研究者の戦い
天幕の中にはいくつかの遺物が置かれていた。
建物の壁面に使われていたと思われるそれらの遺物は、青みがかかった白い材質で、恐らくコンクリートの一種だろうと思われた。
だがそんなことよりも、タラリスはエミールを見てニヤリと笑う。
「いきなり女を二人も連れ込むとは……ちょっと見直したよエミール」
エミールがぎょっとするほどタラリスは青年に顔を近づけた。
「ねえ、なにするの?」
マロの獣臭に混じって香水の匂いがエミールの鼻をくすぐる。
ドキマギしながらエミールは言った。
「ちょっと違いますって! そういうことで呼んだんじゃないです! 僕は科学の発展のためにですね!」
「ヒャヒャヒャ! 知ってるよ!」とタラリスは照れるドギマギするエミールを面白がって笑う。
「しかし、お前は科学と結婚する気かぁ? ねえローズ……ローズ? どうしたんだ、むくれて」
タラリスが振り返ると、ローズはむすっとした表情を浮かべていた。
「さきほどのゴーシュ卿の言動は納得しかねるのです。なんだかあの人は、タラリスやマロを目の敵にしている気がするのです」
「僕にも聞こえてたけど、ゴーシュ卿は誰にでもあんな感じだよ。まあ、こっちに来てからちょっとイラだってるかな~って思うときもあるけどね。気候が合わないのかも」
「私はそうじゃないと思うけどね。こういう守備隊の責任者っていうのは、騎士にとってもプレッシャーなんだよ。ちょっとくらいピリピリするのは許してやりな。それもこれも、みんなを安全に帰すためなんだから」
「む~。タラリスはいつもゴーシュ卿を庇っている気がするのです」
「だって私だったらこんな仕事絶対やりたくないもん。そりゃ庇うさ。まあそれはいいとして、なんで私たちを呼んだの?」
「そうでした。ちょっと取り急ぎローズに見て欲しいものがありまして……」
そう言ってエミールは布でくるまれた遺物を取り出した。
手の中で布を注意深く開いていくと、現れたのは錆びて朽ちかけた一枚の金属版である。
その表面には規則的な記号が並んでいた。
エミールが補足する。
「先日見つかったものです。この文字は我々がペガーナ文字Dと名付けた系統の六番目の文字で、ペガーナ文字D6と呼んでいます」
「ふむふむ」
「ここで見つかったばかりの新しい文字なので、当然まだチンプンカンプンですが、同じペガーナ文字D系統を参考にすると、何らかの警告文の可能性があるんですよ……なので一刻も早く解読したいんです」
考古学上の失われた言語の再生は、暗号の解読作業に似る。
実際、軍事的な暗号解読者の中には、気晴らしに忘れ去られてしまった古代文字を読み解こうとした者もいるという。
ペガーナ騎士団も元々は軍事的な集団であり、暗号解読と同じ手法を使い、ペガーナ文字の解読を試みていた。
その暗号の解読方法にクリブという物を用いた方法がある。
クリブとは既に解読され意味が確定した、もしくは仮定された言葉や文章のことだ。
古代言語にせよ、暗号文にせよ、全く手掛かりのないものを解読するのは至難の業だ。
しかし、たった一語でも意味が分かっているのなら状況は変わってくる。
例えば、敵から入手した暗号に、自国の町の名前が含まれているのなら、恐らくその文章は敵の攻撃指令で、その町が敵の攻撃目標になっていることが予想される。
攻撃指令だということが分れば、その文章のどこかに時刻や部隊名を示す単語があるはずだ。暗号文のどこかの部分を部隊名だと仮定して、暗号文の未解読部分をとり合えず埋める。
またそれを手掛かりとして前後の文を埋める――というように、一語の手掛かりから全体の文章を想像することができる。
もちろん実際にはそれほど単純ではない物でもないし、判明したクリブが少なければ少ないほど、意味を読み違える可能性が高くなってしまう。
古代文字の場合は町の名前、人物の名前が大きな手掛かりとなる。
町の名前と大きな数字が並んでいたら、それは人口の記録であり、引いては人頭税などの税収の記録の可能性がまず考えられる。
文章に記された人物が王であったら、その王の功績や国家事業の記録が考えられる。将軍であったら戦争の記録、神官であったら大規模な儀式の記録という風にアタリが付けられる。
そうしたらそこから言語の構造等を考慮し、前後の単語を推測していく。
ここしばらく、エミールは構造と記号から同系統と思われる文章を参考に、ペガーナ文字D6の解読を進めていた。
すると浮かび上がってきたのは、何かの危険を訴える文章のようだった。
エミールは動揺した
しかし、一体なんの危険を?
……いやそうやって決めつけるのは危険だ
言葉は生きている。時間の経過とともに常に変化していく。
ある言葉が、いつしか正反対の意味を持つことだって珍しくない……。
そこでエミールは悩んだ末、ローズの力に頼ることした。
「というわけで、この十日間くらい凄くもやもやしてたんです。じゃあローズ、お願いします」
「任せて下さい!」
金属板を一目見てローズは断言した。
「あーこれは読めます」
「なんて書いてある?」
「えと、き、『危険……』」
やはり警告文!?
何かの兵器を示唆しているのか!?
エミールの表情が強張る。
さらにローズは続ける。
「『危険なので、丸窓には寄りかからないで下さい』って書いているのです」
「……」
「……どういうこと?」
エミールは難しい顔をしたまま固まったので、代わりにタラリスが尋ねた。
「はい。これは展望台か何かにあった警告文ですね」
はぁ~~、という深い深いため息がエミールから漏れた。
雨に濡れた子犬のような顔をしてタラリスを見る。
「心配して心配して……やっと解読した文の九割以上はこんな感じですよ、タラリスさん。どう思います?」
「元気出せって。アーサーがここに居たら、きっとこう言いうぞ『今日は二つの素晴らしい事実が判明したぞ! 一つはローズはペガーナ文字D6を解き明かしたこと、そしてもう一つは、窓に寄りかかったら危ないという、先人の教訓だ! これで我々は昨日よりだいぶ賢くなったな!』ってさ」
「ふう、そうですね。アーサー卿ならそう言いそうです。僕もアーサー卿のポジティブな考え方を見習わないといけませんね……でも、窓に寄りかかるなってだけかあ……くぅ~~~」
やるせない嘆きを見て、タラリスが肩を竦めた
「しょうがない。マローー!」
名前を呼ばれたオオカミは、天幕の中にぬっと顔を付き出した。
タラリスはマロが背負っていた荷物の中を漁り、二本の酒瓶を取り出す。
「じゃーん! 今晩は私が付き合ってやるよ!」
「そ、それは大変ありがたいんですが……タラリスさん、確認なんですけど、その酒はちゃんと買った物ですよね? 補給からちょろまかした物じゃないですよね?」
「察しがいいな」
「ゴーシュさんに怒られますよ! あの人顔に似合わず細かいんですから!」
タラリスは気取った教師のように大仰な口調で言った。
「エミール君。君は天使の取り分というものを知っているかね?」
「それは蒸留酒が樽で熟成中に少しづつ染み出して、量が目減りする現象ですよね? 酒瓶が消える現象ではないですよ!」
「おやおや。お勉強はできても、まだまだ君は世間というものを知らないと見える。天使に取り分があるように配送人にも取り分があるのだよ」
「な、なんですか、それは?」
「こうするんだよ」
タラリスはそう言って酒瓶同士を軽くぶつけ合わせた。
かちゃん、と音がして中の液体が揺れる。
「お前にも瓶が割れる音が聞こえたな?」
「はい?」
「不幸にも輸送中に酒瓶が二本割れてしまった。と……これで在庫上は二本破損。問題は何もない!」
「……ローズ」
エミールはちらりとローズの方を向いた。
自動人形は場の空気を読んで、わざとらしく言う。
「たぶん汽車が揺れた時に割れたと思うのです」
エミールが苦笑いを浮かべた。
「ふー……タラリスさん、いただきます」
「そう来なきゃな!」
エルフの戦士と若き学者。差しつ差されつ、夜は更けていく。
調査団は汗を垂らしながら空から降ってきたという遺物を記録し、それを運んでクリーニングし、さらに細かく分類し、壊れたものは復元していく。
さんさんと太陽が照り付ける中、それを行うのは重労働だった。
遺物の殆どは無害な建物の一部だったが、それでも油断はできない。
AAを常識で測ることは危険である。どこに爆弾が落ちてないとも限らないからだ。
だが人夫の如き労働をしている調査団の中で、一際苦しんでいたのは、肉体労働より頭脳労働を行う方が多いエミールだった。
エミールに与えられた使命は、アーサー卿の名代として遺跡群の調査結果を取りまとめることだが、エミールはただ事務的に記録をまとめるだけで満足する性分ではなかった。
若きエミールがペガーナ騎士団に入団できたのは、コンピューターとしての能力を買われたからである。
これは比喩ではない。
元々コンピューターとは複雑な計算をこなす計算手という意味であり、それが転じて読者諸氏がこの文章を読むために使っている電子計算機を指すようになったそうである。
しかしこの五つの世界では、まだコンピューターとは人間を指す言葉だ。
騎士団に入団後、日々数字と格闘していたエミールはほどなくアーサー卿の目に留まった。
そのときエミールが取り組んでいたのは、ボロボロに壊れた回転翼機らしきAAの復元作業だった。
そのAAはオートジャイロの一種だろうと思われたが、大きさと形状を考えるとどう計算しても飛ばない、という問題があった。
エミールは復元されたAAの設計を一から見直して大胆に修正し、計算上飛行可能であり、元の機構とも矛盾ない設計図を書き上げて上司であるアーサー卿に提出した。
「少年」とアーサー卿は呼びかけた。元々小柄な上、当時のエミールはまだ十代だった。
「どうやってこの設計を思いついた?」
エミールは少し考えてから答えた。
熊のような風貌であり、見習い研究者から見て雲の上の存在のアーサー卿に物怖じもせずに。
「そうですね……僕が一万年前の航空力学を知っていた古代人なら、こうやってこのAAを飛ばすと思ったからです」
エミールはどうやらAAその物だけではなく、AAの製作者がどのような思考を辿っていったのか、その思考の流れを逆走し、最終的に設計に修正を加えたのだという。
奇妙なパラドックスだったが、エミールにとってはそれがごく自然な考えだった。
エミールにとって数字は単に無味乾燥な記号ではなく、自然を記述した言葉であり、それに対して人がどう思い何をするか、そういったところまでエミールの思索は及んでいた。
数学は情緒の表現だと言った数学者がいるが、まさしくそのようにとうの昔に滅び去った歴史の遺物から、古代人の息遣いを感じることのできる稀有な才能を認めれたエミールは、そのときからアーサー卿の助手となった。
エミールにとってゴルドーの遺跡調査は乗り気ではなかった仕事だったが、現地に着きゴルドーの空中遺跡群の実物を見たその日から、そんな気持ちは吹っ飛んだ。
遺物の多くは、真夏の海の波しぶきを思わせる、青みがかった白い色のコンクリートだった。
その鮮やかな色と、解析不能の不思議な組成にたちまちエミールは心を奪われた。
そして調査が進むにつれ、次々に疑問が湧き上がってきた。
この遺跡は、いつ誰が何の目的で作ったのか。
ゴルドー地方に落ちたもので全てなのか。それともまだどこかの空に浮いている遺跡があるのか。
そうだとしたら、それは今どこにあるのか。どの程度の高さで浮いているのか。
なんでそんなものが浮いていて、地上の人間は気づかないのか
崩落した原因は遺跡の経年劣化や天候などの自然的な要因か。それとも人為的な要因か。
これほどの遺跡を動かしている動力源は何なのか。
エトセトラ、エトセトラ……。
日々積みあがっていく遺跡のデータと、持ち前の知性と想像力で、エミールはこの遺跡を作った人間たちの生活を思い描こうとした。
なぜ?なぜ?なぜ?という自らの内なる声に突き動かされながら、遺跡にかじりつくエミールは殆ど強迫症になったかのようだった。
特にエミールを悩ませたのは、遺物は異なる二種類があるような気がしてならない、ということだった。
一つは前述の青白いコンクリートを始めとする、いかにもAAと呼ぶに相応しい遺物群。単なる基礎や壁ですら見るからに高度な科学力を感じさせ、素材の組成なども不明点が多い。
もう一方は、旧世界文明の幻想的な雰囲気が全く感じられない遺物群である。
鉄製の錆びたナイフや陶器の壺や木製の椅子など、代わり映えしない素材で作られた日用品たちだ。
この二つの、異なる種類の遺物のせいで、ようやく一部に合理的な説明がつくかのように思えても、次の日にはそれと矛盾するような遺物が見つかるという有様だった。
合理的な説明を探し、それを捨てるという繰り返しで、精神が削られていく中、やがてエミールの中にぼんやりと一つの考えが浮かんだ。
もしかして空中遺跡は二つあった……?
客観的な意見が聞きたくなったエミールは、すぐローズを呼んだ。
「ローズちょっと聞いてくれ、ひょっとしたら、別々の時代に作られた空中遺跡が、たまたまゴルドーの上空で出会い、激突して一部が崩落した……っていうシナリオを思いついたんだけど……どう思う? そんなことはあり得るかな?」
「何とも言えませんね。その可能性はあると思うのです。ただ、その激突シナリオは説明のための説明のようで、私としては少し腑に落ちないのです。ローズに腑はないですけど!」
機械人形のジョークにクスリともせずエミールは頷いた。
「……否定してくれて助かる。自分で言っておいて同感だよ」
確かにローズの言う通りだった。
激突シナリオは説明のため、確たる証拠もない二つ目の空中遺跡を持ち出している。自分でも薄々感じていたが、美しくない説明だ。
「ふー。ちょっと外の空気を吸って来る」
メガネをズラして目頭を押さえながら、エミールは天幕を出た。
何かを見逃してはいないかと思い、エミールは考え事をしながらブラブラと発掘現場を歩いていた。
調査員たちが白く美しいコンクリート片の残骸をかき集めている中で、ふといくつか鳥の羽が落ちているのがエミールの目に留まった。
エミールはそれを拾い、羽軸根をつまんでクルクルと回す。
「大きい……」
それはいわゆる風切り羽ではなかったが、それでもサイズは三十センチもあった。羽毛がこのサイズならかなり巨大な鳥ということになる。
こんなものが遺跡と関係あるとは思われていなかったのだろう……だが、こうしてみると怪しい。
エミールはすぐに、これは人間世界の鳥のものではないと感じた。
こんな化け物鳥がいるのはエルフ世界とかヴィーカ世界と相場が決まっている。
すぐにエミールはタラリスとローズ、ゴーシュとダルシーを呼んだ。
「みなさん、これ! この羽、何の鳥の羽だか分かりますか」
「ちょっとこれだけじゃ分らないな」
とタラリス。
「んー。かなり大きな鳥に見えるけど、ヴィーカ世界のロック鳥に比べたら逆に小さすぎるなぁ。お前はどう思う兄弟?」
「同じ意見だ。ロック鳥ではないことは確か。それだけしか言えん」
最後にローズが口を開いた。
「データなし。知らないのです」
「そうか、ローズにも分からないか……」
「役に立てなくて残念なのです」
「そんなことないよローズ。ペガーナ文字D6を難なく読めた君が分らない、ということ自体が貴重な情報なんだ。謝る必要なんかない」
結局分からないことが分かっただけで、新たな謎が増えただけだったが、この謎は硬直した視点をずらして見る手段になる気がした。
明らかに人間世界のものではない鳥の羽。調べてみる価値はあるかも知れない。




