怪物を従える怪物
アンリノーフリィが現れたという報せを受けたとき、不思議とキャンプのみんなは落ち着いていた。私を含めて。来るべき時がやっと来たかという感じだった。
却っていつもキャンプに物資を運んでいた輜重隊のエルフの方が動揺していたくらい。
ヴェルエルを先頭に私たちはアンリノーフリィが現れたという場所に向かった。その後ろには支援部隊が続いて列を作っていた。
戦場に着くと既に酷いありさまだった。
巨大な竜巻が通った後の様に森は抉られてその部族の集落は完全に粉砕されていた。
破壊の痕跡はすさまじかったけど、怖くはなかった。噂に聞くアンリノーフリィならこんなものだろうって感じ。ビビるよりもみんな仲間を殺された義憤に燃えていたな。
私たちはオオカミを急がせてアンリノーフリィの通り道を辿って後を追ったよ。
やがて尾が見えてきて、ついにその巨大な姿を捕えたときも、私たちに恐れなんかなかった。
ああ確かに規格外だ。だがそれがどうした。こっちだって準備してきたんだ。必ずここで殺す。
口には出さなくてもみんながそう思っているのが伝わってきた。
破壊に満足したのかノロノロと進むアンリノーフリィに私たちは追い付くと、森の中を疾走しながら陣形を整えた。
全てが練習通りだった。
しかも相手はまだこっちに気付いてすらいない。先制攻撃を叩き込む絶好のチャンス。
ヴェルエルの隊がスピードを上げて、アンリノーフリィに接近していった。
「回頭しろォォォォォォォォォォォ!」
物静かな父さんが突然隣で声を張り上げた。
同時に右手を上げて『全軍左に曲がれ』のハンドサインを出す。
一瞬訳が分からなかったが、すぐにその理由が分かった。
前を進んでいたヴェルエル隊の右横から猛烈な勢いで別のラジャスが突っ込んできたんだ。
いち早く父さんの意図を理解したヴェルエルは間一髪隊を回頭させてなんとかラジャスの突撃をかわしたけど、絶好のチャンスを不意にしたこと、二体目のラジャスが現れたことの衝撃は大きかった。
「くそっこんな時に!」
軍団全体が大きく寄れたことに腹を立て、誰かがそう言ったのが聞こえたけど、それは偶然なんかじゃなかった。
アンリノーフリィがその巨体を向き直してこちらの方を向き、私たちも反転してアンリノーフリィとラジャスへ向かい合おうとすると、すぐ後ろで地響きが起きて、地中からさらにもう一体のラジャスが顔を出して現れた。
「なんだとぉぉっ!?」
人一倍負けん気の強いギルエルが叫んだ。
私も叫びたい気持ちだった。
って言うか多分全員同じ気持ちだったと思う。その瞬間、一斉にみんなの肌が白から黒に変わったから。
先制攻撃どころか、気が付けば私たちは待ち伏せを受けて挟み撃ちにあっていた。
アンリノーフリィには他のラジャスを従える能力があるようだった。そうじゃなきゃ説明がつかない。ラジャスが群れることも、こんな手を使うのも初めて。
あの瞬間、これがアンリノーフリィかと思い知らされた。ヤバイと思ったよ。正直な。
でも四人のリーダーは懸命に部隊を指揮し続けて、すぐ反撃に移った。
総司令のヴェルエルは、ギルエル隊を示すサインを出し、後ろに現れたラジャスを指した。
声は出さずとも、しわがれたヴェルエルの声が聞こえたような気がした。
『ギル、今すぐあいつを片付けろ!』ってね。
もちろんギルエルもそう受け取っていたらしい。
「後ろは任せとけ! 振り向かなくていいぞォ! 三十分で戻る!」
と言ってギルエル隊は背後に現れたラジャスへと向かっていった。
次にヴェルエルはハバエル隊のサインを出し、アンリノーフリィの手前に現れたラジャスを指した。
『蹴散らせ、ハバエル!』
「俺たちは二十分で片を付ける! 行くぞ!」
父さんが叫ぶと部隊は気炎を上げてラジャスに突っ込んでいった。
そのとき、ちらりと横を向くとヴェルエルの隊とヨーエルの隊がアンリノーフリィへと向かっていくのが見えた。
いきなり戦力は半減。
でもウダウダ考えるより動いていると闘志が湧いてきた。
ビビってる場合じゃない。行動すべきときだった。
ラジャスを相手にする場合、普通なら死角になる後ろから攻めるけど私たちは真正面から突っ込んだ。
相手も無数の脚を動かして物凄い勢いで向かってきた。
ぶつかるって瞬間、父さんが腕を掲げて、瞬時に隊が二つに分かれた。左右に分かれた隊はラジャスの側面にたっぷり矢をぶち込んでいった。
膂力を鍛え、鉄弓をさらなる強弓に取り換えた特訓の成果はあった。
至近距離から射ちこまれた私たちの矢は、ラジャスの体に深く深く突き刺さった。
「ギィィィィィィ、ギィィィィィィ!」
金属をこすり合わせたみたいな声でラジャスが鳴いた。痛みではなく怒りで。
カノン砲並の矢を、続けざまに三十発は射ち込んだけど、それだけでラジャスは死なない。
怪物の命を奪うのは矢傷そのものではなく、あくまで矢に塗られた猛毒のホシオトシだ。まだまだ致死量には足りなかった。
ラジャスは怒りに身をよじりながら、顔を父さんの方に向けてそっちを追いかけ始めた。
だからちょうどラジャスの体を境に、反対側にいた私たちにはチャンスだった。
私を含めた十人のエルフは大喜びでラジャスの尾に食らいつくように追いかけて、何度も矢を射った。
するとラジャスが私たちを追い払うように、長い尾を薙ぐように振った。
ラジャスの振り払いは地面を抉りながら木も岩も吹っ飛ばす。小さな丘くらいなら平らになるくらいの威力がある。
だから普通は下がってかわすけど、戦いでハイになってた私たちは、その瞬間逆に突っ込んでオオカミを跳ばせた。
いま思うと不必要に無謀だったけど、そのときはアドレナリンとかエンドルフィンとかドバドバ出ててそれどころじゃなかった。
オオカミたちは高くジャンプして、ラジャスの振り払いを避けた。
私の乗るオオカミのショコラは特に高く飛んで、たぶん十メートル近くは浮かび上がったと思う。
攻撃を飛び越えた瞬間、みんなで雄たけびを上げたよ。
「ウォォォォォォォ!」「フォォォォォォ!」とかな。
着地の衝撃をこらえて大地を踏みしめると、私たちはまたラジャスの体を沿うように走りながら矢を放ち続けた。
心なしか少しづつラジャスの動きが鈍くなってる気がした。
「ギィィィィィィ!」
とラジャスは大きく身を起こしてまた鳴き声を上げると、操り人形の糸が切れたみたいに、突然バタンと倒れた。
もっともラジャスの重さは千五百トンもあって、体を持ち上げると頭は二十メートルくらいの高さになるから、バタンというか雷が落ちたみたいにズゴォォォォンと倒れた。
私たちもだいぶ射ったけど、前で戦っていた父さんたちも負けてなかったらしい。倒れたラジャスの顔には十五本も矢が突き刺さっていた。
だけど喜んでる場合じゃなかった。
早くしないと予定の半分の数でアンリノーフリィと戦ってるヴェルエルとヨーエルの隊が壊滅する。
すぐさまそっちに向いたかったけど、もうみんな矢がない。だから一旦少し戦場から少し離れた支援部隊がいるところまで引き返す必要があった。
もどかしい時間だよ。
急いで戦場を離れて支援部隊の場所まで着くと、空になった矢筒を放り出し、新しい矢筒を受け取ってすぐにまた戻る。
他の隊も矢が足りなくなってるはずだから、私たちは一人分だけじゃなく二個も三個も矢筒を担いでったよ。
この矢筒がまた重いんだ。一本三キロの矢が二十本も束になってるやつだから。
でもそのときは重さなんて感じなかった。
とにかく急いで戻ることしか頭になかったんだ。
戻る途中、ラジャスを仕留めたばかりのギルエル隊と合流して、持ってた矢筒を投げ渡した。
私たちと同じようにギルエル隊の連中も戦いの興奮で目がギラギラしてた。
どんな敵でも食い殺してやるみたいな目さ。
前座は終わった。さあメーンイベントだ!
って、私たちはアンリノーフリィの方に向かった。
やる気は十分。
命だって惜しくない。
だけどそれでもアンリノーフリィを間近で見ると、これと戦うということに疑問を抱く。
本当にでかい。
普通のラジャスだって十分怪物だ。
ラジャスは平べったい体をしてるけど、それでも縦の高さだって三メートル近くある。
でもアンリノーフリィと比べたら幼虫みたいなもんさ。
あいつは高さ六メートルは下らない。殆ど壁だよ壁。城壁。
それがとぐろを巻いてヴェルエル隊とヨーエル隊を嬲っていたけど、本当に山一つ相手にしてるみたいだった。
死ぬのは怖くないが、本当にこれは戦う対象なのか?って疑問が浮かんでくる。
私たちが着いたとき、もう二十騎近くのエルフがやられていて、二つの隊は崩れる寸前だった。しかもアンリノーフリィは殆ど無傷のまま。
誰がどう考えたってまずい状況だった。
それでもヴェルエルはハバエル隊とギルエル隊が戻ると、大声で叫んだ。
「戦士たちよ!」
しわがれた声のくせにアンリノーフリィが動く轟音にも負けず、ヴェルエルの声は戦場によく響いた。
「斃れた者たちは慰めなど望んでおらん! 望んでいるのは、今日、勝者として称えられることだ! 行くぞ、エルフの明日の為に!」
ヴェルエルの言葉でみんなが奮い立った。
父さんや他の守り手も続けてヴェルエルの言葉を繰り返した。
「エルフの明日の為に!」
そして一年かけて計画された狂気が始まる。
巨大な怪物に向って突っ走る。死の百メートル走だ。