第7話 官僚的直感
波留は息を切らしながら、世界樹の幹を駆け上がっていた。周囲では激しい戦闘が繰り広げられている。
(もう六月二日の朝六時か……)
仮面の男たちとの戦いが七時間近く続いている。昨日からの戦いで、体力は限界に近かった。しかも、昨晩は持ち直した世界樹の魔力は、再び乱れていた。世界樹の衰弱は加速し、地上の次元歪みも拡大の一途を辿っている。
「波留くん、後ろ!」
月城リナの警告に、波留は咄嗟に身をかわした。直後、魔術の弾が彼のいた場所を貫く。
「ありがとう、リナ!」
波留は感謝の言葉を投げかけながら、再び走り出した。彼の「官僚的直感」が、敵の攻撃パターンを「稟議書の流れ」として予測し始める。
(次は左から……そして上!)
予測通りに避けながら、波留は必死に状況を分析していた。
突如、目の前の空間が歪み、緋村茜アカネが姿を現した。銀色の髪に赤い瞳が煌めき、和洋折衷の独特なファッションが目を引く。髪に異世界の装飾品をつけた彼女は、妖艶な雰囲気を漂わせながら、軽やかに着地した。
「みなさん、無事ですか?」
緋村の声に、波留たちは安堵の表情を浮かべた。
「茜! よく来てくれたわね」
月城が叫ぶ。緋村の異世界の魔力が加わり、一時的に戦況が好転する。
「波留さん、指示をお願いします!」
緋村の言葉に、波留は慌てて「官僚的直感」を使う。
(よし、こうすれば最適化できる……)
「リナ、神無月! そことそこに移動! 茜はそのまま! 移動したら訓練でやってた障壁を展開して!」
波留の指示に従い、仲間たちが素早く動く。その瞬間、彼らの魔力が共鳴し、強力な防御障壁が形成された。
「さすがですね、波留さん!」
緋村が感心の声を上げる。しかし、その喜びもつかの間だった。
「くっ! やっぱりダメだ!」
神無月の苦しげな声に、全員が振り返る。
「神無月!?」
波留が叫んだ瞬間、信じられない光景が目の前で繰り広げられた。神無月が仲間たちに魔術を放ったのだ。
「なぜなの、神無月!」
カミソリのような風の攻撃魔術を避けながら、月城が絶叫する。神無月の表情には苦悶の色が浮かんでいた。
「すまない……家族が、人質に……」
その言葉に、波留は愕然とした。しかし、すぐに「官僚的直感」が働き始める。神無月の行動が、「内部告発」の流れのように見えてきた。
(そうか、これは……)
「神無月を責めないで!」
波留の声に、全員が驚いた顔を向ける。
「彼には彼の事情がある。でも、それを利用されているんだ」
波留の言葉に、神無月は複雑な表情を浮かべた。
「波留、君に何がわかる……」
「わかるさ。だって、君の行動は完璧すぎる。綿密に計画された『裏切りのマニュアル』みたいにさ」
波留の言葉に、神無月は言葉を失った。
「本当は、仲間を裏切りたくないんだろう?」
波留が静かに問いかけると、神無月の目に、涙が浮かんだ。
「そうだ……でも、家族が……」
波留は一瞬言葉に詰まった。状況の深刻さを実感し、簡単な約束はできないと悟る。
「家族の件は、必ず何とかする。僕一人では無理かもしれない。でも、みんなで力を合わせれば、きっと道は開ける。だから、今は仲間を信じてほしい」
波留の真摯な眼差しに、神無月は長い沈黙の後、ゆっくりと顔を上げた。
「わかった……試してみる。だが、もし家族に何かあれば……」
「その時は、僕が腹を斬ってでも責任を取る。でも、そうはならないはずだ」
波留の決意に満ちた言葉に、神無月はわずかに頷いた。
「すまなかった……みんな」
その瞬間、世界樹が大きく揺れ始めた。
「まずいです! もうけっこうな時間、魔力を流し込んでいませんよね? 世界樹の生命力が、もう……」
緋村の叫びに、全員が顔を上げた。世界樹の葉が、見る見るうちに枯れていく。
「このままじゃ、次元の歪みが……!」
月城の声に、波留は再び「官僚的直感」を使う。
(……なるほど。根元のあの装置は、地面からの魔力を遮断してるんだ)
「みんな、あの変な機械を壊して!」
波留の叫びに、全員が頷いた。神無月を含む全員が、世界樹の根元に向かって手をかざし、攻撃魔術を放った。
――ドドドン
三回の爆発と共に、世界樹の根元が黒煙に包まれる。
しかし、そこには仮面の男たちが装置を守って障壁を展開していた。
「クソッ!」
神無月の悔しげな声を聞きながら、波留は目を閉じて、「官僚的直感」を発動させた。すると、頭の中に魔力の流れが複雑な組織図のように浮かび上がった。
(よし、これを整理していけば……)
波留は、複雑な予算案を最適化するように、頭の中で魔力の流れを調整し始めた。赤い矢印は緑に、青い線は黄色に……彼の頭の中で、魔力のフローチャートが次々と書き換えられていく。
すると不思議なことに、現実世界の魔力の流れも変化し始めた。波留の調整に呼応するように、地面の魔力が効率よく世界樹へと注がれていく。波留には魔力こそないが、その「官僚的直感」が、魔力の流れを最適化する触媒となってゆく。
次第に、世界樹に生気が戻り始める。葉が再び緑を取り戻し、幹のひび割れが癒えていく。
「やった!」
月城が歓声を上げる。世界樹が完全に復活すると、周囲の次元の歪みが急速に収束し始めた。
同時に、巨大なポータルが開く。その先には、狭間刃狼
室長を先頭にし、異世界管理局の次元特殊作戦部隊が変わった形のライフルを構えていた。
仮面の男たちはそれを見て立ち尽くす。
そして彼らは無言で、立ち去っていった。
戦いは終わった。波留たちは疲れ切った表情で、しかし安堵の笑みを浮かべながら地上へと降り立った。
*
「本当によくやってくれた」
異世界管理局に戻った波留たちを、鴨居局長が出迎えた。
「桐生、君の活躍には目を見張るものがあった。魔力がなくとも、君の能力は我々にとって不可欠だ」
「あ、ありがとうございます」
波留は照れくさそうに頭を掻いた。そして、神無月の方を見る。
「神無月の件は……」
「ああ、次元特殊作戦部隊から、救出作戦が成功したと報告を受けたところだ。異世界にいる神無月の家族は全員無事だ。そして今回の件、神無月の事情を鑑みて、裏切りの件は不問とする」
鴨居の言葉に、神無月は深々と頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございます」
神無月はあの仮面の集団――次元調和同盟によって家族を人質に取られ、彼らの要求に従うよう脅迫されてた。その要求とは、世界樹の魔力を不安定化させ、次元融合を促進することだったのだ。
波留は安堵の表情を浮かべた。
鴨居は一同を見渡すと、深刻な表情で続けた。
「さて、サミットの件だが……」
波留たちは息を呑んで局長の言葉に耳を傾けた。
「幸い、次元の歪みは収束し、大きな混乱は避けられた。しかし、一部の参加者が帰還できなくなるなど、少なからぬ影響が出てしまった」
鴨居はため息をつき、眉間にしわを寄せる。
「現在、各国の代表と調整を行っている。サミットは一週間の延期となったが、無事に開催できる見込みだ」
波留は安堵のため息をつきながらも、複雑な表情を浮かべた。
(まだ終わっていないんだ……)
鴨居は険しい表情で続けた。
「だが、今回の事件で我々の存在が世間に知れ渡ってしまった。これからは、より慎重に、そして大胆に行動しなければならない」
波留は強く頷いた。
*
翌日、波留は自分のデスクに向かっていた。机の上には、世界樹から持ち帰った小さな種が置かれている。その横には、サミット再開の準備書類が山積みになっていた。
(これからも、色んな問題が起きるんだろうな)
波留はため息をつきながらも、決意に満ちた表情を浮かべた。
(でも、僕にしかできないことがある。それを、しっかりとやっていこう)
彼は机の上の種を手に取り、じっと見つめた。これは、世界樹の根元に落ちていた種。その種が不思議な輝きを放った。
「おや?」
波留が驚いて目を凝らすと、種から小さな芽が出ているのが見えた。
(まさか、こんなに早く……)
その時、オフィスに緊張感が走った。
「緊急事態発生! 六本木ヒルズ周辺で次元の歪みが再発!」
緊急アナウンスが鳴り響く。波留は慌てて立ち上がった。
「また来たか……」
彼は机の上の芽を見つめ直す。その小さな生命力に、何か大きなものを感じた。
(この芽も、きっと何かの始まりなんだ)
波留はポケットに芽を入れ、颯爽とオフィスを飛び出した。
廊下では、もう仲間たちが集まっていた。
「波留、来たな」
神無月が声をかける。彼の表情に、もう迷いはなかった。
「うん、行こう!」
波留は頷いた。彼らは駆け出す。未知の危機に向かって。
波留の胸の内では、不安と期待が入り混じっていた。しかし、彼の「官僚的直感」は既に次の一手を模索し始めていた。
(どんな問題が待っていても、きっと解決できる。僕たちなら……)
波留たちを乗せたエレベーターが、地上へと上昇し始めた。
そして、波留のポケットの中。世界樹の芽が、かすかに、しかし確かに脈動していた。これからの波留の成長を予見するかのように――。
第1章完結です。
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次話より第2章が始まります。よろしくお願いします!