第二話 彼女の病
双極性障害
桜瀬咲の病名
名前くらいは聞いたことがあった。
僕はワンルームの小さなアパートに帰ると、パソコンデスクに向かった。
早めのご飯だったので、まだ夜の八時くらいだ。
“双極性障害とは、躁状態とうつ状態を繰り返す脳の病気のこと。気分が高まったり落ち込んだりする。躁うつ病、双極症とも言う。”
僕が経験したうつ病の場合は、うつ状態のみだが、彼女の場合、気分が高揚することもあるらしい。だからこそ理解されない辛さもあるのだろう。同じようで全く違う病気だが、理解されない辛さは同じだと思う。そんなこともあってか、彼女も友達は少ないらしい。
それから三日後、桜瀬さんが、お寿司を食べたいと言ったので、晩御飯は近くで一緒に食べることにした。連絡先はあの出来事の後、交換することになった。就職先が決まった大学四年生は暇なのだ。寿司ではなく、お寿司と言うところがかわいい。学生ってこともあり、お金は持っていないので、回転寿司である。初デートが回転寿司ってのはどうかと思ったが、学生ならよくあることなのかもしれない。
いつもの研究室を後にし、大学の校門前に行くと、花柄のワンピースを着た桜瀬さんが立っていた。
「おまたせ!」
と言って、ぴょこぴょことこちらへやってくる。
やばい、かわいい。
僕たちは、まだ少しだけ暖かい九月の夕暮れの中、駅へと向かう学生たちに紛れながら、店へと向かった。
機械から吐き出された伝票を取ると、桜瀬さんは番号を見るなり慣れた様子で席へと向かう。十年くらい前、家族で回転寿司に行ったときは、店員のお姉さんが席を案内して軽く説明をしていたが、最近はセルフスタイルがほどんどらしい。
テーブル席に、二人向かい合って座る。僕は、ネットでよくネタにされている、お湯を注ぐところを見て笑いそうになっていると、彼女も苦笑いしていた。
気づけば、つい三日前知り合ったばかりなのに、昔から仲の良かったような感覚になっていた。
「ご注文のお品が到着します」
と機械が喋ると、ベルトコンベアみたいなものに乗ったマグロが二皿到着した。
僕が取ろうとすると、桜瀬さんが二皿取り、そのうちの一皿を僕に渡した。
おそらく彼女は、根から優しい人なのだろう。
僕は「ありがとう」と言って受け取った。
その後というもの、アニメの話やゲームの話、友達の話が延々と続いていたが、お互いの病気に触れることはなかった。僕も聞きたいことがいくつもあったが、なんとなく病気の話はしないほうが良いと思っていた。
彼女が、注文用のタブレットの画面を触りながら言う。
「ハンバーグってあるんだね。初めて見た」
「あ〜、おいしいけど、結局ご飯と分けてたべるんだよな〜」
「そうなんだ。食べてみよっと」
「じゃあ、ついでにサーモンも頼むわ」
一緒に話していても、彼女が病気であるようには思えなかった。でも、彼女が僕とは近い病気であることに少し安心感を覚えていた。
しばらく喋っていたが、お互いの病気のことを考えてか八時には店を出ることになった。生活リズムは精神疾患患者にとって大切なのだ。伝票のバーコードを機械に通すと、2420円と表示された。恋愛経験ゼロの僕は、男が奢るものだと思っていたから、二人分払おうと思ったが、奢るのはダメだと怒られてしまった。
もうすっかり暗くなってしまった国道3号線を、車が通る音を聞きながら二人歩いていた。沈黙が続いていたが、それさえも心地よく思えていた。彼女など欲しいなんて思ったこともなかったが、こんな人となら、いつまでも一緒にいたいと思えた。
やがて桜瀬さんのアパートらしい場所に着いたところで
「じゃ、またね!」
といって帰っていった。またね、か。僕は小さくガッツポーズをして、自分のアパートへと歩いていった。