第5話:烏揚羽
『応答せよ。同志【烏揚羽】。』
「こちら【烏揚羽】。用件は?」
『君に任務である。引き受けてくれるな?』
「了解。急行します。」
『いや。今日はいい。明日は学校があるはずだ。』
「はい?」
『学校を終えてから本部にきたまえ。仔細については、その時説明する。君が楽しい学校生活を送ることを願う。以上。』
「はい?……切られた。」
───。
都内某所に位置する屈指のお嬢様学校・紅鼬女学院。
高級車による送迎が多い中、彼女は独り歩いていた。
校門を通った瞬間、まるで気配を感じ取ったかのように、先を歩く者たちもその人物に視線を注いだ。
「あぁ……本日もお美しい……。」「わたくしを妹にしてくださらないかしら……?」「今日こそお弁当を渡すのよ……私なら出来る……。」
様々な呟きがふわふわと花園のような空間を飛ぶ。
そんな中、1人の女学生が彼女へと駆け寄った。
「ごきげんよう。三門さん。」
「ああ、おはよう。」
そのクールな微笑みに周囲から小さな悲鳴が漏れる。
声を掛けた女学生は恍惚とした、それでいて勝ち誇ったような表情を浮かべる。
「……。」
もっと、こう……落ち着いてほしい。
これがお嬢様学校の王子様・三門伶の日常であった。
見る者を魅了する美貌、性別を問わず目を奪われる抜群のプロポーション、174㎝という高身長。
それらを併せ持つ伶は気が付いたら、というより、あっという間に熱い視線を集めるようになっていた。
登校し教室に辿り着くまで違う学年の人からも注目され、窓際の一番後ろの席に着いた後もクラスメイトからは勿論、教室の外からも顔を見に来た生徒に覗かれる。
悪目立ちしているわけではないはずだけれど、こうも注目されていると気が休まらない。
「はぁ……。」
夕桔に学校に居場所を、と言ったことを思い出す。
以前はもう少し穏やかな雰囲気だったのだけれど、3年生になってから激化した気がする。
「何を考えていらっしゃるのかしら……?」「物憂げなご様子も素敵……。」
本当、どうしたものかな。
始業すると流石に覗きに来ていた生徒たちも帰り、皆が授業に集中する為、学校にいる中で一番心安らぐ時間だ。
体育の時間になれば黄色い悲鳴があちこちから上がり、昼休みになれば食事をともにしたいと学年の垣根を越えて集まってくる。
穏便に済むように接しつつ、食べ物は受け取れないと丁重に断る。
悪意のある人間は迫ってきていないと思うが、それでも念の為だ。心苦しさもあるが、用心の為だ。
この状況がずっと続く可能性が、むしろより大きくなる可能性がある。
学校に来る日を少し減らすか?
いや、そうすることで悪化するというのも充分に考えられる。
結局のところ、下手に刺激せずに現状維持が一番無難か。
放課後──。
「あ、あの、三門さん。よろしければご一緒にカフェにでも……。」「お父様に伶様のことを紹介したいのですが……。」「校舎裏の桜の木の下で待ってますので……。」
「ごめん。今日は用事があるんだ。また今度ね。」
様々なお誘いを断り、伶は颯爽と教室を出て、そのまま学校を離れる。
断られた女学生たちは残念そうな表情を浮かべつつも、そのクールな態度も素敵と頬を赤らめる。
学校を出た伶はバスに乗り、オフィス街へと向かう。
雑踏の中をスイスイ進み、とあるオフィスビルに入る。
エレベーターホールの端にある倉庫と書かれた扉に付いているパスワードを入力し、解錠すると素早く入り扉を閉める。
その先に存在する地下行きのエレベーターに伶は乗った。
表向きには、ごく一般的なIT企業。その実態は情報戦を主とする秘密結社である。
エレベーターのドアが開き、飾り気のない無骨な通路を進み、左右に並ぶ扉の内の1つ、情報部と書かれた扉を開ける。
室内はよくあるオフィスのようなデスクが並んだだけのシンプルな作りであった。
一番奥の席を除き、他には誰もいない。
「よく来てくれた。同志【烏揚羽】。」
髭を蓄えた恰幅の良い中年男性が伶にそう声を掛けた。
「お疲れ様です。部長。早速ですが、昨日の通信の件について教えてください。」
敢えて、放課後を指定した理由については触れないことにした。
妙な茶目っ気を出すことがあるというか、アメとムチの使い分けが下手というか、ともかくそういう人なのだ。
「う、うむ。ところで同志よ。学校生活は順調かね?仕事との兼ね合いに無理はないかね?」
ワザとらしい……。
そう思いながらも伶は答える。
「ええ。一切疑われておりません。父が外交官であり自分はその手伝いをすることがある。この虚偽の申請による休学は学校側に受け入れられています。」
「……そうか。いやなに、疑われていないのであれば、何も問題はあるまい。」
「それで部長、今回の任務の件ですが。」
「……うむ。こちらの資料に目を通してくれ。」
頑なな態度に折れたのか、部長は真剣な表情に変わった。
「とある大手IT企業からの依頼だ。」
一部の大手企業には、この秘密組織の存在は知られている。
金を受け取り、その対価として情報を盗んだり不正を暴いたりする。
互いに犯罪行為をしていると理解しているからこそ、互いに相手を裏切れない。つまり、警察に通報しない。そういう関係を色々な企業と結んでいる。
「まだ公にしていない情報が、我々の同業他社にかかった可能性がある、とのことだ。」
「よく発覚しましたね。」
「情報が丸ごと消失したそうだ。それで他社に奪われた可能性があるとし、うちに依頼し解析部が調査を現在行なっておる。」
我々以外にも当然、秘密組織は存在する。
依頼主をライバル視する企業からの刺客だろう。
「それを取り戻せと?」
「うむ。今のところ、盗まれた情報は表に出ていない。これは憶測だが、我々に依頼した企業よりも先にそれを元にした物を世間に発表し、利益を独占しようという算段だろう。」
スパイへの依頼料以上に儲けられるというわけか。
「筋は通っていますね。」
「うむ。そうであろう。どこの組織の仕業かは、解析部が現在調査中だ。君は結果が届くまで、依頼企業にて情報収集したまえ。頼んだぞ!同志【烏揚羽】よ!」
────。
──それから。
伶はスーツに着替え、タクシーで依頼企業へとやってきた。
時刻は午後6時を回ったところ。訪問には遅い時間だが、見たところどの部署もまだ働いているようだ。
大手企業といっても、定時に帰れるわけじゃないか……。
他人事のように思いつつ、伶は自動ドアを通って中に入り、受付にいる若い女性に話しかける。
「すみません。林さんはいらっしゃいますか?私、御門伶子と申します。例の件でお話があるとお伝えください。」
ここにくる最中、資料を読んでこの企業に関することは記憶している。
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ。」
受付の女性が内線で連絡して待つこと約5分。
「お待たせしました。」
30歳前後くらいに見える男性がやってきた。
名刺(こちらのは勿論偽装)を交換しつつ伶は観察する。
「いやぁ、お越しいただきありがとうございます。ささ、案内しますので。」
エレベーターに乗り、現場のフロアまで移動する。
「私の担当する班ではないので、詳しいことまでは答えられないんですが……。」
黙々と仕事する人たちの傍を通りながら話を聞く。
「新規プロジェクトに関するデータが盗まれたと発覚して、もうてんやわんやですよ。」
「今は落ち着かれてますね。」
全体を見渡せる席の前で止まる。
この人の座席なのだろう。役職は確か係長だったか。
「ええ。最初は警察に!……って話だったんですけど、上から指示がきて、騒ぎを大きくしてはいけないと。仕事の手を止めるわけにもいきませんしね。それで以前からお世話になっているという探偵事務所の御門さんに来てもらったというわけです。」
「なるほど……。そういうことでしたか。」
裏社会の組織と繋がっていることを懸念して、面目を守ることを優先したわけだ。
それにしても……探偵役として潜入するのであれば、もっと他に適任がいたのではないだろうか?
さておき、どこから調べていくか。本件の核となる部分は解析部が調査している。はっきり言って、私がここで出来ることなんて殆どないわけだが……。
「……とりあえず、実際に被害にあったPCを見せてくれませんか?」
「ああ、それなんですが、調査の為にとそちらで持って行かれたと伺っていますよ。勿論、現場には案内しますが……。」
「ご存じありませんでしたか?」と尋ねられ「そうでしたね。」と答える。
受け取った資料には、その旨は記されていなかった。危ないところだった。
それから部屋を出て、同じフロアの別の部屋へと案内される。
違う班らしいが、先程との差はないように思える。
「ここです。」
「誰も座っていませんが……?」
「去年入った者のデスクだそうで、今日は欠勤とのことらしいです。」
「まぁ……自分のPCを使われて事件が起これば、多少なりとも責任を感じますよね。」
実際のところは何も知らない為、当たり障りの無いことを言って「このデスク、調べても?」と尋ねる。
「ええ。昨日も御門さんの会社の方が調査してましたので。」
「ありがとうございます。では私は少しこれを調べていますので、林さんはご自分の業務に戻られても大丈夫ですよ。何かありましたらお声がけしますので。」
「分かりました!よろしくお願いしますね!」
若干、喜びが溢れていた。
新規プロジェクトがどうとか言っていたし、周りの人たちも仕事をしているし、きっと忙しい時期なのだろう。こんな事件があったのなら尚更だ。
……それにしてもあの人、本当に何も聞かされてないんだな。何の疑いもせずに素直に去ってくれた。良い人ということなのだが、ちょっと心配にもなる。
「さて……。」
PCの中身については専門家に任せるとして……。
デスクの上に置いてある資料や引き出しの中を確認していく。
資料はマニュアルのようだ。序盤はボールペンでメモが熱心に書き込まれているが、後半に向かうにつれてメモの数が減っていっている。集中力が切れたのだろう。
引き出しの中はほぼ空だった。使い終わったであろう仕様書等がいくつか乱雑に放り込まれていただけだ。
これらの物から、このデスクの若手は大雑把な性格の持ち主と判断出来る。
これなら細工をされても気が付きにくいだろうし、狙われた理由としては妥当だ。
いや……?
それは知っていたら、という話だ。
潜入にあたり内部情報を掴んでから、というのは尤もだ。しかしIT企業らしく、どの社員にもパスワード等は徹底させているらしい。このデスクの若手も、その例に漏れないという情報だ。
どのPCを狙っても、使う労力に差はないはず……?
大雑把な性格というのを知っていて、事前にパスワードを盗み取るウイルスを仕掛けていた?
それをやるなら、もっとスマートな方法がいくらでも……そもそも、どうして奪った情報を削除した?
消さない方がバレにくいし、そこにウイルスを仕込んだ方が与える被害も大きい。
何故、私でも思いつく手段を執らなかった?
「……っと。」
マナーモードのスマホが振動したので、席を立って廊下に移動する。
「はい。三門です。」
『ああ、三門さん?今、平気ですか?』
この声は解析部の人だ。
「ええ。続けてください。」
『例のPCなんですけど、外部から触った形跡も仕掛けた形跡も見つかりませんでした。』
「それはつまり……。」
『直接、誰かが操作としか……。それとなんですが、直前のパスワールド入力がですね、間違えてないんですよ。一発成功してます。』
事前に知っていたということか。
妙な話だ。直接社内にあるPCに触る大胆さと、方法は分からないが一回でパスワードを当てている。だというのに、それらを隠していない。
「分かりました。ありがとうございます。何かまた分かれば連絡を。」
『はい。三門さんも調査、頑張ってください。』
そう言って通話は切れた。
「ふむ……。」
顎に手を当て、コツコツと爪先で床を叩く。
ここまでの情報を整理しよう。
・新規プロジェクトで使用する情報が消失した
・ライバル社に依頼されたスパイの仕業の可能性がある(上部の人間はそう考えている)
・入社2年目の若手のPCからの手口である
・パスワード入力を一発で成功させている
・ウイルス等は仕込まれていなかった
基本的なことは以上だろう。
後は私自身が現場で見て感じたことを付け足しておく。
・その若手は大雑把な性格だと予想される(本日は欠勤)
・事件が起きたが仕事の手は止められない
・今日も大半が残業している
その他には……。
「……いや。」
もしかすると。
それは流石にないと思いたいが、僅かでも可能性があれば、それを疑うのが鉄則だ。
先程案内してもらった林という男の元に行き、上部の見解も聞いておきたいと伝えると、いるフロアまで案内してもらえた。尤も、部屋の外までだったが。極力関わりたくない。そんな意思を感じた。
「ああ、君かね。憎きスパイを仕留めてくれるというのは。」
「……ええ。」
仕留めるまでは仕事にない。そう言おうと思ったが、話がややこしくなるだけなので黙っておいた。
上部の男──専務だとか副社長とか、そのあたりの役職持ち──の厳格な雰囲気を醸し出す初老は、窓越しに夜の街を見下ろしている。
「随分と若いのだな。前回来たのは、中年ほどの男だった。」
「今回の件に関しては私が適任、という判断です。」
「そうかね……20代前半ほどに見える。それで適任というのであれば、優秀なのだな。君は。」
「ありがとうございます。」
今年で18歳になります、とは言えない。
「それで?順調なのかね?」
「ええ。もうしばしお待ちいただければ、吉報をお届け出来るかと。」
窓に反射する彼の目つきが鋭くなった。
「ほう……それは喜ばしいことだ。一体、私には何の用だね?」
「貴方から見た、職場の雰囲気を教えていただきたいのです。調査に必要なので。」
言葉の意図が分からない。だが失敗するまでは素直に聞いてやるか。
役員の男はそう考えた。
失敗した際には、この小娘を警察に突き出してやるだけだ。
「現場は懸命に働いている……と聞いているが、私に言わせれば努力が足りない。それと意識もな。仕事を頂いている、という意識が薄い。」
嫌な思考をする男だな。
このまま不満をずらずらと並べていきそうなので、伶は遮るように口を開く。
「分かりました。ありがとうございます。」
「今ので敵を突き止められるというのかね?」
「敵側の思考をトレースしますので。では、失礼します。」
丁寧に頭を下げて、伶は役員室を出た。
確たる証拠はないが、推測して行動するのは充分な素材が揃った。
「三門です。彼の居場所を……。」
エレベーターの中で電話を掛け、1階まで降りると受付の女性に「調査があるので帰ります。」と伝えビルを出た。
丁度そのタイミングでスマホが鳴った。
『三門さん、居場所が割れましたよ。データをお送りします。』
礼を言い、タクシーを拾って送られてきた住所へと向かう。
任務としてはこれで推測が当たっていれば終了だが、外れていてほしいものだ。これは。
着いた先は安いアパート。大手IT企業勤務といっても、都内の家賃を考えると中々難しいのだろう。
とある部屋のインターホンを押し、ドアを開けてもらう。
出てきた若い男性はやつれていて、ひどく参っている様子だった。
「1つ、お聞かせください。今回の事件ですが……。」
────。
表向きには大手だが、その実態は日々の残業と休日返上によって無理な納期をこなす、所謂ブラック企業と呼ばれる環境だった。
彼はそんな現場で1年程働き、肉体的にも精神的にも疲れていた。
ちょっとした仕返しのつもりだったのだ。自分をこき使う連中を困らせてやろうと。だが、彼は誤ってバックアップの情報まで消してしまった。
しかし、そんなことを知らぬ上層部の人間は、過去の経験からスパイの仕業だと断定したのであった。
「本件の真相は以上となります。部長。」
情報部の部屋にて。
伶は作成した報告書を部長に渡す。
「ふむ。ご苦労であった。ところで、依頼主には何と……?」
「スパイは捕まえたが、情報は利用せずに完全消去された後だった、と。」
これであの若手の犯した罪は闇に葬られた。お咎めなしだが、転職を勧めておいた。誰にも知られていないとはいえ、居た堪れないだろうから。
「君なりの優しさかね?」
「いえ。スパイの仕業と決めつけていた、上層部の人間に恥を掻かせない為です。」
結果を偽るのは組織の信頼に関わることだが、これがベターだと判断した。それだけの話だ。
「ふむ。事後処理については、他の者に任せよう。良くやった!流石は同志【烏揚羽】!明日……いやもう今日か。学校があるのだろう?帰って休みたまえ。」
「ええ、本当に……。」
時刻は午前2時を回ろうとしているところ。解析部に連絡したり依頼主に結果を伝えたり、報告書を作成しているうちにこんな時間になってしまった。
「では失礼します。部長。」
「うむ。しっかり休みたまえ。」
本部を出てタクシーを探しながら歩いていると、電話が掛かってきた。
こんな時間に?と思ったけれど、相手の名前を見て納得する。
「もしもし?どうしたの?」
『リョウ先輩!コンバンワ!起こしちゃいましたか?』
「ううん。これから休むところだよ。」
『そうなんですねぇ。それじゃあテジミ……テミジカ?に。私、ニッポンでのコンサートが決まったんですよ~!会えるの楽しみにしてますね!』