初めまして
初めて出会った時を思い出す。
その時は世界にひとりぼっちで泣きそうで、自分なんてこの世界に居なければよかったと心から思っていた。
でも時間を戻してやり直せたとしても、今と全く同じ道を辿るだろう。
それがどれほど辛い道のりだとしても、他に選ぶことなんて考えられないほど、それは輝いていた。
十月七日 晴れ
手の痺れあり、記憶なし
特筆すべき事項なし
十月八日 曇り
身体に異常なし、記憶なし
特筆すべき事項なし
十月九日 晴れ
身体に異常なし、記憶なし
昼に黒猫と遭遇、特筆すべき事項なし
朝が来て、私は日記帳に手を触れる。
何の変哲もない黒の日記帳には毎日の記録がある。
私は今日も決まった制服を着て、学園へと歩みを進める。
淡々と、決まり切ったことを繰り返し学んでいく。
ここ、王立アナスタシア学園は、東西南北四つに別れた地域を纏めるヴァレイン王国の真ん中に所在している。
学園から見える位置には国王陛下が生活する城もあり、王都と呼ばれる中に内包されている最も由緒正しい学園である。
学園の授業の多くはヴァレイン王国史、経済学、武道など、王城で働くのを目的として貴族の子どもや将来有望な子ども達が学んでいるのである。
私、有栖川さくらもその生徒の一人であり、学園に通い二年生になった。
「なかなか捨て難いが、次はやはり武道を受けよう、マスターの模範指導は貴重だ」
この学園では授業は選択制であり、同時進行されている授業の中から必要単位を選ぶ方式だ。授業の出席率に関わらず、最終試験に受かれば卒業となる。生徒に貴族が多いことから、裏金で合格を買うという話も少なくない。
しかし、この学園は全ての講師が現役のその分野での権威なのである。直接見聞きできる絶好の機会をみすみす逃すことは私にはできない。
「あの、」
しかし武道の裏では、王の最側近とも言われる宰相殿の講義もあるのだ。なぜ私は分身ができないのだろうか。
「あのっ、すみません、すみません!」
そこで初めて、私に話しかけているのだと気付いた。
よく見たら私の頭ひとつ下の位置から、薄い亜麻色の女生徒が私の袖を引いていた。見たことがないが、とても可愛らしい顔立ちをしていた。
「考えごとをしていた、すまなかったね」
「そうでしたか、突然すみませんっ」
決して手を離さずに女生徒は続けた。
「あの本当に突然なのですが、僕のことを守っていただけませんか?」
僕と言われて改めて見ると、女生徒はネクタイをしてズボンを履いていた。
「忙しいので断る」
全く貴族のお遊びにも困ったものだ。私は意気揚々と武道の稽古場へと歩みを進めた。
十月十日 晴れ
身体に痛みあり、記憶なし
特筆すべき事項なし
朝だ。干してある制服に腕を通し、新しい一日が始まる。今日は雨が降っている。雨の日は嫌いだ。
一つ目の授業を受け、それを纏めたノートを手に講堂へ向かう。今日は雨のため外での訓練は軒並み延期となっているため座学を学ぶのだ。
王都でその卓越した技術の左に出るものはいないと言われている、あの宰相殿の講義である。これを逃す手はない。
「昨日はごめんなさい!」
腕を引かれて振り返ると、そこには女生徒が立っていた。亜麻色の髪に、同じ色の瞳の見目麗しい女生徒だ。
「昨日?」
「僕、昨日は慌ててしまって、きちんと説明もせずに……お時間いただけませんか?」
「生憎だが忙しいんだ」
「では明日!明日でもいいんです、お願いします!」
なぜ私が貴族の遊びに付き合わなければならないのか、全く興味もないのに面倒なことだ。しかし、あまりにも必死な形相から、この女生徒が困窮した状況の可能性もある。
「…明日の夕方、話を聞くだけだ」
そう伝えて背中を向け足早に講堂へと移動した。
十月十一日 雨
足に痛みあり、記憶なし
明日夕方に女生徒から話を聞くこと
以上
昼休憩で空を眺めていた。
空は美しい。
常に違う姿をしていて、退屈しない。
鳥が飛んでいる。
私が空を飛んでいたら、そのうち飛び方も忘れてしまうのだろうか。
「今日はひとりなんだ」
上から声がしてそちらを見た。
突然視界が真っ暗になって唇に何かが触れた。
何かが顔にぶつかってきたようで咄嗟に目を閉じた。
「避けないの?」
顔が物凄く近くにあった。
真っ黒な目は何も写していないようだった。
その距離と場所から男に口付けされたのだと気付いて慌てて唇を手で拭った。
「なぜこんなことをする?変態なのか?」
私がそう尋ねると、思ってもなかったという顔で笑った。とにかく不快で洗い流したかった。水で口を濯いで吐くと、また笑った。
「誰にでもしてる訳じゃないよ」
「当たり前だ、気持ち悪いことを言うな」
「うれしくないの?」
「知らない人間に突然口付けされて喜ぶやつがいるとしたら、そいつもお前も纏めて異常者だ」
地面に座る私から離れたそいつが立ち上がると、それはそれは背が高かった。
私より頭ひとつは大きいその姿は木が立っているようだった。
太陽に透ける濃い青髪と真っ黒の瞳でこちらを見ている。
これ以上異常な行動に関わりたくなかった私はその場を離れたかった。
「またね、さくら」
私の名前を呼ぶその男と知り合った記憶は私には無い。その後の授業は散々だった。
夕方になり、最後の授業が終わる。最後の授業は座学だったので講堂の入り口に女生徒は立っていた。
「お時間ありがとうございます」
「私の家でいいか?」
家でと言ったとき、ただでさえ大きい亜麻色の瞳が大きく見開かれて、慌てていた。もしどこか行きたいところがあるならそちらに、と言ったらしばらく唸ってから、お家にお邪魔しますと言った。
「一人暮らしだから遠慮はいらない」
女生徒と二人で家に帰る。扉に手を触れると電気が付いた。
「先輩って、封言の才能がありますよね」
「才能なんてない」
王国には封言と言われる技術がある。
その名の通り言葉を空間に込めて作用させる技術であり、言葉を込めることで手を使わずに扉の開け閉めをしたり、電気を付けたりできる。
しかしこれはその辺の母親でも使える程度のものであり、特別な才能がなくとも、毎日同じことを唱えていればいつかはできるようになるものだ。
「私が使えるのは日常の簡単なものばかりで、特別なものではないよ」
もちろん学園の授業にもあり、才能のあるものは封言士となり、国の護りや多くの国営の仕事に就けると言われている。
「僕は簡単なものさえほとんど使えないんです、お前は言葉に重みがないっていつも父から言われます」
「それこそ才能じゃないか、重みのある言葉は簡単に人を傷つけられる」
「そんなこと初めて言われました。そうですね、僕の言葉は軽くて、誰も傷つけられないのかもしれません」
クスクスと笑う女生徒は、そう言ってから真面目な顔になった。
「本当に突拍子もないんですが、先輩に助けてほしいんです。僕は一ノ瀬 ハルトと申します。一ノ瀬家の後継者です。先輩の想像している通りのその、一ノ瀬家です。」
四つの地域に囲まれた王都。
東を守るのが火の王
西を守るのが風の王
南を守るのが雷の王
北を守るのが水の王
それぞれの血筋の者だけが王の力を借り受け、王国を護り続ける。
「その東の火の王の力を使えるのが僕の家系です。その中でも後継者の僕は火の力を借り受けるのが容易いのです。」
手のひらに火を灯しながら言う。
「その一ノ瀬が、私に何を守れと?」
「僕は命を狙われています」
「跡取り息子なんだから守られてるだろ」
「僕のうまれから複雑で、いちから説明しなければ…」
なぜこんなことになったのだ。目の前で語られるのは壮大なお家騒動だった。
一ノ瀬はそこから、自分が双子であること、自分の命を狙っているのは双子の弟であり、継承順位には差がないことを説明した。
「僕はこの通り自己主張が得意ではなくて、一族の中には弟が跡継ぎの方がいいと思う者が少なからずいて…だから僕は弟が継いでもいいと最近まで思っていたんです。なのに火の力を借り受ける事ができたのは僕だけでした。弟は僕が死ねば今度は自分が力に選ばれると思っています。」
「なぜ当主は関与しない?弟を制御するのも父たる当主の役目だろう」
「父に相談したのですが、父は決まった跡継ぎの兄に対して弟がそんなことをするはずがないと…」
弟が継いでもいいと思い弟を思い陰に隠れていた兄は、積み重ねた弟の信頼に勝てなかったのか。なんとも皮肉な話だ。
「しかし僕が死んでも弟が選ばれる保証はないのです。これはかつての火の王の力を借り受ける期限つきの契約、こちらが選ぶのではなく、あくまでも王の意思なのです。弟はただの兄殺しになり果てるだけかもしれません。」
「なんてお人よしなんだ」
思わず声が出てしまった。聞いていれば殺されそうになっているのにこの期に及んでまだ弟の身を案じている。理解ができない。
「家の者の力は借りれません。僕には家の中に味方が居ないのです。だから…」
一ノ瀬はそう言って、うるうるとした瞳でこちらを見た。
「待て、話は逸れるが女性ではないのか?」
「僕は男です!あの、身分証もありますし!ちゃんと男です!」
「ああ…なるほど…それはすまない……」
男だったのか。
女生徒だとばかり思っていたが、よくよく見たらズボンを履いている。だから家に誘ったとき慌てていたのか。
「昼に変態に出会ったせいで私まで危うく痴女になるところだ」
「昼に変態に!?」
「いやすまないそれはこっちの話だ、私が全て悪かった。家に誘ったのも他意はないのだ、私の無知に免じてどうかお許しください」
貴族への礼を取り跪くと、一ノ瀬は立ち上がって慌てた
「先輩、僕が頼んでる側です、敬語はおやめください!僕のことはハルとお呼びいただいて……」
「いえ、一ノ瀬家の長兄たる方をそんな風には」
「せめてハルトと…」
「長兄様、私のことはどうぞ有栖川と呼び捨てでお呼びください」
「では、改めてさくら先輩、ぜひお願いしたいのです」
私の話は全く聞いていないのか。
しかし一ノ瀬家はこの王国で王家の次に貴い家柄、反抗するだけで処罰があってもおかしくない。
「長兄様、私にはそんな力はありません。どうか他の人間をお探しください」
「僕には探す時間がないのです、先輩は僕が死んでもいいのですか?」
「人には出来ることと出来ないことがあります、出来ないことをお受けすることは許されないことです」
「あなたは人に守護の封言をかけられます。なぜ隠すのですか?僕が信用できませんか?」
悲しそうな顔で一ノ瀬は言った。
家の力を借りられないなんて言っていた口で、私の秘密は全て暴いているに近しいことを言ってのける。貴族というのは恐ろしい。
「では、もう全てご存知でしょうが、私の記憶は一日以上持ちません。毎日二四時になると私の意識と一緒に全ての封言は消えて無くなります。もちろん護りの力も消えます。唯一消えないのはこの家の護りだけ。私は毎日数行の記録だけを引き継いで生きています。」
そう言ったら、一ノ瀬はひどく驚いた顔をして動揺していた。
「僕に会ったことは…」
「昨日が初めてと記録しております」
「…そうですか」
落胆したような、安堵したような表情でそう言うと、部屋のソファに座った。長い沈黙。
勝手に期待されて、勝手に落胆されているのがわかる。私にはできないことが多すぎる。
どうせ日記に残さなければ明日には覚えていないのだ、いらない罪悪感なんて覚えるべきではない。
長い沈黙のあと、一ノ瀬は重い口を開いた。
「僕はここで死ぬわけにはいかないんです。家は継いでも継がなくてもいいから……好きな人と幸せな結婚をしたいんです。」
「…夢は自由ですからね」
一ノ瀬はこちらを見ている。なぜだか嫌な予感がする。
「僕もこの家に住まわせてください!毎晩守護が切れても、毎朝先輩が守護を掛け直してくれたらいい。それなら生きていけます!」
「え」
「僕はリビングで寝るし、先輩に手を出す心配はありません!先輩の方が強いですからね!」
「いや」
「先輩、僕が死んでもいいんですか?」
「…………」
丸い宝石のような瞳の亜麻色の髪の男、一ノ瀬ハルトは正々堂々と言った。心の底から死んでもいいと言いたかった。可愛らしい顔が憎かった。
十月十二日 晴れ
体の痛みなし、記憶なし
一ノ瀬家の長兄ハルトが居候することになった
期間は3月3日の誕生日ごろまで。
以上




