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上っ面シンデレラの復讐

作者: 椿原 雪那
掲載日:2025/12/01

主人公が暴力を受ける描写があります。

「ここの掃除しておいてって言ったでしょう!?」

「ちょっと、昼ご飯はまだなの?」

「これだから愚図は嫌いなのよ!」


綺麗に整えられた室内に怒声が響く。彼らの足下にはぼろぼろの麻のワンピースを身に付けた少女が(うずくま)っていた。彼らはその少女に罵声を浴びせ、背を蹴ったり手に細いヒールを突き立てたりしてストレスを発散する。


「ご…ごめんな、さい……。……っ()!」


少女の大きな瞳には涙が浮かんでいるが、それが溢れないよう必死に堪え唇を噛む。体を起こし痩せ細った手を動かして床を拭くが彼らのお気に召さなかったようで、腹部を蹴られ倒れ込んでしまう。思わずぽたりと涙が溢れた。


「泣けば良いってもんじゃないのよ、この役立たず。さっさと視界から消えてくれない?」

「今日も食事抜きにすればちょっとは学習するんじゃない?」


意地の悪い笑みを浮かべながら嘲笑い、屋敷の外にある小さな古い小屋に少女を放り込んだ。外から南京錠を掛ける。こうすることで少女は外に出ることが出来なくなるが、屋敷全ての床掃除・窓掃除・洗濯、使用人を含めた全員分の食事の準備・片付けなど、他にも諸々の雑用といった毎日の日課を必然的にキャンセルすることになり、彼らの暴力の理由となるのだ。


「だっ…出して下さい! お願い、し…」


鍵を掛けられた扉の内側から少女の絶望に染まった声が聞こえてくる。


「あははっ、情けないわねぇ」

「気が向いたら開けてあげるわ。あ、やるべきことをサボったらお仕置きよー」


楽しそうに笑いながら、彼らは小屋を後にした。


一方、小屋内では。


「そんな…待って下さい! ここから出して!」


(まみ)れの薄暗い空間で、身体中に傷を負った少女、メアリーは足音が聞こえなくなるまで悲しげな声で叫んでいた。しかし、外から人の気配が消えた瞬間。


「あー、疲れた。あいつら思いっ切り蹴りやがって。……っ()いなぁ」


先程までの内気で弱腰な雰囲気は霧散し、寧ろ今にも相手に掴み掛かりそうな勢いで眼光を鋭く光らせていた。


「いやぁ、今日の私結構良い感じだったんじゃない? 泣くタイミングも完璧だったし」


誰もいない空間で場違いな明るい声が響く。そもそも、メアリーがこのような境遇に至ったのには少々複雑な事情があった。



・・・❇︎・・・❇︎・・・❇︎・・・



メアリーが商人の娘としてこの世に生を受けたのは今から十三年と少し前。その地域一帯の流通を担う大きな商家だった。そこでメアリーは有能な両親の下商人としての技術を日常的に学び、三歳になる頃には簡単な会計を(こな)せるようになっていた。五歳頃には大人に混じって商談に参加していた。要するに、メアリーは秀才だったのだ。しかし、それは彼女自身の多大な努力あってのことなので、『天才』ではなくあくまで『秀才』である。


事が起こったのは七年前、メアリーが六歳になったばかりのときだった。


その日は長期的に降り続いていた雨が漸く止み、各地の被害状況が明らかになりつつある久し振りの晴れの日だった。両親と共に現地に確認に行くということで、通行規制の看板に従って馬車で道を進んでいく。しかし、『この先は安全』という趣旨の説明が書かれた立札に沿って進んでいるにも関わらず、徐々に、しかし確実に道は悪くなっている。途中で大木が何本も倒れていて、更に小規模な落石もありどこが『この先は安全』なのかと三人とも疑問に思ったが、地域一帯が被災しているこの現状では完全に安全と言える道はないにも等しい。


目的地まで残り数kmという地点で急激に道が悪くなり、馬車での移動が困難な程になったためそこからは徒歩での移動となった。最早道とは言えない程の地面を歩いていると、突如剥き出しになった山肌から落石があり、父と咄嗟にメアリーを抱えた母が駆け出した。が、土砂災害における落石は時速70km〜110kmに及ぶ。小さな石ならば大事に至らないこともあるだろうが、転がり落ちて来たのは直径が平均約2mの巨大な岩だ。どれ程のスピードで走ろうと、それを回避することは出来ない。


こうして両親は命を落とし、母に庇われたメアリーのみ生き残ったのだ。


事故後暫くは両親と暮らしていた家で一人生活していたのだが、精神面はともかく肉体的にはまだ幼いメアリーが一人で生きていくことは困難であり、殆ど接点のなかった母方の叔父の家に引き取られた。しかし、商人一家に生まれ、有能な姉に一方的に劣等感を感じていた叔父は姉の娘であるメアリーにも強く当たった。一家の主人(あるじ)である叔父がそのように振る舞えば当然妻や子、使用人たちにもそれは波及する。メアリーの味方は次第にいなくなり、只管(ひたすら)使用人以下、時には人間以下の扱いをされるようになっていったのだ。


しかし、それで心が折れるメアリーではなかった。


掃除と称して叔父の書斎を漁り、買い物と称して街を見て回り、活動範囲を広げていった。書斎では様々な知識を蓄え、街では話術やコミュニケーション能力を磨く。書類上の家族から言い付けられる仕事は家事が殆どであるため、それ以外のことを積極的に学んでいった。彼らは基本的に感情で動くため、メアリーへの純粋な加虐心という欲求が満たされるまで行動を止めない。このことに数日で気付いたメアリーは、早速『不遇な扱いを受け泣き暮らす悲劇のヒロイン(バッドエンド予定)』を演じることにした。それが想像以上にはまったらしく、嬉々として虐めてくるが長く続くことはない。数年経つ頃には女優になれるのではないかと思う程の演技っぷりで、我ながら良い役作りだと自画自賛している。


両親の死はショックだったが、その後の環境が目紛(めまぐる)しく変化したため落ち込んでいる暇はなかった。しかし、日常的に叔父の書斎に忍び込んでいたメアリーは偶然知ってしまったのだ。


「…………何、これ……」


数年前に書かれたその書類には、メアリーの両親の事故に見せ掛けた殺害方法、即ち殺害計画が記されていた。


自身も商会を営む叔父は、自分の商会が大きくならないのは姉の嫌がらせによるものだと根拠なく思い込んでいた。自分の力を以ってすれば国全体に影響を及ぼすことが可能であると。そして、それが叶わないのはメアリーの両親である姉とその夫による営業妨害に違いないと盲目的に信じていた。感情的に動く義家族一家の特徴に違わず叔父もそうであったため、彼は偶然起こった土砂災害を利用し意図的にまだ頻繁に落石がある道に彼らを誘導した。叔父にとっては運良く、メアリーと両親にとっては運悪く、丁度彼らが通過するタイミングで大規模な落石が起こり、二人は命を落としたのだ。メアリーが生き残ったのは想定外だろうが、人件費が掛からず食費も無料(タダ)同然の彼女を引き取ったのは姉への嫌がらせからだろうか。


「嘘でしょ……」


破棄すれば良い筈のその書類を目に付くところに保管していたのは、(ひとえ)に叔父の自己顕示欲の強さが原因だろう。一枚の紙が手の中でくしゃりと音を立てて小さくなる。俯いたまま肩を震わせるメアリーの表情は、前髪で隠れてよく見えない。ゆっくりと顔を上げた彼女の瞳には、強い怒りが浮かんでいた。


「ふざっけんなよ、あの馬鹿叔父が。絶対破滅させて地獄を見せてやる」


絶望している暇などない。澄んだ色の瞳を静かに燃やしながら、齢十三のメアリーは叔父の書斎を後にした。



・・・❇︎・・・❇︎・・・❇︎・・・



十五歳の誕生日を迎えた日、この家に来てから初めて叔父に(叔父の)家族と一緒に夕食を取るよう言われた。確率的に1/365、即ち約0.27%を引き当てるとは考えにくいため叔父がメアリーの誕生日を覚えていたとするのが妥当だが、彼女自身も意識していなかったことを叔父やその妻子が素直に祝うつもりだと考える方が不自然だ。


「メアリー、今日で十五だな」


「……はい」

(父さんと母さんが付けてくれた名前を軽々しく呼ばないでくれる? 気色悪い)


怯えたように小さく返事をするが、内心では殺意にも似た感情で悪態を吐く。完璧に取り繕った表情で縮こまるメアリーが殺意や憎悪を抱えていることなど、彼らは予想だにしないだろう。()()()()()()()()()()真面(まとも)な服を持っている筈のないメアリーの服装を蔑み罵る彼らは、自分たちよりも下位の存在を貶すことでしか優位性を保てないのだ。


(全く、突然呼び出して何なの? さっさと本題入んなさいよ。語彙、悪態の言葉しかないの? ……はぁ、何か可哀想になってきた。そうだよね、人を馬鹿にしないと自分を保てないもんねぇ。馬鹿だから)


挙句の果てにはメアリーにすらモノローグで馬鹿にされ憐れまれる始末である。


暫く罵詈雑言が続いた後、漸く叔父が姿勢を正し言葉を発した。曰く、結婚相手を見つけてやったから明日嫁げ、と。


「………………え?」


しっかりと役に準じ、「は?」と言わなかっただけ、褒めてほしいと思う。この国では十五歳を迎え成人となった子女は婚姻を結ぶことが可能だが、誕生日当日に、しかもお見合いもなしに翌日嫁げというのは非常識極まりない。街中で一般常識を身に付けたメアリーにとっても、それ程までに衝撃の大きなことだった。しかし、叔父からそう言われた時点で恐らくそれは決定事項である。ならばメアリーがすることは唯一つ。少なくとも今よりは自由を得られるであろうこの結婚を、何としても勝ち取ることである。


「ま…待って下さい! そんな突然言われても、会ったこともない方ですし……」


震える両手を胸の前で組み涙の膜が掛かる瞳を潤ませて顔を上げる。決死の覚悟で嫌がる素振りを見せるメアリーの様子を、義母や義兄姉たちが歪んだ笑顔で見つめている。涙を溢すタイミングを見計らっていると、義姉の一人がすっと目を細めて笑った。


「うふふっ、お相手はあの有名なレナード・グレイヴス男爵よ。良かったわねぇ~」


義姉の言葉を文面通りに捉える訳がなく、しかもその名は街中でも耳にする程悪名高い。


「二十も上の方なんて、私なら怖くて震えてしまうわ」


「大丈夫よ。貴女には私たちが素敵な相手を見つけてあげるから」


(まぁそうなるよねぇ、でも良かったかも。どーせ『お前を愛する気はない』とかテンプレ通りのことを言うんだろうし。いや、でも実は噂だけでめっちゃ優しい人とかのパターンもあり得る……)


演技は崩さずに彼らの言葉をオートマ対応であしらいつつまだ見ぬ未来の夫に思いを馳せていると、義母が無駄に豪華な飾りの付いた扇を投げてきた。そんなものではなく自分たちの再教育にお金を掛ければ良いのに、と思う。


「良いこと? 男爵との婚姻によって私たちは貴族と繋がりができるの。何としても支援金を受け取って我が家の役に立ちなさい」


(今までこんな扱いをしておいて、何で私がそれに従うと思うかな? 馬鹿なの?)


口癖のように脳内では彼らに『馬鹿なの?』と言っているが、九年近くも使用人未満の扱いを受けてきたのだから、それくらいは許容すべきだとメアリーは思っている。因みに、『メアリー < 使用人』ではなく『メアリー << 使用人』である。使用人を1とすると、弱酸・弱塩基の電離度と同じだ。


(はぁ、どうせなら硫酸でもぶっ掛けてやりたい。塩酸でも良いな。水酸化ナトリウムもあり。あー、電離度1になりたい)


普段から彼らと真面な会話をすることがないため思考を必要とする受け答えに慣れていないメアリーは、脳内で全くの無関係なことを考えながら適当に返事をする。そうこうしていると、いつの間に終わったのか部屋から追い出された。メアリーは彼らの許可なく動くことを禁じられており、何もしなくても勝手にメアリーを取り扱ってくれるため楽なのだ。話を聞いていなくても問題ない。


それ以降はメアリーを通すことなく話は進み、予定通り翌日にグレイヴス男爵領に出立することになった。



・・・❇︎・・・❇︎・・・❇︎・・・



「良いか、俺はお前などを愛するつもりはない。間違っても俺に愛を求めるな」


(わぁお、まさかのテンプレ。想像通り! 面白っ!!)


参列者のいない形式上の結婚式、即ち婚姻届の記入のみを済ませ顔を合わせた瞬間に、そう言われた。思わず吹き出しそうになるのを必死で堪え、「……分かりました」と悲壮感を漂わせて答える。しかし、そこで一つの疑問が生じた。


「あの、どうして私と結婚されたのでしょう?」


「お前には関係ない。……最低限の生活は保障してやる。後は好きにしろ」


「…………!」


吐き捨てるようにそう言い残して去っていくレナードを見送るメアリーは微動だにしない。それを見たレナードの執事は嫁ぎ先の夫に突き放されて落ち込んでいると思ったのだが、もうお分かりかと思うが実際には全くそんなことはなかった。


(え? え! え!? 好きにして良いの~!?? 嬉しい! 良い人と結婚したなぁ、私!)


長い前髪の下で、満面の笑みを浮かべるメアリーだった。



・・・❇︎・・・❇︎・・・❇︎・・・



それから数日。


男爵家で暮らすようになったメアリーは一日三回の食事と適度な運動や読書をして毎日を過ごしている。実は普通の少女ではなかった(無意識)アピールのために「実家では普通のことだった」などと言って使用人の仕事をしたり、日々の食事に「こんなに美味しいものは初めて」などと涙を流すこともない。本来自分がされるべきだった扱いについて、メアリーは理解しているのだ。街で知り得た巷に溢れる人気小説のヒロインのような振る舞いはしないと決めている。とは言え、料理については本当に美味しくて演技を崩さないようにするのが大変だった。


レナードは噂通りの人物のようで、流石に『家の中で猪を放し飼いにしている』だとか『毎日十人以上を自死に追い込んでいる』だとか、そういったものは嘘だったようだが、それ以外のものについては比較的信憑性が高いようだ。


例えば、悪意ある情報操作。自分の思い通りに動かない人物の悪評やスキャンダルを捏造している。

例えば、慈善事業を装った資金洗浄。違法な手段で得た金銭を、慈善団体を通すことで合法的に懐に入れている。

例えば、他家の乗っ取り。自分の息が掛かった者を送り込み、他家を内側から操る。

などなど、他にも様々な悪事に手を染めている。


嫁いで僅か数日でグレイヴス家が長年隠し続けてきたこのことを突き止めるメアリーもだが、爵位を継いでから十数年の間捕まることなくこれ程のことを成しているレナードも中々のものだ。因みに、婚姻届と共に様々な契約書にもサインさせられており、その中にはレナードの行動に口を出さないというものも含まれていた。


(ほぉ~? つまり、私と結婚したのは馬鹿叔父の商会を取り込む、もしくは潰すためってことかねぇ?)


相手方は嫌がらせのつもりで割り当てたのだろう部屋のベッドに腰掛け、メアリーは思案していた。これまでの物置(へや)と比べれば十分すぎる程立派な私邸(へや)なので、欠片も気にならない。が、多少は傷付いている素振りを見せている。サイドテーブルに頬杖を突いたメアリーは、義家族や男爵家の誰も知らない好戦的な笑顔を浮かべた。


「させないよ? あれを壊すのは私だから」



・・・❇︎・・・❇︎・・・❇︎・・・



それから、忙しい日々が始まった。叔父の家で暮らしていた頃はぼんやりと『いつかこの家を壊す』という輪郭のない目標を抱いていただけだったが、男爵家に来て自由に動ける時間を得たため地に足が着いたような気がする。メアリーが目指すのは『彼ら自身の失態が破滅を招いたが、実はメアリーの策略によるものだったと失脚後に知る』ことである。そのためにまずは、味方を得る。


「……あの、私ちょっと街に行きたくて…」


「どうぞご自由に」


部屋を出て巨大な屋敷内を歩いていると、初日にも会った執事が何やら作業していた。声を掛けると、メアリーの方を見ることなくそう言われた。男爵家では監視などもなく比較的自由にしているが、裏を返せば女主人として認識されず放置されているとも言える。何なら、レナード本人が「必要なのはあの女の身柄のみで、あいつがどこで何をしようが知ったことじゃない。好きにやらせろ」と(のたま)っていた。


「ありがとうございます」


ぺこりと頭を下げて玄関へ向かう途中で、ふと思った。


(ん? じゃあ私、わざわざ演技する必要なくない?)


今までの雑巾のような衣服ではなく、少し裕福な町娘のような服装に身を包んだメアリーは立ち止まって数回瞬きをすると、輝くような笑みで屋敷を出た。男爵領は叔父の家があった地域から然程離れておらず、行き来する商人は大体同じだ。味方云々の前に、まずは街の人々と顔馴染みになる必要がある。部屋のクローゼットに入っていた服を数着持って、目的の店に入った。


「こんにちは」


「あぁ、いらっしゃい。買う方かい? それとも何か売るもんある?」


雑貨や衣料品、調理道具から家具に至るまで多種多様なものが並ぶ店内で、カウンターの奥に座った店主と思わしき妙齢の女性が入って来たメアリーに声を掛けた。恰幅が良く、人当たりが良さそうな笑顔で立ち上がる。


「買取りでお願いします」


「はいよ」


テーブルクロスに包んだ服をそれごと渡すと、店主は早速開いて中の服を検分し始めた。広いカウンター目一杯に広げ、裾の縫い目まで細かく見ている。


「ほぉ、こりゃすごいね。あんたどこのお嬢様だい?」


十数分掛けてじっくり調べ上げた店主は、店内の物品を見て回っていたメアリーに尋ねる。


「そういやこの辺りじゃ見ない顔だね」


「少し前に越して来たんです。男爵家で住み込みで」


義家族から与えられた支援金の確保(熟すつもりのない仕事)を住み込みで行っているため、嘘ではない。にっこり笑うエミリーは、以前と違い少しずつ健康的な体付きになってきている。まだ幼さの残る顔立ちが可愛らしいと鏡の前で自画自賛している。髪の毛も、自分で洗っているとは言えシャンプーもトリートメントも使用できるためキューティクルを纏って艶が出るようになってきた。結婚初日の夜は九年振りのお風呂だと感激し、洗髪後の爽快感に感動したものだ。


それはさておき、今のエミリーは少なくとも偏差値60はある見目の可憐な少女なのだ。中身は些か物騒だが。


「そうかい。あそこは屋敷内で猪を飼ってるって噂だから気を付けな」


容姿が良いというのは、それだけで人の口を軽くする。自慢ではないが、努力ではどうにもならない持って生まれた才能というものも時には必要なのだ。使えるものは何でも使うエミリーである。


「そうなんですか? ……怖いですね」


「悪い噂が絶えないせいで、この街を通る商人も減ってるのさ。迂回してでも通りたくないってね」


男爵領を通らずに迂回するとなると、男爵領を縦断するように南北に走る街道ではなく、その先にある街同士を繋いでいる道を通る必要がある。その迂回路は男爵領の西側を大きく回るように走っており、メアリーの叔父が商会を構える街は男爵領の東側、しかも街道は男爵領としか繋がっていない。


(良いこと聞いちゃった!)


脳内に地図を思い浮かべながら物流の動きをシミュレーションしていると、店主が買取価格を提示した。


「まぁそういう訳で、この街も色々大変なのさ。……価格はこれくらいで良いかい?」


「はい、ありがとうございます!」


予想通りの金額だとメアリーは笑顔でお礼を述べ、「また来ますね」と扉の方へ向かった。


「あ、その服多分クリーシュ=テラで出来てますよー! 利益がっぽりですね」


扉を閉める直前、顔だけ店内に覗かせてそう言ったメアリーは、店主の返事を聞かないまま店を後にした。


「ちょっと待っとくれ、“クリーシュ=テラ”ってあの!? お嬢ちゃん、それじゃこんな低価格で買取れないよ!」


店主の声が響く中、それを無視してメアリーは軽い足取りで街中を探索する。「ふふっ、良い取引きができた」と爽やかな表情で露店を見て回るメアリーが内心何を考えているか、それが分かるのは彼女の両親くらいだろう。


(商人に必要なこと。信用、情報、恩顧。あとは相手の欲と感情を利用すること♪)


この世界に彼女の表情を読める者がいなくなった今、メアリーはどこまでも純粋な笑顔でケチャップとマヨネーズがたっぷりかかったフランクフルトを頬張った。



・・・❇︎・・・❇︎・・・❇︎・・・



「只今帰りましたー!」


想像以上の情報を得られ、更に露店で美味しいものを食べてご満悦なメアリーはハイテンションに帰宅を告げる。数時間前と様子が違う(どころか人格すら変わっているような)メアリーに、丁度玄関先で使用人に指示を出していた執事が目を丸くする。


「……お帰りなさいませ、奥様。その……雰囲気が、変わられましたね」


「そうですねぇ、お気になさらず~! あ、“奥様”だなんて、畏まらなくて良いですよ。“形式上の妻”とかで大丈夫です」


最大限取り繕って絞り出した執事の言葉を軽くあしらい、メアリーは自室に戻った。部屋着に着替えると、ふかふかの布団に飛び込む。勿論、朝自分でベッドメイキングした布団である。横になって窓の外に目を遣ると、綺麗に整備された広大な庭が広がっている。(主人は傍若無人なのに使用人はまめなんだなぁ)などというどうでも良いことを頭から追い出し、今日の出来事を再考する。


メアリーを信じ付いて来てくれる味方を得るためには、まずメアリーという人間を認識してもらう必要がある。意味もなく街を徘徊しても、ある意味話題にはなるかもしれないがそれだけだ。メアリー自身に価値を見出してもらわなければならない。そのためまずは裏の情報が集まりやすい古物商で店主と接触したのだ。


古物商には、様々な持ち主の手を渡ってきた品物が集まる。それぞれの品物には、持ち主の人生や秘密(感情)が隠されている。情報屋はその“裏の物語”から、金銭では手に入らない貴重な情報を得るために古物商に顔を出すのだ。必ずとは言い難いが、その傾向が強いことは両親からも教わっていたし、実際に叔父宅周辺の古物商や骨董屋でもそうだった。


それを踏まえて古物商へ出向いたのだが、最初は顔合わせだけのつもりだった。目利きの人間でも見抜くのは困難と言われている、限られた職人のみ製造できるクリーシュ=テラという希少な布が使われた服を売ったのも、店主が気付けば高値で売れるし気付かなくてもいずれ判明しメアリーに恩を感じるだろうという算段だった。検分時の様子を見る限り店主がそのことに気付いたとは思えなかったため、通常の衣服の適正価格で、つまりクリーシュ=テラを使ったものとしては圧倒的格安な価格で手放すつもりだった。この時点ではメアリーはこれらの服がクリーシュ=テラだと明かす気はなかったのだ。しかし、店主が溢した商人流出の話。これが大きかった。


(あの街には馬鹿叔父の商会しかないから、どんなに悪辣でも必然的にそこを頼ることになる。でもあそこは第三次産業は大して発達してないから、流通は男爵領に依存してる。……男爵領を経由する商人は減少傾向。馬鹿叔父商会は流通・販売・サービス、その他諸々男爵領に完全依存。つまり、この街を押さえればあっちの物流は完全に私の手中。……うん、これで行こう!)


叔父に引き取られ街に出たばかりの頃は、(巨大な商会を営みながら第三次産業が発達していないとはこれ如何(いか)に?)と疑問を抱いていたメアリーだったが、すぐに結論に辿り着いた。要するに、馬鹿なのだ。商業のノウハウが全くない。本当に同じ親に育てられたのかと思うくらい、メアリーの母とは相違点しか見つからなかった。


それはさておき、想像以上の情報を得ることができたため、メアリーはお礼も兼ねて店主に布のことを明かしたのだ。しかしそれでも埋まらない程の価値を持つのがクリーシュ=テラという布だ。何故そんなものが愛するつもりのない(メアリー)のクローゼットに入っているのかは知らないが、使えるものは何でも使う。幸い『好きにしろ』と言われているのだ、遠慮などしていられない。買取価格に見合わない超高級品を予期せず手にした店主は、メアリーへの罪悪感と恩義から今後も彼女を記憶に残すだろう。店主を介して他の商人や情報屋とも知り合えるかもしれない。迂回路についてもクリーシュ=テラについても、深追いしなかったことで店主の中でメアリーがブラックリストとはいかずともグレーリストに載ることはない。


何はともあれ、自然な出会いと予期せぬ情報を得、ご満悦なメアリーだった。



・・・❇︎・・・❇︎・・・❇︎・・・



古物商を訪れた翌日、レナードから朝食を共に摂るよう言伝てがあり、面倒だと思いつつもメアリーは夫婦初めての共同作業に勤しむことにした。


「おはようございます」


無駄に広い朝食室に着くと、そこには既に夫であるレナードが椅子に座っていた。相変わらず不愛想な表情でメアリーを一瞥すると、準備されている朝食に手を付けた。せめて挨拶なり席を勧めるなりしたらどうだろうか。


同じ空間で朝食を摂る理由は分からないが、メアリーも無言で椅子を引きパンを口に入れた。焼きたてで温かみのある優しい味わいが口の中に広がる。


(ん~っ! 美味しい!)


無駄に演技する必要がないと分かった今、淡々と食事をする意味はなく自然と頬が緩む。次から次へと幸せそうに料理を食べるメアリーを見て、レナードが「はぁ……」と溜め息を吐いた。ガーリックパウダーの掛かった目玉焼きを頬張りながら、メアリーは「ん?」と彼を見遣る。


「無表情の次は天然か? 面倒だ。何をしても俺は(なび)かんぞ」


レナードは鋭い視線を向けるが、その程度で揺らぐメアリーではない。寧ろ、わざわざ朝食の席に呼び出された理由が分かってすっきりした。昨日のメアリーの様子が執事からの報告によって伝わり、何事かと思ったのだろう。


「いや、別にそんなつもりありませんけど」


スパイスの効いた目玉焼きをまろやかなコーンスープで中和しつつ、片手間に返事する。が、レナードは気に食わなかったようで視線は鋭いままだ。


「言い訳は要らん。無駄なことは求めるな。外に出ても構わんが、仮にも俺の妻なら見苦しい真似はするな」


「あ、妻とかそんな大層な呼び方しなくて良いですよ。“そこの女”とかで十分です」


しかし、返ってきたメアリーの言葉がつい十数時間前に『そんな訳ないだろう』と執事を一蹴したときの報告と同じ、もしくは敬意という点においてはランクダウンしたようなものだったため、レナードの口から思わず「は?」という音が零れ落ちた。その原因であるメアリーは気にすることもなく、「ご馳走様でした。美味しかったです!」と笑顔で立ち去っていった。


「……何なんだ、一体」


一人残されたレナードは、広いテーブルに残っている自分の朝食を下げるよう軽く手を振った。


「あの女、気になるな」


字面だけ見ると恋でも芽生えそうだが、彼の口調と表情からはどうにもそんな甘酸っぱいものは感じられない。メアリーは古物商での幸先の良いスタートと引換えに、面倒極まりない男の警戒網に捕まってしまったのだった。



・・・❇︎・・・❇︎・・・❇︎・・・



「今日は我慢して、明日か明後日また行こうかな」


朝食後、自室に戻ったメアリーはその日一日の予定を立てていた。


予期せずして手に入ったクリーシュ=テラを使ったことで古物商店主からは一般客以上の認知を得ただろうが、しかしまだその程度の認識でしかない中で連日通い詰めるのは返って悪印象だ。最初の内は隔日で訪れ、徐々に相手の為人(ひととなり)を知り信頼を勝ち得る。それが、メアリーの商人としてのモットーだ。


(次行ったときは何か良い物買うとして、その後はまた何か売りたいなぁ。でも、流石に二連続でクリーシュ=テラはねぇ? うーん……)


前日部屋の至る所を物色したのだが、クリーシュ=テラの服以外にメアリーのお眼鏡に叶うものはなかった。寧ろ、それ以外は極一般的な価格帯に収まる家具だったため、益々クリーシュ=テラの異質性が際立つ。疑問に思いつつも今考えても仕方ないと割り切り、まだ見ぬ味方集めのための計画を練る。


そして、翌日。


「こんにちはー!」


「いらっしゃい…おや、また来たのかい」


笑顔で迎え入れた店主にメアリーも無垢な微笑みを返す。


「雰囲気が気に入っちゃって」


「そうかい、丁度良かった。お嬢ちゃん、この前のお代なんだが、買取価格を上乗せさせとくれ」


予想通り、店主は買取価格の変更を申し出た。しかし、メアリーにとってそこは然程大きな問題ではないのだ。


「別に良いですよ。知った上であの価格で売ったんですから」


「そういう訳にはいかんよ」


「気にしないで下さい」


納得いかない様子で「いや、でも……」と食い下がる店主に、それならばとメアリーは笑い掛けた。


「じゃあ、私のお願い一つ聞いてくれませんか?」


店主は「そんなことで良いのかい?」と目を丸くするが、メアリーは内面を悟らせない笑顔で「はい!」と可愛らしく笑った。


カウンターに手を付いて身を乗り出し、店主の耳元にこっそりと囁く。


「私ね、欲しいものがあるんです────」


メアリーの要求を聞いた店主は、先程とは違う理由で目を丸くした。その顔には、驚きと恐怖、そして僅かな好奇の心が浮かんでいる。


「…………お嬢ちゃん、あんた一体……」


「しー、ですよ?」


唇に人差し指を当ててにっこりと笑うメアリーの表情が、心なしか妖しく影を孕んでいるように見えた。


「じゃあ、これから毎日来ますから。都合の良い日教えて下さい」


呆気に取られる店主を気に留めることなくにっこりと笑ったメアリーはそう言うと、店内を探索し始めた。


「わ、これ良い〜! こっちもレアなやつ! ……店主さん、良い品揃えですね!」


無邪気にはしゃぐメアリーの声に、店主は引き攣った顔で「あ…あぁ、ありがとう」と絞り出した。


少しずつ距離を縮めるつもりだったのに、価格に食い下がる店主に押されつい勢いで“お願い”してしまったが、ここまであっさり事が進むとは思わなかった。


(クリーシュ=テラ、すっごい威力。初日の繊細な努力は何処(いずこ)へ??)


時折世間知らずが姿を見せるメアリーだった。



・・・❇︎・・・❇︎・・・❇︎・・・



帰宅後、何やら事情聴取、もとい質問をしてくるレナードを適当にあしらい、メアリーは自室のベッドに腰掛けて考え事に勤しんでいた。


メアリーが叔父の家で暮らしていた間、彼女の母が使っていた家具や装飾品は叔父一家によって売られたか、粗末に扱われてきており、そこには母の残した高価な衣服も含まれていた。義母や義姉たちが身に付けるにはサイズが合わなかったため、仕立て直すのも面倒だと自身が商会を営んでいるにも関わらず他所の商会に全て売り払ったのだ。しかし、叔父には商人の才がなかった。駆け引きが基本である金銭交渉において、叔父は圧倒的に実力不足だったため、その存在すら知らなかった彼は安価で希少な服を手放すこととなったのだ。


(そもそも、何でレナード(あの男)は私にあんな物を……)


叔父が姉の生前から愚かに目先の利益に気を取られていた一方で、メアリーの母は一流の商会の娘としてその地域の貴族や王都の有力者とも接点があった。そして、クリーシュ=テラは王都でも限られた者しか手に入らない代物。


(いや逆? 私にクリーシュ=テラを渡したんじゃなくて、クリーシュ=テラだったから私を選んだ? ……うーわ、嵌められたわぁ〜…こりゃ面倒なことになりそうだ)


メアリーの脳内に一つの仮説が形成される。枠組みが出来れば、それを補うものが次々と浮かび上がってきた。


(馬鹿叔父は姉の娘を貴族に押し付けたと思ってるだろうけど、ここの領主は最初から布の存在に気付いてたんだ。母さんがクリーシュ=テラの職人さんと繋がってたから、私も目利き出来ると思ったんだろうなぁ。で、私がその布を売ればそれは必然になる)


男爵家の情報網は、メアリーが思っていた以上に強力らしい。メアリーが古物商を訪れた時点でその情報はレナードの耳に入り、メアリーの天然振りも、彼にとっては全て計算の内、或いは想定内の面倒な動きだったのだろう。


そのことに帰り道で初めて尾行に気付いたメアリーは、ベッドの上で足を組み目を閉じた。


(信用、情報、恩顧。相手の欲と感情。……契約夫の欲は、クリーシュ=テラの背後にある利権。私の感情は、復讐心。……うん、どっちも利用できる)


彼女の計画は、レナードの介入によってより複雑で、より綿密なものに変わった。


頭の中に一つの計画が形を成す。現状とそこに至るまでの過程は彼女にとって決して好転的な状況ではなかったが、脳内シミュレーションのみで実践の機会がなかった彼女の商人魂(やる気)に火が付き、自然と口元に笑みが浮かんだ。


「ふふっ、楽しくなってきた!」



・・・❇︎・・・❇︎・・・❇︎・・・



翌日、常時ハイテンションなメアリーが向かったのは毎度のことながら、古物商。昨日とは違い、持参したのは小さな包み一つ。中には彼女が叔父の家で見つけ拝借してきたとある覚書の写しが入っていた。


メアリーが店主にした要求、それは「この店に出入りする情報屋を一人、私に引き合わせてほしい」という極めて異様且つ具体的なものだった。


宣言通り毎日足を運ぶメアリーの“お願い”が叶ったのは、それから三日後のことだった。日が沈んだ夜、店主の紹介でメアリーは古物商の裏手にある薄暗い酒場で、一人の男と対面した。男は裏の世界では有名なこの地域の情報屋らしい。


一応用意はしたものの、こんなものを入手してどうするんだという様子の店主、それをじっくりと見分するメアリー、困惑した表情の男。


「ほほぉ〜…うんうん、良いですね。とても堅気には見えませんよ、この人」


齢十五の少女に至近距離で見つめられ、彼は店主に助けを求める。


「……店主さんよ、こりゃ一体どういうことだ?」


「いや、あたしも分からんよ」


「嬢ちゃん、何のつもりか知らんが俺に関わらん方が良いぞ」


首元から腕に掛けてドラゴンの刺青が入ったその男は、身に付けた白いシャツに収まり切らない程の筋肉を抱えている。スキンヘッドの頭には薄っすらと古い傷痕が見えた。脅すような口調で睨み付けた男だったが、メアリーは上機嫌に笑うだけだ。


「こんばんは、メアリーです。最近名字を貰いました。レナード・グレイヴス男爵の妻です」


夜鴉(よがらす)だ」


男はメアリーを一瞥し、恐らく本名ではない、コードネームか何かだと思われる名だけ簡潔に名乗るとすぐに興味を失ったかのように酒を呷った。メアリーは臆することなく彼の向かいに座り、笑みを絶やさぬままじっと見つめた。


「世話んなってる店主さんの頼みだから聞いたが、俺ぁ貴族の奥様の道楽(お茶会)に付き合うつもりはない」


「そうですか? でも、『王都の貴族が極秘裏に手放そうとしている、ある商会の不正を示す覚書』には興味があるでしょう?」


メアリーはそう言って、持参した小さな包みをカウンターに滑らせる。夜鴉は怪訝な顔で包みを開け、中身を確認した瞬間、酒を飲む手を止めた。


「これは……どこで手に入れた?」


「どうですか? 私とお茶会する気になりました?」


彼はメアリーから渡された覚書を何度も確認し、やがて鋭い視線をメアリーに向けた。


「……代償は?」


「簡単です。貴方の情報網を使って、私の叔父、ガルム商会の主人に(まつ)わる、嘘の商談を流してほしいの。……但し、その情報が本物だと信じ込ませるための確実な裏付けもお願いします」


メアリーの要求は、夜鴉にとっても非常に危険なものだった。偽の情報は、商人同様に信用が重要な情報屋としての命取りになる。


「リスクが高すぎる。俺には何の得がある?」


至極当然の返しに、メアリーは一切の動揺を見せずに微笑んだ。その笑みは、幼さよりも相手の魂胆を見抜く老練な商人の冷酷さを帯びている。


「私たちはお互いに弱みと恩顧を握り合う仲になるんですよ? 仲良くしましょうよ」


「そんなんで仲良く出来りゃ訳ねぇよ。無理な話だ」


「今私と手を組めば、貴方は私が今後王都の貴族社会や有力商会から手に入れた情報を真っ先に知ることが出来る。これでどうですか?」


再度提案するが、「弱いな」と一蹴されてしまう。


「ふふっ」


交渉の余地なしとばかりに腕を組む夜鴉にメアリーは口元に手を遣り笑いを隠した。どうにかして相手の譲歩を引き出そうとしていたメアリーの雰囲気が変わり、圧倒的優位な玉座(立ち位置)に座る王の気配を纏う。


「情報って爆弾みたいですよね。持ってるだけで危険性がある」


そして、とどめを刺すように言った。


「それに、貴方はもうこの恩顧(覚書)を見てしまったでしょう? 先に見た時点でこの取引きは私主体なんですよ」


彼は漸くメアリーの言いたいことを理解した。彼女は既に、彼が逃げられない状況を作り出していた。クリーシュ=テラの情報で店主を縛り、店主の負目と恩顧を利用し夜鴉を引き付けた。覚書を見てしまった時点で貴族にとって彼は排除の対象であり、そしてメアリーから給与前払いを受けてしまったことになる。そして、その覚書という情報で情報屋(夜鴉)に強制的に貸しを作ったのだ。


ここまでのことを一人でやってのける十三、十四くらいの年齢に見える幼い少女が描く未来に、彼は純粋な興味を持った。


「……面白い。その話、乗った。何を、どう流せば良い?」


「うふふっ、宜しくお願いします、夜鴉さん」


大きさの違う二つの手が組まれる。こうして、メアリーの最初の味方、情報屋夜鴉の獲得がここに完了したのだった。



・・・❇︎・・・❇︎・・・❇︎・・・



夜鴉との取引が成立して数日後、メアリーは男爵家で優雅に読書をしながら、最初の布石が打たれるのを待っていた。


メアリーが夜鴉に指示した最初の仕事は、叔父が営むガルム商会を直接狙うものではなかった。彼女の目的は、まず男爵領の物流の根幹を担う商会と協力関係を結び、男爵領内の物流を完全に手中に収めることにある。


『夜鴉さん。貴方にはまず、男爵領の流通を担う最も大きな商会についての詳細な情報を持って来てほしいの。特に、代表者の性格、弱み、そして金銭の流れについてね』


『貴族の奥様が、まさか商会の情報集めとはな。……分かった。だが、その代わり、この覚書の真贋の分析を頼む。俺の仕事の命綱だ』


にっこりと微笑むメアリー。それが、夜鴉が最も価値を置く情報の正確性を彼女が持っているという証明になることを理解していた。


『良いですよ。私が真贋を見抜け(これを見極めれ)ば、貴方は安心して動けるでしょう?』


こうした会話を経て、メアリーは事が動くのを静かに待っているのだ。店主はメアリーが幼いからと言って手は抜かなかったようで、夜鴉は有能な情報屋だった。指示を出した四日後には男爵領内の主要な二つの商会会長の情報を持って来た。


メアリーが目をつけたのは、男爵と契約している複数の商会の中でも、男爵領の東側の街道、つまりガルム商会への入り口を実質的に支配しているゴルディフ商会だった。そこの主人、バレットは『金に卑しいが、名誉を重んじる』という、典型的で御しやすい性格をしているらしい。


夜鴉が掴んできたゴルディフ商会の情報と、メアリーが叔父の書斎から得ていた過去の商取引の情報を照合し、メアリーは一つの穴を見つけた。その商会は、過去にレナードに言われるがままある小さな村への慈善事業を装った資金洗浄に手を貸していたのだ。夜鴉が得た情報と、レナード・叔父双方との繋がりがあるゴルディフ商会。接触を図るため、メアリーはレナードの執事を動かすことにした。


「執事さん。私、最近読んだ小説に影響されちゃって…、慈善事業に興味が湧いたんです。ゴルディフ商会が過去に行っていた村への支援について詳しく聞かせてもらえませんか? 男爵家の妻として、私も少し寄付をしたいので」


執事は目を丸くしたが、メアリーが“形式上の妻”という自称を崩さない限り、『見苦しい真似はするな』というレナードの命令に反する行動ではないと判断した。


「承知致しました、奥様。バレット殿に、午後にでもこちらへお越し頂くよう手配致します」


こうして、メアリーは形式上『慈善事業への寄付』という大義名分を掲げ、ゴルディフ商会の主人との面会の機会を得たのだった。



・・・❇︎・・・❇︎・・・❇︎・・・



応接室で対面したゴルディフ商会の主人は、予想通り男爵夫人の呼び出しに終始怯えと下心を隠さない様子だった。


「この度は、奥様のご高配、誠に恐悦至極に存じます。慈善とは、我が商会の名誉でもありまして…」


揉み手しそうな勢いで話すバレットだが、メアリーは机に一枚の書類を滑らせ笑顔で彼の言葉を遮った。


「えぇ、存じています。ですが、貴方が過去にこの村へ支援した金銭。あれは名誉のためだけではないでしょう?」


「…………。……一体、何のことでしょう?」


「男爵様の指示に従い、帳簿を操作する必要があったからじゃないですか?」


メアリーは、夜鴉が持ってきた情報の中から、ゴルディフ商会が資金洗浄に使用した村の固有名詞を、まるで自分の秘密のように囁いた。贅肉の多いバレットの顔が蒼白になり、汗が滴る。彼はそれを拭いながら平静を装うが、全く取り繕えていない。


「な…何を仰るのですか、奥様! それは、男爵様を侮辱する発言で…」


「でも、貴方が関わっているのは間違いないですよね。ほら、ここに署名がありますから」


古びた書類は勿論偽造である。幾ら優秀な情報屋とは言え扱うのはあくまで“情報”であり、契約書ではない。窃盗の技能を持たないメアリーも、それを持ち出すことは困難だ。しかし、決してバレることはないと高を括っていた秘密を暴かれ、焦って正常な判断が出来なくなっていたバレットには十分な証拠だった。


「こ…こんなもの嘘だ! 偽物だ!」


内心(わぁ、バレたー)と表面上の焦りを見せているメアリーだが、彼が帳簿に手を加えたことは事実である。彼の反応を見る限り、契約書が偽物だと気付いた訳ではないのだろう。感情の読めない幼い顔が薄く微笑む。


「いえいえ、事実ですよ。そして、その事実は私にとってはどうでも良いこと。私が興味があるのは、貴方が今後、誰の命令で、誰のために動くかです」


いつもの笑顔でバレットににっこりと笑い掛けると、純真無垢な笑顔を見せる彼女に何を思ったのかバレットは「ひぃ……!」と腰を浮かせた。


メアリーはふわりとハーブの香りが漂う紅茶を啜ると、「こほん」と一つ咳払いをする。再度座るよう促し、彼が恐怖の眼差しを向けながらソファに腰を下ろしたところでぽんっと両手を合わせた。


「さて、脅しはこれくらいにして。私だって、別に脅迫して働かせようだなんて思ってないですよ? 相応の働きにはきちんと報酬を支払います」


先程とは打って変わり、裏のある、しかし商談の場では見慣れた笑みに変わったメアリーの様子にバレットは目を白黒させつつも落ち着きを取り戻し、スイッチが入った。


「ちょっと感情的なところはありますけど、ゴルディフ商会の収支報告書を見る限り、見掛けによらず有能みたいですね」


関係ないところでディスられるバレットである。反応はないが聞いてはいるようなので気にせず話を先に進める。


「私、クリーシュ=テラの入手経路に心当たりがあるんです」


「なっ……!?」


「これだけ言えばもう分かりますよね?」


クリーシュ=テラは王都の有力貴族でも手にするのは難しい、職人との繋がりと信用を得た限られた者しか入手できないものだ。当然、バレット率いるゴルディフ商会でも取り扱っていない。しかし、メアリーと手を組めば、バレットはレナードの命令だけでなく王都の有力貴族が求める品々を、レナードの目を気にせず流通させることが出来る。


メアリーは、レナードの支配という恐怖から、王都の隠れた利益という欲へ、バレットの思考を一瞬で切り替えたのだ。バレットにとって、レナードの怒りを買うことよりも、資金洗浄の秘密をメアリーに握られたまま、更に大きな利益を放棄することの方が、余程恐ろしいことだった。


「……奥様は、何を望んでおられるのですか」


絞り出すように吐き出されたその言葉に、メアリーは悪意などとは無縁の笑みを浮かべる。


「簡単です。ガルム商会への納品ルートを、徐々に、そして目立たないように絞ってほしいの。但し、男爵様には決して気付かれないように。これは、私と貴方だけの秘密の商談です」


口元に人差し指を当てて微笑むメアリー。バレットは、彼女の幼い顔立ちの下に潜む冷徹な計算高さに戦慄しながらも、頷かざるを得なかった。彼はメアリーと手を組むことで王都への新しい道が開けると同時に、レナードへの二重の裏切りというリスクを負うことになったのだった。



・・・❇︎・・・❇︎・・・❇︎・・・



ゴルディフ商会がメアリーの支配下に入ってから二ヶ月が経過した頃、ガルム商会のある地域では徐々に、しかし確実に物流の停滞が起こり始めていた。


例えば、品薄。街の雑貨屋から王都からの輸入雑貨や高級品が目に見えて減り始めた。

例えば、値上がり。輸送費の高騰という名目で、凡ゆる商品の価格がじわじわと上昇していた。


しかし、実際は市民の生活には物価高の影響は全くなかった。これにはメアリーの叔父が締結したとある契約が関係していた。ガルム商会がその地域の店舗と結んでいる契約には、物価の高騰があっても特定の割合内なら卸価格は変更不可だという内容が含まれている。恐らく細かい文章に目を通すことなく署名したであろうその契約書を叔父の書斎で見つけたメアリーは、その上限ぎりぎりの価格で販売するようゴルディフ商会に指示を出すことで、市場価格は変わらぬまま叔父が営むガルム商会を金銭面から追い詰めることが可能となった。メアリーとて、無関係な一般市民の生活を圧迫する気はないのだ。


ガルム商会の主人である叔父は、最初こそ「ゴルディフ商会の怠慢だ」と激怒していたが、彼の商会自体が第三次産業に疎いため、流通の根幹で何が起こっているのか仕組みを理解できていなかった。


そうした夜鴉からの報告に、メアリーは計画が順調に進んでいることを確信する。自分の想像通りに事が進むことに喜びを隠せない。


(計画通り。あの馬鹿叔父は『何かおかしい』と感じても、『何をどう直せばいいか』が分からないからねぇ。契約書に気付くかな? 段々お金がなくなって少しずつ危機感出て来て、そして努力とか調査なしで済む即金性の高い解決策を求め始める筈)


メアリーは自分の部屋の窓から見える街並みを眺めながら、満足そうに頷いた。この停滞は、ガルム商会を倒産させるほど致命的なものではない。ただ、叔父を精神的に追い詰め、楽して稼ぐ欲を最大限に刺激するための下準備だった。



・・・❇︎・・・❇︎・・・❇︎・・・



そして、メアリーが決行のタイミングを見計らっていた頃、夜鴉がメアリーに接触を要求してきた。基本的に夜鴉との接触は古物商の店主を介して予定を決めているため、やり取りに時間が掛かる。最初に彼に会った酒場へ向かうよう店主から告げられ酒場に着くと、夜鴉は既に席に座っていた。


「来たか、嬢ちゃん」


「こんばんは。直接顔を合わせるのは久し振りですね」


カウンター席に座る夜鴉の隣に腰掛けると、彼はグラスに入った酒をぐいっと呷った。


「指示通り、ガルム商会への物流は完全に詰まり始めている。主人は、酒場で『どこかに楽して儲かる話はないか』と喚いているそうだ」


「優秀ですね、夜鴉さん。流石です」


グラスにカルピスを注ぎながらメアリーは笑う。


「……じゃあ、これが最後のお願い。『男爵領を介さない迂回路が通る地域での鉱石発掘プロジェクト』についての情報です」


夜鴉は、メアリーが最初に提案した王都への新しい輸送ルートの計画を思い出し、はっとした表情を浮かべた。


「あれか。だが、あれは完全に男爵の物流支配の外だ。叔父を男爵領の外へ逃がす気か?」


夜鴉の疑問に、しかしメアリーは紙の袋を破って開けたばかりのストローをぴっと彼に向けた。


「いえいえ、逃がす訳ないでしょう? 自分の足で破滅に向かわせるんです」


グラスに入った甘酸っぱいカルピスを口に含み、ストローをくるくると回す。立方体型の氷がかららんと音を立てた。


「男爵様が支配しているのは、男爵領を縦断する主要街道だけ。他にも道はあるけど疲労とコストが見合ってないから誰も使わない。男爵様も気に留めてないんです。だから、私の自由に出来るの。あの馬鹿叔父は、“誰も気付いていない儲け話”に飛びつくのが大好きですから。……本当に自分しか気付いてないと思ってるところに呆れますけど」


カウンターのテーブルに肘を突いた両手で頬を支え、彼女は夜鴉に偽情報の詳細を説明した。


王都の有力商会が秘密裏に進めている、莫大な利益が予想されるプロジェクト。投資すれば、数ヶ月で元本が回収できるという、短絡的な叔父が最も好む条件。裏付けについても手は回してあり、夜鴉が以前メアリーから得た休眠中の鉱山権利書に関する偽の書類と、王都の偽の商会が発行した偽の投資募集書を提示することで疑いの余地は薄くなり、叔父程度の相手ならば付け入る隙はない。


「このプロジェクトが男爵様には内緒だってことが、あの男にとっては最高の悦びになる。だから、少しくらいは雑でも気付かれないと思うけど……、この計画に全財産を投資するだけの価値があるってあれに思わせないといけないから可能な限り全力でお願いしますね」


夜鴉は、メアリーの冷酷な計算高さに再び背筋が凍るのを感じた。


「……嬢ちゃん。あんたは、本当に恐ろしい商人になる」


「ふふっ、ありがとうございます。褒め言葉として受け取っておきますね」


メアリーは、夜鴉に渡された情報を分析した報酬として、王都の有力貴族の次の動きに関する極秘情報を一つ提供した。これは、夜鴉にとって即座に高値で売れるものであり、彼を高く評価していると共にメアリーの能力を示す最高の報酬だった。


「これで貸し借りなしね。じゃあ、後は宜しくお願いします、夜鴉さん」



・・・❇︎・・・❇︎・・・❇︎・・・



メアリーが夜鴉との取引きを終えて数日後、レナードはメアリーを応接室に呼び出した。自室になど入れてやるものかという考えが丸分かりである。


「お前、最近何を企んでいる」


レナードの視線は鋭く、メアリーの表情の変化を一瞬たりとも見逃さないという気迫に満ちていた。メアリーはいつものように内心を悟らせない表情を浮かべている。


「失礼な。私はただ、自由な時間(とき)を楽しんでるだけですよ」


貴族の妻として相応しい柔和で無害な微笑みを浮かべた彼女が何を考えているのか、レナードには分からない。が、彼の目的は妻と心を通わせることではないのだ。


「お前の叔父の商会。最近、東側の流通が滞っているようだが、何か知っているな?」


『知っているか?』ではなく『知っているな?』と尋ねるあたり、彼はやはり気付いていたらしい。しかし、彼が問うのは『誰の仕業か』ではなく、『メアリーが関わっているか』という点だった。無駄に警戒心を強めて監視を強化されるよりは話してしまった方がすっきりするのではないかと思ったメアリーは、一つ息を吐くと嫁いでから一月近く経つにも関わらず数回しか会話した記憶のない夫に目を向けた。


「街の商人が愚痴を零していたのは聞きましたけど。その辺はご自由にどうぞ? 考え方は人それぞれですから」


レナードに反応はない。変わらず刺すような視線を向けている。


「でも、私には関係ないでしょう? 叔父の商会がどうなろうと、私の()()生活には影響しませんから。それよりも、ここの料理人さんって優秀ですよね。今日のスープの隠し味は何だと思いますか? 私、バルサミコ酢の入ったコンソメスープが好きなんですよ」


メアリーは、『自分にとって叔父は無価値な存在だ』という姿勢を崩さず、話題を逸らす。が、レナードは意に留めることなくそれを無視し、深く溜め息を吐いた。


「あのクリーシュ=テラを何故売った?」


相変わらずいきなり核心に触れて来る。メアリーは彼の目を見つめたまま、臆することなくあっけらかんとした様子で答えた。


「お金が必要だったからですよ。私の部屋の私のクローゼットに入ってたんですから、どうしようと文句はないですよね? と言うか、そもそもそのために私の目に入るところに置いたんでしょう?」


メアリーの言葉に、レナードは一瞬、言葉を詰まらせた。再度深く溜め息を吐き、「知っていたのか」と呟いた。


「……あの布は、ある筋に譲り渡す予定だったものだ。それを売り捌くなど、誰が予想できる?」


予想できないにしても、そんなに大事なものなら愛する気はないと初日に言い放った相手のクローゼットに仕舞うものではない。当然、「それなら何で私に渡したんですか?」と尋ねる。


「あれは特殊ルートで仕入れた故、真贋を確かめるためにも手放すつもりだったんだ」


クリーシュ=テラの入手経路を知る母を持つ娘の輿入れが都合良く打診されたため、彼女の能力を見極める意図もあり渡したのだと言う。


「しかし……まさか、お前が裏で動いているとはな」


何かを考えるように口元に手を当ててレナードは静かに言った。


「クリーシュ=テラは、王家にも影響力を持つ商会の会長が、血眼になって探している品なんだ。王都の有力貴族が欲しているらしくてな。それを手に入れれば、俺は…」


彼の言葉にメアリーは心の中で(やっぱり!)と歓喜し、思わずレナードの言葉を遮った。


「それなら、私が直接その会長に会う機会を取り付けてくれませんか?」


レナードの利権という欲を、恩顧という名の借りを使って、コントロールする。メアリーの突然の発言にレナードは驚きで目を見開いた。


「何を馬鹿なことを。お前がそんな場に出られる訳がない」


「いいえ、出られます。私がその会長に、クリーシュ=テラに匹敵する情報を提供すればね。きっと欲している情報です。それに、貴方の利権確保にも繋がりますよ」


現在王都でも話題になっている夜鴉すら入手できない情報をどこからか仕入れてくるメアリー。笑顔で、しかし真剣な眼差しでレナードを真っ直ぐに見つめる彼女に何かを感じ、レナードは十数秒の逡巡の末に結論を出した。


「……良いだろう」


小さく発せられたその言葉に、メアリーはテーブルの下で拳を握り締めた。彼女は今、復讐の計画にレナードという巨大な駒を組み込もうとしているのだ。


レナードの欲と、メアリーの頭脳。二人の最初の共同作業が、静かに始まろうとしていた。


それから、事態は驚く程の速さで動いた。


夜鴉が流した『即金性のある鉱石発掘プロジェクト』の情報は(たちま)ちガルム商会の主人である叔父の耳に入り、物流の停滞で焦り日々の飲酒量が増えていた叔父は『努力なしでの一発逆転の大金』という餌にまさに飛び付くように食い付いた。


ガルム商会の金銭の流れは、メアリーの計算通り王都の偽の商会へと吸い込まれていく。叔父は家や商会の権利を担保に入れ、これまで蓄えてきた全て、更には手に入れる予定だった利益までを、その偽プロジェクトに投じた。彼の行動は、楽して儲けるという単純な欲と現状の苦境からの逃避という焦燥感に突き動かされていた。


一方、レナードはメアリーの提案を受け入れ王都の商会会長との面会の場を設けた。


「お前の言ったことが嘘だったら、ただでは済まさんぞ」


レナードはそう言い放ったが、その目にはメアリーに対する警戒心と共に、期待の色が浮かんでいた。彼は、メアリーが持つクリーシュ=テラの入手経路、延いては王都の裏の繋がりを欲しているのだ。メアリーは、彼が用意した“貴族の身分”という舞台装置の上で満面の笑みを浮かべている。


「ご心配なく、男爵様。私は損をする取引きはしませんから」


メアリーの計画は今、レナード・グレイヴス男爵という権力と夜鴉という闇の二つの力によって、最終段階へと入ろうとしていた。


王都の豪華な馬車に揺られながら、メアリーは窓の外の景色を見る。それは、ガルム商会が物流の停滞から完全に立ち直れなくなり、ゆっくりと、しかし確実に崩壊へと向かう、嵐の前の静けさの風景だった。彼女の瞳には一切の迷いなく復讐と愉悦の炎が静かに燃え盛っていた。


王都の馬車から降り立ったメアリーの姿はレナードが用意した深紅のドレスに包まれ、洗練された貴族の夫人の風格を漂わせていた。隣を歩くレナードは、その完璧な立ち居振る舞いに、どこか満足げな表情を浮かべている。


「クレアモント会長。ご挨拶が遅れました。グレイヴス男爵の妻のメアリーと申します」


クレアモント商会会長、オーウェンの私邸応接室。メアリーはレナードよりも早く口を開き、優雅だが冷徹な微笑みを浮かべた。社交辞令を交え軽く会話を交わしてから本題に移る。本来の目的であるレナードとの商談の前にオーウェンの心を掴んでおきたい。


「会長さんにはこちらを」


「これは……!」


メアリーが提示したのは、レナードが血眼で追うクリーシュ=テラの裏にある、王都の有力貴族の関与が疑われている違法薬草の流通利権に関する覚書の情報だった。オーウェンのみならず、レナードも目を大きく見開いた。彼女の目的はオーウェンの求めるものを見抜き、それを対価に要求することだ。


「その情報の対価として、一つだけお願いがあるんです」


「ほう? 何かな?」


流石に王都で巨大な商会を営むだけあって、彼は即座に表面を取り繕い動揺を隠した。


「私の叔父が営むガルム商会の破産後、その残った債権や権利を、会長の力で、私個人の名義で買い取って頂きたいのです」


王都で大きな存在力を持つオーウェン程となれば可能ではあるが、レナードとの会合に突然現れ貴重な情報を何てことないように提供するメアリーに内心驚く。その理由を問うオーウェンに彼女は笑顔を浮かべ、感情の込もらない、しかしどこか冷たく聞こえる声で言い放った。


「私の叔父は一つの地域を纏める主要な商会を営みながら、短絡的な思考で物流の停滞を引き起こしているんです。それ以前から物流システムは唯一街道が繋がる男爵領に完全に依存していましたし。存在自体が地域一帯の不況の原因なんです。経済を回すためにもあそこは存続させるべきではありません」


「ほう」


未成人に見える少女のその洞察力に感心した様子を見せるオーウェンだが、メアリーの表情はそんな他者を思い遣るものではなかった。


「……と言うのは建前で。叔父は、私の両親の命を奪った張本人なんです。私はあの男に全てを失う地獄を見せてやりたい。そして、その後に残る商会の残骸と資産は私が商人として再起するための足場にしたい。……そんな私怨に満ちた理由ですよ」


悪名高いレナードすら手に入れることが困難なクリーシュ=テラの入手経路を持ち、更にそれ以上の情報を得る手腕。そしてその冷酷なまでの合理的な復讐心と驚くべき才覚に、オーウェンは感嘆し、商人としての勘が強く働いた。


「分かった、メアリー殿。貴女の覚悟、受け取りました」


こうして、メアリーは王都の超有力商会会長という最大の権力者を、復讐と再起の計画の最後の駒として組み込むことに成功したのだった。



・・・❇︎・・・❇︎・・・❇︎・・・



王都での面会から数週間後、メアリーが仕掛けた鉱石発掘プロジェクトの詐欺は、叔父のガルム商会を確実に破滅へと追い込んでいた。叔父は全ての資産、家屋、権利を担保に入れ、偽のプロジェクトに投資し、破滅への逃避を続けていた。


一方、レナードはメアリーの行動を静かに観察していた。彼の心境は、この頃から徐々に変化し始めていた。


「あの女は、俺の妻でありながら俺の欲の更に先を見て行動している」


自室で一人呟いた声は、軽食を持って来た執事にのみ届く。


メアリーがレナードの監視を一切気にせず叔父の破滅を静かに見守る姿は、彼女が持つ才覚と独立した精神の強さを際立たせていた。彼女の冷徹な知性は、レナードがこれまでの社交界で出会った媚び(へつら)うだけ、もしくはただ恐れるだけの貴族の女性たちとは全く違っていた。


レナードは、当初メアリーを価値ある駒として見ていたが、その駒が時に見せる知性の輝き、そして復讐を前にした際の冷静な美しさに、次第に惹かれ始めていた。


(愛などではない、ただの関心だ)


しかし、そうは思いつつも彼はメアリーという少女が次に何を仕出かすのか目が離せないでいる。レナードの心の中で、ビジネス上の関心はゆっくりと、しかし確実に恋愛的な執着へと変貌し始めていた。


一方その頃、例の酒場では。


叔父の破産が確定する前夜、メアリーはいつも通り古物商の店主を介して夜鴉と密かに会っていた。夜鴉はメアリーが最も信頼する情報源であり、この復讐計画の影の立役者だった。


「嬢ちゃん。プロジェクトの偽商会は、今朝方完全に雲隠れした。叔父さんの破滅はもう覆らないぞ」


「ありがとうございます、夜鴉さん。あとはもう、あの馬鹿が勝手に自爆するだけ」


メアリーは心からの感謝と愉悦が込められた表情でうっそりと笑う。


「これで、俺の役目は終わりか?」


そう言う夜鴉は前にメアリーは一枚の古びた覚書を差し出した。それは、叔父がメアリーの両親を殺害した犯行計画の原本。


「いえ、最後の仕上げが残ってます。あれを法の下で裁かせるための決定的証拠」


メアリーは覚書を手に取り、その冷たい紙の感触に両親の無念と、自身の孤独な闘いの終焉を感じた。今更自分に血の繋がった叔父一家を慮る心が残っている訳ではない。自分で選んだことなのだからこの手で彼らの人生を壊すことに、罪とは言えずとも倫理上問題がある行為に及ぶことに抵抗がある訳でもない。人生の大半を叔父一家の鬱憤を晴らすための演技に費やし、それ故の恨みから来る復讐心。両親が復讐など望んでいないことなど知っている。この復讐はメアリー自身の私怨以外に理由などない。ただ、自分でも分からない何かが抜け落ちたような感覚だけが残った。


かららん、と氷が音を立てる。


「嬢ちゃんは、あの男爵の妻になるのか?」


彼の声には僅かながら、彼女を心配するような感情が滲んでいた。


「あははっ、まさか。私に貴族の妻なんて大層な役目が熟せると思いますか? 私は商人ですからね。商会の主人として生きますよ」


その大層な役目を数日の貴族教育で身に付け、付け焼刃ながらレナードにすら文句を言わせない立ち居振る舞いで商人としての目的を果たしたくせに、と夜鴉は呆れる。メアリーはここに来るといつも頼むカルピスを年相応な笑顔でごくごくと飲み干し、瞳をきらりと瞬かせた。


「あの男は、私のビジネスパートナーとして最高の後ろ盾になってくれる。いや、してみせる」


メアリーならば本当にやりかねないと思いつつも、「……これはまだ確証のない情報なんだが、」と前置きした上で伝えるべきか迷っていたことを口にする。


「あの男爵は嬢ちゃんに興味を……恋愛的な興味を持ち始めているらしい。あの男は……執着されれば自由を奪われるぞ」


しかし、メアリーは気にした様子もなく頬杖を突き、堅気とは程遠い雰囲気の夜鴉を見上げた。


「私の自由は誰にも縛らせない。……夜鴉さん、きっとまた、商会の仕事で貴方に頼るときが来る。そのときは力を貸してくれる?」


「……いつでも、嬢ちゃんの望む形で」



・・・❇︎・・・❇︎・・・❇︎・・・



夜が明け、ガルム商会の破産手続きが開始された日。メアリーは新しい商会の準備のため、叔父の屋敷だった場所を訪れた。そこには全てを失い、ぼろぼろの姿になった叔父、叔母、そして傲慢だった従兄姉たちが、家財道具と一緒に放り出されていた。


「メアリー! お前、良いところに! 助けてくれ!」


叔父は自分の短慮な行いに漸く気が付いたのか、何でも良いから助けてほしいと少し前まで虐げていた姪に向かって必死に叫んだ。メアリーはグレイヴス男爵の紋章が入った馬車から降り立つと、その目の前で楽しげに笑う。


「久し振りですね~。何とも無様な姿になっちゃって。ふふっ! 前と立場逆転だね」


「何なの、その態度は!」


叔母が喚き散らすが、メアリーには以前の気弱な雰囲気は一切なく、寧ろざまぁみろと言わんばかりの笑みを浮かべている。そんなメアリーに何かを感じ取ったのか、叔父の顔に徐々に赤みが差していき、やがて血管が切れるのではないかと思う程に髪の毛のない頭まで真っ赤にして唾を飛ばした。


「お前っ、まさか……お前がやったのか!?」


「おぉ、契約書すら碌に読めないくせに私の関与には気付くんだ?」


叔父の家で暮らしていたときには決して見せなかった心底楽しそうな笑顔。メアリーは一切の悪意と無縁な表情で「驚きました?」と屈み、彼らと目線を合わせる。


「育ててやった恩を忘れて!」


「“育てる”の定義知らないの?」


赤い布をひらひらと動かす闘牛士(マタドール)とそれに突進する闘牛のようにメアリーと叔父のやり取りが繰り広げられる。すると、ずっと黙っていた従姉がメアリーの深紅のドレスを見て嫉妬と憎悪の入り混じった目で睨んだ。


「……あんたさえいなければ」


小さく呟かれたその言葉は、次の瞬間には大きくメアリーの鼓膜を揺らす。


「あんたさえいなければ! あんたがこの家に来なければ、こんなことにはならなかった!」


立ち上がって掴み掛ろうとする従姉の行動に周囲の空気が揺れるが、メアリーは焦ることなく足を掛ける。重心のバランスが崩れた従姉は顔から地面に落ちるが、それを引き起こした当の本人は気にした様子もない。


「私を引き取ったのはそっちの判断でしょ? 恨むなら自分の間抜けな父親を恨んだら?」


全ての資産を失い借金を背負った彼らは、嘗てメアリーが着ていたような麻の服を身に付けている。それを、メアリーはまるで汚物を見るかのように見下ろした。彼女の瞳には、悲劇のヒロインのような涙も憎悪に満ちた炎もなかった。ただ、血が繋がっていることにすら疑問を抱く目の前の愚かな家族の終末を、まるで娯楽小説のラストを読むかのように眺めているだけ。


「それに、私の方がよっぽど効率的に商会を運営できるからね」


「馬鹿言うな! そうだ、聞いたぞ! お前、俺の商会を引き継ぐらしいな! そんなこと許さないぞ!」


鍔を飛ばしながら近付いてくる叔父との距離を保ちつつ呆れたような表情を見せるメアリー。


「いやぁ、引き継ぐ訳ないでしょ。全部壊して新しい商会にするの。……ねぇ、どんな名前だと思う?」


「壊すだと!?」


「はぁ、話が通じないなぁ。まぁ通じるならこんなことになってないか」


今までは脳内でモノローグとして話していた内容が全て言語化されただけだが、彼らにとっては人格が変わったようにしか感じられない。が、一切の資産を失った現状の非日常性がその異常さを曖昧にしていた。


「あのね、新しい名前はね……『アルクレイ商会』」


薄く微笑む彼女とは対照的に、叔父と叔母の顔から血の気が引いていく。


「流石に覚えてたみたいだね。良かったよ、自分が潰した父さんと母さんの商会の名前を忘れてなくて」


「だっ…だから何だ! 大体、何でお前がこんなことするんだ! お前の両親の死は事故だと言ったろう!?」


「無駄な自己顕示欲のためにあんな書類残しておくからこうなるんだよ。私にとってはラッキーだったけど」


叔母にはその言葉の意味が理解できなかったが、叔父には心当たりしかなかった。見る()る内に真っ青になっていく。そんな叔父に対して、メアリーは(赤くなったり青くなったり大変だなぁ)と子ども用の玩具を見るような視線を向ける。


「商人として無能なだけじゃなくて人としても終わってたんだね。そりゃそっか、じゃなきゃ私をあんな風に扱わないもんね」


メアリーは叔父の目の前で一枚の書類を広げる。そこには、ガルム商会の不正と破産、そしてその後釜となる新たな商会の設立許可について詳細に記されていた。


「ほら、これが証拠。私が主人だよ」


細かな内容までは理解できないようだが、漸く事の重大さが分かったのか叔父は「たっ…助けてくれ! 頼む!」とメアリーに縋ってきた。しかし、それに応じる理由など世界のどこを探しても存在する訳がない。


「あはっ、面白いこと言うね。あんな扱いをしておいて私が助ける訳ないでしょ? 少し考えれば分かるよね? 馬鹿なの?」


「お前っ、お前は! なんて冷たい女だ! 血も涙もない!」


つい数秒前までメアリーに泣いて縋っていたのにこの変貌振り、短絡的且つ浅慮な男の代表格がメアリーに『馬鹿』と称されるこの男である。


「あははっ、私に血も涙も通ってる訳ないでしょ? そう育てたのはそっちじゃん」


嘗ての扱いに怒りはなく、ただのストレス発散としか思っていないメアリーの言葉には感情が伴っていない。しかし、両親の死については少なからず憤りがあるのだ。


「大体ね、自分が無能なくせに母さんに無駄な劣等感持つからこうなるんだよ。父さんと母さんを殺したあの日に、あんたたちの破滅は決まってたの」


「姉貴さえいなければ俺の天下だったんだ! あんな女、死んで当然だったんだ!」


「は?」


叔父が姉への感情を吐露した瞬間、弾んだ声で話していたメアリーの口から可憐な少女から出たとは思えない低く威圧的な声が発せられた。叔母と従兄姉たちの口から「ひっ」と引き攣った声が漏れる。地面に座り込んだ叔父の胸倉を乱暴に掴み、ぐいっと顔を近付ける。


「あんたの下らない劣等感と勘違いのせいで父さんと母さんは死んだんだよ。分かってんの? 死んで当然なのはお前だろ。馬鹿も休み(やす)み言えよ、この老害が」


ドスの効いた声でそれだけ言うと、興味を失ったかのように彼女は叔父の服を離し地面に投げ捨てた。そして、懐から取り出した両親殺害の覚書を一歩後ろに控えるレナードの執事に手渡す。


「執事さん。これは、もう存在意義すらないこの馬鹿な男、ガルム商会の前主人が私の両親の命を奪った確固たる証拠です。男爵様の名において、…いや、別に名におかなくても良いですけど、代官所に提出して厳正な裁きを求めてください」


叔父たちはその場で顔面蒼白になり、崩れ落ちた。彼らの運命はメアリーの手から離れ、法という名の冷徹な正義に委ねられたのだ。


メアリーは、嘗て自分がされた扱いよりはよっぽど良心的な処遇に人目も憚らず泣き叫ぶ叔父たちの“悲劇のヒロイン”的な叫びを一瞥することもなく、優雅に馬車に乗り込んだ。



・・・❇︎・・・❇︎・・・❇︎・・・



叔父たちが法による裁きを受け、メアリーの復讐は完全に終了した。


メアリーは、真面が故に冷遇されていた元ガルム商会の職員たちとの契約を更新し、アルクレイ商会の主人として王都との新しい物流ルートを確立してその才覚を遺憾なく発揮していた。彼女の商会は領地経済を活性化させ、こちらは不本意だがレナードの領主としての名声を高めていた。


そして一段落したある日の夜、レナードはメアリーを自室に招いた。彼の目の前には二人が婚姻を結んだ際の愛などないと記された古い契約書が置かれている。


「アルクレイ商会の運営は完璧だ。お前は、俺の想像を遥かに超えた。……王都でも、お前の評判は高まっている。クレアモント会長が、お前を『男爵領で眠らせておくには惜しい人材だ』と評していたぞ」


「光栄ですね」


相変わらず笑顔を浮かべるメアリーから視線を外し、レナードは契約書を暖炉の炎に投げ込んだ。


「俺は、この形式上の契約を破棄する」


「そうですか」


「だが、これで終わりではない。メアリー」


レナードは、真剣な眼差しで、メアリーを見つめた。その瞳には、嘗ての支配欲ではなく初めての熱情が宿っていた。


「俺は、お前の才覚を尊敬している。そして、お前の独立した精神に惹かれている。……メアリー。俺は、お前のことを、……愛し始めている」


レナードの告白は予想外のものではなかったが、メアリーにとってはビジネス上の迷惑以外の何物でもない。


「真の妻として、俺と共に生きてくれないか? これは利権や復讐ではない。お前の純粋な愛で、お前の自由な意志で決めてくれ」


愛の告白を受けたメアリーは全くの動揺なく、優雅だが冷徹な微笑みを浮かべた。


「まぁ、貴方が私を好いていることには気付いてたけど。でも最初に契約しましたよね? 契約破棄に同意もしてませんし、写しは私も持ってるのでさっきのを燃やしたところで契約は反故には出来ないですよ。って言うか、貴方もう三〇以上でしょ? ロリコンなの?」


レナードの顔に、僅かな動揺が走る。


「でも、貴方は私にとって、アルクレイ商会の事業拡大と私の商人としての地位を揺るぎないものにするために必要な最高のビジネスパートナーです。貴方の領主としての影響力と私の才覚は、互いに不可欠。……だということにしておきましょう、面倒なので。これでどうです?」


「愛よりも強固な、利と敬意に基づいた契約だという訳か」


「好きに解釈して下さい」


メアリーは彼から目を逸らし面倒臭そうに溜め息を吐く。レナードはその明確で冷酷な拒絶に寧ろ打ちのめされながらも、抗いがたい魅力を感じた。しかし、彼女から出る言葉として愛の甘言よりも遥かに真実味があることも事実だ。


敗北を認めざるを得ない状況に、思わず苦笑する。


「そうか……。お前の辞書に、愛という単語はないようだな。だが、お前とのパートナーシップは、この世の何よりも価値がある」


「ですから、好きに解釈して下さい」


メアリーはレナードに愛のない、しかし少なくとも負の意味はない笑顔を見せた。そこには、面倒臭さが前面に押し出されつつも打算的なものがあった。笑顔で凡ゆる感情を表現するメアリーのことが、最近は少しだけ分かってきたような気がする。


彼女の物語は悲劇のヒロインとして終わることはない。商人としての才覚と冷徹な合理性を武器に、彼女はこの世界で対等な地位と最高の共同経営者を手に入れたのだ。


窓の外には、夜空に輝く満月が新たな道を歩み始めたメアリーの姿を照らしていた。


(次の商談は王都の貴族社会との交渉か……ふふっ、楽しみになってきた!)


メアリーの心には新たな野心が静かに燃え上がっていた。



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「よう、嬢ちゃん。調子はどうだい?」


「夜鴉さん、こんにちは。めちゃくちゃ儲かってますよ」


「そりゃ良かった。嬢ちゃんが稼いでくれんと良い情報が入らんからな」


「えー? 情報(それ)目当てですか? 史上最年少で商会の主人になったそこそこ可愛い女の子の心配とかして下さいよぉ」


「がははっ! あんたはもっと色気付けや」


「なっ!? 失礼ですね!」


粘着質になった男の職権濫用により男爵家の屋敷のすぐ側に建てられたまだ新しい商会に、二人の男女の声が響く。春の柔らかな風が辺りを優しく撫でていった。



Fin.

お読み頂きありがとうございます。


夜鴉さんやレナードが王都貴族の動向を探っていた理由やメアリーとの関係性の変化は謎のままですが、続編を書くかどうかは未定です。取り敢えずはメアリーが叔父一家を撃破した、という感じで一応完結です。

感想などお待ちしております(*^^*)



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他作品ですが、連載を始めたので良ければ読んで頂けると嬉しいです。病んでる女の子が色々頑張るダークファンタジーです。

下の方にリンクあります。……多分。

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