第一話『私は死にました。』
突然だが、私は自殺した。――方法はありきたりな飛び降り。とはいえ地面を汚すのも、落下先で誰かにぶつかってご迷惑をかけるのも嫌だったので、海へと飛び込んだ。
海に帰るとか素敵じゃない?まぁ発見時には大変なことになっているのはこの際ご愛嬌で。
……どのみち、私には私の死を悲しんでくれる身内も、友達もいないのだ。
生まれて28年。両親は共に若いうちに癌で亡くなった。高校卒業まではおばあちゃんの家で暮らしていたが、そのおばあちゃんも私が就職してこれから恩返しをしていくぞと意気込んだ途端、まるでその時を待っていたかのようにやっぱり癌で亡くなってしまった。就職を目指して頑張り続けた私は学生時代にまともな友人関係を築くこともなく。目標も失った私はただ決まった時間に会社に行き、家に帰って家事をして寝るだけの日々を過ごしていた。
そして、ある日。とうとうというか、此処まで良く持ったものだと少し感心しつつも、――漸く限界を迎えた私は、自殺という道を選んだ。だってこれ以上生きている意味を見出せなかった。仕事だって決してやりがいのあるものじゃない。一応オタク趣味は持っていたがそれだって別に命をかける程のレベルでもない。何か一つ大好きな作品があるわけでもなく、それとなく色々な作品に手を出しては飽きるを繰り返すような何とも微妙なオタクっぷり。だからお金だって結局使い道が分からずに溜まっていくだけ。
そんなわけで、自ら死を選んだ私だったが――、これはどういうことなのか。
「……――此処、何処?」
やけに低い声が響く。それに違和感を覚え、何度かあーだのうーだのと声を出しているうちにそれが自分の声だと気付かされる。なんなんだ一体。私は死んだ筈だっていうのに、目の前に広がる光景は明らかに天国や地獄とは別世界だ。なんていうか、これ。昔ちょっとだけやったゲームの洞窟に似ている気がするが、なんだったか。
「お目覚めですか、勇者様」
辺りをきょろきょろ見回していると、耳にそんな声が届いた。――もしかしなくともそれは私に向けられてるのだろうか。いや、勇者って。
「人違いじゃないですか」
思わず言い返すと、そんなことはありません!と呆れた声が返って来る。が、私の視界には誰の姿もない。ええ、幽霊とか勘弁して欲しいんだけど…いや、心霊番組とかは好きだったけどさ、私。あれは他人事で見るから楽しいんであって、絶対自分は同じ目に遭いたくない。幸いと霊感などというものは存在しなかったので人生で一度も金縛りなどにも遭ったことはないが。
「こっちです、こっち!」
また呼ばれた。なんなんだ一体。と、また視線を巡らせていると不意に耳を何者かに引っ張られた。痛い痛い。
「勇者様!」
漸く、視界に何かが入った。小さな発光体。良く目を凝らして見てみると、そこには小さな女の子が怒った様子で腰に手を当てて、宙に浮かんでいた。
なんだろう。その子の背中に透明な羽みたいなのがぱたぱた羽ばたいているのが見えるんだけど、気のせいかな。
「勇者様。いくら転生したばかりとはいえ、少しぼんやりし過ぎです! しっかりしてください!」
また小さな女の子に怒られた。いや、というか勇者ってなんだ?
「だから人違いでしょう。私は勇者なんて呼ばれるような人間じゃないです」
そう、そもそも勇者なんて存在はゲームとか小説とか、創作物の中だけの存在だ。現代社会にそんなものはいないし必要ない。そんなの名乗っていたらそれこそただの変質者か頭がお花畑の人ぐらいなものだろう。あとは子どもを卒業出来なかった人か。
生憎と私はそのどれにも当てはまらないので、取り敢えず私を勇者と呼ぶ謎の生き物から逃げることにした。辺りの景色が不思議なことも相まって嫌な予感しかしない。
というか、あいつ転生とか言わなかったか……?
「冗談じゃない。生きる意味がなくて死んだってのに、異世界に転生とか全く嬉しくないから!」
そもそも、だ。ああいうのの鉄板な主人公と言えば――男の子で、色々とチートな能力を手に入れて第二の人生を可愛い女の子たちに囲まれて過ごすというある種の夢のような設定がもりもりな筈だ。だが、生憎と私は女。何の面白味もないオタク女。しかもオタク具合も適度にアニメ、ゲーム、小説などが好き。乙女ゲームよりはギャルゲを楽しむ。イケメンより可愛い女の子が好きなだけのつまらないオタクだ。特殊技能なし。現時点でチート能力らしきものもなし。声への違和感から下手したら見た目が変わっているかも知れないが、それだって中身はこの通りの私だ。どんなに美女にされていようが、いっそのこと性転換されて男になっていようが残念なことは確定事項。何より私自身にその状況を楽しむつもりが、一切ない。
「お願いだから普通に死なせておいてマジで」
二度も生きるなんて御免です。本当にしんどいんです。
何やら後ろで騒いでいる発光体から全力で逃げ出す。進めば進む程、洞窟らしき景色はより薄暗く、深さを増しているような気がしたが、そんなのは知らない。
誰が私を転生させたかは知らないが、勇者になるなんてまっぴらごめんです。私は全力で逃げてやる!