレスは?」
「叔父がくれたから部屋で一人で着たよ。あれが初めてのドレスだった。」
事情を聞けば聞くほど酷い扱いだった。苦い顔をしている俺を見てさくらは困った顔をする。
「私の昔話なんて何にも面白くないな。」
「いいや。事情を聞いたからには俺たちは君の味方だよ。王族じゃないけど、俺たちだってそれぞれ国がある。」
「うん、僕たちが付いてます。」
ハルたちの言葉に小さく頷いた。
本当に国に戻りたくないのだろう、さくらは王国を出てからずっと手を握りしめていた。
その手に皆が手を重ねた。冷たいさくらの手が温かくなっていく。
「‥‥一ノ瀬‥このためにトランプを入れたんだな」
俺のカバンからトランプやお菓子を出したハルは逃げた。
さくらが笑っていてよかったと思った




