第8話:影武者とステージ
翌朝──。
夕桔は都内に位置する公園へとやって来た。
普段は広いだけの空間だが、イベントが行われる際に屋台やステージが設営される、いわゆる野外ステージである。
珠羅が踊るステージは既に設営されており、その隣に大きなイベントテントがあった。
ここかな……。
朝にここに来てほしいと言われただけで、具体的にどこに行けば良いかまでは聞いていない。が、他に人がいそうな場所は見当たらない。
「おはようございまーす……。」
近付くと知らない人たちがバタバタと動き回っていた。多分、イベント関係のスタッフだろう。何となく気まずくて、小声で挨拶して中に入る。
「おはよう。夕桔。」
中では伶が待っていてくれていた。
今日のファッションは他のスタッフも着ている黒いTシャツに長ズボンだ。シンプルな恰好だけど、スタイルが良いからかオシャレに見える。
「伶、おはよう。何すればいいの?」
「楽屋で説明するよ。ついてきて。」
伶の背中をついていく。周りのスタッフたちは紙を持って何かを確認し合ったり、椅子やステージで使うであろう道具を持って動き回っている。
一言で表すなら、忙しない。
「何でこんなにバタバタしてるの?」
「急ピッチで設営を始めたから、かな?私が出した案が主な原因で申し訳ないんだけどね。」
昨日言っていた、影武者でどうこうするって話のことだろう。
「さぁ、ここだよ。」
【ミラ・ホーキング様】と張り紙がしてあるドアの前で伶は止まった。
というかこのテント、テントというよりは小屋というか、簡易的な建物って言った方がしっくりする作りだ。
扉を開けると、中にいたのは4人の人物。
バード・ファミリーの3人。
長男のレオに次男のジャック、そして今回の主役であり殺害予告を受けた当事者でもある珠羅。
もう1人は……誰だろう?
長い髪の小柄な女性。珠羅よりも少し小さく見える。中学生……小学生?
スタッフではなさそうだから、演者かな?
私たちが入ってきたことに気付いた女性はこちらに歩いてきて、色んな角度から覗くように見てくる。
「……ふんふん、君が夕桔ちゃんだよね?伶ちゃんから聞いていた通り、美人さんだねぇ。」
「……伶、この子は?」
独特な雰囲気を持っている、という第一印象を受けた。
他にも気になることは色々あるけれど、とりあえず伶に助け舟を求める。
「彼女は同志【蜻蛉】。私の先輩だよ。仕事の多くは彼女から教わったんだ。」
「やぁやぁ、本名は花山院紗世だ。よろしくね?夕桔ちゃん。」
「よ、よろしく……?」
握手を交わすも混乱する。
先輩?この小さい人が?伶の?
「……ちなみに、年齢を聞いても?」
「ふっふっふ。それは秘密だよ、夕桔ちゃん。お酒が飲める年齢とだけ言っておこうか。極力飲まないけどね。」
……ますます混乱しそうだ。
「ユキ先輩、おはようございます!来てくれて嬉しいです!」
珠羅が元気に挨拶してくれたおかげで頭が切り替わった。
「おはよう、珠羅。」
これから何かするというのに、ここで悩んでいても仕方がない。
この紗世さん……?の話は一旦置いておこう。
「──さて、そろそろ本題に入ろうか。」
腕を組んで座っていたレオが立ち上がった。背が高く低い声の彼が喋ると自然と視線が集まる。
兄妹なのに珠羅だけ小っちゃいんだな。と夕桔は一瞬、そんなどうでもいいことを思った。
「もう少ししたらリハーサルの時間だ。今日、ここでミラのリハーサルを行うことは業界の関係者に伝えてある。」
レオから目線を受け、伶は頷き口を開く。
「バード・ファミリーに協力していただき、音楽業界やマスメディアにリハーサルの日程をリークしてある。殺害予告者がそこから嗅ぎ付けてくる可能性は充分にある。……というより、来てくれれば楽なんだけどね。」
昨日、話していた作戦のことだ。
あくまで可能性の1つとして、内通者がいるかもしれない。もしいたとして、それを捜すのには時間がかかる。それなら利用してしまおうという話だ。
「当然、ミラ本人を囮として危険に晒すわけにはいかない。そこで変装・潜入技術に長けた同志【蜻蛉】に協力してもらう。」
「身長もほとんど一緒だからね。まぁ任せてくれたまえよ。」
伶は説明を続ける。
「ミラに変装してもらい、リハーサルの舞台に立ってもらう。それで予告者にアクションを起こしてもらう。捕まえられればそれが一番だけど、ライフルを使われた場合は難しいかな。」
実行犯を特定出来ればって感じか。
「……けど、それって危なくない?」
夕桔の心配は尤もである。
その策は当然、珠羅に影武者を務める紗世を危険に晒すわけだ。
だが、当の紗世はケラケラと笑ってみせた。
「心配してくれてありがとう。夕桔ちゃん。けど私はスパイとして、こういう仕事には慣れっこなのさ。まぁ防弾チョッキも着るし、そうそう死んだりなんかしないさ。」
机に置いてあった大き目なトランクを開ける。
「さてさて、そろそろ準備に取り掛かろうかね。ほらほら、男子は出ていきなって。」
茶化すような口調で紗世はレオとジャックに楽屋を出るよう促した。
2人は黙って頷くと出ていった。
「衣装はコッチです。どれ使いますか?」
珠羅がタイヤの付いたハンガーラックを引っ張ってくる。
そこにはアイドル風の衣装やストリート系の服、スーツ等が掛けられていた。
「そのミニスカートの……アイドルのやつだね。伶ちゃん、手伝ってもらっていいかい?」
「はい。勿論です。」
髪を結わい、衣装に袖を通し、特殊メイクのマスクをかぶる。
見ているだけで面倒そうな工程をテキパキとこなしていく。
慣れているな……。
そう思いながら夕桔が眺めているうちに、紗世の変装は完了した。よく見たら違和感があるのだろうが、簡単には気付けない。
「うん。夕桔ちゃん、どうだい?ミラ・ホーキングになれたかな?」
「うん。あ、はい。そっくりです。」
隣に珠羅が立って比較させてくれたが、パッと見ではどちらが本物か分からないほどだ。
プロの変装技術って凄い。
「さてさて、それじゃあ行こうか。」
野外ステージへと移動し、珠羅に変装した【蜻蛉】が舞台に立つ。
スタッフたちはカメラを持って移動したり、書類を持って【蜻蛉】に話しかけたりしている。
声でバレるのでは?と思ったけど、声真似も上手でよく似ている。
「夕桔。」
伶が【蜻蛉】の方を見たまま話しかけてきた。
「私はスタッフの動向を観察する。夕桔は外……会場外をよく見て。」
双眼鏡を手渡される。
「分かった。もし見つけたら、どうすればいい?」
「その時は私に……それか同志【蜻蛉】に直接知らせて。武器を持っているだろうから、接近しないように。」
「……了解。」
魔法少女に変身すればどうとでもなる。
一瞬、そう思ったけれど、それはあまりにも危ういと思い直す。魔法少女の力を使うのは最終手段だ。
「リハーサル始めまーす!」
スタッフの声が聞こえた。
明るいポップな曲が流れ始める。珠羅はダンサーであってアイドルではないから、流れている曲は誰か違う人の曲なんだろう。流行りを何も知らないから分からないけど。
【蜻蛉】は曲に合わせて見事に踊る。専門家や詳しいファンが見たら気付かれるだろうが、そうでなければ何の違和感もないクオリティだ。
予告者や殺し屋がどこかで見ているだろうが、そう簡単には影武者であると気付かないはずだ。
【蜻蛉】の踊りを視界に捉えつつ、伶はスタッフたちを観察する。
今のところ、不審な動きは見られないな……。
私が殺し屋の立場なら、スナイパーライフルで警戒網の外から狙う。だから頼んだよ。夕桔。
「……。」
夕桔は歩いては双眼鏡を覗いて周辺を確認。そしてまた歩く。
そういう動作を繰り返すも、不審者は見つからない。
人自体は割といる。この大きな公園を貸し切っているわけではないため、散歩している人や遠目からステージを見に来た野次馬がいる。
職業柄、人の視線には敏感だと思ってるけど、怪しいって思えるのはない……。そもそも、ここに来てるって確証もないんだよね。
ステージから聞こえてくる音楽が段々と小さくなってきた。
ここまで離れたら、仮にいたとしても殺せない距離だと思うけど……。
なんて思いながら双眼鏡を覗いていると、大きなカメラを持った男性を見つけた。
一眼レフというやつだろう。何かを撮っている様子はなく、キョロキョロと何かを探しているように見える。
もしや、あれが……!?
近付いて確かめよう。万が一の時は、魔法少女に変身して制圧する。
気取られないように注意しつつ、徐々に距離を詰めていく。その間、男はカメラを持ったまま移動するだけだった。
撮影する様子はない。あのカメラはダミー……?
その時、急に男がクルリとこちらを向いた。
「あっ……。」
あまりに自然な動作に反応できなかった。
男は少し何かを躊躇うような、悩むような表情を浮かべた後、こちらに向かって歩いてきた。
こうなったら背を向けるのは危険だ。何も知らぬ一般人のフリをして、それで切り抜けられるようならそれで。駄目だったら、隙を作って逃げる。
最初から交戦してくるようなら魔法少女になる。
「どうですか?やっぱり今日はあまりいないですかね?ほら、近くで何かイベントをやっているみたいなので。」
「へ……?」
いきなり何の話だろうか?
私に感づいたわけじゃない……?
そんな私の心情に気付かず、男は語り続ける。
「普段は静かで良いスポットなんですがね。ああも人がいて、音を出しているとどうしてもって感じですかね。」
この男の語りから察するに、静かなことを求めているようだけど……どういう意図が?
うるさいから全員始末するってこと?
「……あ、すみませんね。若い方を見かけることが少ないもので、つい。」
黙ったままの私の態度を見てか、男は謝るように頭の後ろに手を添える。
今のところ、怪しい素振りはないし裏社会の人間って感じもしない。
これでそういった本性を隠せていたら大したものだけど……。
「……もしかして、ですけど。」
嫌な予感がする。そんな色を微かに浮かべながら訪ねてきた。
「お嬢さん、バードウォッチングに来たわけではなかったり……?」
バードウォッチング……?
あー……だからカメラ。
そして私は双眼鏡を持っている。この男からしてみれば、同好の士だと思ったわけだ。
つまり、殺害予告者でも殺し屋でも何でもない。ただの一般人だ。
「……バードウォッチング初心者です。あまりいないのなら、今日は引き上げようと思います。失礼します。」
軽く頭を下げて、男に背を向けてステージの方へ走る。一応、背後から何かされないか警戒しながら。
……恥ずかしい!
顔が熱い。このことは秘密にしよう。伶はともかく、花時丸ちゃんとか珠羅に知られたら笑われる。いや、珠羅は大丈夫かも。でも絶対、花時丸ちゃんは笑ってくる。
「伶、今のところは問題なさそうだよ。そっちは?」
「こちらも異常なし……どうしたの夕桔?顔、赤くない?」
「走ったからかな?」
ステージ脇の方まで戻って報告し、誤魔化しつつ踊る影武者を見てみる。
動画で見たダンスと同じ動きをしている。腕の角度とかが本物と少し違うように思えるけど、かなりの再現度だと思う。
そう感想を浮かべていると、曲が終わり「一度休憩でーす!」とスタッフの人が宣言した。
「はーい!お疲れ様でーす!あ!ユキ先輩にリョウ先輩、どうでしたかぁ?バッチリでしたか?」
本物とはちょっと違うけど、よく似た声で【蜻蛉】が話しかけてきた。
「うん。感想は楽屋で話すよ。」
伶はそう言いながらさり気なく背中に手を回して、支えるようにして隣を歩く。
慣れているな……。
なんて思いながら私は2人の後ろを歩いてついていった。
「ふぃ~……疲れた。」
楽屋に戻ると【蜻蛉】は椅子に腰かけて机に体重を預けた。
「どうでしたか?」
楽屋に兄たちと一緒に隠れていた珠羅が尋ねてきた。
私たちは特に不審者は見つけられなかったことを告げ、考察を開始する。
「踊りながら周囲を見てたけど、怪しい空気はなかったね。そもそもとして、来てないんじゃないかな?」
「その可能性も充分にあります。が、殺害予告をするほどの者が、この機会をみすみす逃すのか……?それとも別の意図が?」
「陽動ってことかい?でもねぇ……他に大きな案件は動いてなかったと思うんだよね。」
「ですよね。となると、今日一日続けて何も起こらなければ、内通者の線は消えるということに……。」
「待った。」
腕を組んで話を聞いていたレオが口をはさんだ。
「その時ではなかった、のだと思う。」
「どういう意味ですか?」
「世界一可愛いミラを殺そうとする異常者だ。テロリストのような思考をしているに違いない。」
何を言いたいんだろう?
だけど伶には理解できたようで頷いた。
「なるほど。わざわざ予告してくるような存在だ。狙うならば、より大きな衝撃を大きなタイミングで──。」
紗世が言葉を引き継ぐ。
「──つまり、本番の舞台で、というわけか。」
ホーキング兄弟は頷いた。
「一番大きな公演はここ、東京公演だ。今日でないのなら、そこに合わせてくる可能性が一番高い。」
「中止にはしないからね!」
「それは分かっている。」
可愛い妹にそう言われ兄弟は困った表情を浮かべる。
「やるべきことは見えてきましたね。」
手を叩いて伶は注目を集める。
「東京公演は初日。そこに焦点を合わせていきましょう。ただ、油断はなりません。まずは今日を無事に乗り切りましょう。」
「あ、伶ちゃん。ここは熱く部活っぽい感じで頼むよ?」
「……はい。」と先輩の無茶振りに返事をするも若干、嫌そうな顔をした。私は見逃さなかった。
「それでは……今日の仕事、成功させるぞー!」
伶は拳を突き上げ、私たちもそれに合わせて右腕を天に向かって伸ばす。
「おー!!」