月光会議
タラリスがアーサーに相談して以来、ローズは研究所に足繁く通うようになった。
それから一週間ほど経ったある日。
偶然、タラリスはアーサーとエミールに食堂で顔を合わせた。
「タラリス!」
既に席についていたアーサーが、お決まりの大声で叫ぶ。
「こっちに来な! 一緒に食べよう!」
断る理由はなかった。
タラリスはエミールの隣に座り、両手に持っていた皿をテーブルに置く。
大柄なアーサーも代謝の激しいエルフも共に健啖家であり、テーブルには優に五人分の量の料理が並んだ。
具のたっぷり入ったサンドイッチを頬張りながら、アーサーが言った。
「ローズはどうした? 一緒じゃないのか」
「外で日光浴してるよ」
「そうか……フフ、随分あっさり方針を変えたじゃないか。どういう心境の変化だ?」
「え? 何の話?」
「ローズだよ。いまはよく協力してもらっているが、ちょっと前までは触らせてもくれなかっただろ。目の前にあんな凄い技術の塊があるのに、お前が睨んでるもんだから、技術部はみんなやきもきしてたぞ」
「あのなぁ。普通こういうのは時間をかけるもんなんだよ。会ったばかりの奴らに、体の中身を覗かれるなんて嫌だろ。お互いそれなりに信頼ってのがないと。だから技術部の連中を追い払ってたんだよ!」
「ということは、技術部は信頼されたと判断したということかな?」
「いや」
タラリスは首を振った。
「ローズが誰かに嫌なことされたら、そいつをぶっ飛ばせるくらい強くなったと判断したんだよ」
「僕たち酷い言われようですね、部長……」
「ハハハ。まあタラリスが警戒するのも分かるさ! AAの研究者にとってみれば、ローズは抗い難い魅力の持ち主だ。つい夢中になって、彼女の気持ちをないがしろにしないとも限らない」
「私には技術方面の話は全く分からないけど、そんなに凄いんだ」
「凄い」
アーサーとエミールの声が奇麗にハモった。
「AAの中には私たちじゃ手も足もでない、魔法のような代物も存在するが、ローズはそうじゃない……仕組み自体は未解明だが、仕組みの概略を想像することは可能なんだ。なんとなく、こういう感じで動いてるんだろう、とね」
「言い換えるなら、ローズを作った技術は僕たちの遥かに先を行っていますけど、その技術の凄さが僕たちにも分かる程度には近い位置にいるってところですね」
「ふーん。じゃあローズが百点だとして、今の私たちは何点くらい?」
「もうすぐ一点」
アーサーの言葉にエミールが付け加えた。
「でもローズのおかげで三点は取れるようになると思いますよ! 一気に三倍ですよ三倍!」
急に不安になってきたローズは眉を顰める。
「……そんなんでこのあいだ頼んだ機械作れるの? 大丈夫?」
「バッテリーなら大丈夫だ。もっともローズの体内にある物と比べると、我々のバッテリーは大きさは十倍以上で容量は十分の一以下だろうけどね!」
「なんとかコピーできない?」
「残念ですが、とてもとても……僕たちは一点未満ですからね。冗談抜きでローズの指先一ミリの構造すら理解しきれていないんです」
「その割にはなんか嬉しそうだな、二人とも」
「勿論嬉しいさ! 私たちは何も知らない。だからこそ、これから知らなかったことを知る楽しみがある! いわばローズはその案内人だ!」
「部長に同感ですね。頭を抱えることは多いですけど、この仕事は楽しいですよ。特にローズは……なんというか奇麗なんです」
「ん……エミール君……ローズみたいな子がタイプ?」
「変な意味じゃないですよ! 調べれば調べるほど、ローズという一個のシステム全体が見事に調和しているんです。例えば、タラリスさんは知っていましたか?」
「何を?」
「ローズの自己修復機能ですよ! ローズの体はゴムのような防護膜で覆われています。外部と接する部分ですので、当然ちょっとずつ細かい傷がついていくわけですが、ローズの場合はそういう細かい傷が修復されていくんです。そんな物質は僕らにはまだ作れません。しかしですよ」
エミールは熱っぽく続けた。
「本当に凄いのは傷が修復することではなく、傷の修復を制御していることです。欠損の修復はなんらかの化学反応を起こして直してるんだと思いますが……どうやって防護膜の正常と異常を判断しているのかは、まるで見当も付きません。ローズ自身にも分からないそうです。もし欠損を検知できなかったら傷は直せません。反対に、もし治ったことを検知できなかったら、延々と防護膜が増殖してローズは埋もれてしまいます。でも実際にはローズにはそんなことは起きない。これって凄いことですよ! 平衡点に達すると、ピタリと修復が止まる、完璧なバランスです!」
「あのさ、熱く語ってるところ悪いんだけど、それってそんなに凄いことなの? 確かに理屈は分からないけど、私たちの体だってそうなってるじゃん?」
「まさに、まさにそこなんですよ! ローズの体は、生物の体の仕組みにとてもよく似ているんです! ローズを作った人たちは、人体の構造に極めて精通していたのでしょうね。神は自らにせて人を作った。人は自らに似せてローズを作った」
「ってことは、ローズを作った奴らは腕を飛ばしたり目から光線を出してた可能性が出てきたな」
エミールはタラリスの茶化しを無視して続けた。
「ローズを調べていると感動しますよ。ローズは精巧な生命の模倣、だからその美しさは、生命の美です。世界はこんなに謎めいて美しいシステムに溢れていると、そう思い知らされる……!」
「……やっぱりなんか今日のエミール君ちょっと変じゃない? それともこれがマンスプレイニングってやつ?」
「ははは、違う違う」
アーサーが笑って言った。
「せっかく怖いエルフからローズを調べる許可が出たのに、出張が決まって悔しがっているのさ」
「悔しいのは否定しませんけど……別にタラリスさんは怖くないですよ! むしろ話しやすい方ですよ!」
「あれエミール君出張? ほーん、どこ行くの?」
エミールの代わりにアーサーが答えた。
「このあいだ話したやつだ。空から降ってきたっていう遺跡を調べに行くんだ。本当は私も行く予定だったんだが……急遽、こっちで発電所作ることになったから私は残ることになった」
「発電所の件は自分が言い出したことなんだから、僕を残して欲しいって言ったんですけどね……」
「若者よ。人生自分のやりたいようにできるとは限らないのだ。それに空から降ってきた遺跡だって優雅な謎だ!」
「出張はいつまで?」
「調査で何が出るか次第ですが、予定では一か月ほどですね……」
はぁ、とエミールはため息をついた。
「タラリスさんもローズと一緒に付いて来てくださいよ、調査団の護衛で」
「ダメだって。稼働時間の問題が改善するまではローズは外に出せないの」
ぼそりとエミールが言った。
「……なら、タラリスさんだけでもいいですよ」
「デートの誘いか? 嬉しいねえ。でもそれもダメ。ローズの訓練があるからね」
カチャンとタラリスはスプーンを空になった皿の上に置いた。
お喋りをしているうちに、テーブルの上にあった料理は全て奇麗に平らげられていた。
「ま、お互い仕事だから諦めよう。帰ってきたら空飛ぶラピュータの話を聞かせてよ」
「ええ。そのつもりですよ」
そう答える小さな研究者は、いつもより少し大人びて見えた。
ペガーナ領から遠く離れたどこか。
弱々しい照明を頼りに、男は一歩一歩と地下への階段を下って行く。
階段を下り終えると、男の前に現れたのは巨大鉄の扉である。
男は鉄の扉を開ける前に、一息置いて手に持っていた陰陽の仮面をつけた。
そして男は誰に言うともなく呟く。
「命薄如紙、乾坤似虚、怨声蓋世……」
その言葉が言い終える前に、咒慍天師は鉄の扉を開いた。
部屋の中には、両手を広げても抱えきれないほどの、巨大な機械がいくつも置かれていた。
奥の方の床はいくつもの枠で仕切られていて、その中には砂のような細かな粒子が敷き詰められている。
その様子は、育てる野菜を仕切りで区切っている家庭菜園に見えなくもない。
咒慍天師は機械の電源を入れると、怪物の発する唸り声のような音を立てて機械が作動した。
同時に床に置かれていた粒子が、激しく振動を始める。
轟音が鳴り響く中、焦らず咒慍天師は一つ一つの機械に付けられていたダイヤルを手で回し、所定の数字に合わせていくと、やがて機械の音は静かに治まった。
それに伴い、全く無秩序に振動していた粒子も少しずつ落ち着きを取り戻し、少しずつその振る舞いは秩序だったものに変わっていく。
最後の機械のダイヤルを合わせて、咒慍天師は部屋の中心に立つ。
すると、粒子は一斉に湧き立つように隆起した。
初めは切り立った岩のような形をしていただけの粒子の集まりは、次第に機械に転送された情報を元に形を作っていく。
それは人の形だった。
隆起した粒子の塊は、高速で作られる彫刻のように、サラサラと音を立てながら何人もの人間の姿へと変わっていく。
男の姿をしたもの。
女の姿をしたもの。
若く見えるもの。
老いて見えるもの。
種族もまた様々だった。
人間だけではなく、ヴィーカもいればエルフもいた。
彼らこそ秘密結社、不死の同盟。
永遠の生という、たった一つの目的の元に集まった者たちである。
夜空に満月が輝き、エーテルも澄み渡る夜に、彼らは通信機を通じて集い月光会議を開催する。
月光会議とは、各々の同盟者たちの情報交換や利害調整、さらに今後の大雑把な方針を話し合う場であった。
「ちゃんと見えてるか?」
咒慍天師は手を上げながら言うと、粒子でできた像の一つが口を開いた。
「見えてる。音声も問題ない」
そのやりとりは、咒慍天師の姿もまた、粒子の作り出す映像として相手側に転送されていること示していた。
「よし。では、始めようか。まずはストラス、君が何か言いたいことがあると聞いたが」
「うむ」
口を開いたのは苦み走った顔をした壮年の男だった。
「先日ゴルドー地方で遺跡が出現した。我らが探していたものの一部であろう……」
ストラスと呼ばれたその男は、タキシードにどことなく威圧的な雰囲気のマントといった出で立ち。
粒子の映像は、ストラスの顔に現れる皺までも正確に描写していた。
「既に遺跡はペガーナ騎士団の手にあるようだが、むざむざ指を咥えて見ているわけにもいくまい」
「勿体ぶった言い方をする。つまり、どういうことだ?」
腕を組みながら聞き返したのはヴィーカの大男だった。
ヴィーカは元々ワニに似た厳つい外見の種族だが、この男はさらに通常のヴィーカにはない特徴を持っていた。
後頭部に生えた禍々しい二本の角。そして背に折り畳まれている翼。もはやワニというよりドラゴンである。
だがドラゴン男に怯まずストラスは続けた。
「我らの悲願のために、いまは情報を得るのが最優先である。誰か遺跡の調査に潜入して、何が見つかったのか調べるのがよかろう。我こそはと思う者はおるか?」
「フフッ」
ストラスの尊大な口調に、思わず声を上げて笑った女がいた。
「さっきから聞いてれば、勝手なことばかり言いやがるねえ。あんまり笑わせるないで、ストラス。我らが探していただの。我らの悲願だの。違うだろう?」
「アキレイア」
壮年の男――ストラスは、自分を嘲ったアキレイアという女に向って睨みつけた。
粒子の作る映像越しではあるが、まるで二人がその場にいるかのような臨場感である。
「何が違うと申すか?」
アキレイアも一歩も引かない
「全部だよ。テメェの探し物と、テメェの悲願だ。勝手に人を巻き込むなよ、スパイしたいなら自分で動けばいい。私はやらないよ。お前の部下じゃないから」
「元より貴様に頼んではおらん」
アキレイアを無視して、ストラスは再び一同を見回した。
「我こそはと思う者は? 遺跡には不死の酒がある可能性もある。それだけでも潜入する価値は十分ではないか? バハラーン、お主はどうだ?」
ストラスはドラゴンのようなヴィーカの方を向いて言った。
バハラーンというその偉丈夫は、腕を組んだまま首を振る。
「興味が持てんな。空中都市の本体が見つかったというなら話は別だが」
咒慍天師が語りかけるように言った。
「友よ、もはや不死の酒如きでは誰も動かんぞ。その程度の代物は皆既に手に入れている。ましてや、あるかどうかも分からないときてはな」
「……天師。ならばお主は前回自動人形の確保に失敗している。汚名を雪ぐまたとない機会ではないか」
「いや、私も遠慮しておこう」
「如何した天師。臆病風に吹かれたか」
「ふ、まさしく。近頃のペガーナの騎士は侮れん。この私とてふらりと出向き、何事もなく帰って来られる保証はないのでね」
「怖気づくとはお主らしくもないな!」
「まさか! 私は死を恐れる臆病者だ。そうだからこそ、私はこの場に居るのだ。それに生きた人形が欲しいと言い出したのも、ストラス公、君ではないか。私は手伝っただけだ。そこを忘れては困る」
「……ぬう」
ストラスは苛立つように喉を鳴らした。
不死の同盟の実態は、不死を求める者たちの緩い連帯。雑多な寄り合い所帯である。
基本的に同盟者はみな対等であり、各々が個人的な組織を率いている。
有益な情報は一部共有するが、全てを打ち明けることはまずない。
同盟者間の対立は禁じられているが、誰かが提起した提案に協力するかどうかは強制ではない。
誰も他の同盟者に命ずることはできないのだ。
咒慍天師が再び口を開いた。
「……アキレイアのいうことも一理ある。それほど見たいものがあるなら、ストラス公自らが足を運ぶべきではないかな?」
「できるものならそうしている。だが、いまわしは領地を離れられぬ」
そのときふと、ストラスの目にこれまで発言していなかった、同盟者の姿が映った。
「キャリバン、お主はどうだ?」
「……」
名を呼ばれたその男はぼうっとしたまま動かない。
ストラスがもう一度一段大きな声で言った
「キャリバン?」
「えっ? ああ、キャリバンってのは俺のことか……そうか、そうだったな」
キャリバンは確かめるように何度か頷いた。
「んー……まあいいか。やってやるよ。紛れ込んで調査結果を見てくればいいんだろう?」
「左様」
「俺に頼んだんなら、俺のやり方でやるぜ? 意味分かってるな?」
「何人斬り殺しても構わん。正当な報酬だ」
「それを聞いて安心したぜ。じゃあ、一丁いって来るかなあ」
キャリバンという男はコキコキと首を鳴らし、欠伸しながらそう言った。