雷神の鎚の如く
次の日、私たちは集落を出ると、未開地まで歩いてそこにキャンプを張った。
キャンプというよりそこに新しい集落が一つできたと言った方がいいかな。
その集落の中心となるべく呼び寄せられたのは八十人の精鋭。
鉄のように強い男たちが集まっていた。さらに自分たちを鍛え上げて雷神のハンマーみたいに強くなるために。
常識外れのラジャス、アンリノーフリィを倒す方法を話し合われた。
まず普通のラジャスの場合、頭と尻尾から三十メートル離れていれば安全圏だと言われている。
オオカミに乗っていることを前提として、ラジャスが首や尻尾を振り回しても攻撃が届かないラインがこの距離だ。対して私たちの弓が通じるのも同じくらい。
だから私たちは三十メートルを一つの境として戦う。射つ瞬間に危険域に入り、素早く脱出を繰り返すんだ。
アンリノーフリィの場合は、外殻が分厚すぎて、三十メートルから矢を放っても通じない。
でもお兄ちゃんが死ぬ寸前に射た一矢が、攻略の突破口を開いた。
あいつは馬鹿でかくて装甲も普通のラジャスよりずっと分厚いけど無敵じゃない。
距離約十メートルからお兄ちゃんと同じ強さの弓を使えば、アンリノーフリィの装甲を貫ける。
ただし体が大きい分、安全圏といえるのはおよそ六十メートル以上の距離予想されてた。差し引き五十メートルは、こちらの攻撃は通じず相手だけが一方的に攻撃できる完全に死地となる計算だ。
そこで考え出された戦術はいくつかの班に分かれ、死角から波状攻撃をかけるというものだった。
死の間合い五十メートルを突っ走って矢を放ち、そのまま止まらずまた五十メートル駆け抜けて距離を取ることを繰り返す。
何度も何度も自分の命を賭け札にして博打を打つようなものだよ。
そんなのことをやるのは命知らずの馬鹿だけさ。
幸いなことに馬鹿しかいなかったのでそこはあまり問題にならなかった。
目標は全員が、お兄ちゃんと同じ――つまり強き弓のハバエルとも同じ強さの弓を使えるようになること。
そして集団戦術。一分の隙の無い完璧な連携を身に着けることだった。
ここで問題があった。
アンリノーフリィと互角以上に戦うには個人プレーではなくチームワークが必須。
でも、集められた八十人の守り手は、スーパースターばっかりだった。みんな我が強くて命知らずで、地元じゃ負け知らずの勇者。
そいつらを纏めて一個の意志に統一するために、強力な司令官が必要だった。
候補は二人いた。
私のパパ強き弓のハバエルと、守り手の中で最高齢の超ベテラン不死身のヴェルエル。
前にも触れたけど二人には『地上最高の戦士』って称号を巡る暗黙の対立があった。
称号の持ち主であるヴェルエルが死ねば十中八九その称号は父さんのものになる。
ヴェルエルとしても実力的には自分を上回ってると言われてた父さんの存在は目の上のたんこぶだった。
せっかく集められたエルフの精鋭が真っ二つに割れてもおかしくなかった。
二人が膝を突き合わたときは全員が緊張した。
タラリスって名前の気の早いメスエルフは、外に出て二人の戦う土のリングを均し始めたくらい。
でもいざ話し合ったとき、二人ともが互いにボスの座を譲り合った。
「俺は口下手だから皆を引っ張るのには向いていない。ヴェルエルさんが適任だ」
と父さんが言うと、ヴェルエルは目をギョロつかせてこう返した。
「三十年前ならやるなと言われても俺がやっていたが、いまはもうお前の時代だハバエル」
まさかヴェルエルが自分で全盛期を過ぎたことを認めて父さんを推すなんて誰も思ってなかったから、みんな息を呑んだ。
私としても超意外だった。
絶対最後は二人が殴り合って決めるものだと思ってて、もう試合の準備もしてたからね。
っていうかヴェルエルのハゲは私と戦ったときと全然対応が違うんだけど、どうなってんのって感じ。
話し合いでボスを決めるなんて、私たちエルフはなんて文明的で平和主義者なんだと感動したよ。
感動ついでに、私は二人の間に割って入って言った。
「二人ともキャプテンになるつもりがねンなら私が立候補するけど?」
「お前は黙ってろ!」
って二人から怒鳴られて天幕から叩きだされた。
誰だよ、二人は喧嘩してるとか言ったの。仲いいじゃん。
しかも私がそうやってしゃしゃり出たのが決め手になった。
「見ての通りだ、ヴェルエルさん。俺は娘一人躾けるのにも苦労してる。キャンプ全体の面倒を見るなんてとても無理だ」
「くくく、いいだろう。そっちは俺がやる。だが俺は子守はせんぞ。あいつはお前が見てろ」
それでキャンプの総司令官はヴェルエルに決定だよ。
ま、ヴェルエルは一番経験豊富だし、けっこう弁が立ってみんなの士気を挙げたり、人に指示することにも慣れてたから、私も父さんより指揮官に向いてたと思う。
その後でさらに八十人を四チームに分けて、四人のリーダーが二十人づつを率いて戦うってことになった。
各リーダーはヴェルエル、父さん、それと魔弾のギルエルと氷のヨーエルって人。
ギルエルはヴェルエルの親戚筋で同じ一族のエルフだった。
性格もなんか少し似てて、まだ若いヴェルエルって感じ。歳は四人のリーダーの中で一番若くて生意気な奴だったけど、弓の腕は実際大したもんだった。
二、三本の矢を一度に射ったり、射った矢をカーブさせて標的に当てたりする曲射ちが得意な奴だったな。
ヨーエルってエルフはちょっと変わり者だった。他の三人がすぐカッカするタイプなのに対して、どんな時でも氷のように冷静で機械の様になんでも正確にこなす。
ただ感情がないとかそういうタイプじゃない。むしろやっぱり負けず嫌いで、勝つための最善手だと思ったらどんなお寒いことでも平気でやるような奴だな。
例えばリノーフ式のレスリングはポイントで勝ってても最後まで攻め続けるのが普通。だってそれがエルフの戦士の心意気ってやつなんだもん。
でもヨーエルは普通に時間稼ぎして悪びれもしない。まあ勝つためならそういう奴も必要だった。
ついでに言うと私は懲りずにチームリーダーに立候補したけど、結局父さんのチームに入れられた。
経験ゼロだしスタンドプレーしすぎだからリーダーに向いてないんだとさ。
そんなこんなで、集団戦の訓練をするときはその四チームに分かれて訓練することになった。
その他にも細かいことを色々話し合った。
例えばキャンプの運営について。
私たちのキャンプを維持するためだけに、いくつかの小キャンプがあって、そっちとの打ち合わせだな。
エルフは人間より大食いだから、八十人の守り手と守り手が乗るオオカミの食糧だけで結構な量になる。
私たち自身で狩りもするけどそれだけじゃ全然足りない。
他にも日常で使う衣服や薬の確保問題もあった。矢なんかも消耗品だ。
守り手の矢は太い鉄の矢で、矢じりに毒を多く染み込ませるための細かい溝が入ってる。普段私たちは意識せずバカスカ射ってるけど、実は鍛冶のおじさんエルフが一本一本手作りしたものだ。
美しき絆よ!
戦うのは戦士だけじゃない。
狩人も、鍛冶屋も、服を縫ったり料理を作ったりするおばさんだって、自分にできる方法で戦ってるってことさ。
そうして灼熱の一年が始まった。
すでにベテランのエルフたちが、もう一度基本の基礎トレーニングから初めて一から体を作り直した。
ちょっとシュールだけど、みんな超大真面目さ。
汗と泥でビチョビチョになりながら重し杵を振り回したり、取っ組み合ったり。
紅白戦をやったり、アンリノーフリィに見立てた目標を全員で攻撃したり……雨の日も風の日もオオカミに乗って泥だらけになるまで森を走った。
普通じゃやらないようなイカレたトレーニングもみんなでやった。
例えば他のエルフを背負い、また別のエルフに両足首を掴まれた状態で、上から垂らされたロープを腕の力だけで何十メートルも登ったり。
失敗すりゃ一度に三人とも死ぬけど、それがいいんだ。仲間の命を背負ってることを実感できて力が湧いてくる。
他には宙吊りになって上体起こしするっていうのもあったな。それだけじゃけっこう普通だけど、それを弓の射ち込み訓練してる射線上でやんの。
飛んでくる矢を見切り、タイミングよく上体起こししないと大変なことになる。朗報があるとすれば、失敗したらその後のことは考えなくていいってこと。
射手も射手でプレッシャーが掛かるいい訓練だった。
話だけ聞いてれば馬鹿みたいな訓練だと思うかもしれないけど、効果はかなりあったよ。
最終的にみんな父さんと同じ弓を引けるようになったし、死神とティータイムできるくらい死に慣れたおかげで、超人的な死に際の集中力ってものが身に付いた。
私も弓矢を射っていてそれを実感できた。
あるとき私が矢を射ろうとして弓を構えていると、いつものように父さんが言った。
「タラリス、何が見える」ってね。
そのときに初めて自分でも今までと違っていたことに気付いた。
「的が見える」
「他には何が見える? 視界に入っているものを全て言え」
「いや。的しか見えない。他のものは何も」
その言葉に父さんは満足したみたいだった。
実際本当のことだった。二百メートル先にある的が二十センチのところにある様に見えたんだよ。
そんな状態で矢を外すわけがない。
皆で訓練をしていくうちにエルフの宗教で言われていることを実感した。
私たちエルフが崇めてるのはエンドレスという存在だ。自分の体をちぎって世界を創造した創造神。
それは最小であり最大のもの。不動であり一つのものであり、同時に絶えず動き回り分裂し続ける。
一歩進めば無限の方向に進む。エンドレスに始まりはなく、中間もなく、終わりもない。
水も空気も虫も私たちもこの世にあるものはみんなエンドレスの一部だ。
様々な個性がありみんな違って見えるが、ただ顕れ方が違うだけ。
だから、心からそう望めば私たちは一つとなり一個の存在として戦うことができる。
八十人のエルフと八十頭のオオカミは、厳しい訓練の果てにそうやって戦う術を身に着けた。
訓練をやってるとき、二回キャンプの近くにラジャスが現れて、私たちが出撃したことがあった。
どっちのときも、私たちはあっという間にラジャスを片づけた。普通は一体退治するのに一昼夜かかることもあるけど、三十分もかかってなかった。
付け加えると、私もそのときは前回みたいな醜態は見せなかった。
一回目はちゃんと闘いの水とやらを飲んでいったし、二回目はケセラセラ、飲んだふりして捨てたけど何とかなった。
二回……いや私が初めて出会った奴を入れると、三回。狭い範囲と短い期間に三体もラジャスが現れたのは何かの予兆のようで、みんながピリピリしてた。
私が冗談めかして「アンリノーフリィはもうリノーフから出て行って人間世界の方に行ったんじゃない?」というと、父さんもヴェルエルも真剣な顔で首を振った。
「それはない」
「エルフの肉は美味い。誇り高いからだ。奴が人間世界になど行くものか」
全然理由になってねえ。けど二人とも本気でそう思ってた。
そして理由はともかく、二人が正しかった。
特大のラジャス、アンリノーフリィは再び私たちの前に姿を見せた。