7話 ブリクストン街事件ー4
シャーロックは大きな門についた呼び鈴を鳴らした。よく見るとそのベルには魔法陣が書かれていて、すぐさま立派な白い髭を生やした老夫が敷地内の屋敷の玄関から飛び出してきて門を挟んで俺たちの前に立ったのを見るにどうやら前聞いた魔法鍵のようにもう一方の魔法陣の書かれたベルが中にあるようなタイプの魔法なのだろう。
「あれ? そう言えばこういうタイプの魔法って使うときに魔力消費しないのか? お前が使えるってことは?」
俺がそう言うとシャーロックは何も言わずに懐からラクリマを取り出した。
ああ、そういうこと。つまり俺たちはラクリマがなけりゃ碌に現代社会並みの便利魔法は使えないということか。
俺たちが話をしていると門の前の老夫がゴホンと咳をした。白い手袋をして眼鏡をかけており、とても落ち着いた印象を受けるその老夫は俺の方をチラリと見やったかと思うとシャーロックの方へと向きなおり大きく頭を下げた。
「シャーロック・ホームズ殿、先の件では旦那様が大変お世話になりました。して今回はなぜ貴方様からお尋ねに?」
先の件、どうやらシャーロックは俺と出会う前にここの貴族と出会っていたようだ。探偵業の一環か、それとも他の何かか、それはわからないがそれで目星がついていたのだろう。
シャーロックが中で詳しく話すと言うと門が開き豪華な庭園が顔を見せた。彼女は特に臆することなく屋敷へ続く石畳を歩いて行くが俺は本物の貴族の家を前にして少しばかり足がすくんでしまっていた。
「ところで貴方はホームズ殿とはどのような関係で?」
老夫が俺にそう問いかけてきた。
「あの、ええと……」
「助手だよ! つい昨日雇った!」
もうすでに屋敷の前までたどり着いていたシャーロックが声を大きくしてそう答えた。
「そうでございましたか。申し遅れました。わたくし、スタンガスン卿の執事長を務めております、ハロゲン・ウィリアムズと申します。以後お見知り置きを」
「ジオン・ワトムラっす。よろしくおねがいします」
「ワトムラ殿ですな」
「何をしてるんだワトソン君!? 早くこっちに来たまえ!」
シャーロックにそう言われて俺は急いでそのバカに大きな屋敷へ足を踏み入れた。
屋敷に入るとすぐにそばにいたメイドが頭を下げた。青く長い髪は清楚を表すように美しく艶やかでホウキを持つ手は白く少し弱々しい印象を与える。
俺がそのメイドに見惚れていると前に見える階段を2階からゆっくりと降りてくる太った男の姿が見えた。
「やあやあ、ホームズ殿、先日は実に世話になった!」
男の声は大きく耳障りだった。遠慮が感じられずいかにもくらいの高い貴族といった態度でシャーロックと俺の方を見やり、階段を下りきるとシャーロックの手を握った。
「こちらこそほんの少しではありますが楽しめましたよ」
「それはよかった。して、そちらの御仁は?」
「つい昨日見つけた助手です、ジオン・ワトムラ。ボクは呼びずらいのでワトソンと呼んでいますが」
「ジオンくんだね。どうも、ボクはドルトリー・スタンガスン。この街で1番の貴族だよ。領地経営を主な営みとしている」
俺は差し出された手を握り数度縦に振った。
「おい、エレニア! 何をぼさっとしている! 手を動かせこの能無し!」
「も、申し訳ございません、旦那様」
「すまんねー、うちのメイドは本当に使えないものが多い。全く目障りでかなわんよ。さあ、用件は応接室で聞きましょう」
スタンガスン卿はそのまま重そうな体を動かして一階の奥の部屋へと俺たちを案内した。少し遅れてハロゲンさんが部屋に入ってきて扉を閉める。
「此度は何故私を訪ねてきたのですかな?」
シャーロックはその問いに対して今回の事件のこと、そしてスタンガスン卿もその復讐の目標であることを伝えた。
「そういうことでしたか。すみませんな、ホームズ殿は私を心配してお越しになったようだがその心配はいらない。なぜならこの屋敷には充分なほどの使用人たちがおりますし、私の部屋には防御魔法が敷いてあります。高々1人の人間で私や家族を殺すことなど不可能ですよ」
「前にあなたが依頼した消えた使用人達の捜索、あの失踪は間違いなく今回の事件につながっている。屋敷から出ないあなたに復讐を遂げるためにこの屋敷の構造や侵入法を聞き出したんだ」
真剣な表情でシャーロックはそう言ったがスタンガスン卿が気に留めるような様子はなく逆にその顔にはいら立ちが感じられた。
「しつこいですな、心配ご無用と言っているでしょ。私の使用人が私の不利益となるのは非常に腹立たしいですがね。さあ、もう用は済んだのだからお引き取り願いましょうか。今夜はこの屋敷で商談相手たちを招いてパーティをする予定でしてね」
「ちょっと、そりゃああんまりじゃないっすか? せっかくこっちが心配してやってんのに!」
腹が立って俺は偉そうにふんぞり返るスタンガスン卿にそう言った。しかしその言葉に反応するそぶりすらないと見えて俺はさらにムカついた。
こいつ、典型的な高飛車貴族だな。こんな奴助ける価値ねえだろ。どうせ死ぬんだしもっと言ってやる。
と俺が暴言を吐こうとするとシャーロックが制止した。
「いいよ、ワトソン君。あなたがそういうならばもう何も言いません。ではボクたちは失礼します」
少し前から思っていたがシャーロックは礼節はしっかりとわきまえている。初めて会うものには丁寧な対応をするし、煽るようなこともない。俺よりよっぽど大人びている。
「ああ、最後に一つよろしいですか?」
「なんでしょう、ホームズ殿?」
「人を殺すのは凶器でも毒物でもなく、その人の性状ですよ。それでは」
訂正、やっぱりこいつはガキだ。
俺はハロゲンさんにお辞儀をしてシャーロックに続いて部屋を出た。
「そう言えばさっき言ってた失踪ってやつは何だ?」
「一週間ほど前だったか。あの阿呆から依頼があったんだよ、一か月ほど前から雇っている使用人たちが数名姿を消しているとね」
「ほう」
「最初は誘拐事件だと思っていたがそれにしては被害者の家がまるで準備でもされていたかのようにきれいさっぱりもぬけの殻になっていた。最終的に最後にいなくなった1人以外は見つけたんだが皆辞表を出すのを忘れたというのみ」
「そいつらが嘘をついてほかに何かしてたかもしれないってことか?」
シャーロックは無言でコクリとうなずくと訂正するようにこう言った。
「勘違いしないでくれたまえ。もちろん時間があれば追求した! だがロンディニウムで早急に終わらせなければいけない雑事があったのだ!」
俺は別に何も言っていないわけだが、シャーロックからしてみれば一つの謎を見落としたなどと思われたくはないのだろう。
「ドレッバ―卿のメイドもどこかに消えた。がスタンガスン卿の使用人たちを殺さず生かしていたなかなかに筋の通った奴らだ。なくなっていた金品はメイドに渡し逃げるようにでも行ったのだろうな」
「お前はメイドも生きてるって確信してるんだな」
「まあね。殺すのなら宿屋で殺さない理由がない」
「それで、これからどうするんだ?」
「とりあえずスタンガスンの言っていたパーティーが始まるまでは特にやることはない。犯人は必ずそのパーティーを狙う。ボクはそれまでカフェで優雅に読書でもしているよ」
となると俺はどうしたものか。別に俺1人でできることもないだろうしなあ。
「あ、そうだ。そのラクリマ貸してくれよ。俺も魔法を使ってみたい」
「それならこれも持っていくといい」
シャーロックはバッグから一冊の本を取り出した。その本の表紙には”魔道入門”と書かれており文庫本ほどの大きさがあった。
「基本的な魔法の解説と魔法陣の書き方が書かれている。君にぴったりの1冊だ」
「ありがとう!」
「気を付けたまえ、いっても夜まであと3時間ほどだ。夜の7時にあの屋敷の前で集合だよ?」
俺はおう、と軽く挨拶をしてカフェへと向かうシャーロックを見送った。