表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
外務省、異世界管理局  作者: 藍沢 理
奥多摩の日常
19/35

第1話 守護者

 奥多摩駅のホームに、初夏のさっと風が吹き抜けていった。桐生(きりゅう)波留(はる)は深呼吸をして、胸いっぱいに澄んだ空気を吸い込む。都心とは違う。緑の香りがほのかに漂う。


 今日は休日。せっかくの機会だから、いつもは通り過ぎるだけの奥多摩駅周辺を散策することにした。


「実家のある八王子と比べると、この地の空気は格段に違うな」


 波留は呟きながら、ホームを歩き始めた。駅を出ると、目の前に広がるのは閑散とした道。正面にバス会社。少し先に昔ながらの小売り商店。しかし、何かがおかしい。波留は眉をひそめた。


(あれ? 記者が一人もいない……)


 先日、深山コンプレックスで大々的に記者会見を行ったばかりだ。当然、多くの記者が奥多摩に押し寄せてくるはずだった。しかし、目の前に広がる光景は、いつもと変わらない平和な田舎町の風景そのものだった。


 波留は違和感を抱きながらも、ぶらぶらと歩き始めた。古びた看板、軒先に吊るされた風鈴、日差しを遮る赤い日よけ。どこか懐かしさを感じさせる風景が、波留の目に飛び込んでくる。


 ふと、一軒の小売り商店が目に入った。「みどり屋雑貨店」と書かれた古めかしい看板が、かすかに風に揺れている。波留は何気なく店内に足を踏み入れた。


 チリンチリンと、ドアに取り付けられた鈴が鳴る。


「いらっしゃい」


 奥から、か細いが芯の通った声が聞こえてきた。野暮ったい格子柄の前掛けをした小柄なおばあさんが、ゆっくりとカウンターから顔を覗かせる。


「あら、あんた……」


 おばあさんの目が、急に大きく見開かれた。波留は思わず身構えてしまう。


「テレビで見たわよ。異世界管理局の記者会見で……」


「え、ええと……」


 波留は慌てて周囲を見回した。他に客はいない。おばあさんは、にこりと柔和な笑みを浮かべた。


「大丈夫よ。ここじゃ、あんたのこと、みんな知ってるんだからさ」


 波留は安堵のため息をつく。しかし、次の瞬間、おばあさんの表情が一変した。


「それにしても、余計なことしてくれたねえ」


「え?」


 波留は、おばあさんの言葉の意味が理解できずに首を傾げた。おばあさんは、ため息まじりに続けた。


「記者会見なんてさ。おかげで、大変なことになっちまったよ」


「大変なこと、ですか?」


 波留の頭の中で「官僚的直感」が働き始める。何かがおかしい。店に違和感。範囲を広げていくと、この町全体が、何かを隠しているような気がする。これまで町に対して「官僚的直感」を使ったことはない。


「ほら、記者たちが押し寄せてくるでしょ。でも、あんたたち、ちゃんと考えたの? この町のことを」


 おばあさんの言葉に、波留は息を呑んだ。確かに、異世界管理局の存在を公表すれば、多くの記者が奥多摩に押し寄せてくるはずだ。しかし、実際には一人の記者も見かけていない。


「でも、記者の方々は来てないようですけど……」


 おばあさんは、くすくすと笑った。


「そりゃあ、来てるさ。でもね、この町の人間が総出で追い返してるのさ」


「え!? そんなこと、できるんですか?」


 波留の驚きの声に、おばあさんは静かに頷いた。


「できるとも。だってね、この町の人間のほとんどが、昔っから深山コンプレックスを守ってる守護者なんだから」


 波留の目が見開かれた。守護者。その言葉が、彼の頭の中でゆっくりと意味を持ち始める。


「守護者って……どういうことですか?」


 おばあさんは、カウンターの奥から古ぼけた写真立てを取り出した。そこには、江戸時代の装いをした人々の集合写真が収められている。


「ほら、これ見てみな。うちのご先祖様たちさ。深山コンプレックスが生まれたのは江戸時代。そんときは深山藩だった。それからずっと、この町の人間が守ってきたんだよ」


 波留は息を呑んだ。江戸時代から? 深山コンプレックスにそんな長い歴史があったなんて、彼は知らなかった。


「じゃあ、この町の人たちは皆……」


「そうさ。みんな守護者の子孫なんだよ。代々、深山コンプレックスの秘密を守り続けてきたんだ」


 おばあさんの声には、誇りと懐かしさが混じっている。波留は、自分たちが知らなかった奥多摩の歴史に、圧倒されていた。


「すごい……そんな歴史があったなんて」


 波留の声は、感嘆に満ちていた。おばあさんは、優しく微笑んだ。


「そうさ。だから、あんたたちが勝手に公表しちまったもんだから、みんな必死になって守ってるのさ。記者たちを追い返すのも、深山コンプレックスを守るためなんだよ」


 波留は複雑な思いに駆られた。異世界管理局の存在を公表したことは正しかったのか。この町の人々の思いを踏みにじってしまったのではないか。


「すみません。僕たち、こんな事情も知らずに……」


 おばあさんは、優しく手を振った。


「いいんだよ。時代は変わるもんさ。ただ、急激な変化は良くないってことだけは覚えておきな」


 波留は深く頷いた。この町の人々の思い、長い歴史。それらを胸に刻みながら、彼は店を後にした。


 外に出ると、初夏の陽射しが波留の頬を優しく照らす。彼は深呼吸をして、奥多摩の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


(守護者か……)


 その言葉が、彼の心に深く刻まれていった。


ばあちゃんきっと波留くんをおどかしてるんですよ!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ