1部:不甲斐ない日々
授業の終わりを告げる鐘が鳴り、教室からは人が溢れ出てくる。転びそうになりながらも人の波に乗り、廊下を進んでいく。突き当たりになると、大勢とは逆方向に曲がり、資料室前のちょっとしたスペースで人がいなくなるのを待つ。
肩からずり落ちた麻の鞄を掛け直した。授業でやったことの要点しか書いていない、薄いノートとペンが数本。それだけで足りる。そのせいでくったりと壁にもたれかかっている。
今日の授業は至極退屈だった。国境周辺の地形やら天候の見方やら。そんなもの、とうの昔に覚えた。お陰様で今日はノートに何も書いていない。持ってくるだけ無駄だ。ほぼ毎日そうだが。
授業が終わると生徒はそのまま各団堂に向い、それぞれ違った訓練をする。剣術や銃、治療の仕方に食料調達の仕方。全て二年後に切れる休戦協定のために。
戦う理由も知らずに、顔も知らない皇帝に命を捧げる。馬鹿らしい。次の戦争でほぼ確実にアドアステラ《こちら側》が負ける。負けることなど分かりきっているのに、わざわざ兵士を死なせに行く。今はもう、戦う理由さえ不明瞭だ。
大抵のものは疑問など抱かない。それほどまでに支配され、洗脳され、自分に酔いしれている。兵士に選ばれた幸運な者だと。後を絶たぬ兵士志願者の列。憧れを抱き、夢見ている。本当の姿など何も知らずに。
国はそれを利用して、安全な所から高みの見物。いざとなったらさっさと逃亡。腐っている。そして、自分も『皇帝のために命を捧げて死んでいく』一人なのであった
日が傾いて物音一つしなくなった頃、漸く少女は立ち上がった。紅い日が影を伸ばす。それはいつも一人だった。今日も一人、足音も立てずに静かに、校舎を後にした。
校門から続く石畳の右側には鬱蒼とした森が広がっている。めったに人が立ち入らず、入ったものは大抵帰ってこない。地図が無いような昔の話だが。通称、人喰いの森。無論、人喰いなど居ない。人喰いがいなかったと証言するような、この森に入っていく者は十数年のあいだにいなくなった。
少女は迷うこと無くその森に入って行く。木が生い茂り道から森の中は見えない。日の光が入ってこないそこは夏でも肌寒い。一歩足を踏み入れただけで、世界がガラリと変わる。音が消え、気味悪い薄闇が広がる。
そんな森の道無き道を少女は黙々と歩いていく。踵が高いブーツで花を踏み倒し、丈の長い制服で草を掻き分ける。ずっとそうしているうちに細い道が出来る。しかし、本拠地の在り処をそう易々と明かしては自殺行為だ。道が出来ぬよう、毎日適当な所から森に入るのが決まりだ。そんなことをしなくとも、この森に生える奇妙な植物は、例え踏み潰され、切られようとも数時間のうちにまた花を咲かせる。
暫く歩いていくと、少し開いた場所に出た。ポッカリと穴が空いたようなその場所は、不思議と生えている草の数が少なく、葉の背も低い。
その真ん中辺りには、赤錆た鉄製の蓋のようなものがあった。少女は腰に吊るしてあった袋から、細長い棒状のものを取り出すと、蓋の中央に空いている穴に差し込んだ。そして、段階を付けながら左右に回し始めた。何度か回すと、最後にぐっと深く挿した。すると蓋はカチリと小さな音をあげた。
少女は鍵を腰の袋に戻し、蓋の取っ手を引き、蓋を開けた。ギギギと鈍い音をあげながら、垂直になった所で止まった。そこには、人が一人入れる位の深い穴が空いていて、側面にはいかにも頑丈そうな扉がある。
少女は身軽に穴に飛び込み、蓋の内側に付いている取っ手を引き、蓋を閉めてロックをかけた。そして、腰の袋から新たな鍵を取り出して、扉の中央にある鍵穴に差し込んだ。すると、カチリと音がして、小さなパネルが現れた。そのパネルでロック解除ナンバーを入力し、指紋認証をして扉を開ける。
その先には薄暗いトンネルが続いている。突き当たりを右に曲がる。現れた扉を、今度は手の平全体の認証で開ける。瞬間、たくさんの光と音が溢れた。
少女の帰りに気づいた青年が言った。
「今日は遅かったじゃねぇか。早く着替えて来いよ、会議始まんぞ」