第1話 初登庁
難関大学を卒業したばかりの桐生波留は、新卒採用者として、これから始まる官僚生活に期待と不安を抱いていた。
彼は頭一つ高い高身長に、整った顔立ち、茶髪のロン毛という外見で周囲の目を引いている。
外務省のエレベーターに乗った瞬間、自分の派手な青のスーツが場違いだと気づいた。今の姿は明らかに場にそぐわない。周囲の新人たちは皆、黒や紺の地味なスーツに身を包み、真面目そうな表情で立っている。
「よっす!」
場を和ませるため、軽く手を上げながら挨拶をする波留に、周囲の新人たちは怪訝な表情を浮かべる。すぐとなりの新人男性が冷ややかな声を投げかけた。
「おい、ここがホストクラブじゃないことは分かってるよな?」
波留は気にせず肩をすくめる。しかし、内心では少し動揺していた。
(やばいかな、このスーツ……)
そんな不安が頭をよぎった。
エレベーターからでると、突然声をかけられた。
「桐生波留さんですね」
振り返ると、人事部の職員らしき中年男性が立っていた。波留は慌てて返事をする。
「はい、そうっす」
「君の配属先だが、総合外交政策局ではない」
その言葉に、波留の表情が凍りついた。
「エッ? ちょ、ちょっと待ってください。俺、一応主席で……」
その言葉に、中年男性が目の色を変えた。
「ああ、いるいる、そういう新人。勉強ができるイコール仕事もできる理論。それクソ間違ってるからな? 早急に考えを改めろ。落ちぶれる前に」
「うおっ!?」
動揺する波留をみて、咳払いをひとつ。職員は淡々と続ける。
「詳細は言えないが、君は特別な部署への配属となる。これから奥多摩駅に向かってくれ。そこに支部があるからさ」
「奥多摩!? あの山奥っすか?」
困惑する波留に、職員は小声で付け加えた。
「君の未来がかかっている。行くんだ」
波留の心臓が高鳴った。不安と好奇心が入り混じる中、彼は言われるがままに外務省を後にした。
*
霞が関から何度も電車を乗り継ぎ、ようやく奥多摩駅に到着した波留は、ホームを降りた瞬間、都会育ちの自分を戸惑わせる田舎の空気を感じた。
(マジかよ……ここが俺の勤務地になるのか? 通勤時間ヤバくね?)
駅前に立つ波留の周囲には山々が迫り、緑に囲まれた小さな町並みが広がっている。時折通り過ぎる地元の人々が、スーツ姿の彼を不思議そうに見つめていた。
「で、これからどうすれば……」
波留がポケットから携帯を取り出そうとした瞬間だった。ボロボロの軽自動車が、けたたましい音を立てて駅前に滑り込んできた。運転席から降りてきたのは、スーツ姿だが、首に刺青が見え隠れする巨漢。波留よりも高身長で、がっしりとした体格。目つきは鋭く、全身から威圧感が漂っている。その男が、波留をじっと見つめていた。
(やべっ、ヤクザだ!?)
波留は本能的に身構えた。男は波留に向かってゆっくりと歩み寄ってくる。
「お前が桐生か?」
「いや、違います! 人違いっす!」
波留は慌てて否定し、その場を立ち去ろうとする。しかし男の豪腕が波留の肩を掴んだ。
「嘘つくんじゃねぇ。乗れ」
抵抗する間もなく、波留は軽自動車に押し込められた。車内に漂う独特の匂いに、波留は眉をひそめる。
「どこ連れてくんすか!? 誘拐っすか!?」
運転席に座った男は答えない。エンジンをかけ、車は山道へと向かっていく。波留の心臓は激しく鼓動を打ち続けていた。
車は舗装されていない砂利道に入った。窓の外には鬱蒼とした森が広がっている。
(マジで、ヤバいところに連れて行かれるんじゃ……)
波留の頭の中は不安で一杯だった。しかし、同時に奇妙な高揚感も感じている。本庁の職員から聞いた「特別な部署への配属」という言葉が彼の胸の内で踊っているからだ。
「もう知ってると思うっすけど、俺、桐生波留っす。名前聞いても?」
運転する男は見た目が三十代後半。彼なりに気を使って話しかけてみる。
「鬼塚だ」
そっけない返事。しかし、波留は会話を続けようとした。
「鬼塚さん、俺をどこに……」
言葉が途切れた。視界が開け、金網と鉄条網で囲まれた広大な広場が現れたのだ。その中央には、自衛隊員が警備する巨大な鉄柵の門がそびえ立っていた。
鉄柵の門をくぐり抜けると、想像を絶する光景が広がっていた。
「うわ……」
思わず声が漏れる。目の前には立派な三棟の建物が並んでいる。しかし、よく見ると一棟だけが時々ぼやけて、別の次元にめり込んでいくような不思議な現象が起きていた。
「なんだこれ……」
混乱する波留。さらに驚くべきことに、建物の向こう側には巨大な空洞が広がっていた。山を丸々くり抜いたかのような規模だ。
その中で、青白い光を放つ何かや、異様な姿の生き物と戦う人々の姿がちらりと見えた。
「夢でも見てんのか、俺……」
「ここは『深山コンプレックス』だ。あれは大規模訓練施設『無限演習場』だ。お前もあそこで訓練することになる。死なないようにな」
鬼塚の不吉な物言いに、波留の背筋に冷たいものが走った。
*
鬼塚に連れられ、中央の建物に入る。エレベーターで最上階に向かうと、「局長室」と書かれた扉の前に立った。
「入れ」
鬼塚に促され、波留は恐る恐る扉を開ける。
部屋に入ると、威厳のある雰囲気を纏った中年の男性が座っていた。和服姿で、長い黒髪を後ろで一本に結んでいる。
「ようこそ、異世界管理局へ。私が局長の鴨居陽炎だ」
「いせかい……かんりきょく?」
波留の頭の中が真っ白になる。
「詳しい説明は追って行う。君を迎えられて光栄だ」
鴨居の口調は丁寧だが、その目は鋭く波留を見つめていた。
「あの、すみません。これって……本当に外務省の仕事なんすか?」
「ああ、極秘の特殊部門だ。日本と異世界の架け橋となる重要な仕事だよ」
混乱と期待が入り混じる中、波留はただ頷くことしかできなかった。
*
局長室を後にした波留は、鬼塚に連れられ地下の訓練室へと向かった。扉を開けると、そこには想像を絶する光景が広がっていた。
広大な地下空間には、様々な訓練設備が効率よく配置されていた。中央には大きな八角形のリングがあり、その周囲にはサンドバッグやウェイトトレーニング用の機器が並んでいる。一角には畳が敷き詰められた柔道場のようなスペースもあった。天井は高く、壁には鏡が張られ、広々とした空間だった。
透き通るような美しい銀髪の青年が、テレポートでもするかのように空間を移動している。その傍らでは、赤い瞳をした妖艶な雰囲気の女性が、指先から炎を操っていた。
部屋の隅では、ポニーテールの凛々しい女性が、目にも止まらぬ速さで武器を操作。そして、明るい笑顔の少女が異世界の言葉らしき呪文を唱えている。
「うわ……」
圧倒される波留。しかし、同時に胸の高鳴りを感じていた。
「お前も、ここで訓練だ。ちょっとリングに上がれ」
鬼塚の言葉に、波留は我に返る。
「えっ、僕が!? 無理っしょ」
「仕事だ。黙って言うとおりにしろ」
そう言うと、鬼塚はスーツ姿のままリングに上がり、構えを取った。
逃げられないと思った波留は慌ててリングに上がって身構える。
「いくぞ」
鬼塚の姿勢が一変した。スーツの下の筋肉が凝縮されていく。前傾姿勢で重心を落とし、両腕を顔の前で構え、左右に軽やかなステップを踏む。その動きは洗練された素手のボクシングスタイルそのもの。鋭い眼光で波留を捉え、微細な体の揺らぎで絶妙なフェイントを仕掛けていく。
波留の目に、鬼塚の姿が残像となって広がり、やがて完全に視界から消えた。次の瞬間、波留の意識に異変が起きた。
(なんだこれ……)
鬼塚の動きが、申請書のように視覚化される。「右ストレート申請」「左フック許可申請」など、次々と書類が頭の中に浮かび上がる。
「そんなもん却下!」
咄嗟に叫んだ波留は、スムーズに鬼塚の攻撃をかわした。
「なんだと!?」
鬼塚の驚きの声。波留は自分でも驚きながら、次々と繰り出される攻撃を華麗にかわしていく。
周囲の者たちも、訓練の手を止めてその光景を見つめていた。
*
「はぁ……はぁ……」
激しい攻防の末、波留は膝をつく。しかし、鬼塚のパンチをすべてかわし、顔には満足げな表情が浮かんでいた。
「お前……なかなかやるじゃねえか」
鬼塚が感心したように言う。他のメンバーも、興味深そうに波留を見つめている。
そこに、鴨居局長が現れた。
「君の能力が芽生えたようだね。『官僚的直感』か……面白い」
にやりと笑う鴨居。
「明日から本格的に訓練を始める。異世界と日本の未来は、君たち若い世代にかかっている」
波留は訳も分からず頷いた。明日からの仕事に、とてつもない不安を感じながら。