第9話:本番前
その後──。
何事もなく時は過ぎていき、リハーサルは問題なく終わってしまった。
犠牲も何もなかったのは喜ばしいことではあるが、予想通り本番に攻撃を受けることになるならば、それは喜ばしくないことである。
「今回の作戦は失敗だねぇ。」
「ですね。公演1日目、ゴールデンウィーク初日が勝負になると思います。とは言っても、警戒を怠ることはできませんが。」
珠羅は口を尖らせる。
「やるって言いましたけど、大事なステージを邪魔されたくないです。お兄ちゃんたち、何とかならないかな?」
「任せろ!!」
レオとジャックが声を揃えて力強く頷く。
「本番前にファミリー総出で捕まえてみせるからな!!」
それが難しいから今回の作戦に出たわけだけど……。
伶はそう思ったが口には出さなかった。
そもそも、雇われた殺し屋も当日までは近辺はおろか、東京にすらいないのでは?
「それじゃあ夕桔。公演当日もここに来て。スタッフの一員として、警備を担当してもらうから。」
「うん。それまでは何もしなくていいの?」
ホーキング兄弟の方をチラリと見てから伶は頷いた。
「人海戦術はバード・ファミリーに任せるよ。当日の動きとか配置は私と同志【蜻蛉】で考えておくから、それまでは体力を温存しといて。」
「分かった。」と夕桔が返事をした後、紗世はパンと手を叩いた。
「さて、今日やることは終わったことだし、解散としますか。お疲れ様。」
それから──。
夕桔は普通の学生の如く昼は学校に通い、夜は家で動画を見たりして大人しく過ごした。本当は怪盗としての活動もした方が良いのだが、大仕事の前に行動するのは色々とリスクが大きいと判断した。
ゴールデンウィークが迫ってくるにつれて、学校の雰囲気もまるで祭りを目前に控えたかのような活気づいたものとなっていった。
そんな中でも夕桔は変わらなかった。教室で誰かと話すことはなく、偶に青葉と会話する程度であった。
そして大型連休まで後数日となった日の放課後、教室を出ようとする夕桔に声を掛ける男子が現れた。
「ふ、二ツ森さん。ちょっと話、いいかな?」
「え?えっと……なに?」
少し戸惑いながらも立ち止まり、話を聞くことにした。
……誰だっけ?
緊張した面持ちのその男子を見つめながら、記憶を掘り起こす。
クラスメイトじゃない……よね?見たことない顔な気がする。でも他のクラスの人だとして、何か接点あったっけ?
男子は暫し黙った後、意を決した顔つきになり、スマホの画面を見せてきた。
「俺さ、当たったんだ。ミラ・ホーキングのステージ!東京公演の初日!」
「おー……それはすごいね。」
珠羅は世界中で大人気って話だし、応募の数も凄まじかったはずだ。そんな中で当選するとはかなりの強運の持ち主だ。
「それでさ、チケット2人分で申し込んだんだ。だからその……二ツ森さん、良かったら一緒に行かない?」
教室のドア付近で行われた突然の誘いに、残る生徒たちはざわついた。
しかも誘っている男子は、夕桔が知らないだけで野球部の次期エースと称される学年の有名人、西東である。
「……ごめん。その日、用事があるから。」
スタッフ側として当日は行動する以上、客側に立つ時間は存在しない。
しかし夕桔のそんな事情を知る由もない西東はがっくりと肩を落とした。
「そ、そっか……じゃあ……仕方ないか……。」
とぼとぼと去っていく背中を見つめ、悪いことをしてしまったと夕桔は多少なりとも心を痛めた。
けれど見知らぬ男子よりも、知り合った珠羅のことの方が大切だ。それにそちらは仕事でもある。
「フン……あの西東くんを振るとかありえなくない?」
「ね。調子乗ってるよね。」
周りに聞こえない声量で、一部始終を見ていた夕桔のことが気に入らない女子グループが文句を呟いた。
その声は夕桔の耳には届かないものの、嫌な雰囲気を感じ取った夕桔は、気付かないフリをして教室を出た。
「へぇ……そんなことが。良かったじゃないですか。」
「良い話をしたわけじゃないんだけど……。」
家に帰った夕桔は、同居人である花時丸栞里に帰り際にあった出来事を話した。
深い理由は特にない。何となく、その日あった出来事を話してみようと思っただけだった。
「それよりほら、用意しときましたよ。」
関心がないのか、栞里は夕桔の言葉に反応を示さず小さな箱を取り出した。
開けると大き目なワイヤレスイヤホンが入っていた。
「当日はそれを片耳には着けてください。私が監視カメラの映像を見て、指示を出したりします。それと、中央に付いているボタンを押している間、夕桔の声が私に聞こえる仕組みになっています。何かあれば連絡してください。」
「ありがとう花時丸ちゃん!」
両腕を広げてハグする姿勢を取る夕桔に対し、栞里は鬱陶しそうな表情を浮かべながら距離を取るようにその胸を軽く押した。
「そういうの、別にいいです。」
「つれないなぁ。」
おどけてみせるも、栞里の表情は変わらない。
「──例の組織からの直々の依頼なんですよね?」
「うん。それと、バード・ファミリーからのね。」
じゃれ合うのはここまで、と言わんばかりに真面目な顔つきになる。
「今まで私たちがやってきた単体での活動と違って、かなり大きな仕事になります。しっかり働いて、がっぽり稼いできてください。」
「お金の為だけじゃないけど……そうだね。依頼されたからには、こなしてみせるよ。」
ニッと笑ってみせ、次いで身体を伸ばす。
さてと、身体が鈍らないように軽く運動するか。
何の知らせもなく時間が過ぎていく。
伶は会場の地図を眺めながら手を伸ばし、ビスケットを咥える。
海外から取り寄せている、まるで石のようだと評判のビスケットだ。齧るにも一苦労しそうなほどの硬度だが、長く味わえると気に入っている。
喫煙者にとっての煙草のようなものだ。
いよいよ明日か……。
入場口での手荷物検査、及び会場内の警備はバード・ファミリーの配下が行う。著名人のイベントだけあって、日本の警察もある程度警戒にあたってくれるが、事情を知らせるわけにいかない以上、過度な期待は出来ない。
会場内は警備網がしっかりしている。凶器を持ち込んで直接、という線は薄い。
仮に私がミラを狙う立場なら、遠距離からの射撃という選択を採る。
「あの辺りは……。」
コーヒーを啜り、周辺の建物の情報を見る。
近隣に高層ビルは存在しない。誰にも見つからず狙撃出来るスポットはないが、見つかりづらい場所というものはいくつか存在する。
バード・ファミリーから人員を割いてもらって、狙撃可能なスポットに最低1人、配置してもらうか。どこまで警戒するか、どこで妥協するか……。
Xデーが迫ってきた。
やることはいつもと変わらない。ターゲットがいつもよりも大物なだけだ。
「しっかし……依頼主様はどこまで知ってるんだか。」
世界的に有名なダンサー──ミラ・ホーキング。
本名──珠羅・グレイス・ホーキング。
スコットランドのマフィア──バード・ファミリーの長女。
「……いや、何も知らないからこそ、か。」
依頼が罠の可能性は当然、常に疑っている。それ故、依頼人の素性は洗うわけだが、その中に怪しい部分はなかった。つまり今回の件は、単なる私怨ということになる。
それで大スターの命を狙えってんだがら、ご機嫌なモンだ。
まぁ金が支払われれば、事情も何も関係ない。
プロのプライドにかけて成功させるだけだ。
各々の思考・思惑が交差し、東京公演・初日を迎える──。
「……。」
早朝。
夕桔はベッドに横になったまま、肌身離さず着けているペンダントを手の中で転がす。
勘でしかないけど今日、この力を必要とする気がする。
だけど人前で、特に伶たちの前で変身することは出来ない。
重要なのは立ち回り方だ。
「……起きよ。」
家の中に窓はほとんどないから真っ暗に近い。自室の窓から見えた外はまだ薄暗かったから、仮に普通の家のように窓があったとしても、明るさに変わりはないと思うけど。
花時丸ちゃんはまだ寝てるだろう。
彼女の中に昼夜の感覚は殆どない。けれど夜更かししてるイメージは強いから、きっと昨日も……時刻だけで言うと今日もそうだろう。
とは言えまぁ、仕事前には起きてくれるだろう。
余計な音を立てないよう動き、シャワーを浴びる。
さっぱりしたらタオルを被ったまま台所へと向かい、テキトーに食べるものを選ぶ。
食べながら何となく、スマホを触る。
ニュースのサイトを覗いてみると、今日から始まる珠羅の話題でいっぱいだ。
みんなが楽しみにしているんだ。それをよく分かんないヤツの思惑で壊されていいはずが、珠羅が殺されていいはずがない。
「……ごちそうさま。」
いただきますは言ってないけど、締めの言葉だけ口にした。
「まだ早いけど……行くか。」
私服に着替えると栞里が用意してくれたイヤホンを持って家を出る。
陽の光が段々と眠る町を照らし出す頃合いだ。
普段だったら、絶対にこんな早く起きないな。
耳に届くのは、自分の小さな足音。それとどこからか聞こえる車やバイクが走る音。
そこにスマホの振動とその音が加わった。電話だ。
「もしもし?」
『おはよう、夕桔。寝てた?』
この声は伶だ。
「ううん。今、家を出たとこ。」
『へぇ……珍しく早起きだね。』
少しばかり、驚きを含んだ声音だ。
「なんか目が覚めちゃって。」
『そっか。けれど丁度良いかな。最寄り駅まで来て。夕桔を迎えに行こうと思っていたところだから。』
「あぁ……うん。分かった。」
現地集合でも別に構わないけど……。
意図は分からないけど、来るというのなら会いに行こう。
そう思って最寄り駅まで歩いたわけだけど……。
「おはよう。夕桔。」
「伶、おはよう……その車は?」
伶は駅前に停めてある車の横に立っていた。
「会社のだよ。私個人のものじゃない。」
「まぁ……そりゃあ、そうか……?」
迎えに来るってそういうことか。
そりゃあ伶はプロのスパイなわけだし、自動車の運転くらい出来るんだろう。一個上の先輩ってイメージも当然あるから、そっちに引っ張られただけで……。
「……あれ?伶の誕生日っていつだっけ?」
「2月だよ。ほら、乗って。続きは移動しながらにしようか。」
「分かった。」
私は助手席に座る。
隣の伶は慣れた手つきで運転を開始した。
「夕桔、スパイに一般常識を当てはめようだなんて野暮なこと、しないでね?」
「……うん。」
要は年齢を偽って、ということだろう。そもそも、正式な手順で免許を取っているかも怪しい。
早朝ということもあり、車はスイスイ進んでいく。
バスや電車を使って向かう予定だったから、ただ座っているだけで連れていってくれるのは有難い。
多分、公共交通機関の半分くらいの時間で先日訪れた会場へと到着した。
近くの駐車場へ車を停め、歩いてイベントテントへと向かう。準備は前日までで殆ど終わっているのか、この前みたいな慌ただしさは感じない。
そう思っていたら、入場口付近に並ぶ列があるのを見つけた。
「あれなに?」
「物販待ちかな?物販はステージの2時間前からやるらしいから。」
「ふーん……。」
確実に手に入れるために、こんなに早い時間から待っているのか。ファンの世界って大変なんだな。
「おっ。来たね。おはよう。伶ちゃん、夕桔ちゃん。」
「おはようございます。紗世さん。」
イベントテントの入り口で【蜻蛉】が待っていた。
それと、その横にスレンダー体形の女性がいた。
腰まで届きそうな長い髪。それをハーフサイドテールに結っている。
「海遥!会うの久しぶり!」
気付いた夕桔が駆け寄ると、海遥と呼ばれた女性は鬱陶しそうな表情を浮かべた。
「うっさい。朝っぱらからそんなテンションでいないでよ。」
夕桔を軽く止めつつ、伶は声を掛ける。
「来てくれてありがとう。今日はよろしくね。」
「そういう契約ってだけ。この私がわざわざ出向いてやってんだから、失敗は許さないわよ。まぁ仮に失敗したとしても、きちんと支払ってもらうけど。」
相変わらずだな。
そう思いながら伶は頷く。
「分かってる。でも、やるからには成功させよう。」
「当然。手を抜くのは許さないわ。」
ピリピリした子だなぁ……。
紗世はそう思った。
ツンツンしてるなぁ……いつもながら。
夕桔はそう思った。
「さてさて、これで日本の戦力は集結したってわけだ。」
紗世はパンと手を叩く。
「時間も良い頃合いだし行こうか。伶ちゃん、夕桔ちゃん、海遥ちゃん。バード・ファミリーと合流しよう。」
東京公演・初日──。
──開場の時刻が迫る。