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第1話「僕と君の温度差(湯上がり)」

 薄い扉を一枚隔てて、彼の耳に水音が聞こえてくる。

 モザイクのかかった半透明の扉の向こうには、ぼんやりとしたシルエット。

 彼は必死に扉から目を逸らした。


 彼の名は望月黒兎もちづきこくと。K市立高校二年八組在籍、年齢十七歳、科学部所属、独身、――そして、アンドロイド。

 水音とはシャワーの音。

 黒兎は現在誰が扉の向こうでシャワーを浴びているのか、ということも知っていた。だからこそ、一層必死に目を背けなければならなかったのだ。

 彼の視線の先に、脱衣所備え付けの洗濯機とその上に置かれたバスタオルが映る。

 が、柔らかな布地の下に、浴室にいる彼女の下着を見つけてしまい、慌ててさらに九十度体を回転させた。


「――それじゃ、この子を先に上げるから、洗濯機の上のタオルで全身をきれいに拭いて、服を着せてあげてね」

「は、はいっ! っ!?」


 扉の向こうから絶妙なタイミングで声が掛かり、ずいぶんと上ずった返事をしてしまう。

 ――結論から言えば、黒兎はもっとよく考えるべきだった。『この子を先にあげる』、『服を着せてあげる』という彼女の言葉が意味するところを。


 軽い音を立てて半透明の扉が開く。

 開け放たれた扉の向こうには一人の女性が立っていた。

 風呂上がり特有の光沢を帯びた黒髪のショートボブに、うっすらと火照った頬。そして、鋭く光る瞳と、濡れた前髪をまとめたせいであらわになった額。人間らしい曲線で構成された肢体は、やや小柄で彼よりも頭一つ小さい。首から下の描写は諸般の事情により自主規制。


「……どうして後ろを向いてるの?」


 彼女の言葉通り、黒兎は思春期男子的配慮により、彼女から背中を向けたままの状態だった。


「むしろどうして僕に回れ右させようとしているんですか!?」


 見られてまずいのは彼女の方のはずなのに!


「さっきも言ったじゃない。そんなの、この子に服を着せてあげるために決まってるじゃない。この子が湯冷めして、風邪でも引いたらどうするのよ」


 彼女の胸部には、ちょうど自主規制部分にかぶるように、一人の赤ん坊が抱かれていた。

 正論だった。それもぐうの音も出ないくらいの。

 だが、この世には、正論よりも百倍は重要な曲論も存在する。

 ――ただ、それを堂々と主張できるかどうかは、また別の話だ。


『うぁ~』

「うぅ……」

「ほら、早くね」


 結局、黒兎に断ることはできなかった。


「どうして後ろを向いたままなの? 落としちゃうでしょ!? ちゃんとこの子を見て!」

「それだけは勘弁してください!!」


 極力彼女を見ないようにしながら、そして、その努力を他ならぬ彼女に咎められるという理不尽と戦いつつ、黒兎はひっつかんだバスタオル越しに赤ん坊を受け取り、そのまま全身を拭う。

 もちろん、その間も、目は全力で真横に逸らし続けている。

 一方、彼女の方はと言えば、特別、急ぐそぶりも、焦るそぶりも、恥ずかしがるそぶりも見せず、小さな体と格闘する彼を横目に浴室へと戻っていく。


「(っっうぅぅぅ……っっぅぅうう!!)」


 黒兎の口から声にならない叫びが漏れた。

 むしろ、ここが彼女の家でなかったなら、本当に大声で叫んでいたかもしれない。

 そして、苦戦しつつも赤ん坊の服を着せ終わり、廊下へと続く木製風の扉を開けたところで、再度、浴室の彼女から声が掛かる。


「……ありがとね」

「はい……」


 愛しの彼女からのねぎらいの言葉を背中で受け止め、赤ん坊を抱えて廊下へと出る。

 後ろ手で脱衣所の扉を閉めると、黒兎はそのまま廊下の床にへたり込んだ。


「はぁ……」

『あぅっ!』


 うなだれる黒兎のつま先を、赤ん坊の湯上りたまご肌な手のひらがぺちぺちと叩く。


「本当に、どうしてこうなっちゃったのかなぁ……」


 分厚い扉に阻まれ、決して彼女へと届くことのない呟きは、深い溜息と共に、高い廊下の天井へと吸い込まれていった。



 そして、時はしばらくさかのぼることになる。

 彼と彼女と――ああそうだ、彼女の名前を紹介するのを忘れていた。


 彼女の名前は雪見楓ゆきみかえで。K市立高校二年四組在籍、年齢十七歳、アンドロイド――そして、黒兎の片思いのお相手。


 黒兎と楓と赤ん坊の出会いは、だいたい二週間と一日ほど前のことになるだろう。


 あの日の黒兎が、今の自分を見たとしたら、果たしてどんな反応を返すだろうか。

 それはきっと、たくさんの罵声と、ほんの少しの同情と、たった一つの溜息に違いないのだ。



◇◆◇◆◇


 「次回予告のコーナー」


 長かったプロローグが終わり、ついに次回から本編開始。

 主人公黒兎くんとヒロイン楓さんの、実質的ファーストコンタクトは果たしてどんな(ろくでもない)ものだったのか?


 秋は夕暮れ、な第一章

 次回、第2話「爆発しない系カップルとはた迷惑な校内放送」お楽しみに!

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