逆鱗
タラリスは姿を消したダルシーの偽物を追い、天幕の中を一つ一つ見て回っていた。
「くそ! いったい何処に行きやがったんだよ」
捗らない作業に次第にタラリスは苛立ちを募らせていく。
しかし、ある天幕を開けた途端、タラリスの頭に登っていた何リットルもの血液は、さあっと微かな音を立て引いていった。
「なっ……」
視界に飛び込んできたのは、血溜まりの中に沈んだエミールだった。
考え得る最悪の事態。
「エミール……しっかりしろ、おい!」
タラリスはエミールを抱いて大声で呼びかけた。
エミールの顔は青白く、握ったその手はひんやりと冷たい。
「くそ、くそ! 衛生兵ぇぇぇぇ! くそ! 早く来ぉぉぉぉい!」
タラリスは大声で叫んだが、発見した時点でエミールは既に相当量の血を流していた。
助けを呼んでいるタラリスですら、半ばこれはもう手遅れなのではないかと思ってしまうほどの出血量である。
だが必死の呼びかけが届いたのか、なんとエミールはタラリスに言葉を返した。
「た、タラリスさん?」
「そうだ! 大丈夫だ、いま医者がくるからな! 気を強く持てよ!」
か細い声でエミールは答えた。その声はあまりにも小さく、エルフでなければ聞こえなかっただろう。
「タラリスさん……聞いてください……」
「ああ、なんでも聞いてやる」
タラリスはぎゅっとエミールの手を握った。やはりぞっとするほど冷たい。
「あの羽の正体が分りました。匂いで……」
「あ? なんだって」
次第に小さくなっていくエミールの呟きを、一語一句聞き逃すまいと、タラリスは全身の神経を耳に集中した。
「匂いで分かったんです。きっとあの羽の持ち主は、タラリスさんみたいに香水を付けていた……ただの鳥じゃなく文化を持った生き物……セ、有翼人だと、アーサー卿にそう伝えて下さい」
「分かった、伝える。伝えるから頑張れエミール!」
「タラリスさん……」
「なんだ?」
「……」
「なんだエミール!? おい! エミール!!」
タラリスは何度もエミールの名を呼び、何を言おうとしたか聞き返したが、答えが返ってくることは二度となかった。
その鼓動は完全に止まり、エルフの聴覚ですらもう聞くことはできない。
タラリスは冷たくなっていくエミールの体を温めるように胸に抱き、もう一度穏やかな口調で聞いた。
「なぁ。なにを言おうとしたんだよ、エミール? 私になにか言う事があったのか?」
タラリスはそのまましばらくエミールを抱いていた。
ようやくやって来た衛生兵にエミールの遺体を預けると、血でべったり汚れた姿のまま、タラリスはフラフラと外にでた。
「悪いなエミール、最後聞き逃しちまった。でも私がやってやれることは一つしかないから、それで許してくれ」
異形へと変化したキャリバンの猛攻は、戦況を逆転させていた。
所々鱗の生えた大猿、とでも形容すべきキャリバンはスピードとパワーの両面でマロと互角以上に渡り合う。
「があっ!」
飛び出したマロの牙がキャリバンの肩に食い込んだ。
そのまま地面に抑え込もうとマロはグイグイと押し込んだが、キャリバンはオオカミの巨体を受け止めて逆に抱えこむと、力任せに地面に叩きつけた。
「グゥゥゥ……」という苦痛と怨みが籠った呻き声がオオカミの口から洩れる。
「なんだその眼は。飼い主に代わって俺が躾けてやるよ」
キャリバンはマロの頭を鷲掴みにすると、何度も地面に叩きつけた。
マロがぐったりと動かなくなると、トドメを刺すべくエグゼキューターを振りかぶる。
そのとき「やーーーーっ!」と甲高い声を発しながらローズが飛び掛かった。
ローズはクルクルと回転しながらキャリバンの体を何度も蹴りつける。
キャリバンの剣はローズの頬を掠めたが、恐れずローズはくるりと回転しさらに一歩を踏み出すとキャリバンの脇腹に裏拳を放つ。
鈍い音と共に、裏拳は申し分のない威力でヒットした。
しかしキャリバンはローズを見下ろして、ニタリと口角を吊り上げる。
「くくくく……軽いなぁ!」
「まだです!」
まるで石ころを蹴るかのように、キャリバンはローズを蹴り飛ばした。
そのままローズは布の張った天幕に突っ込み、追い打ちをかけるかのように魔剣を手にしたキャリバンが、のしのしと近づく。
だが、トドメを刺そうとしたキャリバンは再び中断させられた。
「撃てぇぇぇぇっ!」
掛け声とともに無数の発砲音が荒野に響く。
ローズとマロが時間を稼いだ隙に、守備隊が隊伍を組んでいたのだ。
無防備に身を晒すキャリバンに対し、並んだライフルの銃口が一斉に火を噴く。
幾度となく轟く銃声。
だが、火薬の爆ぜる音と硝煙の匂いに、いつしか哄笑が混じっていた。
「ハハハハハハハハ! どうした騎兵隊ども! それっぽっちの銃で不死身の俺と戦うつもりか! 時間稼ぎにもならんぞ!」
「く……」
ライフルを構える守備隊に焦燥の表情が浮かんだ。
銃で武装しただけの一般兵では、AAによって強化された敵の相手は荷が勝ちすぎる。
ペガーナ騎士団の中でも不死の同盟と互角に戦えるのは、騎士号を持つ一握りの上級兵だけだった。
殺される。
守備隊の隊員たちはそう覚悟した。
しかし空薬莢を排出し次弾を込める手は震えながらも、その場を離れる者はいない。
意地である。全員が歯を食いしばって恐怖と戦っていた。
その恐怖の顔を見て、キャリバンは愉快そうに笑った。
命を奪い、さらにその人生の記録を我が物とする瞬間はいつだってたまらない愉悦だった。
「へへへ。俺は無敵だ。エグゼキューターに殺された何百何千という人間の命が、俺をこの高みへと押し上げた」
「まだまだです!」
立ち上がったローズは果敢に飛び蹴りを放つ。
それに合わせて放たれたキャリバンのカウンターの右パンチ。
が、ローズはさらにそれに対応した。
パンチをかわしつつ、伸ばされた腕に一瞬ぶら下がり、反動をつけてキャリバンの顔面を蹴り上げる。
「くくく効かんなあ……」
閃光のような攻防を制したローズではあったが、キャリバンは薄ら笑いを浮かべ、無造作にローズを叩き落した。
そして倒れたローズの小さな頭を躊躇いなく踏みつけにして、さらにグリグリと頭を踏みにじる。
砂に顔をめり込まされたローズは苦痛の呻きを上げた。
「ぎゃっ」
「へへへ。やっぱり哀れだなあ。いまからお前をぶっ壊すけどよ、この剣でも、機械のことは記録できねんだわ。つまりテメエはただぶっ壊れて、永遠に消え去るってワケだ。なあ、もう一回言って見ろよ、幸せな人生だったってなあ!」
「な……何度でも言うのです」
キャリバンの足元でもがきながらローズは答えた。
「私は私の人生を生きられて幸せなのです! 他人の人生を盗み見て満足しているあなたと違って!」
「あ?」
キャリバンの足に力がこもる。
「うぐぐ……」
「いまなんつった、おい」
キャリバンの足元でローズが口を開いた。
「優勢になれば油断して相手を見下し、劣勢になれば恥も外聞もなく地団太を踏む。だから何度も勝機を逃すのです。とっくに壊されていてもおかしくない私が、まだこうして喋っているのがいい証拠なのです」
「なんだぁガラクタ、早く壊して欲しいのか?」
「ほら。だから言っているでしょう。下向いてよそ見して、私とお喋りしている場合なのですか?」
ローズが言葉を言い終えるかどうかという瞬間、鉄の稲妻が空から飛来し、キャリバンの体に大きな風穴を開け、その巨体を吹っ飛ばした。
守備隊も、ローズもマロも、みな一様に鉄の稲妻がやって来た方向を見上げ安堵の声を上げる。
金の髪をたなびかせ、弓を構えたエルフのシルエットが浮かんでいた。
「タラリス!」
「タラリス卿!」
「みんな遅れて悪かった。あとは私が引き受ける」
「へ、へへへ……」
串刺しにされたはずのキャリバンが、くぐもった笑い声を上げながら起き上がった。
体に開けられた穴がゆっくりと塞がっていく。
「より強きタラリスのご登場か。待ってたぜえ……お前の力はぜひ欲しいと思っていた」
「あん?」
「この剣で相手を殺すとな、殺した相手の姿も力も記憶も全部俺の物になるんだわ。だからお前のこともよく知ってるぜえ……俺に殺された奴らの記憶が教えてくれる。ふっふふふふ、あははは」
「……何がそんなにおかしい?」
タラリスは爆発しそうになる感情を必死に抑えていた。
これほど感情を逆なでする相手は久しぶりだった。
「いやあ、実はな、さっき俺が殺したエミールってガキ。お前のことが好きだったみたいだぜ。あははは、代わりに俺が告白してやるよ! 好きでちゅよ、タラリスさ~んってな!」
「……―――!!」
その瞬間、タラリスの思考は完全に消し飛んだ。
外聞、気遣い、慎み、常識、遠慮――理性に属するあらゆる概念は吹き飛び、気が付けば叫んでいた。
「嘲笑うなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!!」
恒星の爆発にも似た大激怒。
そしてタラリスの体はその怒りを反映するかのようにドス黒く変色した。
漆黒。
全てを塗りつぶす漆黒。
それはある意味で、タラリスの父ハバエルが娘にそう在れと教えた姿だったのかもしれない。
今のタラリスはまさに、戦士という言葉さえもが恐れ入る戦士だった。




