第2話 孤独な革命家
異世界の国、ネオ・アルカディアの首都中心部。早朝の薄明かりが差し込む次元科学研究所の最上階会議室。窓の外では首都の喧騒が始まっているというのに、室内には重苦しい沈黙が支配していた。
ヨルン・スコウゴーは、大きな窓から差し込む朝日を背に立っていた。かつては威厳に満ちていた彼の長身は、今や重圧に押しつぶされそうに見えた。肩を落とした姿からは疲労の色が濃く滲み、目の下には深い隈が刻まれている。
壁一面に並ぶ巨大モニターには、世界樹作戦の失敗を示す無慈悲なデータが踊っていた。赤く点滅する警告サインが、ヨルンの瞳に映り込む。
「今回の失敗を踏まえ、我々は――」
言葉を続けようとした瞬間、ヨルンの脳裏に二十年前の記憶が鮮やかに蘇った。過去と現在が交錯し、彼の意識は時の狭間へと引き込まれていく。
*
ネオ・アルカディア中央大学。若きヨルンは、大学院の実験室で次元研究に没頭していた。白衣を着た彼の目は、興奮で輝いていた。
「この理論が正しければ、次元の壁を越えられる!」
ヨルンは、複雑な方程式が記された黒板を指さしながら、熱っぽく語る。しかし、親友のアレックスは冷ややかな目を向けた。
「でも、それって危険じゃないのか? 次元の壁のおかげで、世界が安定しているとも言えるし」
アレックスの言葉に、ヨルンは軽く肩をすくめた。
「この世界は閉じられている。次元の壁を越えることができれば、他の次元から様々な文化や技術を共有できる。人々との交流も活発になるだろう。この衰退していく世界に活路を求めるにはこれしかないんだ」
その時ヨルンは、友人の懸念など気にも留めなかった。しかし五年後、その言葉の重みを思い知ることになる。
実験の成果を誇らしげに披露しているヨルンの背後で、突如として警報が鳴り響いた。次の瞬間、制御不能に陥った装置から、まばゆい青白い光が放たれた。その瞬間、目の前で次元の裂け目が開いたのだ。
「サラ! マイク!」
ヨルンの必死の叫び声が、研究所内に響き渡る。目の前で、最愛の妻と幼い息子が、開いた次元の裂け目に吸い込まれていく。ヨルンは必死に手を伸ばした。指先があと数センチのところで、裂け目が閉じた。
永遠の別れ。ヨルンの心に、消えることのない傷が刻まれた瞬間だった。
それから五年後。
研究所の地下深くに位置する実験室。ヨルンとアレックスの息が白く、寒気が漂う。中央に据え付けられた巨大な次元転移装置が、不吉な存在感を放っている。
「ヨルン、頼む。こんな危険な実験はもうやめよう」
アレックスの声には、懸命の思いが込められていた。その瞳に浮かぶ不安と懇願を、ヨルンは無視した。
「大丈夫だ。今回こそ成功する」
ヨルンの声には狂気じみた自信が滲んでいた。彼が操作パネルのスイッチを入れると、装置が唸りを上げ始めた。低く、そして次第に高く。不気味な振動が実験室全体を包み込む。
突如、警報が鳴り響く。赤いランプが点滅し、再び研究所にパニックが訪れた。
「やばい! 制御不能だ! アレックス逃げろ!」
ヨルンの叫び声が響く。
しかし、遅すぎた。制御不能となった装置から、まばゆい青白い光が放たれ、閃光と共に轟音が鳴り響き、一瞬にして実験室が光に包まれた。
光が収まると、そこにはアレックスの姿はなかった。装置の前には、彼の白衣だけが無残に落ちていた。
ヨルンは膝をつき、震える手でその白衣をつかむ。悲鳴とも咆哮ともつかない声が、彼の喉から絞り出された。
全てを失ったヨルン。しかし、絶望の中で、彼の心に新たな炎が燃え上がっていた。
(次元の壁さえなければ、こんな悲劇は起きなかった。私は閉じた世界を解放しなければならない)
ヨルンの心に、憎しみと絶望が渦巻く。そして、その混沌の中から、ある決意が芽生えた。
(壁を壊す。そうすれば、全てが元に戻る。きっと、元に戻るはずだ)
その歪んだ決意が、五年後の次元調和同盟の結成へとつながっていく。彼の心に宿った復讐と救済への渇望が、世界の運命を大きく変えようとしていた。
*
「ヨルン総帥、ご意見は?」
現実に引き戻されたヨルンは、静かに目を開けた。会議室には、次元調和同盟の幹部五名が集まっている。彼らの表情には、不安と期待が入り混じっていた。
ヨルンは深く息を吐き、ゆっくりと口を開く。
「世界樹作戦は失敗した。だが、我々の理想は揺るがない」
会議室の面々が、固唾を呑んでヨルンを見つめる。彼の次の言葉が、次元調和同盟の、そして全次元の運命を左右する。
「次の標的は決まっている。一週間後に延期された、『汎次元和平会議』だ」
ヨルンの瞳に、狂気じみた光が宿る。それは理想に燃える者の輝きなのか、それとも全てを失った者の絶望の光なのか。
「延期されたあのサミットは、我らにとって好都合。様々な異世界からのポータルがトウキョウに集中する。我々はそこで、次元融合装置を起動する。全ての次元の壁を一気に崩すのだ」
突飛な提案に、幹部たちからどよめきが起こる。会議室内の空気が、一気に緊張感に満ちた。
「しかし、それでは犠牲者が……」
時間次元専門家、シグネ・ビョルンダルが、おずおずと反対意見を述べる。彼女の青い瞳には、明らかな懸念の色が浮かんでいた。
しかし、ここでもヨルンは聞く耳を持たなかった。彼の表情は、もはや理性の限界を超えているようにみえる。
「些細な犠牲など問題ではない。我々が目指すのは、全次元の調和だ。そのためなら、どんな代償も払う価値がある」
狂気か、理想か。ヨルンの目には、もはやその区別すらつかなくなっていた。
激論の末、会議は僅差で計画を承認。その日の深夜、ヨルンは単身、研究所の地下実験室に向かった。
地下百メートルに位置する実験室。ヨルンは、中央に設置された巨大な円筒形の装置に向かって歩み寄る。装置の表面には、複雑な回路と異世界の文字が刻まれていた。
(これで、全てが終わる)
次元転移装置に最後の調整を加えながら、ヨルンは過去の自分に別れを告げていた。かつての理想に燃える科学者の姿は、もはやどこにも見当たらない。
そして、運命の朝。
ヨルンは装置に足を踏み入れた。彼の手が、起動レバーに伸びる。
「さらば、ネオ・アルカディア」
囁くような言葉と共に、レバーが引かれ、まばゆい光がヨルンを包み込む。
閃光が収まったとき、そこにヨルンの姿はなかった。
全てを賭けた戦いの幕開け。
地球では、運命の日のカウントダウンが始まっていた。