ムズガユイ。
オレは、今、急いで凛のマンションに向かっている。3度目の暗証番号を打って、ようやく凛の部屋に辿りついた。
「はーいはい。竜ちゃんそんなに汗かいちゃってどったのー?」
「どったのではない!おじさん今日ロスに行くって聞いたぞ!」
「んー。正確にはまだ決まってないらしいけどねー。仕事次第らしいよ。それがどうしたのー?」
呑気にドーナツをかじる凛。俺にも一個くれた。飲み物がほしいんだが、これは分かっててわざとだな。
「説得しないのか?」
「あ、その事で竜ちゃんにお願いがあるんだよねー。」
凛は、カフェオレをすすりながら、怪しげに微笑んだ。寒気がしたのは、凛の企みを予感してしまったからだ。
雪が、大変とか叫ぶから何かと思ったら。
「…ギャグ?」
雨靴が抜けないらしい。光が雨靴で悪戦苦闘しているから、ミスマッチすぎる。一年前の雨靴をたまたま、悪魔でもたまたま見つけて、はいてみたところ、抜けなくなったらしい。
「くぅっ。僕とあろう者が、雪引っ張りすぎ!」
「光ちゃんが力入れすぎなんだよ。」
「マジで抜けねぇの?雨靴切るか?」
カッと光が目を見開いた。
「この雨靴は幸せを呼ぶ雨靴なんだよ!切るなんてしたら、幹也くんに不幸がふりかかるよ。」
「何だよ。そこまで言うんなら、雪帰るぞ。光は一人で大丈夫らしいからな。」
「あ。マサが待ってる。ごめーん。光ちゃん頑張ってね。」
雪は軽やかな足取りで水田家を後にした。俺の妹ながら、薄情だ。
「僕はこのまま、雨靴と生きていくよ。よろしくね、アマグッちゃん。うんよろしくね光くん。」
雨靴で腹話術する人初めて見た。相当キテるなこりゃ。
「油を差して滑りやすくすれば?なぁ、アマグッちゃん。」
「そうね。って、それじゃあ、僕の美脚が荒れるよ!」
そんなやり取りをしていると、救世主が来た。
「お兄ちゃんマサがコツを知ってるって!」
「光先輩、大丈夫すか?どうっすか、痛くないっすか?」
「痛くはないよ。」
マサが雨靴の上から、足首を両手でゆっくり捻っていくうちに、嘘の様に雨靴がとれた。
「さようならアマグッちゃん。さようなら光くん。こうして二人は別々に生きる事になりました。メデタシメデタシ。」
「おいおい。最初に、マサにお礼言えよ。」
「いいんすよ。相手に見返りを求めないって光先輩の教訓があるんす。」
教訓って、光何を教えてたんだよ。あ、マサが雪とくっつきすぎ。
「こほん。僕は、実は演技だったんだよ。みんながどれだけ僕を心配してくれるかを見たかったんだ。」
「そんだけ右足を赤くしといて、よく言えるな。」
「じゃあ、マサが一番心配してくれたね。」
「雪やめろって、照れるから。」
むずがゆい!マサを見てると、全身がむずがゆい!見えない何かが移りそうだ。
「お兄ちゃん鳥肌たってるよ。寒いの?また風邪?」
「オレ、いつも風邪薬とか持ってるっすよ。」
何そのポーチ。ちょっとキャンディー柄とか…。
「むずがゆい!」
「光にも分かるか。このむずがゆさ。」
「マサって、青春少年だよな。もうちょっと男らしくなれ!」
「光先輩の言いつけ守ってますよオレ。」
クーンと耳が垂れた仔犬の様だ。なんだろうな。この前まで仔犬止まりだったのに、むずがゆいのは…そうだ、色気が出たせいだ。
「お兄ちゃんに光ちゃん!私の彼をいじめないでよね。」
俺の可愛い妹の雪がマサを抱きしめた。俺の可愛い妹ってとこ重要。俺の中の試験によく出るトコロ。
「雪…!早く二人になろう。」
「いーや!その雰囲気で二人になるなよ?」
「幹也くん、割り込んでも、雪はもう大人だよ?」
「はぁ?まだまだ子供だからな!」
この中で、一番子供なのは俺だ。年齢とかじゃねぇんだよな。そろそろ華と会う時間だ。俺も髪ほんの数ミリ短くしようかなと考えたりした。
ファンシーな俺の彼女の部屋。柑橘系の甘酸っぱい香りがする。
「雨靴がハマっちゃったんだ。光くんって面白いんだね。」
「演技だったとか言うんだぜ?それより、そんなことより、今日の夜大事な事があるんだ。」
「みきや?」
誰にも話さないと思っていた立川先輩とのゲームを話した。華には知ってほしいと思ったのもあるし、この話を聞いて何ていうか気になった。
「今夜は行かない方がいいよ。」
「え?」
「立川先輩はみきやとのゲームで、気を紛らわしてると思う。」
隣に座る華の横顔が、切なげに見えた。華はパー先輩っていつも呼ぶのに、さすがに立川先輩と言っていた。そして、華はまるで自分の事を言うようだった。セレブは違うんだと遠く感じてしまった。
「今夜はラストゲーム。これが最後だから逃げねぇよ。」
「ん。みきやならそう言うと思った。もう、あんまり見ないでよ。」
「まつ毛なげぇな。」
くすぐったそうに笑う華の頬にそっと触れた。そして、彼女は目を閉じた。プクッと美味しそうなピンク色の唇に、自らの唇を重ねた。角度を変えながら、薄目で華を盗み見たりして、手が勝手に…。
「姉貴!」
「きゃっ!樹どうしたの?」
「樹、覗き趣味ヤメロよ。」
いつも絶妙なタイミングだからな。あ、まだ胸触ってた。
「僕は姉貴に用があるんだ。」
「今度勝手に部屋に入ったら、樹と口聞かないんだからね!」
樹の頭に岩が落ちた様に見えた。それだけショックを受けていた。華の家に婿にいったら、大変そうだとしみじみと思った。
【今夜7時に駅の南口にて】
メール短かっ。しかも、【にて】何?絶対に続きあるだろ。俺はチャリで駅に向かった。
駅は不良の溜まり場だ。
「おい!スカしてをじゃねーよ。」
「人を待っているんだ。」
「ナンだと?」
俺はチャリを置いて近づいた。やっぱり、東竜先輩だ。絡まれてる。しかも挑発してるし。
「せーんぱい。待たせてすいません。」
「んだオラ!ってお前マウスじゃねぇか!」
「…俺忙しいんだよな。」
ヤンキー2人は、逃げていった。前に気絶させた中にいたような?
「今日は、凛は来ない。変わりに俺が来た。」
「ええ?何すかそれ!」
「凛は自分の父親に、会いに行った。ロス行きについて意見するらしい。」
「良かった。これで…。」
「いや、凛は何を考えているか分からない。自分からロスに行く可能性も少なくも有らず。」
会うだけでもいいんじゃねぇか。立川先輩は、父親に電話もかけたくないって言ってた。って、俺とのゲームはどうなった?
「凛が、自ら負けを認めていた。オレは、それを伝える為ここに来たと言う訳だ。」
「先輩は『自分で伝えろ!』って立川先輩には言わないんすね。」
「凛が、自分から父親に立ち向かうのは初めてだ。邪魔をしたくない。」
しっくり来ねぇな。
「朝練遅刻するなよ。」
「なんすか?いきなり。」
「じゃあな。」
すぐ俺に後ろ姿を見せた東先輩は、右手をふって、そのまま駅に入って行った。武道家なら、そんな無防備に後ろ姿を見せないだろ。俺は、何だか腹が立って、石ころを東先輩めがけて投げた。
パシッ。
「なるほど。今からオレと勝負したいらしいな。」
俺は全力で逃げた。まいたと思い壁に手をついていると、後ろからトンっと肩を叩かれた。
「なんだ…っ!?」
「今から家来るか?」
東先輩の家は道場と聞いた事がある。その晩の出来事は、吉井家に代々受け継がれるだろう。
「瓦割り十本!!」
「すみませんでしたぁ!!石なんて金輪際投げません!!」
「あぁ。その分を忘れていたな。」
東先輩は、鬼でなくとてつもない程のスペシャルサドだった。俺は、気絶していたらしい。