第12話:ウミネコ
「【ウミネコ】?急に何の話ですか?」
スタッフの男は前を向いたままそう言った。
「とぼけなくていいよ。今、ここには君と私しかいないからね。」
取り出した物を背中に当てる力を強める。
「いやいや!本当に何の話なんですか!?僕はただ、休憩用の荷物を持ってきただけですよ!」
「よく喋るねぇ。」
余裕がある。背中を取っているからといって、油断は出来ない。
「……1つ、教えてあげよう。普通の人はね、私みたいなのに背後を取られてもすぐに振り向いたりするもんさ。警戒して動きを悟られないようにする、なんて真似はしないのさ。」
私の身長は147㎝。子供と変わらぬ体格だ。実際、中学生や小学生の演技をしたこともある。
そんな存在の攻撃に対して警戒する必要はない。私の正体を知らない限りは。
「……なるほど。それもそうか。上手く成りすましていたつもりだったが、そんな落とし穴があったとは。一般人のフリは難しい。そうは思わないか?」
そう言い終わるや否や、自然な動きで男は振り向いた。
こうなることは想定内だ。簡単に無力化出来るとは端から思っていない。
手に持つそれに力を込める。
「……!」
その次の瞬間、視界が遮られた。
奴の持っていたタオルだ。
それを顔の前に投げられ、【ウミネコ】の姿が見えなくなる。
どうする?
リスクは負えない。ここは退いて距離を取る!
地面を蹴って後ろに飛ぶ。
その最中、腕を上から叩かれた。
「うぐっ!?」
別方向から突然の衝撃を喰らい、思わず武器を落としてしまった。
「ふむ……スタンガンか。君のような小柄な体躯では銃を扱うことは難しいと思っていたが、なるほど。これなら簡単に扱える。」
「ご丁寧にどうも。」
「おまけにこれほど人が集まっている環境だ。銃は発砲音を気にして使えないだろう。」
「仰る通りだよ。後学の為にも聞いていいかい?ミラ・ホーキングの暗殺に使う武器はなんだい?」
奪ったスタンガンを弄りながら【ウミネコ】は私の質問に答える。
「手榴弾だ。爆弾の方が衝撃的だからな。おっと、これは君の時間稼ぎに乗っているわけではない。狙撃を警戒して出払っているのを知っているからだ。」
「……。」
「図星、という反応だな。分かりやすい。そういうところも子供染みているのかね?」
余計なお世話だよ。
「話を続けよう。このスタッフの服装では武器を隠すことは難しい。せいぜい小型の武器を1つ隠せるくらいなものだ。それも相まって私は手榴弾を、君はスタンガンを選択したわけだ。」
勝利を確信したが如く、男は悠々と語る。
だがスタンガンは握ってこちらに向けている。用心深く、警戒を怠っていない。
「さて、少しばかり話し過ぎてしまったな。私は自分の仕事を完遂させるとしよう。君はそこで自分の仕事が失敗する様を見届けるがいい。」
「……そうはいかないんだよね。」
そう呟いて、私は素早くポケットに手を入れる。
その仕草を見るや否や、男は動いた。躊躇いや警戒といった反応を見せず、真っ直ぐに私へと突っ込んでくる。
ポケットの中の物が機能する前に襲い、無力化するという判断だろう。
実際、その判断は正しい。
私を押さえてしまえばこの瞬間、【ウミネコ】を止める術はなくなるのだから。
……ただそれは、この瞬間は、という話だ。
私はポケットから手を出す。
「……!?」
それを見て【ウミネコ】は戸惑いの表情を浮かべた。
当然の反応だろう。今、私の手には何もない。両の手の平を見せつける。
「大仰な降参のつもりか……がっ!?」
死角からタックルされ、男は余裕のあった表情とともに体勢を崩した。
「後は頼んだよ。同志【烏揚羽】!」
「はい!」
舞台裏は意外と荷物が多い。観客からは見えないところだから、綺麗にしておく必要がない。さらに言えば、必要な物、もしくは必要になりそうな物はまとめて近くに置いておいた方が便利だからだ。
それらの陰に隠れ、同志【蜻蛉】が敵の注意を惹き、虚を突いて無力化する。
これが海遥の立てた作戦だ。
他に誰もいないと思わせる為に私以外は全員出払う必要があり、そこはかなりのリスクがある。だが、潜伏する敵を誘き出す為には、という判断だ。
「うぐっ!」
死角からタックルを喰らわせ、地面に押し倒すことに成功した。
制圧する!
動揺しているうちにスタンガンを奪い、身体に押し当てる。
「……ッ!させるものか!」
スタンガンを持つ腕を掴まれた。
体勢は私がマウントを取っている状態。そのまま強引に押し込もうとするも、腕はそこまで動かせない。
単純な力比べでは無理か。なら──。
手首のスナップを利かせてスタンガンを放り投げる。
これで奪われる可能性は排除できた。そのまま空いている片腕で殴りかかる。
だが、その前に掴まれている腕を引かれ、それと同時に腹部に膝を入れられ、身体が横転する。
「がはっ……!」
衝撃で息を吐き出す。反射的に目を閉じそうになるのを堪え、すぐに身体を起こす。
そうはさせまいと【ウミネコ】が飛びかかってくる。
マウントポジションを取られるのはまずい。
身体を捻って地面を転がり、自由を奪われるのを避ける。
しかし、あまり距離を取るわけにもいかない。攻撃出来ない位置まで退いてしまえば、私を無視して手榴弾を使用することだろう。
つまり、適度な距離感を保ちつつ闘う必要がある。
……私、スパイであって戦闘要員じゃないんだけどな。
なんて能天気なことを頭の片隅で考えつつ、両手で地面を押して反動で立ち上がり、腰を低く落としてレスリングのタックルのような構えを取る。
……想像以上に、やるな。
視線を外さず、警戒したまま【ウミネコ】は【烏揚羽】の評価を改めていた。
こうして戦闘になるまで、このような展開になる可能性は非常に低いと想定していた。もし戦闘になるとしても、バード・ファミリーの【イーグル】か【バーディ】、もしくはその部下の有象無象、そのあたりだと考えていた。
「ふっ……!」
短く息を吸った。来る。
伶は低い姿勢を保ったまま突進する。
レスリングのタックルへの有効策は、引くか上から押してバランスを崩す!
【ウミネコ】が構えを取って反撃の備えを見せた次の瞬間、伶は踏み止まって左腕を伸ばす。
「……いや。」
咄嗟に行動を変えた。そんな思考を否定する言葉を【ウミネコ】は口にした。
動きがあまりにもスムーズすぎる。ここまでの流れを想定していたということだろう。レスリングを意識させ、それに対する行動を取らせる。
伶は左腕で相手の右腕を外から挟み、手を肘に当てる。そしてそれを引っ張り、入れ替えるように右の拳を突き出す。
「ぐっふ……!」
片手で防ごうとするも伶の拳が上回り、防御をすり抜けて腹部にめり込む。
「おのれ……!」
【ウミネコ】は掴まれた腕を振り解こうとするも、上手く動かせない。
柔道の技か?
いや違う。掴み方が異なる。これは相撲の技、おっつけか。ならば──!
「うぐっ……!」
もう一発入れる前に開いた掌が伶の喉から顎にかけて押し付けられる。
喉輪!
突き上げられる体勢となり、重心が浮いて力を込めづらくなる。
これ以上は厳しい。そう判断して伶は掴んでいた腕を離して下がる。
そして軽やかなステップを踏んで拳を構える。
今度はボクシングか。有効策は下半身への攻撃。しかし先程の一連の流れを踏まえると、ボクシングへの対応を誘っている可能性がある。
……若いのに大したものだ。
【ウミネコ】は素直に感心した。
複数の格闘術を体得している。それもただ身に付けているのではなく、場面に応じて咄嗟に切り替える判断力、それについてこられるフィジカルを持ち合わせている。
だが、だからこそ、こちらも全力を以って闘わなければならない。
これは敬意であり、この道で先に生きる者としての矜持だ。
「さて……そろそろ決着といこうか、【烏揚羽】。」
「……こいッ!」
伶は叫んだ。
それに呼応するようにボクシングの構えを取り、【ウミネコ】はニヤリと笑った。それは、心のどこかでこの真剣勝負を楽しんでいるという証かもしれない。
「いたぞーーー!!!ヤツだァーーー!!!」
そこに突然、怒鳴り声のような叫びが飛び込んできた。
【ウミネコ】が声のした方向を見ると、レオとジャックを先頭に突撃してくるバード・ファミリーの姿があった。
「……!?」
何故ここにいる!?
狙撃を警戒して出払う姿を見届けたはずだ。だからこそ、こうして姿を見せたわけだ。それ自体が誘い出すための罠だったことは承知している。
しかし、それはこの状況との因果関係にはならない。本当に狙撃をされるわけにはいかなかったはずだ。だからこそ、この場にいることは【アルバトロス】を、妹を見捨てたということになる。
「流石に驚いたようだねぇ。」
物陰からひょっこりと【蜻蛉】が顔を出した。
そうか……!奴か……!
【ウミネコ】は瞬時に理解した。
戦闘相手が【烏揚羽】に移った後、奴は姿を晦ませていた。その時に……!
この状況。ここから逃げ出すことは不可能に近いだろう。ならば──!
懐に忍ばせていた手榴弾に手を伸ばす。
──依頼を受けたプロとして、その職務だけは全うさせてもらう!
「捕まえろッ!」
ジャックが叫ぶが、バード・ファミリーの手が届くまでまだ距離がある。
「勝っ……!」
「させるかっ!!」
【ウミネコ】の勝利宣言に被せるように伶は叫び、接近して右脚を振り上げた。
声にならないような絶叫が、或いは獣のような咆哮が響き渡った。
そのあまりの光景に、彼を捕まえようとしていたバード・ファミリーの面々は動きを止め、同情の色を含めた表情で絶句した。
「……いや、捕まえてよ。」
紗世のその言葉で我に返ったレオたちによって【ウミネコ】は取り押さえられた。
こうして、ミラ・ホーキングの暗殺は未然に防がれたのであった──。
「楽しかったーーー!!!」
ステージを下りた珠羅は満面の笑みを浮かべてそう叫んだ。
「……うん。楽しかった。」
ステージに立って踊っていた時の気持ちは、興奮は確かに楽しいというものだった。
未だ騒がしい胸に手を当て、夕桔は頷いた。
「ですよねですよね!ミハル先輩はどうでしたか!?」
声を掛けられた海遥はゼェゼェと荒い呼吸を繰り返し、足は生まれたての動物のようにプルプルと震えていた。
こんな様子でもステージにいる時は、こういった疲れを一切見せなかったんだから大したものだよ。本当に。
「楽しかったって言ってるよ。」
答えない(答える余裕のない)海遥に代わって夕桔がそう言うと、海遥はジロリと睨みつけてきた。
「お疲れ様。」
伶がタオルと飲み物を持ってきた。
「ありがとうございますリョウ先輩!それで、お兄ちゃんたちはそこでナニを……?」
人だかりが気になった珠羅の質問に伶は微笑む。
「こっちも任務完了ってこと。これでもう、心配することはないよ。」
「わーぁ!ありがとうございますー!」
伶に抱き着く珠羅を横目に海遥は人だかりへ──その中心で取り押さえられている男へと近づく。
「【ウミネコ】ね。互いの仕事内容に殺しは含まれていないからその命は取らないけれど、聞きたいことが色々とあるのよ。そういうわけで、あなたを連行するわ。」
「いや……待っ……時間……を……。」
必死に声を出す【ウミネコ】に海遥は怒鳴る。
「はぁ!?時間稼ぎしようたってそうはいかないわよ!大袈裟に痛がるな!とっとと立ちなさい!」
事情を知らない海遥の権幕にバード・ファミリーの面々は「鬼だ……。」「悪魔だ……。」と囁き合った。
「何か言った!?」
「いえ何も!」
その迫力に圧されマフィアたちは背筋を伸ばす。
さっきまでダンスで息も絶え絶えな様子だったくせに。
夕桔はそう思ったが口にはしなかった。言ったら矛先が自分に向くのが分かっているからだ。
……まぁ、何はともあれ、これで一件落着かな?
伶に誘われて、今までやったことないジャンルの仕事をやったわけだけど、偶にはこういうことをやってもいいかも。
「ユキ先輩!次の公演も一緒にやりませんか?」
「あ、いや、それはちょっと……。」
偶には、だから。
目をキラキラと輝かせる珠羅には悪いと思いつつ、夕桔はやんわりと出演を断るのであった。