自然は牙と爪を赤く染める
私はエルフのタラリス。
この話は私が人間世界に来る前の子供時代の話だ。
私が生まれたのはエルフの世界、巨森リノーフ。人間世界の西方に広がる大森林だ。
家族は父さんのハバエル、お母さんのマリリス、お兄ちゃんのダブエル、それからおばあちゃん。
ご近所さんは私の家と似たような構成の家族が十五、六軒あったな。みんな親戚でうちの家と何かしらの繋がりがあった。
そして一族の共有財産としてみんなで巨森オオカミっていう大きなオオカミを十頭くらい飼っていた。
巨森オオカミは虎より大きいオオカミで、リノーフに暮らすエルフにとっては欠かせないパートナーなんだ。遊牧民にとっての馬くらい重要な生き物だと思ってくれればいい。
勿論細かい風習の違いはあるけど、うちの一族だけでなく、どこのエルフもだいたいこんな感じで似たり寄ったりだ。
一族で固まって暮らして、そういう集落がさらにたくさん集まって一つの部族を作る。
リノーフは自然豊かな美しい世界、とってもいいところ!
と言いたいけど、水と空気が奇麗なだけじゃ誤魔化しきれない問題もある。
その一つが危険な生き物がたくさんいることだ。
大いなる巨森リノーフは莫大な生命を育むけど、それらの生命はまるで神に奉納する舞のように過酷な生存競争を演じる。
生命はお互いに能力を試し合い、その果てに人間世界では考えられないほど恐ろしい生物が多数生まれた。
そういう危険から仲間を守るため、部族の中でも腕自慢の命知らずが選ばれて、守り手と呼ばれる戦士の任に着く。
守り手は命がけの仕事だが、とても名誉あることだ。ぶっちゃけ実入りもいい。部族の生命線だからね。
その守り手たちには不倶戴天の宿敵がいた。
守り手の敵という事は全てのエルフの敵ということ。
名前すら不吉なもの、忌まわしいものとして忌避される、リノーフに棲む生き物たちの悪夢。
そいつの名前はラジャス。またの名を軍団を呑みこむもの。
ラジャスの姿は少し複雑だけど、頑張って説明してみよう。
まず全体的な形はムカデに似ている。けど、頭から尻尾まで百歩くらいある。
これが一般的なラジャスのサイズだね。口もでかい。エルフの一家族くらいは一口でペロリだ。
体は鉄みたいな外殻に覆われていて、体の側面には鋭く尖った足がたくさん生えている。数は数えたことがないけど多分二百本とか三百本とかそれくらい。
そのたくさんの足をガチャガチャ動かして、ラジャスはびっくりするくらい素早く動く。私も駆けっこには自信があるけどラジャスから走って逃げるのは無理。
そしてその馬鹿でかい体に物を言わせて、木も岩もなにもかもぶち壊しながら獲物を漁る。
足は何本あるか分からないけど、腕は四本ある。学者に言わせれば腕じゃなくて本当は発達した足とかなんとかいうかもしれないけど、腕は腕だ。
ラジャスの腕は頭に近い所に生えていて、足よりずっと長くて大きい。
腕の先は鍬と鎌の相の子みたいな形になってて、それを使って巣穴を掘ったり地中を移動する。もちろん腕はフォークとナイフとしても使う。
と、だいたいこれがラジャスだ。
この恐ろしい怪物と戦うため、守り手は攻城兵器に近いような特別製の弓矢を使う。
普通の狩猟に使う弓矢と全然違って、ぶっとい鉄の矢をごっつい鉄の弓を使って射るんだ。それで無理やりラジャスの外殻をぶち破るのさ。
矢にはホシオトシっていう猛毒が塗っていて、傷を負わせて倒すんじゃなく毒殺する。
守り手の弓は凄い威力だけど、矢も大きくて重いから折角の威力が減退するのも早い。
だから堅い外殻をぶち抜くために守り手はラジャスに近づかなきゃならない。だいたい三十メートルくらいが目安だね。
でもさっきも言った通りラジャスはデカい割に素早い。ノコノコ近づいたら間違いなく竜巻みたいに暴れてるラジャスに巻き込まれて射手は死ぬ。
それを解決するのがエルフの相棒、巨森オオカミだ。
リノーフのオオカミはラジャスよりも脚が速い。だから守り手はオオカミに乗って、ヒットアンドアウェイ、一撃離脱の騎射戦法で戦うんだ。
ホシオトシは猛毒だけど、それでも体のでかいラジャスを倒すには何百発と矢を射ち込まなきゃならない。
どんなに優れた守り手でも一人ではラジャスに勝てない。守り手は互いに信頼し合い協力して戦うんだ。
ラジャスが現れた場合は、まず近くの住人を避難させて、近隣の守り手たちを招集する。頭数が揃うまではどんなに相手が暴れて憎たらしくても我慢しなきゃならない。
守り手が集まったら一気に反撃して殺す。
ラジャスはホシオトシの毒が回ってくると穴を掘って逃げようとすることが多いけど、追い払うだけじゃダメなんだ。必ず殺すべし、と守り手たちは口を揃えて言う
あいつら虫っぽい外見してるくせに馬鹿じゃない。一度痛い目にあったらそのことを学習して、襲い方が巧妙になる。
一度逃がすと、今度は手強い守り手の存在を避ける様にしてエルフの集落を襲うようになるんだ。
まったく厄介な奴らだよ。
私の父さん、強き弓のハバエルは、ラジャスやその他の危険と戦う守り手だった。
それも、とびきり凄腕で名うての戦士よ。
そういう守り手は自分の部族を守るだけでなく、あちこちの部族から助っ人に呼ばれる。父さんはオオカミの足で二週間以上もかかるような、遠くの部族からも呼ばれた。
だから普通の守り手よりずっとたくさんのラジャスと戦った。
父さんは百歳の誕生日の時、自分の誕生日パーティに出席せずに生涯で七十七体目になるラジャスと戦っていたらしい。
守り手は一人でラジャスと戦うわけではないけど、それは驚異的な記録だった。それだけのラジャスと戦って生きていること自体がまず奇跡って感じ。
話は少し脇道に逸れるけど、私がどれくらい父さんか人から尊敬されていた思い知ったのは、父さんと二人で地元から随分離れた部族のところに行った時だった。
滞在する間、召使に使ってくださいと言ってきた兄ちゃん姉ちゃんがいて、召使にしては結構身なりがいいなと思って話してみたら、その二人はそこの族長の孫だった。
私は驚いて父さんに、族長とは知り合いなの? ここにはよく来るの? って聞いたら「いや、初めて来た」だと。
それでもその部族の全員が父さんのことを知っていた。何も言ってないのに晩餐には父さんの大好物だった兎肉のシチューが出たし。
あの時は万事がそんな感じで、まるで神様扱いだった。
話を戻そう。
そんなわけで父さんは私が生まれるずっと前から伝説的な戦士だったけど、私のお兄ちゃんのダブエルも部族の中で最年少で守り手に選ばれるくらい有望な戦士だった。
いうなればお兄ちゃんは父さんの夢そのものだね。
父さんは息子を自分よりも強い、エルフ史上最強の男に育て上げるって意気込んでいたし、お兄ちゃんもその気だった。
でもその夢は叶わなかった。
ある日、父さんとお兄ちゃんはラジャスが現れたと報せをうけて、いつものように出かけて行った。
そこで父さんが出会った、生涯でちょうど百体目のラジャスは、普通のラジャスとは全く別物の、ケタ違いの化け物だった。
そいつは普通のラジャスの二倍も大きい異常個体。神話の世界から抜け出してきたような怪物。ひと呼んでこの世界のものに非ずさ。
あまりにも大きく厚くなった外殻は、もう守り手の鉄弓さえ通さなかった。
私はその戦いを見たわけじゃないけど、聞いた話ではお兄ちゃんはそれでも何とかしようとして、その巨大なラジャスにかなり近づいたらしい。
理屈は分かる。
離れて通用しないならもっと近づくしなかいとお兄ちゃんは考えたんだろう。
何もかも粉砕する荒れ狂う嵐のような相手の、ほんの目の前までオオカミを走らせて、お兄ちゃんは矢を射った。
その日、たった一射だけアンリノーフリィの外殻を貫けたのが、その時お兄ちゃんの放った矢だった。
そしてラジャスに潰されてお兄ちゃんは死んだ。歳はまだ二十だった。
戦いに参加したたくさんの守り手も死んだ。
守り手が守ろうとしたエルフたちも死んだ。
さんざんエルフの集落を食らいつくして、アンリノーフリィはどこかに消えた。
でも父さんは生き残った。生き残ってしまった。