入り江の戦い
タラリスは一気に山を下って入り江へと突撃した。
エルフの女戦士は隠れず、堂々と道の真ん中を走っていく。そうするのは何をしても無駄だと分からせるためだ。
門をぶち破ると、音に気付いた五人の男たちが様子を窺いに現れた。
見るからに反応が鈍い。
相手が状況を把握する前にタラリスが動く。
鎌で草を刈り取るようにあっという間に四人の相手を昏倒させ、残った一人の胸倉を掴み、小さな声で囁くように言う。
「ドラガンがいるのはどこ?」
「や……屋敷にいる」
「どの建物? 指差して」
「あれだ」
と言って男は一棟の建物を指差す。
確認すると確かにそれは倉庫とは少し違い屋敷というべき建物だった。
タラリスはその男を離してやり、どんと背中を叩く。
「ほら、行け。行ってドラガンに伝えて。ペガーナの騎士が来たってな」
「ううっ」
その男は慌てて足をもつれさせながら、急いでドラガンのいるという屋敷の方へ駆けていった。
タラリスは逃げるように走り去る男を見届けると、背筋にビリビリと殺気を感じて身を伏せた。
一瞬遅れてライフルの銃声が轟き、地面を鉛玉が穿っていく。
監視塔から狙撃されている――見切った弾道から狙撃手の位置を割り出したタラリスは、夜闇に紛れる様に体色を褐色へと変えた。
エルフは闇に消え、狙撃手はタラリスの姿を見失う。
数十秒の間狙撃手はタラリスの姿を探して何度も視線を往復させ最後に吐き捨てるように言った。
「クソッどこ行きやがった!」
「アンタの後ろだよ」
突然背後から声を掛けられた狙撃手は、ぎくりとしながら振り返る。
その、信じられないという相手の表情を見ていると、タラリスはとても愉快な気持ちになった。
こう反応がいいと楽しくなる。舞台に立ち歓声を浴びる手品師のように。
気を良くしたタラリスは少し饒舌になって言った。
「どうした。美人が出てきたんだからもっと嬉しそうにしろよ。お化けでも見たような顔してるよ」
「う、ウソだろありえねえ。てめえ、さっきまで下に……」
「私はマイル一分のペースで走れるんだ。ついでに木登りはもっと自信がある。このくらいの塔の壁登るのなんて道を歩くのと変わんないよ」
「この化け物が!」
怒声と共にライフルの銃口がタラリスを向く。
タラリスの目には、狙撃手の指が引き金を引く動きがよく分かった。ライフルの機構が動き出すより早くタラリスは間合いを詰める。
弾丸が発射される寸前、タラリスは右手で銃身を掴み、弾道を明後日の方向へとズラす。それと同時に左手の拳は狙撃手の腹にめり込む。
声にならない嗚咽を何度も繰り返しながら狙撃手はその場に倒れ込んだ。
監視塔にいた残りの相手も早々に片づけると、タラリスは本丸であるドラガンの屋敷へと乗り込んだ。
玄関のドアを蹴破ると、その瞬間横二列に並んだ男たちが目に飛び込んできた。
手前の列はしゃがんで回転式拳銃を、奥には立ちながらライフルを構えている奴がそれぞれ六人ずつ。
向けられた銃口が一斉に火を噴き、大小の鉛玉が吐き出される。
タラリスは自分に向かってくる弾丸を避けようとするのではなく、逆に自分の方から弾丸へ向かって真正面から突っ込んだ。
距離は十メートルもない。飛来する弾丸が着弾するまでまさに一瞬しかない。
しかしその瞬間タラリスの見る世界はほぼ静止した。
極限の集中が生み出す超感覚。『永遠の刹那』。
凝縮された世界の中ではコンマ一秒が一秒になり、その一秒はさらに十秒となり、その十秒は百秒にまで引き伸ばされる。
弾丸ですらその中ではナメクジが這うようなもの。
タラリスは鉄の弓を棍棒のように振るい、鉛玉を残らず叩き落しながら進む。
その光景に銃を撃つ者たちは愕然とした。
銃を扱う者だからこそ、彼らは銃というものを知っている。弾丸が当たらないのはよくあることだが、かわすなど無理だ。
ましてやハエを叩くように叩き落すなど絶対に不可能。
だがその常識を目の前で粉砕した。
「当たらねえ!?」
「弾丸に嫌われてるからね」
タラリスは猛獣のように飛び掛かると、一番近くにいた男を蹴っ飛ばし、二番目に近かった男を殴って昏倒させる。
バンバンとさらに弾丸が発射される。
しかし何度やっても同じこと。結果は変わらない。
「それに私も弾丸が嫌いだし」
三人目を投げ飛ばし四人目にぶつける。
銃声が響く。その弾を避けながら一直線に撃った奴に駆け寄って顔面を潰す。
銃は強力な武器だが、弾丸を見切ったタラリスにとってみれば、どいつもこいつも通用しない武器に縋っているだけだ。これほど楽な相手はいない。
最後の相手を窓から放り捨てて、タラリスは先へ進んだ。
悲鳴を上げながら薄着の女たちが廊下を走っていく。多分ドラガンの愛人だろう。女を無視して廊下を進み、最奥の扉を取り飛ばすと、そこはドラガンの書斎だった。
だがドラガンの姿はない。入れ違いになったようだ。
代わりにそこにいたのは屈強なヴィーカだった。
ヴィーカとは所謂リザードマンで、緑色の鱗の肌にひょろりと長い首。そしてワニのような顔をしている。爬虫類的な特徴を持った種族だ。
目の前の相手はさらに、腰には牛だって叩き斬れそうな、だんびらの大剣を佩いていた。
しかし最もタラリスが感心したのは、恐ろし気なヴィーカの外観ではなくその落ち着いた佇まいだった。
四、五メートルの距離であればエルフの聴力は相手の心音を拾えるが、目の前のヴィーカは自分を前にして全く心音に乱れがなかった。
相当場数を踏んだ相手と見える。
「へえ……強そうだな。ドラガンの用心棒か」
「カラジンだ。お前がペガーナの騎士だな。噂は聞いている」
「いい噂だろうね?」
ヴィーカは立ち上がり、巨大な剣を抜いて構えた。
「いつか手合わせしてみたかった」
「いいのか? 私のファイトマネーはアンタの命だよ」
「構わん! 俺は戦うために生まれてきた!」
凄まじい刃風を轟かせ、カラジンは豪剣を振り下ろした。
タラリスは剣筋をギリギリで見切り、剣をかわしながら身を翻すと跳び後ろ蹴り一閃。
前方に重心が乗ったカラジンの脇腹にタラリスの踵がめり込む。
僅かにカラジンの巨体が沈んだところへ、タラリスはダメ押しの飛び膝蹴りを顔に放つ。
「悪いね。私は勝つために生まれてきたんだ」
潰れたカラジンの顔から砕けた歯と鮮血が舞い、タラリスが勝ち誇る。
だが膝をついたカラジンの顔には歓喜の表情が浮かんでいた。
「がはははははは! まだまだあーーっ!」
必殺の膝蹴りを物ともせずカラジンは再び立ち上がると、激しく剣を振り回す。
長身に加え手にした大剣により、カラジンの間合いは並の剣士の倍以上。
さらに岩をも叩き斬るであろう斬撃の連続攻撃。
だがタラリスは真っ向からヴィーカの間合いに侵入した。
ずば抜けたスピードにものを言わせて斬撃の合間を縫い、間合いを詰める。
それは弾丸さえ問題にしない動体視力と、反射神経と度胸の持ち主にだけ可能な戦法だった。
剣よりも早く、タラリスの鉄弓がカラジンの頭に振り下ろされた。
返す刀で突き上げるようにもう一発。ふらつく相手にさらにもう一発。
棍棒よりも遥かに重く頑丈な鉄の弓で、頭部を滅多打ちである。
だがヴィーカの巨体が倒れたと思われた瞬間、ヴィーカは踏みとどまり、胴を切断する横薙ぎの一太刀を振るう。
その瞬間、咄嗟にタラリスは弓を捨て、両の掌を広げ振り下ろされた剣の腹を挟み取った。
白刃取りの神業と外見に見合わない腕力に一瞬カラジンは目を見張る。
「うらああああああああっ!」
可憐なタラリスが野太い声を上げた。
剣を奪い取ろうと必死に力を込める。
万力の如き二人の力が剣を通してぶつかり合うと、力比べに決着がつく前に刀身の方が限界を迎えた。
ダンビラの大剣が撓んだかと思うと、鉄の割れるバキィィンという音がして剣が折れる。
「なにっ」
「よっしゃあっ!」
力比べから解放されたタラリスは続けざまにラッシュを繰り出した
喉、腹、脇腹と打撃を三連発叩き込み、ヴィーカの体が沈んだところで側頭部に飛び蹴りを放つ。
カラジンの巨体が吹っ飛び、三度目のダウンを奪う。
だが、やはりというべきか、息も絶え絶えになりながらも、ヴィーカの戦士は再び身を起こした。
なんてしつこい奴!
と内心タラリスは舌を巻いた。
ヴィーカは生命力が強いと聞くがこいつは異常だ。
さっきから体に穴が開くくらいの強さで殴ったり蹴ったりしてるのに、まだ立ち上がるとは。
殴ってる手の方が痛くなってきた。
さてどうしようかと考えていると、エルフの長い耳が遠くで聞こえた物音を拾った。
長耳がピクンと痙攣するように動く。
「……いまやめたら引き分けで勘弁してあげるけど、どうする? 私と五分なら友達に自慢できるよ」
「言ったはずだぞ! 俺は戦うために生まれてきた! 死ぬまで止まらん!」
「そういうことじゃ、しょうがねえなあ」
やれやれ、とタラリスは肩を竦めると、人差し指を立ててカラジンを指差した。
「最後にエルフの魔法を見せてやるよ。いまから私は指一本触れずにお前を殺す。冥途の土産話にしな」
「魔法だと? 何を馬鹿な……」
エルフの魔法などカラジンは信じていなかったが、波が引くようにタラリスの肌の色が褐色から白色へと戻っていくのを見て、カッと激情に駆られた。
カラジンはエルフの肌の色の意味を知っていた。
褐色は擬態。緊急事態への対応。
褐色から白色に戻ること。それは警戒の解除。戦いの終わり。日常への回帰。
もう勝ったという確信。
ヴィーカの体に激しい怒りが湧き上がる。
「貴様っ!」」
その言葉を言い終えるより早く、猛烈な勢いで何かが部屋の窓をぶち抜き、さあっと後ろからカラジンの首筋を撫でた。
ヴィーカの長い首から勢いよく血が噴き出し、驚愕の表情を浮かべたカラジンの頭が毬の様にポーンと飛ぶ。
ごろりとヴィーカの首が転がって、まだ意識のあるカラジンは自分を殺したものの正体を見た。
それは一匹の巨大なオオカミだった。
「ゴルルル……」
低い唸りを上げながら、タラリスの忠実なオオカミ、マロは自分の牙に付いたヴィーカの血を舐めていた。
タラリスは地面に転がったカラジンの首の前にしゃがむ。
ヴィーカの生命力は強い。首を落とされても数分は生きているケースさえある。
だがもはや喋ることはできない。恨めし気に睨みつけるだけだ。
「言った通りになっただろう。私は指一つ触れてないぞ。そんな目で見るな」
タラリスが相手の注意を引き付け、その間に音と気配を殺したマロが忍び寄り殺す。
オオカミの完璧な連携。それこそエルフの魔法だった。
「さて」
タラリスは書斎を見渡す。ヴィーカとの戦いで部屋の中は酷い有様だったが机の上に葉巻を見つけた。それもまだ火が付いている。
直前まで吸っていたようだ。
タラリスは葉巻を鼻に近づけて外巻き葉の香りを嗅いだ。
どうやら煙草の趣味は悪くない。高級品だ。
「マロちゃん、この匂いを追って」
タラリスがそういうと、巨大なオオカミはギシギシと廊下を軋ませながら、ドラガンの残した葉巻の残り香を追い始めた。
マロはタラリスを地下室へと導いた。
入り口は中から物を積み上げて封じられていた。その効果でタラリスは一秒だけ足止めを食らう。
強引にぶち破って中に入ると、まるでそこは美術館のバッグヤードだった。ドラガンの個人的なコレクションが所狭しと置かれている。
だがそれだけではない。
地下室に足を踏み入れた瞬間に分かる麻薬の匂い。
まさしくここが闇市“入り江”の心臓部だった。
地下室は静かではあったが、タラリスは静寂の中に人間の息遣いを感じ取っていた。
間違いなくドラガンがいる。
タラリスとマロは呼吸音の聞こえる方へ足を向けた。
そのとき水を打ったような静けさを破り、リボルバーの発砲音が響いた。
音と共に発射された弾丸は音よりも早くタラリスに迫る。
だがそのとき既に、タラリスとマロは動き出していた。
超音速の弾丸は音を頼りに回避しようとしても間に合わない。
エルフとオオカミが動くのはその手前の時点である。だから弾が当たらない。
弾丸を避けながらタラリスはほんの少し、軽く弓を引いた。
弓に番えているのは、矢ではなく一枚の銅貨。
スリングショットの要領で放たれたコインは、ドラガンの手を撃ち抜き拳銃を叩き落した。
「あうっ……」
正体不明の痛みにドラガンが声を上げた次の瞬間、マロがドラガンを押し倒して床に叩きつける。
どんっという荒っぽい衝撃で、高価そうな壺や彫像がガラガラと音を立てて将棋倒しになっていく。
「……」
タラリスはバツの悪そうに眉をひそめた
もしあれが百万デナリの価値がある物だったとしても、自分のせいじゃない、と言い聞かせる。
「くそ、降参する……」
オオカミに胸を押さえられながらドラガンが言った。
「だから、こいつをどけてくれ!」
「全部の質問に答えたらどけてやるよ。私が誰かは聞いてるね?」
「ペガーナの騎士だ! そうだろ!?」
「オーケー。じゃあ何で来たかももう分かってるよね。私は盗まれた人形を探してる。ここにあるんでしょ?」
「ここにある! この部屋に!」
「どこ?」
「案内する! だからこの化け物をどけてくれ! 重くて、く、苦しい」
「……マロ。放してやれ」
そう言ってからタラリスは淀みなく付け加えた。
「でも逃げようとしたら殺せ」
ゴクッとドラガンが生唾を呑みこむ。
「……逃げない。だから殺さないでくれ」
「なら殺さないよ。約束する」
「こっちだ」
ドラガンはよろめきながら立ち上がると、コインで撃ち抜かれた右手を押さえながら、ゆっくりとリビングドールの入った木箱へ向かって歩き出した。
手から流れた血がポタポタと倉庫の床に垂れる。
「今日の破滅は自分がツイてなかったせいだと思う?」
とタラリスはドラガンに言った。ドラガンが答える前にさらに続ける。
「でも言っとくけど自業自得だよ。これに懲りたら“AA”には手を出すなよ。もしまた見つけたらペガーナ騎士団に連絡して」
「え、“AA”?」
「とぼけるなよ。旧世界崩壊以前の遺物だ。アンタたちが盗んだのは世界を滅ぼしかねない代物だよ」
「……」
ドラガンは無言で棺のような木箱の前に立ち蓋を開けてタラリスに見せた。
そこにあったのは報告書通りの姿をした、等身大の少女の人形だ。
倉庫を照らすアーク灯の不安定な光の下ですら、その姿は美しい。
緑のドレスを着た少女は、今にも目を開き起き上がりそうだった。
「なんだこりゃ。まるでイチゴのショートケーキみたい。思わず食べちゃいたくなりそう」
冗談を言うタラリスの背後で、ドラガンが聞いた。
「本当にそいつが世界を滅ぼすってのか?」
「このイチゴちゃんが? こんな可愛い子がそんなことするはずないだろ。旧世界を滅ぼしたのはこの子じゃなく、この子を作ったテクノロジーとそれを持て余した馬鹿な人間だよ」
その瞬間のドラガンの目にはタラリスは無防備に見えた。
自分に背を向けて、人形をしげしげと見つめている。
好機だと思ったドラガンはそっと音を立てないように棚に手を伸ばした。
掴んだのは古い刀剣である。
柄に華美な装飾を施された剣は美術品としてここに運び込まれたが、刃引きはされていない。むしろ良く研がれていた。これまで少なくとも二人を刃の錆にした記録があり殺傷能力は折り紙付きである。
その刀の柄をぎゅっと握ると同時にドラガンは全身全霊の力を込めて刃をタラリスの頭上に振り下ろした。
ダァァァッン!
という鈍い音が響き渡る。それは金属がさらに硬いものとぶつかった音だった。
振り下ろしの衝撃で美しい刀剣の刃はぼっきりと折れ、斬撃を叩きこまれたタラリスは「いてっ」というやや気の抜けた言葉を発した。
タラリスが頭をさすると皮が斬れたのか指先には血が付いている。
「……いってえ」
ドラガンは、自分の軽挙を心底後悔した。
この女は怪物。
それも外見からは想像すらできない巨大な怪物……。
カタカタカタ……とドラガンの奥歯が震えた。何とか意志の力で抑え込もうとしたが、迫りくる圧倒的な死の予感に奥歯の震えが止まらない。
「……ふ。そんなビビるなって」
タラリスはニヤリと笑って肩を竦めた。
「命は助けるが逃げたら殺すって約束だったな。後ろから斬りかかったら殺すとは言ってなかったわ」
ポンとタラリスはドラガンの肩を軽く叩いた。
「お前と違って私はちゃんと約束は守る。だから次は私たちに協力しろ。いまある世界のために。じゃあ、またな」
タラリスは人形を箱から出して両手に抱くと、ドラガンを捨て置いたままオオカミに乗って帰路についた。