About Sherlock Holmes
十数分歩いたのちにたどり着いたのは日本だと言われてもあまり違和感を覚えないほどの閑静な住宅街だった。ただ住宅街と言っても立ち並んでいるのは3,4階建てのアパートのようなもので、代わり映えがなく機械的な雰囲気を覚える。
シャーロックはそのうちの221という立札の立てられた建物の前に立ち止まると入り口へと続く階段を上りドアを開ける。
「さあ、ボクの事務所はここの2階、B室だ」
俺の方へ振り向いてそう言うとシャーロックは人差し指をクイと動かし俺を招き、また建物の中の階段を上り始める。
建物の内装も特に不思議なところはなく、全くと言っていいほど異世界の様相は感じられない。木でできた階段はところどころ傷がつき光沢が剥がれ、壁紙は白く階段の途中にある窓からは陽気な光が差し込んでいる。どこにでもあるようなデザインだ。
「なあ、正直俺の思ってた異世界とはだいぶ違うんだけどさ、この世界ってどんな感じなの?」
シャーロックはBという表札のかかった扉を開けながらうーん、と悩むような声を上げた。
「随分と曖昧な質問をするね。なんだろうな、外壁に覆われた街は魔法や化学を謳歌し、その外の集落は魔獣と隣り合わせ。なのに国は領土争いでそういう格差を解決しようとはしない。街とその外とで文明のレベルに大きな差がある世界、とでも言っておこうか」
「なるほどねぇ」
この近世的な雰囲気は街の中だけってことか。ってことは外は結構、異世界然とした感じなのかも。
部屋に入りまず俺たちを出迎えたのは部屋のど真ん中に置かれた長いテーブルだった。その机上にはシャーロック・ホームズと異世界の言葉で綴られた名札に羽ペン、その他雑多な置物がある。
奥の壁には暖炉が設置され、その中には丸い水晶、おそらくさっき言っていたマテリアルがポツンと置いてある。窓を挟み横の壁にはパンパンに本が敷き詰められた本棚がいくつか並べられていて少女が読書家であることを物語っていた。
左右には2つの扉があり左方の部屋には特に目立った装飾はなく簡素なベッドと木製の勉強机のようなものが置いてあり、反対の部屋はホコリまみれで物置部屋の様相を呈していた。
シャーロックは、とりあえず座りたまえ、と言って中央の部屋の椅子に俺を座らせ、自分は暖炉側の大きな椅子に座った。
「さあ、色々と聞きたいことはあるが、まずは正式に自己紹介しよう。ボクはシャーロック・ホームズ。アルビオン王国の首都、この城壁都市ロンデアのベイカー街に住んでいる探偵だ」
机に肘をつきながらシャーロックは尚も話を続ける。
「歳は17歳。数ヶ月前まで教会の孤児院で生活していた」
「孤児院? お前、親はいないのか?」
と、俺は言ったことを後悔した。流石にデリカシーがなく傷つけてしまったか、と思ったが別にシャーロックは何も気にしないような雰囲気で答えた。
「知らないね。ボクの記憶がある時にはすでに教会の神父やシスターと生活していた。おおかた死んだかボクを捨てて別の街へ逃げたりでもしたのだろう」
「……なんかまるで他人事だな?」
「事実他人事さ。親だろうが自分の記憶にすらいない人間のことを考えたって仕方ないからね」
心配して損した。まさに天才のドライさを感じる。
「教会を出る時モリア神父から探偵業を始めるための資金をもらって今こうやって探偵として生活できている。まあ、まだ探偵らしくない仕事しかできていないが」
俺からしてみればかなり波乱、だがこの世界ではこれぐらい普通なのかもしれないと考え少し恐怖を覚える。
「さ、ボクのことは話した、次は君の番だ。君の世界の科学はどのようなものなんだい!? 魔法なしでどこまでできる? 列車は? 飛空艇は? 空間転移や時空転移は可能なのかい!?」
まるで子供のように目を輝かせるシャーロックに俺は少し気圧される。
「列車とか飛行機とかならあるけど、そんなどこでもドアとかタイムマシンはないなあ」
「どこでもドアというのはよくわからんが、でもすごい! 魔法なしで人を運べる物体を浮かせるなんて! やはり揚力とかを活用するのか? しかしそれだけでは流石に無理だろうし相当なエネルギーが必要に……」
これは、かなり長くなりそうだなぁ。どうしたものか。別に教えてやるのはやぶさかではないが俺だって魔法のことについて色々聞きたいし……。
「なあ、俺に質問するのもいいが俺だってこの世界や魔法について知りたいんだけど?」
「じゃあお互いに一つずつ質問していこうじゃないか。それならフェアだろ?」
「よし、じゃあ次は俺だな。まずは……、そうだ、さっきのエーテルってやつがなんなのか聞きたい」
「なるほど、エーテルとはこの世界を満たす見えないエネルギー、魔法の素となるものだよ。魔獣やエルフ、ドワーフなどの半人、リザードマンやマーメイドなどの獣人みたいにほとんどの種族はエーテルを直接魔法に変えることができるが、人間はそれができない。そのために君の腕についてるマテリアルみたいなものが必要なんだ」
「じゃあこのマテリア……」
「おっと次はボクの番だ。異世界から来たというがどうやってきたんだい? それこそ転移装置のようなものじゃないのか?」
質問に対し俺はどうやってこの世界に来たのかの経緯をざっと説明する。
「ふむ、つまり転生というわけか。不可解だな、転生自体は禁術として話には聞いたことはあるが異世界からの転生は聞いたことがない」
「転生自体はあるんだな」
「それも噂程度の話だがね」
「じゃあ今度こそ、マテリアルってなんだ?」
「マテリアルは天然に産出する結晶さ。エーテルのエネルギーを魔法へと変換することができる特殊な性質を持っていて、高純度であるほど強力な魔法を行使することができる。それと結晶の色によって使える属性が異なっていて、例えば暖炉にある赤いやつなんかは火属性のマテリアルだ。ちなみに君の持つそのマルチマテリアルはちょっと特殊で無色、どんな属性系統の魔法も使える。純度は40〜50%ってところだから中級マテリアルだね」
「へぇー。シャーロックは持ってないのか、マルチマテリアル?」
「持っていても意味がない。残念だがボクは魔法が使えないんだ」
俺は驚いて椅子から身を乗り出した。
まじかよ、こんな雰囲気だからてっきり魔法の達人なんだとばかり思っていたが……。
「さっき人間は魔法を使えないと言ったろう? あれはエーテルを魔法に変換できないという意味でエーテルを体に取り込むことはできるんだ。ただ、その量には個人差がある。魔力というのだが、それがボクは限りなくゼロに近い」
なるほどだから、魔法の使える助手を募集してたわけだ。
「おっと、つい2つ目の質問にも答えてしまった。まあ君の世界の話はおいおい聞くとして最後の質問としよう。ワトソン君が異世界からきた人間ということはよくわかった。だとすると一つ解せない。なぜボクのことを知っていた?」
「ああ、実は俺がいた世界にはシャーロック・ホームズっていう探偵の小説があるんだ。もちろんフィクションで実在しないはずだったんだけどな」
何気ない質問だと雑談のように答えたがどうやらそうではなかったらしい。シャーロックは俺の答えを聞き鋭い目で一点を見つめる。
たまらずなぜそんな真剣な表情をするのかと問いかけるとシャーロックは立ち上がり壁に寄りかかる。
「たまたま別世界の小説の探偵の名前がこの世界の実在の探偵と同じなんてことがあると思うかい?」
「何が言いたい?」
「ボクのことを知るこの世界の人間が異世界へと行きその小説を書いた、ということがあってもおかしくはないということだよ」
「!? 俺以外に異世界転生した奴がいるって?」
「転生とは限らないけど、二つの世界を自由に行き来することができる人間がいるかもしれない」
まさか。地球上にそんな奴がいたら一大センセーショナルだぞ。隠せるものなのか? それにシャーロックの推理が正しいとして目的は一体……。
シャーロックの顔をふと見ると何かに怯えているような表情だった。だが俺の方を見るとすぐにニコリと笑いまた椅子に座る。
「まあ、正直何の確証もない。そんなことに悩んでも仕方ないだろう」
そう言うとシャーロックは手を前に出す。
「これからよろしく頼むよ、ワトソン君」
俺は差し出された手を握り縦に振る。
「ああ、この世界のこといろいろ教えてくれよ、名探偵」
俺の想像していたのとは全く異なる異世界。それに少しがっかりしたところもあるがこの世界はこの世界で面白いことがたくさんありそうだ。
少し口角が上がるのを感じつつ俺はこの世界で体験する様々な出来事を想像し、期待を膨らませるのだった。
シャーロキアンの方にはホームズはこんなんじゃない!というご意見いただけたら嬉しいです。
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