乗り込むのは自らの足で
なだらかな丘には、先史時代の砦の残骸が点々と転がり、かつてここで激しい戦いが行われたことを示していた。
それら古の戦場跡地を越えると、広大な平野に広がる町が現れる。
その美しい町並みは、数千年前の戦いなどまるで知らぬように思われた。
タラリスがホッとしたように口を開く。
「ああ、着いた着いた」
「ここがペガーナ領ですか」
「ゴルルルルル……」
「マロもお疲れ」
予期せぬトラブルに襲われながらも、タラリスはなんとかローズをペガーナ城に送り届けることに成功した。
ペガーナ城に着くと、一旦ローズはペガーナ騎士団の技術開発部に預けられることになった。
「じゃあその人について行って。私も後で様子見に行くから」
「はい、分ったのです!」
ローズは興味津々といった感じで、周囲をキョロキョロ見渡しながら技術部の人間に付いて行く。
来る途中で“お日様から元気を分けて貰った”のか、今朝よりもずっと活発に動き回っていた。
これで心配はないだろう。
さて、これにて私の任務完了――ではない。
外回りが終わったら報告書を書くのは、どこの世界でも一緒だ。
タラリスにとってあまり好きな作業ではないが、これを提出しなければ仕事を終えたとは言えない。
「……」
カリカリカリとペンの音が鳴る。
今回は少し危なかったと、ペンを走らせながらタラリスは冷や汗をかいた。
最後のローズの機転がなければ、まずい結果になっていただろう。
まだまだ自分も甘い。
「……よし」
報告書を書くのにはほぼ丸一日を要した。
やっとペンを置いたタラリスは、書いたばかりの報告書を抱え騎士団長執務室へと急ぐ。
裸足で白い廊下を叩いて、ペタペタという足音を出しながら。
「これ、報告書」
「ん」
ぶっきらぼうに頷きながらアーヴェイン団長は報告書を受け取った。
「何か口頭で付け加えることはあるか?」
「んーそうだな。報告書にも書いたけど、不死の同盟に引き抜かれそうになった」
いま思い返しても、あれは不思議な提案だった。
不死の同盟がペガーナの騎士をスカウト?
ありえん、ありえん。
しかしアーヴェインは口元を手で覆いながら、眉を顰めた。
「お前もか」
「というと、他にもいるの?」
「アーシムとサヒーラのペアからも似たような報告が上がっている。本気で引き抜こうとしてるのか、単なる揺さぶりなのか……」
「どうしたんだろ。悪の秘密結社も人手不足かな。いよいよ不死の同盟の終わりが近いのかも」
「そうだといいが……なんにせよ、いまは静観だ。こちらから出来ることは殆どない。ところで……」
アーヴェイン団長はさっとタラリスを一瞥すると、すぐに百戦錬磨のエルフがいつもより消耗していることに気が付いた。
「かなり危なかったようだな」
「まあね。最後にローズの一押しがなければどうなっていたやら」
「出撃前に相棒を作れと言ったのを覚えているか?」
「ああ。うん、まあね」
「その話の続きをしよう……相棒を作れ。幸運はそう続かないぞ。次は死ぬかもしれん。騎士見習いの中から気に入った奴を選んで鍛えろ。誰を選んでもいいが、絶対誰か一人を選べ。これは命令だ、タラリス卿」
「じゃあローズで」
「よし決まりだ。ロー……」
アーヴェインはそこまで言いかけて、タラリスがとんでもないことを言っていることに気付いた。
「ローズなんて奴は騎士団にはいないぞ」
「昨日、私が連れてきたけど?」
「あのなあタラリス、どう考えてもそれは無理だって分かるだろ」
「なんで? ローズには見所がある。それに本人もやりたがってる」
「……本当か?」
「来るとき本人が言ってた。ねえ、ローズは鍛えればきっと物凄い騎士になるよ。私でも敵わなくなるかも」
「……あれは生きた人形……AAなんだぞ!」
「だから何? 心臓が機械仕掛けだからってローズを物扱いする気?」
「そういう問題じゃない! AAなら不死の同盟に狙われるだろう!」
「それを言ったらさ、狙われてるのはローズだけだと思うの?」
「なに?」
「さっき言っただろ、騎士の引き抜きがあったって。いまの不死の同盟は、ペガーナの騎士そのものを欲しがってる。私が見た感じじゃ、むしろローズの優先度は低そうだったよ。どうせ狙われるならいっそのこと騎士として鍛えた方がいい」
「……無茶を言うな」
「じゃあローズをずっとこの城に閉じ込めておくつもり?」
「AAなら当然だ」
「ローズはただの物じゃない。生きてる!」
タラリスは強い口調でアーヴェインに詰め寄った。
「生きて自分の意志を持っている! その意志を無視してローズをここに閉じ込めるなら、ペガーナ騎士団は不死の同盟と一緒だ!」
「言葉が過ぎるぞ! それに我々にはローズの安全を確保する義務がある……」
「だから誰にも負けない騎士として鍛えるって言ってるだろ。さあ私は相棒を選んだよ。他の幹部やお偉方と相談してきな団長」
「……」
咒慍天師は、タラリスのことを不屈の猛き精衛と呼んだが、このときのタラリスの瞳にはまさに断固たる意志が宿っていた。
こうなった時のタラリスは生半可なことでは引かない、とアーヴェインもよく知っている。
「……はぁ」
アーヴェインはしばらく考えていたが、観念したように溜息を一つついた。
「お前と関わってると、心労が減るどころか増える一方だ……だが通せるか約束はできんぞ。結果は神のみぞ知るだ」
ニッとタラリスは歯を見せて笑った。
餌を見たオオカミのように。
「さっすがアーヴェイン団長は物分かりがいい! じゃあ私は神様に祈って来るかな。お互いお仕事頑張ろう団長。いまある世界のために!」
言いたいことをまくしたてて、タラリスは執務室を後にした。
ペガーナ城に併設された神殿、その中心に聳え立つのは大理石で作られた巨大な神像だ。
神像は逞しい男性の姿をしていて、右腕は腰に提げた剣に手を掛けて、左手では天秤を掲げている。
タラリスは神像の前に並べられた椅子の最前列に座り、目を閉じて手を合わせた。
どれほどそうしていただろうか。
しばらくすると、のしのしと重量感のあるオオカミの足音と、それに連れ立って歩く小さな足音が聞こえてきた。
目を向けなくても分かる。マロとローズの足音だ。
「タラリス、ここにいましたか。探したのです」
その声に合わせてタラリスは目を開く。
「何をしているのです?」
「神様に祈ってた」
言いながらタラリスは神像の方を顎でしゃくる。
「これは何という神様なのです?」
「秩序と裁きの神。天空に聳える尊父オオド」
「秩序の神、ですか……タラリスは信心深いのですね。少し意外なのです。ところで神様は一柱だけなのですか? 私のデータではたくさんの神様がいることになっているのです」
「いや五つの世界にはいろんな神様がいるよ。ただ、いまの人間世界で流行っているのは二神教だから二柱かな。ここの地下に、オオドと対になる太母バビロアって神様の像もあって、そっちに祈る人もいる。まあどっちも私の神様じゃないけど」
「え……ではなぜオオドに祈っているのです?」
ふーっと息を吐いたタラリスは少し遠くを眺めるような表情をした。
「私にはいままで四人の相棒がいた。一人目はアーヴェイン団長。残り三人は任務中に死んだ。そいつらはみんなオオドの信徒だったから、そいつらの為に祈ってるのさ」
タラリスはそこまで言うと躊躇いがちに続けた。
「一応アーヴェインには伝えたけど、本当に騎士になるつもりか? 危険な任務だぞ、特に私の隣はな」
「はい! 私はまた封印される方が嫌なのです! それに私たち結構いいコンビだったと思うのです。また助けてあげますよ、タラリス」
そのときドンっと軽くマロがローズの体を頭突きした。
「ほら、マロが怒ってるぞ。コンビじゃなく三人だってよ」
「ああ……ごめんなさいなのです」
その様子を見てタラリスは少し顔をほころばせた。
「それで? なんか用があったんじゃないの?」
「あ、そうなのです。中庭で技術開発部の人が新型電気自動車の走行テストをするそうなので、一緒に見に行きませんか?」
「自動車? 面白そうだな、行こうか」
「へえ、ちゃんと動いてるじゃん」
敷き詰められた煉瓦の道を滑らかに進む自動車を見て、タラリスは目を丸くした。
エルフの目に自動車は不思議な乗り物に映った。
馬車のようだが馬がいない。汽車のようだが音が静かでレールもない。
いまのところ自動車には実用性があまりなく、金持ちの珍しい道楽として位置づけられている。
しかし将来AAの研究が進み、もっと燃費が良くなってもっとスピードとパワーが出せるのなら、自動車が乗り物の主流になるかも知れないとタラリスは思った。
新型自動車はたまたまタラリスの前に停まり、タラリスに気付いた運転手はエルフに向って一礼した。
そして試験走行が上手くいっていて、上機嫌になっていた技術開発部の運転手は、流れる様にこの日一番の失言をした。
「タラリス卿、見てるだけではつまらんでしょう? どうです乗ってみては?」
「えっいいの!? 話が分かるじゃない!」
タラリスは自動車のドアを開けると運転手の袖を思いきり掴んだ。
「あの、タラリス卿……ここは運転席ですので、反対側のシートに乗ってください」
タラリスが引くワケない。
「大丈夫、任せとけって」
「いや、自動車の運転には免許が必要なので、それはちょっと……」
「はぁぁぁぁぁぁ?」
大声でタラリスは圧をかける。
「山育ちのエルフは車の免許のことなんて知らないと思ってる? 言っとくけど私はアンタが入団するずっと前に免許取ってるんだけど? もしかしてエルフ差別かな~~?」
「いえ、そういうわけでは……」
「そうか。それならいいんだ。じゃあどいて?」
「……スピードは出し過ぎないでくださいよ。これまだ試験用の車なので」
「分かってるって!」
タラリスは強引に運転手を押しのけて運転席に着くとローズにウインクした。
「お花ちゃん、隣乗ってく?」
「いいですね!」
ローズも笑顔を浮かべながら自動車に乗り込んだ。
だがバタンとドアを閉めた瞬間、タラリスは小さな声で呟く。
「ねえ。これの運転に免許要るってマジ? どこで取るのそれ」
「!?」
ローズの機械の心臓が激しく警鐘を鳴らす。
それと同じくらい激しくローズは窓を叩いた。
「ちょっと開けて! ここから出して欲しいのです!! 開けてぇぇぇぇぇぇ!!!」
エルフが笑い、アクセルを踏み込む。
「自分の足で乗ったんだろう? いまさらやめるなんて、もう遅い!」
ローズの、そして技術開発部の不安通り、自動車は勢いよくすっ飛んでいった。
第二章終了!
続きはまた今度ですねえ。