第28話「ミーノース王の雄牛」
奥の大きな扉から弾けるように飛び出してきたのは、軍服のような独特のマントを身に着けた、ドゥムノニアの冒険者たちだった。
しかしその瀟洒なマントも、他の身につけている鎧と同じように血に汚れ、真新しい傷でぼろぼろになっている。
武器すら持っていないものおり、どの顔を見ても、今にも倒れそうに土気色をしていた。
「くっ……! 拘束っ!」
最後尾を走っている戦士らしき男が、チョーカーを引きちぎって通路に投げ捨てる。
石の床で小さく弾んだチョーカーは、一気に周囲の空気を吸い込み、ぼんと膨らんだ。
茨のような棘のある鎖が、十本に分かれて飛び出す。通路の壁で方向を変え、網の目のように絡まった鎖を、暗闇から突然現れた人の体ほどもある拳が、棘をものともせず鷲づかみにした。
――ギャリリリリリリッ!
鎖を引きちぎろうと、丸太のような腕が引かれる。しかし茨の鎖は、自在に長さを変えてその張力になんとか耐えた。
ぬっと、暗闇の中から雄牛の角を持つ顔が突き出す。黒曜石のような瞳には赤ワインの如き血管が縦横に走り、食いしばられた口の端には泡が立ち、唾液が溢れていた。
「ミーノータウロス?!」
アミノが思わず声を上げる。
それも仕方がない。神話にしか登場しないはずの、牛頭人身の怪物の姿がそこにはあったのだ。
ドゥムノニアの冒険者たちがこちらを見る。その目には、敵に挟み撃ちにされた者の恐怖が、ありありと浮かんでいた。
息を呑む彼らの背後から、鎖の引きちぎられる音と獣の咆哮が響く。
アミノとエゼルリックは武器を構え、マグリアは呪文の詠唱を始めた。
「早くしろっ! ミーノータウロスの図体ならこの階段は通れない!」
階段の上に向かってリュックを放り投げ、ドゥムノニアの冒険者に向かって俺は叫ぶ。
「はぁ?! 兄ちゃん敵に向かってなに言ってんだ?!」
ロウリーが俺の背中で武器を用意しながら、素っ頓狂な声を上げた。
エゼルリックも武器を構えたままチラリと俺を振り返る。一瞬躊躇したドゥムノニアの冒険者たちだったが、背後からのモンスターに追い立てられるように、俺たちに向かって走った。
しかし巨大なモンスターの動きは見た目以上に早い。その巨大な手は、もうすでに最後尾の男を掴んでいた。
「うわっ! うわあ――」
男が悲鳴をあげたのは一瞬だけだった。次の瞬間、体は不自然に折れ曲がり、体中の穴という穴から血液が吹き出る。走りながらその人間だったものを放り投げたモンスターは、次の男に手を伸ばした。
「獄炎よ! にゃーが命ずる! 大気を食らいつくし、煉獄と化すにゃん!」
マグリアが詠唱を終え、杖の先から炎があふれた。
魔法元素に緊張が走り、空気が渦巻く。一気に燃え盛った炎は、ドゥムノニアの冒険者たちの皮膚を掠めて飛び、モンスターの顔面を捉えた。
炎に包まれた雄牛が、顔を押さえてたたらを踏む。それに合わせてエゼルリックが地面を蹴り、一瞬遅れてアミノが続いた。
入れ替わりで、ドゥムノニアの冒険者たちが俺の横をとおって階段を駆け登る。通り抜けざま、「恩に着る」と言う共通語の声が聞こえ、俺は小さくうなずいた。
こいつらは、俺たちの国の冒険者を不意打ちで鉄の像に変えた。ロウリーに言われるまでもなく、本来ならば敵であるのだろう。
それでも、国は違えど同じ人間として、今にも失われそうな命を見過ごすことはできなかった。
「エゼルリック! アミノ! 時間を稼ぐだけでいい! 無理するな!」
「わぁってる!」
助走と振りかぶった勢いのすべてを載せて、エゼルリックの大剣が振り下ろされる。しかし、その銀色に輝く剣は、予想に反してモンスターの皮膚に少ししか傷をつけることができずに弾かれ、エゼルリックはバランスを崩した。
アミノのパイルバンカーが追撃する。
切っ先が触れるより早く、モンスターは頭にまとわりついていた炎を振り払い、アミノの武器を握った。小さなアミノと巨大なミーノータウロスが、パイルバンカーを間に挟んで一瞬膠着する。
しかし、ぐっと重心を落としたモンスターが腕をふると、物理的な体積で大きな差があるアミノは、パイルバンカーごと持ち上げられ、人の体が振り回されたとは信じられない速度で、天井に打ち据えられた。
「がはっ……!」
「アミノっ!」
骨がきしみ、アミノの小さな体が歪んだ。
天井の石壁から、彼女の吐き出した血が雄牛の頭を朱に染める。ニヤリと笑ったように見えたモンスターを、アミノは睨みつけた。
パイルバンカーの石突を天井に突きつけ、支えにする。
アミノの亜麻色の瞳が青白く発光し、パイルバンカーの表面に稲妻が走った。
「イン……ジェクション!!」
血とともに吐き出されたギフトの起動ワード。
刹那、パイルバンカーの機構部分から重低音が響き、先端が一メートル以上も打ち出される。本来であれば、硬い皮膚に弾かれ吹き飛ばされてしまうはずのアミノのギフトは、頑丈な第六層の天井に支えられ、反動を全てモンスターに伝えた。
パイルバンカーを握るモンスターの腕が、風船のように膨れ上がる。
インジェクションの圧力は、モンスターの骨を砕き、血管や筋肉をズタズタにして、弾けた。
ミーノータウロスの咆哮。雨のように降り注ぐ血と肉。
六メートルほどもある天井から、アミノはそれらと一緒に床に落ち、もう一度血を吐いた。