逢魔が時に未来の彼氏に会いました
先週文学フリマでだした短編集のうちの一つ「美しい姫君」をあげさせていただきましたが、あげたその日のうちに40人以上がアクセスしてくださっていて、思わず目を疑ってしまいました! たくさんの方々に読んでいただけて感動です! ありがとうございます!
今回はその短編集のうちの二つ目の物語です。今回も少し修正は加えていますが内容はほとんど変わりません。
ではどうぞお楽しみください!
あたり一面、真っ赤に染まる夕暮れ時。常緑樹も、無機質なコンクリートのビルも、色とりどりの花々さえも、真っ赤に染まる時。まるで、命の灯が消える最期の一瞬の輝きのように。だが、その恐ろしいほど明るく輝く光の時間も、あと少しで終わる。輝きが消えたら、後に来るのは絶望のように暗い闇。それが来る前に、明るい光の最期と共にいこうと、少女は歩みを進める。日が消えて来た。少女があと数歩歩けば、光は完全に闇に飲み込まれるだろう。この少女と、共に。
「こんにちは」
昼と夜が交差する時刻を、逢魔が時と呼ぶ。その境目のあいまいな時刻には、不思議なことが起こることがあるという。だからだろうか。
「僕は将来、君の彼氏となる世界線から来たんだ。過去の君に会おうとしたんだけどね、どうやら別の世界に来てしまったようだ。よかったら話をしないかい。そんな危ない所に立ってないでさ」
こんな変な事を言ってくる人に声を掛けられたのは。しかもこんな、めったに人の来ないような、立ち入り禁止の札のかかった先の、切りだった崖の一歩手前のような場所で。
めったな言動では、少女の歩みを止めることはできなかっただろう。だが、この現実離れした場所で、場違いな笑顔で、意味の分からない事を言って差し伸べる手に、それが自然の摂理であるというかのように、少女は吸い込まれるように手をのばした。
♢ ♢ ♢
それから、すぐにやって来た夜の闇の中を、まるで見えているかのようにその人は少女の手を引いて歩いた。
「いい場所があるんだ」
そう言ってどれくらい歩いただろうか。ひたすら山の斜面を歩く少女の肌には汗が浮かんでいた。あてのない闇の中を進む。それは、まるで私のようだ、と、そう心の中で、自嘲して笑った。だが唯一、いつまでも、少女が滑って地面に膝をついてしまった時さえ、離さなかった、少女の左手を握るその人の手だけが、今までにないものだった。
「ここだよ! は~やっと着いた」
枝葉をかき分けた先から、急に明るい光が差し込んで来た。少女は目を細めながら動揺した。もう闇に支配された時間の筈。現に、今までずっと真っ暗だった。戸惑いで足をすくませる少女だったが、左手はまだその人の手に握られたままだった。
「ほら、早く来て!」
そう言ってぐいっと引かれた左手に、自然と体もついていき、動かなかった足は前へと進んだ。途端、明るさが少女の体のすべてを照らした。そこは芝生で覆われた平地だった。見上げれば夜の空に、煌々と輝く三日月が浮かんでいた。
「ほら! この時間だとここ、昼より静かで月が僕らを照らしてくれるから夜でも明るいだろ! 芝生はふかふかだし、のんびり話をするにはピッタリな場所だと思わないかい」
芝生の上に勢いよく倒れて大の字になるその人は、心から楽しそうな笑顔を少女に向けた。よく、月は女性を表すと言うけれど、少女はその人こそ、月のようだと、そう、思った。
その人は、自分のことはたっちゃんと呼んでと言った。本名を今知ってしまうと、これから来る未来で会うことができなくなるかもしれないから、と、よくある物語の設定みたいな理由だった。それに比べて、たっちゃんは少女の事をいろいろ知っていた。少女の伊賀野鈴音という名前、血液型に星座、嫌いな食べ物まで、若干引くくらい、知っていた。
「でもね」
嬉しそうに鈴音について話していた彼は急に口をつぐむと、悲しそうな、苦しそうな、様々な感情が混ざったような顔をした。
「今の君のことは、よく知らないんだ。僕の知る君の過去に、あんな所に歩いていく理由になる出来事はなかったはずなんだ」
その声には、責めるような、心をざわつかせるような、苦しくなるようなものは一つもなく、鈴音は自然と、口を開いていた。
「いらない物は、捨てるでしょう。それと同じ。学校で、私はいらない存在なの。そして今年中には、家族からも私はいらない存在になる。でも、誰からも捨てることを忘れられて、ほっぽり出されたままだから、自分から消えようと思ったの」
鈴音は、降り注ぐ光から逃げようとするかのように、膝をたてて、両腕を組んで顔を伏せた。
「なんで、学校でいらない存在なんだ?」
たっちゃんは空を見上げたまま、そう聞いた。
「……クラスメイトの一人に、不良グループのリーダー格の女子がいるの。その子が後輩に万引きしてくるように命令しているのを見ちゃったんだ。それで、後輩がお店を出て店員さんに捕まった時、その出口付近にいたその女子を指さして『その人が命令して万引きするよう言ってました』って言っちゃった。……今思えば、なんでそんなことしたんだろうって思う。次の日から私は不良グループに目を付けられちゃった」
思い出しただけで体が地面に沈むような感覚がしてくる。冷たくなってくる指先を、鈴音はぎゅっと握りしめた。
「私は偽善者で、協調性のない奴。毎日毎日、そう思い込まされていった」
「先生は……?」
「先生なんて……」
鈴音はすべてを正直に先生に話して、リーダー格の女子との問題を解決するべく助けを求めた。だが、彼女を恐れるのは生徒だけではなかった。彼女は他校のやくざと繋がりがあると噂の男と付き合っており、逆らえば先生といえども被害にあったという話はあった。鈴音が助けを求めた先生は、そのことを警戒してかまともに話を取り合わなかった。それでも鈴音は諦めず助けを求め続けた。日々のいじめにも必死で絶えて、できる限り被害に遭わないよう逃げられるときは逃げ、話をしようと努力もした。だがそんな鈴音に、先生は、おぼれまいと必死にもがく人に重りを叩きつけるような、残酷な言葉を投げた。
『お前が余計な事をしなければこんなことにならなかったんだ。そんなの自己責任で何とかしろ』
たっちゃんは、眉を寄せ、驚きの中に怒りを秘めた顔で、顔を伏せたまま淡々と語る鈴音を見た。リーダー格の女子に、どんなことをされたのかは語られなかった。だが、今の鈴音の姿を見れば、どんな苦痛の日々を過ごしたのかは、痛いほど分かった。
「家族は?」
「……今度、ね、弟か、妹ができるの」
鈴音はかすかに顔を上げ、ぼやけた視線の先の家々の明かりをじっと見つめた。
「お母さんのお腹、おっきくなってきて、今すごく大変な時期なの。お父さんも最近は早めに帰ってくるようになって、二人とも、とっても嬉しそうで……とてもじゃないけど、こんなこと言える空気じゃない。もう少しでお姉ちゃんになるんだから、しっかりしないといけないし、ね」
鈴音はそう言ってしばらく、涙の枯れた感情の見えない瞳で下の方に見える家々の明かりを眺めた。
「でも……」
そうつぶやくように言った鈴音は、こぼれるように言葉を続けた。
「そんな風に誕生を心待ちにされている子がお母さんたちのもとにくるんだから、きっと、私ももうすぐ、家族からもいらない存在になると思うんだ」
そう言った鈴音は、今にも壊れそうな人形のように脆く、彼の目に見えた。今にも崩れ落ちそうな鈴音が口を再び開きかけた時、思わず彼は先に言の葉を紡いだ。
「君はここでいなくなっちゃダメなんだ!」
初めて聞いた訴えにも似たたっちゃんの強い響きの声に、鈴音の真っ黒な瞳に彼が映った。彼は息を整えると、改めて鈴音と向き合った。
「この世界では、君はあそこで消えてしまう運命だったかもしれない。でも、それは、もう僕が現れた時点で変わっているんだ」
何を言っているのかわからないといった顔をする鈴音の肩に、彼は静かに手を置いた。
「だって今、君は生きている。つまり君がいるこの世界線も、未来で僕に会う世界線になったってことなんだよ」
たっちゃんは言い聞かせるようにそう言い、穏やかな笑みを浮かべた。
「未来で僕は君に出会い、告白する。僕には君が必要なんだ。一緒にいてほしいと思う」
「……なんで?」
初めて出会い、少し話をしただけの仲の人に、ここまでのことを言う人が居るだろうか。こんな芝居じみたような、だが心のこもった優しい言葉を。
(いや、知ってる。私は、この人を知ってる)
はるかかなたのおぼろげな記憶の中に、彼はいる。いや、いたはずだ。鈴音は片手で頭を押さえながら、ぐるぐるとまわる頭の中の記憶の中から、それを必死に見つけ出そうとした。痛くなりそうな頭に、あたたかい手がそっと触れた。
「君を必要としている人は、僕だけじゃないよ。すぐには理解できないかもね。でも、絶対いるんだ」
優しい手は、何度も何度も、ゆっくり鈴音の頭をなで続けた。
「未来の僕から、君に一つ予言をするよ。明日、学校に行ってごらん。そしたらきっと、君の運命がバットエンドからハッピーエンドに変わったことが分かるよ」
薄まる意識の中、水滴が水面に落ちた時にできる波紋のように、たっちゃんの言葉は心地よく頭の中に響いた。意識が途切れる直前、優しく微笑む彼の向こうで、月が静かに輝いていた。鈴音は不思議と自然にその光を受け入れ、包まれるような感覚を覚えながら、久しく感じたことの無かったまどろみの中、意識を手放した。
♢ ♢ ♢
目が覚めると、鈴音は自室のベッドの中にいた。カーテン越しに感じる朝の光を感じながら、ゆっくりと体を起こした。周りを見渡すと、特に代わり映えのしない自分の部屋が目に飛び込んできた。服を見る。自分の持ってる、よく着るパジャマだ。昨夜のことは、夢なのだろうか。状況だけ見ると、どうにもそう思えてならない。現実であれば、制服を着ていて、あの芝生の上で寝ているはずだ。確かに、非現実的な体験だった。困惑していると、下の方からトースターのチンッという音が聞えてきた。瞬間、両親の存在を思い出し、一気に背筋が凍った。
(そうだ。あの後、あの人が連れ帰ってくれて、お母さんが着替えて寝かせてくれたのかもしれない。そうだとしたら、きっとなにやってたんだって言われる。どうしよう……どうしよう……なんて説明すれば……)
連れ帰ったのだとしたら、何故家が分かったのか、そんなことは鈴音にしてみればどうでもいいことだった。ただ、学校から帰らず夜遅くまで帰らなかったこと。そして《たっちゃん》に話したことを聞かされていたらそのことについて両親にどんな風に思われるか。ただそれだけが彼女の心の中を重たい泥となって占めた。しかし、このまま部屋に居続けるわけにはいかない。今日は平日で学校がある。両親が何も聞かされていなかったとしても、どのみち部屋からは出なければいけない。鈴音は重たい足取りでクローゼットの扉を開け、制服を掴んだ。
≪未来の僕から、君に一つ予言をするよ≫
瞬間、《たっちゃん》の言葉が頭の中に浮かんだ。
≪明日、学校に行ってごらん。そしたらきっと……≫
「『君の運命がバットエンドからハッピーエンドに変ったことが分かる』……そんな都合のいい事、起こるわけないよね」
夢ならば、心のどこかで救いを求めて見た愚かな幻。現実ならば、明日へ希望を持たせようと吐いた《たっちゃん》のその場しのぎの優しいウソだ。鈴音は重りのような制服に身を包み、体を強張らせながら部屋の扉を開いた。リビングの方に歩いていくと、朝食の準備をする母と、テレビでニュースを見る父の姿があった。踏み込む勇気が出ず立ちつくしていると、母が鈴音に気がついた。
「あ、おはよう。悪いんだけどお皿残り並べてもらっていい?」
「えっ……」
驚きで目を見開いていると、父も振返ってきた。
「おう鈴音。おはよう。今日は快晴らしいぞ」
「そ、そう……」
いつもと変わらない日常が、目の前にあった。瞬時によぎったのは安堵と、軽い絶望だった。結局何も変わらず、今日も一日が過ぎていく。存在を否定されながら。その事実は何よりも深く、彼女の胸に突き刺さった。そんなことを悟らせないため、鈴音は今日も昨日と同じように、仮面のような笑顔で朝食の席に座り、家を出た。学校へと続く道を歩きがてら、夢の事を思い出していた。思い返せば変なところだらけだ。どこからが夢なのかおぼろげだが、確かに近くには山もあるし、崖があり危険なため立ち入り禁止の看板もある。だがその先に行ったことなど……。
鈴音はふと立ち止まった。頭の隅に、かすかに残る記憶が、ゆっくりと水面に浮かんでくるようによみがえってきたからだ。
(知ってる。私は、あそこに行ったことがある。でも、崖の方じゃない。あの人と座ったあの芝生の所……)
・ ・ ・
『ほら、……ちゃん! 泣かな……で』
『だっ……僕変……て……』
『あんな人た……きにしt……ダメ!』
『でも……』
『私は……好きよ……あなたの……』
『ほんt……?』
『ホント! だかr……ちゃんは……いいの! きっ……なら…………』
・ ・ ・
幼い鈴音と誰かの会話が思い出される。でも、ノイズが入ったようにかすかにしか思い出されない。もっと思い出そうと集中しようとした瞬間、すぐ横を車が通り抜けていき、鈴音は正気に戻ったようにはっとした。この通学路は白線で歩道が確保されているだけで、車と距離が近いのだ。しかも鈴音は白線ギリギリのところで立ち止まってしまっていた。真横を車が通るのも仕方ない。思い出そうとしたことも再び頭の隅に移動してしまった。鈴音はため息をつき、再び歩き出した。
しばらくすると、校門が見えてきた。同じ制服の生徒がたくさん見える。鉛を飲み込んだかのように息が苦しくなる。鈴音は震えそうになるのを必死に押し殺し、校門を通り抜けた。靴箱へと歩いていく。靴を脱ぎ、自分の靴箱を開けると、中には紙くずとカッターの刃がそのまま上履きに押し込まれていた。とたん冷や水を浴びせられたように真っ青になっていった。
「あ~おはよ~いがぐりちゃ~ん」
例の女子のつけたあだ名とその声に、鈴音は振り返る。横にはいつものように取り巻きの数人の女子がいて、あざ笑うようににやにやと嫌な笑みを浮かべている。
「残念ね~馬鹿みたいに手ぇ突っ込んで怪我して痛がる姿が見たかったのに~」
(こんなものに手を突っ込むわけないじゃない)
そう心の中でつぶやいた。
「なに? その目」
特ににらんだわけではないのに、リーダー格の女子はそう低く言うと、取り巻きの女子たちが逃げ場をなくすため鈴音の周りを囲った。その様子を、周りの生徒たちは見えてないふりをして逃げるように来ては去り、来ては去っていく。
(しょせん、これが現実よね)
鈴音はそう思いながらここからどうやって逃げるか考えた。学内に逃げたら上履きを履く余裕がない鈴音は転ぶか、転ぶのを警戒して減速してしまいすぐ捕まってしまう。外に逃げるのが一番だろうが、脱いだばかりの靴を履く余裕もない。靴下を汚してしまい母にどうしたのか心配されてしまう。
(汚した靴下と家の予備の靴下を帰ったらすぐ取り替えたらばれないかな……替えの、あったかな)
そんなことを考えていると、リーダー格の女子は目の前に迫っていた。
「あんた立場分かってんの? ほんと生意気よね。あんた一人いなくなったところで―」
(ああ、またくる……)
存在を否定される言葉。鈴音の心を、静かに、音もなく食い殺す、悪魔の言葉。もう、痛みは感じない。いや、もしかしたら、ずっと感じてるから、感じないと錯覚しているだけなのかもしれないが。
ドンッ!
だが、容赦なく降りかかってくる見えない刃は、突然近くで響いた音によって消し飛んだ。その場にいた全員がその音の主に視線を向けた。そこには走って来たのか肩で息をする男子生徒が、力強く握られた拳を上履き棚に、へこむほど強く叩きつけた姿があった。
「あ~……こんな日に寝坊とかないよな~……ま!」
男子生徒はそう言って顔を上げた。その顔を見た瞬間、鈴音は驚きのあまり目が点になった。
「間に合ったし! よしとしますか!」
その顔は、まぎれもなく昨夜会った《たっちゃん》だった。
「なんで、ここに―」
「ちょっとあんた。私の言葉をさえぎるなんてどういうつもり?」
理解が追い付かず固まる鈴音をよそに、リーダー格の女子は彼の前にずかずかと進み出た。取り巻きも彼女にならって彼をにらみつけた。しかし《たっちゃん》は動じる様子なく彼女らを押しのけ、鈴音の隣までやってきた。
「ちょっとごめんね」
彼はそう言って鈴音に目配せすると、ズボンのポケットからスマホを取り出し紙くずとカッターの刃が詰められた靴箱の写真を撮った。そしてそれをしまうと、今度はビニール袋をかばんから取り出しカッターや紙くずをビニール越しにつかんで中に入れた。
「ちょ、ちょっと! なにやってんの!?」
さすがのリーダー格の女子も戸惑いを隠せず、顔を引きつらせているがせめてもの虚勢とばかりにそう怒鳴った。
「何って、状況証拠」
だがひるむ様子なく彼はそう答えた。
「は、はあ⁉ 警察にでもなったつもり? だいたいそんなことしてなにになると―」
「ああ、そういえば自己紹介がまだだったね」
彼は話をさえぎりそう言うと、ビニールの口を縛って顔を上げた。
「はじめまして。今日この学校に転校してきた白蓮達矢といいます。ここにいる鈴音の彼氏候補者でもあります」
「はあ⁉」
呆れとも、何を言っているのか分からない男に対する恐れともとれる顔をしたいじめっこたちに背を向け、《たっちゃん》―達矢は鈴音と向き合った。
「迎えに来たよ。約束どおり。ね、《すーちゃん》」
そう微笑む彼は優しく温かく、そして、いつか見たあの幼い《たっちゃん》の顔で、笑っていた。
「…………《たっちゃん》?」
瞬間、霧が晴れどこまでも澄んだ青空が目に飛び込んでくるかのように、なつかしいかつての思い出が頭の中に鮮明によみがえってきた。
・ ・ ・
日の光が温かく降り注ぐ中、芝生の上で涙を流しながら顔を伏せる小さな背中があった。その隣で、同じくらい小さな女の子が、座って男の子の頭をなでていた。
『ほら、たっちゃん! 泣かないで!』
『だって……僕変だって……』
『あんな人たちの言うこと気にしちゃダメ!』
『でも……』
『私はたっちゃんの演技好きよ。とっても心がこもっていて、あなたの演じるのが楽しいって気持ちがたくさん伝わってくるから、こっちまで楽しくなるもん!』
『ほんと……?』
『ホント! だからたっちゃんはそのままでいいの! きっとたっちゃんなら、いつか本物の王子様にもなれるわ!』
・ ・ ・
(そうだ《たっちゃん》はお芝居が好きで、演じるものなら人形劇でもおままごとでもなんでもしてた。私はそれを見るのが好きで、でも女の子みたいって周りの子にばかにされて《たっちゃん》、よく泣いてたっけ。でも、確か小二の頃に引っ越すとかで別れちゃって、その時……)
『絶対、すーちゃんの王子様になって戻ってくるから! そしたら、僕のお姫様になってね! 約束だよ!』
すべて思いだした鈴音は、みるみる顔を真っ赤にしていった。
「え、ちょ……まさかと思うけど全部覚えて……」
「もちろん♪」
金魚のように口をパクパクさせて言葉にならない状態の鈴音の手をとると、達矢は心から愛しい者を見る目で微笑んだ。
「あの頃お芝居好きは親にも反対されててね。でも、君が認めて、好きだといってくれたおかげで、自信がついたんだ。あれからもっとうまくなったんだよ。中学では賞も取ったんだ。親も僕が本気なのを分かってくれて今では応援してくれてる。そして今なら、現実でも王子様になれる。でもね、王子様にはすてきなお姫様がいなきゃだろ」
達矢は鈴音の手を口元まで持ってくると、目を細めて、
「僕のお姫様に、彼女になってくれないか。もっとも、君以外のお姫様は受け付ける気がないから、君がうなづいてくれないと僕は永遠に本物の王子様にはなれないんだけど」
そう言う達矢に、鈴音は突然の展開で理解が追い付かない頭を必死に落ち着かせながら口を開いた。
「ちょっとあんた! いい加減にしなさいよ!」
……瞬間、完全に蚊帳の外状態だったリーダー格の女子が怒りで真っ赤になりながらそう叫んだ。彼女の声に一気に冷や水を浴びせられた感覚を覚え、鈴音の顔がこわばった。達矢は眉を寄せ、うっとうしそうな顔で彼女らを振り返った。
「ああ君たち、まだいたのか」
「ま、まだいたのかぁ⁉ ふざけるのも大概にしなさいよ! 私の彼氏に頼んだら、あんたをズタぼろの雑巾みたいにすることなんてたやすいんだからね!」
怒りで震えながらそう叫ぶ彼女の声もどこ吹く風という風に首筋をかきながら彼はため息をついた。
「いまどきそんな脅し文句言う人いるとはね。というか放送まだかな」
「ほ、放送?」
ピンポンパンポーン
突然鳴った放送の音のタイミングのよさに達矢以外の全員がびくりと肩を震わせた。
「お! ナイスタイミング! もしかして盗聴でもしてたのかな、じいちゃん」
そう笑って言った言葉に鈴音は頭の上に疑問符を浮かべるしかなかった。
「じ、じいちゃん⁉」
するとスピーカーから貫禄のある声が響いてきた。
〈え~みなさんおはようございます。わたくし本日より本校の理事長になりました白蓮敏矢と申します。朝礼にて改めて紹介に預かりますが、可愛い孫に「早くおじいちゃんの声が聞きたいな」とおねだりされたので放送室を借りてみなさんにご挨拶させていただきました。そしてどうやらですね、孫曰くこの学校にまだひよっこのくせに恐怖政治を強いている愚か者がいると報告を受けたので、今から呼ぶ生徒はあとで校長室まで来るように。三年B組毛木凜。三年B組毛木凜。あとで校長室まで来なさい。では皆様また朝礼で。達矢~じいちゃんの晴れ姿しっかり見るんだぞ~〉
ピンポンパンポーン
スピーカーからの音がやんでからしばらくは、朝の玄関とは思えないほどしんと静まり返っていた。静寂をわったのは、達矢だった。
「う~ん僕は登校時間にアナウンスするよう頼んだけどあんなあざとい頼み方してないんだけどな~」
慣れたことだと言わんばかりに孫バカ全開の放送に対して気楽にそうぼやく達矢に対し、リーダー格の女子、毛木凜は顔を真っ青にさせたり真っ赤にさせたりと忙しそうだ。
「ど、ど、どういうこと⁉ あ、あんたが新しい理事長の孫⁉」
「ん? まあそういうことになるね」
初めて現れた自分よりも立場が上の存在に、凜は大いに動揺した。しかし、彼をにらみつける目はまだ力を失っていなかった。
「調子に乗らない事ね。私には先生とか理事長なんて関係なくぶっとばしてくれる彼がいるの。彼が声を掛ければこの辺りの不良共は全員集まってこの学校を襲うわよ!」
カチッ
凛の言葉が終わると同時に、スイッチを押すような音がした。いたずらが成功した子供みたいな笑みを浮かべた達矢は、ポケットに入れていた手を出した。その手にはボイスレコーダーが握られていた。
「いや~ほんと、心理戦に持ち込んでいろいろ聞き出して言質とろうとしたのに、自白しまくってくれてありがとね」
達矢は再生ボタンを押すと、凜の声が聞えてきた。しかも器用にいくつかに分けて。
「もし来たとしても、これであんたが首謀者だってことはばれる。学校襲うようなことをした首謀者なんて、絶対ニュースになるよ~。まー……」
ドガンッ
言うや否や、達矢は右手の拳を握りしめて下駄箱に向って叩きつけた。先ほどよりも更にへこんだその威力に凛を含めた取り巻きたちは小さく悲鳴を上げた。
「これでも体は鍛えてる方なんでね。警察が来るまでの間くらいならその辺でいきってるやつらを黙らせるくらいのことはできるよ」
達矢は叩きつけた手を軽く振り、完全に怯えきって真っ青になっている凛に向き直り強く低い声で言った。
「他人の力で人を脅すお前の支配は終わりだ。これ以上鈴音になにかしてみろ。持ってる証拠全部警察につきつけて社会的につぶしてやるからな」
声をなくした凛は何かを言おうと口を動かすも声にならず、悔しそうにこぶしを握り締めて走り去っていった。遅れて取り巻き立ちも逃げるように凜の後についていき、達矢と鈴音だけが取り残された。
まるで台風一過のように一連の出来事が過ぎ去り、ずっとその場にいたはずなのにまるで外側からこの場を見ていたような、そんな感覚が鈴音にあった。呆然としたまま立ちつくす鈴音の視界が、急に何かに覆われた。遅れて、達矢に抱きしめられているのだと気づいた。
「大丈夫だよ。もう君の存在を否定する人はいない。だから……泣かないで、鈴音」
その言葉で、鈴音は自分が泣いていることに気づいた。だが、意識した途端、様々な感情が一気に溢れて来て、涙は止まるどころか次々と流れてきて、鈴音はすがるように達矢の制服に顔をうずめた。達矢は落ち着くまで、ずっとそのまま抱きしめていた。かつて鈴音が達矢にし、昨夜達矢がしてくれたように、優しく頭を何度もなでながら。チャイムはとっくのとうに鳴っており、誰も玄関にいなくなっていた。
ようやく涙が止まってきた鈴音は、顔をうずめたまま達矢に聞いた。
「今回の、全部達矢が計画したの? あの愉快なおじいさんまで協力させて」
「う~んとね、さすがにこの学校の理事長に僕のじいちゃんが就任したのは偶然だよ。こっちに帰って来たのも父の仕事の都合だし、転校先がここなのも、身内のいる学校のほうが安全っていう親の判断。全部偶然だったんだ。でも、運命だったのかもしれない」
達矢は鈴音を愛おしそうに見下ろしながら続けた。
「転校の手続きとかで、一度ここに来たことがあったんだ。その時、君を見つけた。見つけた時は本当にうれしくて早く声を掛けようと思った。でも、ちょうど見てしまったんだ。君がいじめられているところを。その時君はすぐにその場から逃げ出したけど、一瞬見えた君の顔は、別人のようだった」
達矢はすぐに助けることができなかった悔しさを思い出し、鈴音を抱きしめる腕に力を込めた。
「どうしたら君を助けることができるか。一度話だけでもしようと夕方、君の家に向った。それが、昨日だ。そしたら君が家に帰らずどこかに行こうとしていた。あの時の君の横顔を見た瞬間、最悪の未来が頭をよぎった」
達矢はその時のことを鮮明に覚えていた。今目を離したら、もう二度と手を掴めない所に行ってしまう。どこか遠くを見つめた、彼女に似合わないその暗く沈んだ横顔を見た瞬間、言葉に表せないその確信に、彼は自然と鈴音を追いかけた。
「怖かった。鈴音が目の前からいなくなってしまうかもって……だから僕は、急いで舞台を整えたんだ。君が救われる、ハッピーエンドの物語にしようとね。そして―」
そうつぶやいて達矢は鈴音から一歩離れると、ゆっくりとひざまずいた。そして、涙に濡れた鈴音の顔を見上げた。
「この物語の主人公のお姫様を救う、王子様になると決めたんだ。この役は、誰にも譲りたくなかったからね……鈴音、僕を君の王子様にしてくれるか?」
鈴音は再び溢れそうになる涙を必死にこらえ、深く、うなづいた。
「あんな小さい頃の約束を覚えてて、こんな格好よく約束果たしてくれる人なんて、たっちゃん以外いないよ……ありがとう……達矢」
抑えきれない涙をこぼしながら、鈴音は胸の奥からわきおこるあたたかさに心の底からの笑みを見せた。笑ったのはいつぶりだろうか。ちゃんと笑えてるだろうか。そんなことを考えることができるようになったことにさえも、鈴音は喜びを感じた。
「鈴音、あそこ」
何かに気づいたように外を指さす達矢につられて顔を向けた鈴音は、驚きで目を見開いた。
「お、お父さん⁉ お母さんも! なんでここに⁉」
達矢が指さした先の校門の向こうに停められた家の車の前にいたのは、鈴音の父と母だった。驚いて達矢の顔を見ると、彼は驚いた鈴音の顔が面白かったのか、おかしそうに笑った。
「君の両親にはね、舞台の役者を頼んだんだ。昨日君を送り届けた時に全部話して、ね」
鈴音はその言葉を聞いた瞬間、今思えば異様なまでに日常的な朝の様子が思い起こされた。しかし一方で、不安な気持ちで心が陰った。それを感じ取ったのか、達矢は申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんね。勝手に話して。でもね、君の両親は、君が思っているよりもずっと君のことを想ってくれているんだよ。物分りのいい、しっかり者だから甘えてたって、最近食欲がないから心配だったけどそういうことだったのかって、言ってた。君の両親は、君をお姉ちゃんとして頼っていて、でも大事な子供だから心配もしてるんだ。そんなご両親だったから、僕は安心して君を救う舞台の役者を彼らに頼むことができたんだ」
鈴音は、再び両親のいる校門の方を見た。遠くだが、心配そうにこちらを見ている姿が見える。今日は平日だから父は会社があったはずだ。母も、もうお腹が大きくて歩くのも大変だから、最近はご飯の支度の時くらいしか動かないようになった。それでも、来てくれた。
鈴音はいつの間にか落としていた靴を履き、校門に向って走り出した。後ろから達矢もついてきた。鈴音の母と父に、鈴音は泣きながら抱き着いた。「ありがとう」と、何度も言った。両親は、「ごめんね」「頑張ったね」と鈴音を宝物のように抱きしめた。先ほどまでのことを話して、ひとまず解決したことを説明すると、両親は達矢に何度も泣きながらお礼を言った。そして、体調が悪くなるかもしれないと心配した鈴音に早く帰って安静にした方がいいと勧められた母と父は、名残惜しそうに何度も振返りながら車に乗り、帰っていった。
「まさか私の親にまで話が通ってるとはね」
用意周到さに感心して肩の力が抜ける鈴音は車の去った方を見つめながらつぶやくように言った。
「当然だよ」
振り返ると、今日の空の晴れやかな青空のような笑みを見せる達矢がいた。
「言っただろ? 鈴音の運命は、もうバットエンドからハッピーエンドに変わってるんだ。これからどこに行っても、どんな場所でも、君はもうハッピーエンドのお姫様なんだ。僕が王子様として傍にいる限りはいつまでもね」
物語の王子様を演じていた彼は、本物の王子様となって目の前に現れた。白馬に乗ってもないし、冠を被ってもいない。でも達矢は、今まで読んだ物語のどの王子様よりも、かっこよかった。
「行こうか」と手を伸ばす達矢に、鈴音ははにかみながら、スカートのすそを持って小さくおじぎをして、その手を取った。
二人の姿が学校の中へと消えていく。だが舞台の幕はまだ下りない。二人が共に笑いあう限り、この幕が下ろされることはないのだ。
最後まで読んでくださりありがとうございました!
楽しんでいただけたら幸いです! 短編集最後の話は怪談ものです。来週あたりにアップする予定ですので、どうぞお楽しみに!