剥ぎ取られた虚飾
タラリスの激しい怒りはキャリバンに向けられたものだが、その場にいた他の人間さえその憤怒にはたじろいだ。
それだけではなく、まるで時間さえもがその怒りの前に恐怖して凍り付いたかのようだった。
『永遠の一瞬』がかつてないほどの冴えわたり、凍った時の中をタラリスは一人歩む。
タラリスは握った鉄弓を棍棒代わりに真っ向から脳天へと振り下ろす。
キャリバンの脳天が変形するも、痛みを伝える神経の伝達速度と、表情筋の動きを遥かに超えた速度での殴打であるため、その顔にはまだ嘲笑が張り付いていた。
その顔を見てさらにタラリスの怒りが燃え上がる。
左足でキャリバンの肩を掴んで引き寄せ、右膝での飛び膝蹴りを顔面に叩き込む。
「がはっ。は……は……」
凍りついた時が動き出し、キャリバンがようやく痛みを認識した。
だがそれも一瞬のことだ。
キャリバンの認識では黒い何かが視界に映ったかと思うと、強烈な痛みが襲ってきて意識が飛ぶという状況である。
自分が嵐のような猛攻に晒されていると気付いたのは、三度目の意識の断絶の後だった。
これは……まずい。
タラリスを挑発したのは明らかに悪手だった。
滅多に自己の行いを顧みないキャリバンですら後悔せざるえないほどの、間断なく続く容赦ない攻め。
キャリバンの肉体は不死の霊薬と呼ばれるAAによって強化されていた。
そうでなければとっくに死んでいる。
だがその再生力も凌駕されつつあった。
さ、再生が追い付かない。このままじゃサンドバックのままやられる。
一瞬繋がった意識の中、キャリバンはまだ右手に剣を握っていることを確認した。
「ちいぃ!」
ほぼ無意識の中でキャリバンが繰り出した突きは、意外にもしっかりとした型だった。
それを見たタラリスの目が一瞬だけ正気の輝きを灯す。初めて攻撃の手を止め、タラリスは突きを回避した。
ここだ。
と、キャリバンは左手でタラリスの腕を掴もうと、さらに踏み込む。
ここだ。
と、タラリスはキャリバンの動作を全て読んでいた。
伸ばされた腕をかわし、カウンターの拳をキャリバンの顎にねじ込む。
キャリバンは自身の顎の骨が砕ける音を聞いた。
そして暗転していく意識の中で、魔剣へと縋った。
「……え、エグゼキューター……なんとかしろ。なんとかしろ!」
剣を通して、無数の記憶がキャリバンへと流れ込んだ。
数千という人生を瞬時に追体験し、キャリバンはタラリスという脅威への解答を探る。
誰かがこの状況を切り抜ける経験を持っていると期待して。
だが答えはなかった。
代わりに、ダルシーやエミールを始めとする、いままでに殺したペガーナ騎士団関係者やタラリスのことを知っていた者の記憶が、異口同音にその強さと恐ろしさを語る。
『お前はここで死ぬ』
『逃れる方法はない』
『ラジャス殺しタラリスは決してお前を許さない。決して』
エグゼキューターを通して死者たちは亡霊のようにキャリバンの耳元で囁き続ける。
「ひっ……」
キャリバンの顔は引きつった。
久しく忘れていたここで自分が死ぬかもしれないという感覚。
その恐怖を振り払うようにキャリバンは叫ぶ。
「そ、そんな馬鹿のことが、認めん、認めんぞォォォォォ!」
キャリバンは叫びながら怒りに任せた大上段からの振り下ろし。
と見せかけて、途中で剣筋の軌道を変え、胴へと打ち込む高等技を見せた。
対してタラリスは速度で上回るのみならず、完全なる先読みにて対応した。
剣筋が変わることなど最初から分かっていたかのように、あらかじめ魔剣の刃の届かない場所に移動しながら、キャリバンの顔面を蹴り飛ばした。
見切られている。いや、動きが読まれている。
ダメージ以上にそのことがキャリバンを動揺させていた。
「な、なんで分かる!?」
「それはダルシーの剣のパクリだろ。分かるよ、それくらい」
「……だ、だが俺は負けん! 不死の霊薬を飲んだ俺を殺すことは不可能だ!」
「いや死ぬんだよ、お前は。不死の霊薬で本当に不死身になれるなら、それを作った古代人たちが滅ぶはずがないだろ。それは不完全だ」
「う、あ……」
「馬鹿が。やっと状況を理解したか」
「ば、馬鹿だと……十六で五つの論文を発表したこの俺が……」
「それはお前じゃない。エミールの記憶だ。いまここで震えているお前とは関係ない」
「震え……そんなはずはない。二齢の時分、三齢のヴィーカを殴り飛ばしたときも俺は震えなかった……」
「貴様ぁ!」
キャリバンの呟きを遮るように、声にならぬ野太い声が響いた。
両肩を支えられて現れたのはゴーシュである。
「それは俺とダルシーの記憶だ! 俺たちの喧嘩だ! お前は何者でもない!」
「……お、俺は……そうだ、俺はエグゼキューターだ。命を食らう者……」
「エグゼキューター? それは剣の名前なのではないですか?」
「なっ……!!」
ローズが口を開き、畳みかけるように言った。
「皮肉な名前なのです。エグゼキューターが剣なら、いつの間にかあなたの方が剣の付属品になっていたのでは?」
「そんな……お、俺は、俺は……」
俺は……。
キャリバンは自身に問いかける。
だが、その問いの答えとなるべき場所には虚無が広がっていた。
なにもない。
俺は……誰だ?
記憶情報の引き出しの乱用と、激しい脳の損傷と再生の繰り返しがキャリバンの意識を蝕んでいた。
いくつもの記憶が混濁し、もはや自分が何者かすら分らなくなっていた。
たった一つ分かることは、いまから自分が消えるということ。
天に接するほど積み上げた摩天楼の如き勝利も、屍の山と血の河を使って築いた城も、この地上に君臨するはずの自分も、結局は溶け合って消えていくというのか。
幻のように、風に流される雲のように。
そんなのは嫌だ。
死にたくない。
「うわああああああああああああっ! 黙れ黙れ黙れ! 死にたくなぁぁぁぁい!」
絶叫して振り回される魔剣。
タラリスの狙いはその剣の横腹だった。
タラリスの鉄弓が剣の横腹を激しく打ち据えると、魔剣は甲高い破断音を立てながら真っ二つに叩き折れた。
一瞬の間さえおかず、無防備になったキャリバンの体を毒矢が貫いていく。
「は、はぁぁぁぁぁ……」
キャリバンが最後に感じたのは、途方もなく巨大で底のない穴に落ちていく、という感覚だった。
決して這い出すことはできない暗黒の中へ、自らが掘った虚無の中へどこまでもどこまでも落ちていく。
男の意識は奈落の底へと沈み、そして消えていった。




