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第八話 あの頃の僕



――――― 高校二年生の夏、僕は照りつける太陽の下、熱心にラケットを振っていた。


佐賀県(さがけん)伊万里市(いまりし)の高校に僕は通っていた。僕はそこで、中学校から続けていたソフトテニスをやっていた。この高校のソフトテニス部は、県内ではそこそこ強いほうだが、強豪校(きょうごうこう)と言えるほどではなかった。部員は十二名。三年生が引退した後のテニス部で、僕は二番手だった。


高校のソフトテニスは、基本的にダブルスであり、僕は後衛(こうえい)、同じく二年生の小松翔(こまつしょう)前衛(ぜんえい)だった。(しょう)は普段から優しい性格だが、部活中は別人のようになる。


「おい高橋(たかはし)!さっきのはストレートだろ!!」

「ごめん」


僕は決して気の強い方では無かったので、しょうの注意に対して謝ることが多かった。


夏休みの間は、休みは日曜日のみで、月曜日から土曜日までは朝八時から夕方まで練習だった。


八月上旬のある日、最寄りの大川野(おおかわの)駅を七時十一分に出る列車に間に合うよう僕は家を出る。この電車を逃すと二時間後だ。小さな木造の駅舎(えきしゃ)を抜け、ホームへと向かった。

クマゼミの大合唱の中、二両編成の列車がコットン、コットンと音を立てやってきた。キハ47の文字をぼんやりと見ながら、列車に乗り込む。車内はスポーツ用品メーカーの服を着た学生たちで賑わっていた。

そして列車は、力強いエンジン音と共に、伊万里(いまり)へと走り出した。


伊万里(いまり)駅から高校までは歩いて十五分ほどかかる。僕は汗を流しながら坂を登って行く。すると

「おはよう」

しょうの声が聞こえた。しょうは、僕とは反対の有田(ありた)方面からの列車で通学している。僕は

「おはよう」

と返した。


気温三十度を超える中、走ってはラケットを振り、また走ってはラケットを振る。夏休み中の練習は正直キツかった。しかし、頑張っただけ成長している気がした。


部活が終わると、僕は伊万里(いまり)駅へと向かう。駅員に定期券を見せると、古めかしい列車に乗り込む。すると、すぐに(とびら)が閉まり、力強いエンジン音と共に走り出した。


大川野(おおかわの)駅に着くと、ひぐらしの鳴き声を聞きながら、僕は家まで少し歩く。そして、築五十年の木造の家の玄関を開ける。そのまま家に上がると、料理を作りながら、母は

「おかえり」

と言う。僕は

「うーん」

と返事する。父はまだ仕事。おばあちゃんは昨年この世を去った。おじいちゃんは僕が生まれる前に亡くなったので、顔もよく知らない。

僕はそのまま自分の部屋へと向かった。



――――― 忙しかった夏休みも終わり、九月になった。久しぶりに会う学校の友達は、みんな黒かった。クラスは三十名で男女比は半々くらい。僕は、そんなクラスで、友達も多く、みんなと喋っていた。友達は多ければ多いほど良い。そう思っていた。


学校がある日は、朝六時に起きている。学校は八時に始まり午後五時に終わる。そのまま部活動は午後八時まである。家に帰るのは夜九時を過ぎる。それから食事やら宿題をするのだから、寝るのは一時頃になる。睡眠時間は五時間あれば良い方だった。

土日を使って寝溜(ねだ)めしたい気持ちもあったが、休日も一日練習があるので、難しかった。


そんな生活をしていた僕に異変が起き始めたのは九月の中旬頃だった。今までは、二限目が始まる頃には目が覚めていたが、一日中ボーっとする日が続いた。更には、友達が喋りかけてきても、面倒に感じていた。部活動へ行っても、ミスばかりで

「お前何やってんだ!」

「最後まで走れ!」

とずっと怒られていた。


そんな日が十日ほど続いた日曜日のことだった。この日も一日中部活動だった。時計の針が三時を回る頃、僕たちは、顧問(こもん)が打ったボールを打ち返すと言う、単純な練習メニューをしていた。

顧問がボールを打った後、僕はボールの軌道の先へと走った。そして、あとは打ち返すだけだった。

しかし、空振ってしまった。テニスで空振ることは、初めて一週間の人でもあまり起きないことだ。それが、五年もやってきた僕が空振ったのだ。その瞬間、顧問が怒鳴り声を上げながらこちらへ近づいてくる。


「お前はやる気あるのか!!こんなミスありえないだろ!!!」


その瞬間、プツンと何かが切れたような気がした。


何かは分からない。


けれど確かに何かが切れた。僕の頭の中で。



僕はその後もつまらないミスを繰り返した。(しょう)からも

「お前何やってるの?真面目にして」

と言われた。でも、もうどうでも良くなった。そして、意識もはっきりとしないまま、気づけば家に着いていた。


その後もこんな日々は続いた。友達と喋ることも出来ず、スマホに来ているメッセージを返することも億劫(おっくう)になっていた。気づけば僕には誰も近づかなくなっていた。授業も頭に入らず、部活では怒られ続けた。でも、そんなことどうでも良いと思った。


家では

「部活がきつくて無理」

と言うと

「みんなきついんだから頑張りなさいよ」

と母から言われた。まだ頑張らないといけないらしい。


部活の顧問からは

「期待されているんだ。今が頑張る時だ」

と言われた。僕は期待されているらしい。


九月も終わる頃、僕は一人、学校から駅まで夜道を歩いていた。ただボーっと。そのつもりだった。でも、体は違った。無意識に車道へと足が向かっていたらしい。そして、白いヘッドライトが近づく。すると

「危ない!」

と声が聞こえた。見上げると、目の前には青い乗用車が止まっていた。車からスーツを着た男性が降りくる。歩道からはさっき叫んだと思われる、隣の高校の制服を着た女子生徒が駆け寄ってきた。すると

「大丈夫ですか?」

と声が聞こえた。それを聞いた僕は我に返った。僕は無意識のうちに、死にたいと考えていて、いつの間にか車道へと歩いていたのだった。このとき、初めて、自分の異変に気づいたのだった。


家に帰ると、母は料理を作っていた。世間的には、正直に話して病院に行くべきではあるが、まともな判断をする力も、このことを話す余裕も無いので、僕は母の財布から、自分の保険証を盗んだ。


次の日、僕は人生で初めて学校をサボった。学校へは風邪を引いたと連絡を入れた。母にはバレないように七時十一分の列車に乗った。そして、伊万里(いまり)駅近くの病院へ向かっていた。病院は昨日調べて一番上に出てきた場所だ。駅からは距離があるので、ボーッと歩いていた。


精神科(せいしんか)の病院へ来たのは初めてだった。待合室で流れているオルゴールはなんだか心地良い。そう思っていると

高橋(たかはし)さんどうぞ」

と言われた。そして、奥の部屋へと案内された。


部屋には二十代と思われる若い女性が座っていた。看護師だろうか、それともカウンセラー的な人なのだろうか。そう思っていると、質問をされた。

「今日はどのようにしていらっしゃったのですか?」

僕は答える。

「最近、ボーッとすることが多くて...」

「思い当たることはございますか?」

「えーっと、うーん」

「分からないなら大丈夫ですよ」

「すみません」

十分くらいだろうか、こんな話が続いた。話している中で、部活のストレスや睡眠時間の短さに関係がありそうだった。


再び待合室へ戻り、しばらくすると今度は手前の部屋へと案内された。先ほどの部屋より広い部屋だった。病院という雰囲気ではない。そこには五十歳くらいの男性医師がいた。


「おはようございます」

僕も

「おはようございます」

と返す。それから

「部活大変だったね」

と言われる。そして

「君の診断結果なんだけど...」

と言われて渡された紙には


 ーうつ病ー


そう書かれていた。



僕はこの病気をよくは知らなかったので、これからどうすれば良いのか、どう生きていけば良いのか分からなかった。もう普通に生きていけないのか。絶望していると

「君はよく頑張った。もうつらい思いはしなくて良い。部活は辞めて、好きに生きなさい。気が向いたら学校へ行ったら良い」

僕は泣きそうだった。続けて

「部活を辞めさせてくれないのであれば、私の電話へかけてきなさい。私が学校へ説得します」

と言われた。家族や部活の顧問からは頑張れとか、みんな辛いからなんて言葉ばかり言われていた。でももう終わっていいんだ。そう思うと涙が(あふ)れてきた。



それからと言うもの、母に事情を話し、一週間学校を休んだ。病気については理解していない様子だが、学校を休むことは許された。

疲れは相当溜まっていたらしく、午後八時に布団に入ると、起きたのは次の日の昼過ぎだった。


体調も少し回復したので、僕は一週間ぶりに登校した。

十月に入ってしばらく経ち、黄金色に熟してきた稲穂(いなほ)の中、キハ47の古めかしい列車がやって来る。僕は、十七年生きてきたこの町の美しさに初めて気づいた。すると、後ろから

「おはよう、久しぶりだね~」

そう言いながら、中学校からの同級生二人がこちらへやってきた。



退部届(たいぶとどけ)を見た顧問は怒っていたが、僕は無視し

「失礼しました」

と言って職員室を去った。ドアを閉めたあとも、顧問の声がわずかに聞こえたが、そのまま教室へと向かった。


(しょう)は事情を話すと

「気づかなくてごめん」

と言ってきた。それ以来、(しょう)とは仲良くしている。他の友人も、以前と変わらず喋っている。一方、他のソフトテニス部の部員たちは僕のことをよく思っておらず、一度も喋っていない。その部員たちが悪い(うわさ)を流したのか、その周辺の一部の人達は、僕のことを(うら)んでいた。

でも、平気だった。(うわさ)一つで人を嫌うような人間と仲良くしたいとは思わない。これからも仲良くしてくれる人だけ、友達でいた。



――――― 十一月の秋空の下、コンクリートを転がる落ち葉を目で追いながら、僕はあの頃を思い出していた。うつ病を経験して五年。幸い再発(さいはつ)はしていない。いまでも病気になったことを良く思っているわけではない。でも、病気の人がどれだけ辛いか分かったし、自分なりの生き方を見つけられた。そして、病気をきっかけに、大切な人ができた。そう思うとなんだか救われた気持ちになった。

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