戦士の鍛造
低い場所から落ちるより、高い所から落ちた方が痛い。
父さんは人生の絶頂期に人生最大の敗北をした。
その衝撃たるや。
最愛の息子を失い、仲間を失い、築きあげてきた名誉さえも失った……と思っていた。
実際はそれまでラジャスに九十九勝してるんだからそんなに一気に評価が変わるわけじゃない。
でも本人はそう思っていた。
私の中の父さんのイメージは、弱小の対義語みたいな人。それと他の人から頼りにされてて何があっても動じないって感じ。
何か問題が起きても、「大したことじゃない、俺に任せろ」とか「よし俺に付いて来い」って言ってそのまま解決するような人。
あと無口で寡黙な人だったから怖かったね。
言葉が少なくてすぐ行動に入るから、考えてることがわかりづらいんだよ。
顔は厳めしくて口髭生やしててさ、力が強くてレスリングも大好きだったから、エルフの大きな耳がピザの失敗作みたいにベコベコに潰れてた。
パッと見で絶対カタギじゃない感じの人。
そんな強面の父さんがラジャスに負けた日からすっかり気落ちしてた。
父さんが一人で泣いてるところも見たし、他の生き残りの守り手と話し合って、頭を抱えていた姿も見た。
「俺たちの弓が奴には通用しない。勝てないんだ、どうあっても。神がエルフよりも上と定めたんだ……敵討ちもできない……ダブエル、すまん」
って何度も父さんは何度も死んだお兄ちゃんに謝っていた。
見るに堪えなかったよ。
だから私は父さんに元気出して貰いたくて、サプライズで贈り物をすることにした。うーん、我ながら健気だった。
この後、何度もやめときゃよかったって思うことになるけど。
父さんの好物と言えばウサギだったから、私はウサギを捕まえに行くことにした。
でもそのときは、父さんが敗戦のショックで家中の弓を全部燃やしたせいで、我が家には狩猟用の弓矢がなかった。
家にあるのは守り手用の二つの弓だけ。父さんのと、お兄ちゃんの形見の弓。鉄の弓だったから燃やせなかったんだろうな。
流石に父さんのを使う度胸はなかったから、私はお兄ちゃんの弓を持ってウサギ狩りにでかけた。
そしたら全く酷いことになったよ。
シロナガスクジラより大きい生き物を殺すための弓で、ウサギを射ったらどうなるか考えるべきだったね。
いい感じのウサギだったけど、骨も皮も内臓も全部グッチャグチャ。
でも仕方ねえから一応家に持ち帰ったのよ、そのウサギ。
私の獲ったウサギ(の肉片)を見て父さんはずっと押し黙っていた。
喜んでるのか呆れてるのか怒ってるのか判断に困る表情をしたあと、父さんは私を睨んで口を開いた。
「これをお前が獲ったのか?」
「はい」
「本当か?」
「はい」
「ダブエルの弓で?」
「はい」
父さんはバンッと強くテーブルを叩いた。
私はビビって直立不動。
「本当にダブエルの弓を使ったのか!?」
「……はい」
異端審問ですよ、まるで。
そんなに怒らなくていいじゃん。お兄ちゃんならちょっと弓使うくらい別に何も言わなかったでしょって思ってたけど、パパが怖すぎて私には何も言えません。
また父さんは黙ってしまって何かを考えていたあと、不思議なことを言った。
「ダブエルの弓を持って来い。俺の目の前で弓を引け」
私は言う通りにした。
目の前でお兄ちゃんの弓を引いて見せると、父さんは何度も頷いて最後に「出て行け」と言って私を部屋から追い出した。
そして父さんは母さんとずっと話し合っていたけど、私は壁越しに聞き耳を立てて二人の会話を盗み聞きしていた。
父さんは母さんに言った。
「タラに守り手の訓練を受けさせたい」
「……は?」
「あの子には才能がある」
「ちょ、ちょっと待って、何言ってるの?」
「タラを守り手にする」
「あなた!」
母さんは声を荒げた。私も驚いていたけど。
「現実を見て! ダブはもういないの! タラをその代わりにする気!? そんなことをしてあの子がどう思うと思うの? タラの気持ちも考えて! だいたいあの子は女の子よ!」
「馬鹿を言うな、ダブエルの代わりなどいない。それに守り手になると言い出したのはタラ自身だ」
言ってねえ。
「タラリスは……ダブの仇を討つつもりだ」
初耳!
「そんな無茶な! もう一度言うわよ、あの子は女よ!」
「そんなことは些細なことだ、関係ない」
「関係ないわけない!」
「ああ。俺もそう思っていた。今日、タラリスに目を開かされるまでは。この世には、俺たちの常識など通用しないものもある」
「何言ってるのよ!」
「……マリリス」
父さんは母さんの名前を優しく呼んだ。
「タラは……ダブの弓を引いたんだ。それがどういうことか、お前は分かってない」
「なにがよ!?」
「……守り手の使う弓は強弓だ。その引き分けは普通の弓とは比べ物にならん。弓の重さ自体も三十キロ近くある」
「だからそれがどうしたって言うの!」
「分からんのか! 普通は引けるわけがないんだ! いやそもそも、持って構えることだって難しい。ましてやダブの弓だ。なあマリリス、俺の名前を言ってみろ。俺は誰だ?」
「……あなたは……強き弓のハバエルよ」
「そうだ。全てのエルフの中で俺の使う弓が一番強い。ダブの弓を除いてはな。あの弓はあいつが十六歳の時に俺が贈ったやつで、引き分けは俺の弓と同じ。ダブがそれをまともに引けるようになるまで二年かかった」
「……」
「それだって十分凄いことだ。俺ですら今の強さの弓を引けるようになったのは五十歳を越えてからだった……タラリスはまだ十四だぞ! 俺は身の程知らずは嫌いだが、タラがダブの仇討ちを口にしても怒る気にはなれん。それが許されるほどの才だ」
「それでも……」
父さんは珍しく熱っぽく語ったけど、母さんも食い下がった。
「あの子まで居なくなったら、私はもう生きていけない。それだけはやめて、お願いよ」
「……三年! 三年だけあの子を俺に任せてくれ。もしもそれでダメそうなら、そこでやめさせる。なあマリリス、俺を信じてくれ!」
「……」
母さんはもう何も言わなかった。
つまり父さんの意見が通ったってこと。
まっウチは亭主関白だったから、父さんがやるって言ったらもうそれは決定事項なんだけどさ。
こうして私はなぜか守り手の訓練を受けることになった。
ずっと後に聞いた話じゃ、父さんは私がお兄ちゃんの弓でウサギを殺したことを「兄貴を殺した奴は私がグチャグチャにぶっ殺してやるぜブヘヘヘヘヘ」っていうメッセージだと思ったらしい。
そんな回りくどいことするわけないだろ、と言いたかったがもう遅かった。
エルフの星になるための特訓の始まりだ。
私を戦士として育てる――そういうことになって一週間は天国だった。
父さんは好きな物を好きなだけ食べろと言って、ありとあらゆる珍味を取り寄せた。
それまでの父さんの超人的な活躍で、家計にゆとりがあったからできたことだ。
それから奇麗なドレスと宝石のアクセサリーも用意して、私を花嫁みたいに着飾った。
画家も呼んで、お姫様みたいになった私の姿を絵に描かせた。それもコーデ全とっかえして三枚もだぜ!
なんてデラックスでゴージャスな生活!
まるでマリー・アントワネットになった気分だった!
けどその一週間が終わると、全て取り上げられた。
食事は父さんが食べていいと言ったものだけ食べることが許された。
特に脂っこいものは禁止。でも虫はセーフだったからあの頃はカブトムシの幼虫とか食べてたな。だから今でもカブトムシは嫌い。
服は染料を使った色付きの服は禁止。
なんでだろうね? 訓練期間中はお洒落な服着るなっていう謎の規則。
納得は全然いってないけど、ともかく親戚の男の子から囚人服みたいな服を貰ってそれを着せられた。
髪も切って丸坊主にさせられた。
私は泣かなかったけど、地面に落ちた栗色の髪が泣いてたわ。
あのときはまるでマリー・アントワネットになった気分だった。
最高の戦士だけが守り手になれる。そうなるために覚えることは山ほどあった。
格闘術、剣術、槍術、弓術、オオカミの世話と乗り方、騎射、戦いの中で仲間と意思疎通する手信号、応急手当の仕方……。
いろいろやったけど、まず最初にしたのは体作り。基礎体力をつけること。
毎日毎日、陽が昇る前に起こされて陽が落ちるまで走り込みや筋トレをやらされたよ。
父さんはとにかく汗でシャツを汚して体に痣を作らなきゃ、訓練したと認めないタイプだった。
起きて訓練して食べて寝る。これを一日に四回やる。無駄なことは一切なし。
遊ぶ暇なんかない。訓練の合間に寝ないと動けなくなる。だからだんだん今が朝なのか夜なのか分からなくなってくるんだ。
キツかったけど全く父さんは名トレーナーだったよ。
厳しい鞭と優しい鞭を使い分ける名人。
死ぬほどの特訓なんて人はよく言うけど、私に言わせればそんなものは!
死ぬまでやるなんて簡単なことさ。その気になれば誰でもできる。死ぬまでやればいいだけなんだから。
父さんはもっと厳しかった。
サボることは許さないけど、死ぬことも許さない。壊しもしない。
限界まで追い詰めるけど、絶対にそれ以上はやらせない。
父さんも守り手の戦士だからもちろん一緒に訓練してたけど、自分のトレーニングをしながらずっとしかめっ面で私を見張っていた。
ダラダラやったらいつまでも訓練は終わらない。苦しみは続く。
怪我すれば休めるなんて期待も早々に捨てた。絶対に父さんは私を壊さない。
結局、早く休みたきゃ真面目に言われたことをこなすのが一番と悟った。
全て父さんの目論見通りだよ。
一日二回はオオカミの散歩に付き合って一緒に走ってた。
それ以外でも暇があればなるべくオオカミと一緒に居て世話するように言われていた。
だからその頃の私はしょっちゅうオオカミのところに行って寝てたな。
起きると寝てる間に毛づくろいされてて顔がベトベトになってたよ。どっちが世話されてるんだか。
普通は子供にオオカミの世話はやらせない方がいいけど、一人前の戦士や狩人になるためには避けて通れない。
特に食事はオオカミたちと一緒に取る。エルフや人間と同じで、オオカミも一緒にご飯を食べると仲間意識を持ってくれるからだ。
巨森オオカミは狩りに戦いにと活躍する大切なパートナーだけど、同時に巨森オオカミ自体がリノーフに棲む危険な生き物の一種でもある。
エルフが自分の飼ってるオオカミに殺される事故はたまに起きる。
グループ内の自分の順位を上げようとして、不意に喧嘩を吹っかけてくるんだ。
オオカミの考えるグループには飼い主も含まれているから、油断すると襲ってくるってわけ。
襲われたら殴ったり投げ飛ばして、まあ頑張って抑え込むしかない。
エルフの戦士や狩人はよくレスリングをするけど、元々それはオオカミを制御する術から生まれたって話もある。
だからリノーフ式のレスリングは殴る蹴るアリアリの荒っぽい格闘技なんだ。
オオカミに襲われないためには日頃からコミュニケーションを取り、オオカミたちの様子をよく観察することが重要だ。
ヤバそうなら早めにストレスを発散させる方法を講じた方が良い。
巨森オオカミは頭がいいし、リーダーに忠実だけど、どんなに躾けても野生を忘れない。
オオカミにそんなつもりはなくても、興奮すると暴れたり、逃げるものを見ると本能的に追いかけたりする。
守り手や狩人は、そういう荒れくれオオカミたちが敬服する偉大なリーダーにならなきゃいけない。
体力がついてくると少しづつ他のことも教えられた。
戦い方の訓練だな。
木刀や棍棒を振ったり、手に布を巻いて木が倒れるまで殴り続けたり、父さんと組手もした。
特に木を叩く奴は痛いし辛かった。
だいたい素手の格闘技やる意味が分からない。やっとうの類はまだギリギリ分かるけど。
あまりにも不合理に思えて父さんに聞いたよ。
「体長百メートルの怪獣と戦うのにレスリングが必要?」とか「蹴りやパンチの打ち方なんて覚える意味ある?」ってな。
「戦士が戦い方を学ぶのは当然だ」
と、それが父さんの答えだった。
「戦士という言葉さえもが、お前の前では恐れ入るほどの戦士となれ」
とも言ったな。
でも私は言葉なんかよりパパの方が恐かったわ。言葉は私を地面に叩きつけたりしないし、痣や擦り傷を作らないから。
三年じゃたかが知れてるけど、それでも詰め込めるだけ詰め込んだよ。
それから弓術。
厳しい訓練の中でこれは楽しかった。
弓はもともと好きで見様見真似で遊んでたし。
それでも徹底的に一から叩き込まれた。
守り手は死にかけていても鉄弓を引けなきゃいけない。
だからボロ雑巾みたいになるまで走らされたあとで、重い鉄の弓を百射も二百射も射たされた。
私が弓を構えるとよく父さんは言ったよ。
「タラリス、何が見える?」って。
自分で言うのもなんだけど、私は天才だったから全てが見えていた。
動く的も動かない的も、近くの的も遠くの的も。矢の軌道を変える風さえ私には見えていた。
だからその通りに答えた。
「全部見える。的も、その上を這う虫も、的の後ろにある木も、その枝に止まってる鳥も。その鳥の上で跳ねているノミも全部見えるわ。さあ何を射ればいい?」
私は言われた全ての訓練で父さんを満足させていたけど、このやりとりをするときだけ父さんは不満そうだった。
理由は教えてくれなかった。的にはちゃんと矢を当てているのに。
そして乗馬ならぬ乗狼しての騎射。
これも一番実戦に近くて楽しかった。慣れたらオオカミは可愛い奴らだ。たまに噛もうとしてくるから油断はできないけど。
騎射は父さんと二人、それぞれオオカミに乗って走りながら的を射る。
走りながら、父さんがあれを射ろとか曲がれとか速度を速めろとかって指示を出すんだけど、口で声は出さない。全部ハンドサインで指示を出す。
だから視野を広くして周りの状況と父さんの動きの両方を見てないとダメだ。指示を見逃すと当然怒られる。
真綿が水を吸うように私は教えられたことは全部覚えた。
肉体的にしんどいのは当然だったけど、精神的にもこの時期は大変だった。
父さんは英雄だったから誰もはっきりとは言わなかったけど、ラジャスに負けたこととお兄ちゃんが死んだせいで、頭がおかしくなったと周りに思われてた。
娘を守り手にするなんて……ってな。
私は同情された。
でも当時の私はそういう同情大嫌いだった上に、いつの間にか父さんの熱意が私に移ってたみたい。
「大変だな」「気の毒に」と言われるたびに「いや、私がやるって言ってんだよ」って言い返してた。
気が付けば本当に私が守り手になる言い出したことになってたワケよ。
それで仲良くイカレ親子扱いさ。
約束の三年が経つと、父さんは私をあちこち連れ出して大会に出させた。
色んな大会だ。剣、レスリングの試合、射術大会、狼レース……。
初めの頃は女の私が出るというと、大会の運営が難色を示した。
「女は出せない、ましてや子供なんて無理だ」
「怪我をしたらどうする。下手したら死ぬかもしれない」ってね。
「大丈夫だ。怪我人は出ない。娘には手加減するように言ってある」
と父さんは言い返して、強き弓のハバエルの名声で無茶を押し通した。
そして私は男の戦士に混じって戦った。
連戦連勝。バカ勝ちしたよ。
たまに他所の部族の守り手の戦士が相手になったけど、全員ぶちのめした。
言われた通りちゃんと手加減もしたけど。
当時はモテたねえ。
男の子にもモテたけど、女の子にはもっとモテた。特に若い世代のエルフは私のことをアイドル扱いしてたよ。
私が目方が倍もあるエルフを叩きのめすと、千両役者みたいに黄色い歓声が上がる。
今までイカレ親子の象徴だった男みたいな短髪が、逆にクールだと言われた。
報われた気がしたね。
父さんも私も正しかったって。
でも大人のエルフ、試合に出る世代の男のエルフからの受けは最悪。
名高い強き弓のハバエルが相手なら、善戦するだけで名誉なことだ。例え負けても地元の守り手の顔も立つ。
だけど女の子に負けたとなれば面目丸潰れの失態に変わる。
「頼むから娘じゃなくお前が試合に出場てくれ!」と父さんは何度も頼まれたけど、無視して私を出し続けた。
するとだんだん相手の方が私を敬遠するようになって、また大会の運営者たちが私の参加を渋るようになった。
私が出ると聞くと参加する選手が減って大会が成り立たなくなるんだ。
こうなると父さんにもどうにもできなかった。