第九話 小旅行
「旅行に行きたい!」
桜瀬咲は突然こう言った。
最近、彼女のうつ症状も回復してきたのか、とても元気である。僕も彼女と旅行に行きたいと思った。しかし、卒業研究の最終発表は二ヶ月後に迫っており、バイトの都合もあったので、一日だけ、下関まで小旅行に行くことにした。
日帰りということもあり、日曜日の朝八時に待ち合わせをした。少し遅れてきた彼女は少し眠そうだった。
そして、僕たちは角張った青い車体の特急ソニックへと乗った。
それから一度乗り換えをした後、しばらくすると
「まもなく終点の下関です」
とアナウンスが流れた。
下関駅の小さな改札を抜けると、大量のふぐの提灯が僕たちを歓迎した。それを見るなり
「かわいい~」
と彼女は目を輝かせていた。さっきまで眠そうだったが、目が覚めたらしい。
僕たちは駅からバスに乗って、唐戸市場へと向かった。
朝早く出たつもりだったが、唐戸市場に着いた頃には昼も近づいていたので、昼ごはんとすることになった。休日の唐戸市場はとても賑わっていた。
市場には大量の寿司が並んでいた。普段から一人で回転寿司に行くほど寿司が大好きな彼女は
「えー、すごい!」
と言って、僕の手を引いて、人混みの中をすり抜けていった。
いくつかの店を回ったところで、百円のマグロと二百円の甘エビとタコ、五百円の大トロをプラスチックの容器に入れてもらった。僕たちはそのまま、近くの海が見える場所へ行った。少し寒いが良い場所だ。そして、僕たちは赤いレンガに座った。
「んーー!おいしい!」
彼女が言う。確かに、普段食べている寿司とは一味違う気がした。
「おいしいね」
と僕は言う。海の向こうに見える九州の街は、近いようで少し遠くに見えた。
寿司を食べ終わると、近くの水族館へと行った。最初に見えた、関門海峡の潮流を再現した水槽は面白かった。しかし、桜瀬さんはあまり興味はなさそうだった。こうゆうのは女の子はあまり好きではないらしい。
三階へ下りると、フグがたくさんいた。この水族館はフグの展示数が世界一位らしい。巨大なものから、小魚のようなものまで展示されていた。こんなにたくさんの種類のフグがいることは知らなかったので、僕は熱心に見ていると
「かわいいね」
と彼女に言われた。
「僕はかわいくないよ」
と言うと
「この小さいフグくらいかわいい」
と言われた。それだと俺相当かわいいじゃんと思った。
しばらく進むと、ペンギンたちが歩いていた。その歩き方は、のんびりと歩くときの桜瀬さんと似ている。そんな彼女は
「かわいい~」
と言って写真を撮っている。そんな彼女が一番可愛かった。
階段を下りると、水中トンネルがあり、そこからペンギンたちが泳いでいる姿を見ることが出来た。その姿は勇ましかった。彼女は
「ペンギンって、高橋くんみたいだね」
と言ってきた。
「どこがだよ」
と言うと
「普段はかわいいけど、たまにカッコいいところが同じ」
そう答えた。僕は少し恥ずかしかった。
水族館を出る頃、日は少し低い位置にあった。僕たちは近くのゆめタワーまで歩いた。下関ではデートの定番スポットらしい。僕たちは六百円を支払い、エレベーターに乗った。
最上階へ行くと、そこには下関と海、そして門司の街並みが見えた。その二つの街を結ぶ白い関門橋はとても小さかった。地図で見ると本州と九州は何キロも離れて見えるのだが、実際に見てみると、すごく近かった。
僕たちは海の向こうに沈む夕日を眺めていた。
「今日はありがとう」
そう言われたので
「僕も桜瀬さんと来られて良かった」
と行った。すると
「そろそろ名前で呼んで」
と言われた。僕は困ったが
「じゃあ、咲?」
と言った。すると、満足げな表情を浮かべ
「伸一」
と言った。僕は叫びたくなるほど嬉しかった。
帰りも下関駅から電車で帰る。大量のフグの提灯がまた来てねと言っているように見えた。
観光客で賑わう改札を、二人手を繋いで通っていった。