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炎陽  作者: うみの ねこ
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一 画材屋の少女

 僕と美鈴が出会ったのは、昭和二十七年の夏のことだった。

 

 三年前に帝国美術学校を卒業して以来、少女雑誌の挿絵画家として細々と絵を描き、どうにかこうにか生活していた頃である。

 

 戦時中、一時期休刊していた少女雑誌が戦後数年経ってようやく復刊し、往年の高畠華宵や竹久夢二を思わせる抒情的な挿絵画家が求められていたのだ。

 元々日本画が好きで、華宵に憧れて叙情画を描き始めたこともあり、初めてこの仕事を貰えた時は心底嬉しかった。

 しかし、無名の画家が描く挿絵一枚の対価などたかが知れている。描いても描いても生活は一向に楽にならず、間借りしていた長屋の家賃を払うのがやっとの生活だった。

 

 一介の挿絵画家ではいつまで経ってもうだつが上がらない。

 本当はもっと繊細で自分らしい絵を描きたい、日本画家として作品を世に送り出したい。

 

 いつしかそんなことを思うようになっていた。しかし、そうなるとデッサンの勉強からもう一度やり直さなくてはいけないだろうし、そのためには画材を揃えモデルも雇わなければならない。正直、そんな余裕は無かった。

 

 そんな鬱々とした日々を送っていたある夏の日。出版社に原稿を届けた帰りに、絵の具を買いに画材屋へ寄った。

 

 

 暑い盛りの午後二時。陽炎(かげろう)がゆらめく大通りから一本裏へ入ったところにある寂れた路地の一角に、明治の始めから続く老舗の画材屋があった。

 流行りの画材よりも伝統的な色や質感を好む僕にとって、この店に置いてある昔ながらの画材が一番扱いやすく、昔からよく通っている店だ。

 

 狭い間口を入ると、強い日差しからようやく逃れられてほっと息をついた。店主のオヤジに軽く手を挙げて、奥の絵の具売り場へと進んでいく。いつもと同じ配置に並べられた絵の具の中から、いつもと同じ色を選んで手に取ると、先ほどオヤジが立っていた勘定場に向かった。

 

が、勘定場に立っていたのはオヤジではなかった。


「い……いらっしゃいませ」

 そこには、初めて見るおさげ髪の少女が、俯きながら立っていた。

 

「君は──?」

 思わず目を(しばたた)いてから凝視してしまう。耳まで真っ赤にして何も言わない少女に、こちらもどうしてよいのやら判らずに立ち尽くしていると、店の奥からオヤジが慌てて駆け寄ってきた。

 

「すまないねぇ、蒔田くん。この子、俺の姉貴の子でさ。実はうちの女房が二、三日前から具合悪くしてるもんだから、手伝いに来てもらったんだ。今日が初めての店番で、あんたが初めての客ってわけ。緊張してうまく喋れないみたいだな」

 そう言って笑った。

 

 その笑い声に余計萎縮して縮こまる少女の前に、僕は手に持っていた絵の具を差し出した。

「お勘定を頼みます」

 ハッと顔を上げて僕を見る目には、うっすらと涙を浮かべている。震える手で絵の具を紙袋へ入れながら、小さな声で二円です……と呟いた。

 紙袋と引き換えに二円を差し出すと、両手を皿のようにしておずおずと受け取り、引き出しの中に仕舞おうとして床に落としてしまった。

 チャリンチャリンと音がして、硬貨が床を転がっていく。

「あ──」

 

 僕の足元に転がってきた硬貨を拾い、改めて彼女の掌に乗せてやる。それをぎゅっと握ると同時に、瞼もぎゅっと閉じられて、目尻から涙がひと粒頬を伝った。

 

 その雫に、僕は何故だか視線が釘付けになってしまった。間口から入る強い日差しが床に反射して、それを受けた涙の粒がプリズムのように光ったせいかも知れない。

 

 あまりにもじっと見ていたせいか、僕の視線に気付いた彼女が恥いるように顔を背けて唇を噛む。その仕草に、思わず自分の頬が上気するのを感じた。

 

「美鈴。そんなに緊張しなくても、誰もお前を取って食おうっていうんじゃないんだ。もう少し力を抜いて」

「だって叔父さん……私、知らない人と話すのが苦手だって、最初に言ったじゃない!」

 両手で顔を覆って肩を震わせる「みすず」と呼ばれた少女が居た堪れず、僕は店主に向かって言った。

「オヤジさん、人には得手不得手があるんだ。無理に接客させるのは可哀想だよ。まずは品出しとか、裏方をやらせた方がいいんじゃないの?」

「そうは言ってもなぁ。一番手伝って欲しいのはお客の相手だっていうのに……」

 そう言って少女を見る目には、心なしか諦めの表情が浮かんでいた。

「まあ、ぼちぼち慣れてくれりゃあいいさ。女房も一週間くらいすりゃあ良くなるだろうし」

 

 まいどあり、と声を掛けるオヤジに礼を言って店を出た。少女は何も言わず、深々と頭を下げている。

 日盛りの路地を曲がり角まで歩いて振り返ると、店先に立つ少女がまだこちらを見ていた。その姿は、陽炎(かげろう)の向こうでゆらゆらと揺れて、まるで今にも消えてしまいそうなほど頼りなげだった。

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