第2話 激闘の訓練場
桐生波留は、奥多摩にある異世界管理局「深山コンプレックス」の大規模訓練施設「無限演習場」に足を踏み入れた。初登庁の翌日、午前八時。波留は首をかしげながら、内心で文句を言っていた。
(通勤時間シャレになんねえ。奥多摩に引っ越そうかな? いや、実家の八王子がいいか。とりあえず、実技デビュー。ここで活躍すれば、一目置かれるかも……)
そんな通勤時間と打算的な妄想をしながら、波留は期待に胸を膨らませていた。
波留の隣には、刺青のゴツい男、鬼塚剛が立っている。
「おい、今日はチームのメンバーと模擬戦をやってもらう。新人、ガチで行くから覚悟しろ。あと、魔法と能力の発現の確認もあるからな。テメエは素手で戦え」
鬼塚の低く轟くような声に、波留は思わず背筋を伸ばした。
(やべぇ、真面目にやらないと……)
*
無限演習場の市街地エリアに案内された波留の前に、カラフルな服装にピンク色の髪をした少女が現れた。波留の目が一瞬でハートマークに変わった。
「はじめまして、波留くん! あたし、月城リナです。異世界で鍛えたからね。簡単には負けませんよ!」
異世界で鍛えたという不思議ちゃん。元気な声に、波留は思わずニヤけてしまった。
「やぁ、リナちゃん。優しくしてね」
波留がウインクしたその瞬間、月城の周りに不思議な文字が浮かび上がり始めた。
「な、なんだこれ!?」
波留が驚きの声を上げる間もなく、月城の唇が高速で動き始めた。
「風よ、舞え! 疾風魔術!」
月城の詠唱が完了すると同時に、鋭い風の刃が波留を取り囲んだ。波留は必死に回避を試みるが、風の刃は意思を持つかのように彼を追いかける。
「くっ……! 魔術って言った!? 魔術? は? なにそれええっ!」
全身に無数の小さな切り傷を負いながら、波留はどうにか立ち上がろうとする。しかし、月城の詠唱は止まる気配がない。
「炎よ、燃え上がれ! 烈火魔術!」
今度は炎の渦が波留を包み込む。熱波と煙に視界を奪われ、波留は完全に方向感覚を失った。
(どうすればいいんだ……魔術なんて、僕には……)
絶望的な状況の中、波留の脳裏に奇妙な光景が浮かび上がった。月城の動きが、複雑な書類のフローチャートのように見える。
(これは月城の魔術の……申請書?)
波留はその奇妙な感覚に集中した。すると、申請書の中に「豪雨魔術」という項目が浮かび上がり、その横に「右側に集中」という注釈が現れた。
「水よ、轟け! 豪雨魔術!」
月城の詠唱と同時に、波留は直感的に右に跳んだ。その直後、波留がいた場所に激しい水流が打ち付けた。
「えっ!? よけた!?」
月城の驚きの声が聞こえる。波留自身も、自分の行動に驚いていた。
(今の、魔術の申請書を読んだみたいだった……これが僕の能力?)
しかし、その思考を巡らせる間もなく、新たな魔術の嵐が波留を襲う。波留は何度か魔術を避けることに成功したものの、疲労が蓄積し、魔力の圧倒的な差により、ついに意識を失ってしまった。波留は地面に倒れ込み、ズボンが少し下がって半ケツが露出した。
「おぶうううっ」
と言いながら気絶する波留の姿に、月城は呆れ顔で首を振った。
*
次の戦いの舞台は、無限演習場の森林エリア。波留の前に立つのは、モノトーンの服装に銀髪、物憂げな表情の青年だった。
「僕の能力、理解できるかな? これからポータルを使うよ」
神無月良二と名乗った青年の声が、森の静寂を破る。
突如、波留の周囲に複数のポータルが開いた。青く輝く円形の穴が、宙に浮かんでいるかのように現れる。
「うおっ! なんじゃこりゃあっ!?」
波留が驚きの声を上げる間もなく、神無月の姿が次々と現れては消え、波留は方向感覚を完全に失ってしまう。
(どこよ? いったい何が……)
右を向けば左から、左を向けば右から、神無月の姿が現れる。波留が攻撃しようとしても、神無月はポータルに吸い込まれるように消えてしまう。
「空間を自在に操る……これが神無月の能力か。マジックショーみたいだ!」
波留が状況を把握しようと必死になっている間に、背後から強烈なローキックを受けた。
「ぐわっ! マジで痛てぇ!」
波留が身を翻すと、またもや神無月の姿は消えていた。次の瞬間、頭上から現れた神無月の蹴りが波留を襲う。
――――ゴッ
脳天に神無月のかかとが直撃。
「――――――!!」
波留は、声にならない悲鳴をあげ、崩れ落ちた。
立ちあがると、即蹴られる。そして崩れ落ちる。
波留は何度も立ち上がろうとするが、予測不可能な攻撃に為す術もなく、ついに力尽きてしまった。倒れる際、またしても半ケツを晒しながら、「僕の……負けだ……」と言い残した。
意識が遠のく直前、波留の脳裏にまた例の奇妙な光景が浮かび上がる。神無月の動きが、複雑な空間座標のグラフのように見えた。
(これは……ポータルの開く位置を示している? 電車の路線図みたいだ)
波留はその閃きを活かす間もなく意識を失ったが、何かを掴みかけた感覚だけは残っていた。