第4話 魔力なしの新人
午後一時、無限演習場。波留は幻想空間で最後の対戦に臨んでいた。赤い瞳、銀色の髪、和洋折衷の独特なファッションをした少女――緋村茜が相手だ。
「わたしの魔力、感じ取れますか?」
緋村の問いかけとともに、空間そのものが歪み始めた。
波留の周りで、色彩が溶け出したかのように混ざり合い、現実と非現実の境界が曖昧になっていく。
(うわっ、何これ!? サイケデリック美術館かよ!)
突如、波留の頭の中に異質な感覚が広がる。それは言葉ではない、純粋な感情や意思のようなものだった。
「これが……次元間念話? 頭の中でラジオが鳴ってるみたいだ」
波留が困惑する中、緋村の繊細な魔力操作により、周囲の景色が目まぐるしく変化する。砂漠、極地、ジャングル、そして未知の異世界の風景が次々と現れては消えていく。
「どこまでが現実で、どこから幻覚なのか分からん!」
緋村の声が波留の心に直接響く。波留は必死に現実を掴もうとするが、あまりにも鮮明な幻影に翻弄される。
(これは……緋村さんが無数に! 万華鏡の中にいるみたいだ。どれが本物なんだ?)
波留の目の前に、無数の緋村の姿が現れては消える。それぞれが異なる動きをし、異なる言葉を発している。波留は頭を抱えながら、必死に集中力を保とうとする。
「わたしの魔力は、現実と幻想の境界を曖昧にするのです。あなたの目に映るもの、感じるもの、全てが真実かもしれませんし、全てが嘘かもしれません」
緋村の声が空間全体から響いて、波留を包み込む。
その時、波留の脳裏に再び奇妙な光景が浮かび上がった。緋村の魔力の流れが、複雑な情報システムのネットワーク図のように見える。
(これは……緋村さんの魔力のパターン? CPUコアの配置図みたいだ。んと、拡大できるなこれ。ほほーん、なるほど)
波留は目を閉じて集中する。すると、魔力の流れの中に微かな乱れを感じ取ることができた。
「そこだ! 僕の直感が教えてくれる!」
波留は目を開け、その乱れを感じた方向に向かって突進する。幻影の緋村たちをかき分け、本物の緋村に肉薄する。
「まさか……わたしの魔力の流れが見えているのですか?」
緋村の驚きの声が聞こえる。しかし、波留の反撃の機会は束の間だった。緋村はすぐに魔力の操作を変更し、新たな幻影の渦を作り出す。
「でも、それだけでは足りませんよ。これはどうでしょう?」
今度は波留の過去の記憶が歪んで再生され始める。楽しかったはずの思い出が恐ろしい悪夢に変わり、波留を精神的に追い込んでいく。
(違う、これは幻覚だ。本当の記憶じゃない。僕のモテ期の記憶まで歪めないでっ!)
波留は歯を食いしばり、目の前の幻影を払拭しようとする。しかし、緋村の魔力はあまりにも強力だ。現実と幻想、過去と現在が入り混じり、波留の精神は限界に近づいていく。
そんな中、波留の脳裏にまた新たな映像が浮かび上がる。緋村の魔力と波留の精神が交錯する様子が、契約書の条項のように見えたのだ。
(これは……緋村さんの魔力と僕の精神のぶつかり合い? 恋愛ゲームの攻略チャートっぽい)
波留はその「契約書」を必死に読み解こうとする。そして、そこに小さな抜け穴を見つけた。
「緋村さん、あなたの魔力は確かに強力です。でも、完璧じゃない。僕には効かない!」
波留の言葉に、緋村の動きが一瞬止まる。
「どういうことでしょうか?」
「緋村さんの魔力は、相手の精神に働きかけることで幻影を作り出している。つまり、受け手の精神状態によって効果が変わる。そして今、僕の精神は……」
波留は力を込めて叫ぶ。
「現実を見抜こうとする意志で満ちている!」
その瞬間、波留の周りの幻影が薄れ始めた。緋村の姿がくっきりと浮かび上がる。
「すごいですね……。あなた、魔力がないって本当なのですか?」
緋村の声には、驚きと尊敬の色が混じっていた。
しかし、波留の勝利も束の間のことだった。長時間の激闘と精神的消耗により、彼の体は限界を迎えていた。
「しんどっ……」
波留はそう呟くと、その場に崩れ落ちた。今度は仰向けに倒れ、両腕を大の字に広げたまま気絶する。意識が遠のく中、波留は確かな手応えを感じていた。自分にも、何か特別な能力がある。それはおそらく「官僚的直感」だ。そんな希望が、波留の心に芽生え始めていた。
*
疲労困憊で倒れていた波留の耳に、厳しい声が届いた。
「何だこの惨状は! 新人いじめか!!」
鋭い目つきに口髭、左頬に傷跡のある男性が、観測室から現れた。次元間外交室長と次元特殊作戦部隊の隊長を兼ねる狭間刃狼だ。
波留は立ち上がろうとしたが、全身の痛みで動くこともままならない。それでも、チャラい笑顔を浮かべようとする。
「いえいえ、僕が自ら望んで、鍛えていただいてます」
波留の言葉に、狭間は呆れたような、しかし少し興味深そうな表情を浮かべた。
(僕には、何かがある。鴨居局長はそれを「官僚的直感」と言った。けど、まだ雲を掴むような感触でわからない。僕はそれを見つけ出す……それが、これからの課題だ。そうすれば、もっとモテる)
波留はそう心に誓いながら、意識を失った。その姿は、再び半ケツを晒しだしていた。