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キカイ式ゆーだえもにっく!  作者: あおいしろくま
第四章『大人たちの事情』
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第12話「科学準備室における食糧問題解決法」

 「……」

「……」

「………………」

「………………」


 狭い部室に痛いほどの沈黙が横たわる。


 一人はベストの上に白衣、もう一人はシンプルな制服姿。

 二人ともほぼ初対面の相手に進んで話しかけるような人柄ではなかったし、沈黙を苦にするようなメンタリティの持ち主でもなかった。

 二人はそれぞれ大型のディスプレイと紙の本へと目を落としており、その間には一人の赤ん坊が穏やかな寝息をたて、なぜか室内に複数枚常備されていた毛布にくるまっている。


 名前は今更述べるまでもないだろう。

 ……今朝の科学部員他一名による“お願い”は、呉羽女史がほぼ全面的に折れるという、関係者からすれば大変珍しい形で一応の決着をみていた。もちろん、黒兎は大喜び。心の中の気まぐれの神様に小躍りでお賽銭を投げ込みたいところだったのだが、なかなかそうは問屋が卸さない。

 その大金星に異を唱える者がいたのだ。


『悪いけど、私はあの人にこの子は預けられない』


 その言葉で、一瞬のうちに歴史的白星を限りなく黒に近い灰色へと変えたのは、誰あろう雪見楓その人である。

 結果、「赤ちゃんは科学準備室で預かってもらうが、実際に世話をするのは保護者(かえで)」という、提案した黒兎からすれば本末転倒な事態が発生しているのだった。


 そして、いつまでも続くかに思われた静寂は、気まぐれな教師の一言によって破られる。


「……どうせなら、その子の健康診断してやろうか?」


 呉羽女史のデスクチェアが回転し、楓の目線が本から正面へと上がる。

 からかうような目と胡乱げな瞳が出会う。衝突事故発生の瞬間である。


「お断りします。勝手に耳を増やされては困りますから」

「でも、可愛いとはおもっているのだろう? 実は触角か猫耳かで迷ってたんだが」

「そういう問題ではありません」


 とりあえず、そういう言葉が楓の態度を硬化させているのは、誰の目にも明らかだった。


『おぎゃぁ~あ~』


 ついさっきまで寝息を立てていたはずの赤ちゃんは、いつの間にか目を覚ましていた。

 楓の目が机の上の時計へと走る。表示されていた現在時刻は十一時を少し回ったところ。


「……そこの時計の時間、ズレていたりしませんよね」

「お前は私をどんな人間だと思っているんだ」

「少なくとも、毎年時計を調整するような人だとは思ってません」

「その言葉で、お前の時計に対する理解度の低さはよくわかった」


 五百年前ならいざ知らず、今時、電波式でない時計がどれほどあるというのか。


「そろそろご飯の時間ですね」

「朝飯か?」

「そんなわけないでしょう。あなたの不健康な生活と一緒にしないでください」

「いや、お前も目の下にクマが……」

「……少なくともこの子の健康にはちゃんと気を遣っています。この子は偏食がひどいので、慣れるまでの間は一日四回食事を取ることにして、その分昼食の時間を少し早めているんです。あ、どこかお湯を沸かせるところはありますか?」

「既に沸いているお湯とレンジならあるぞ」

「……ケトルと電子レンジがあることに驚くべきなのか、それとも、その二つのアイテムから容易に想像できるあなたの食生活を嘆くべきなのかわかりませんね」

「たまに料理もするぞ。ラーメンにゆで卵をのっけたりとか。あ、火ならアルコールランプが隣の部屋にある」


「はぁ……鍋はありますか?」

「戸棚の下」

「それではありがたく拝借しますね」


 楓はケトルのお湯を鍋に注ぎ、そのままアルコールランプの火にかける。


「……さっき偏食がひどいと言っていたが、いつもは何食ってるんだ?」

「ほとんどお粥だけです。それも望月君が作ったお粥以外はあんまり食べてくれなくて……私のもちょっとは食べてくれるようになったんですけど」

「店の離乳食は試してみたのか?」

「そっちはさっぱりで……って、こんなことあなたに言ってもしょうがなかったですね」

「なら実験で確かめてみるか? 私の専門ではないが、食物の好みくらいはわかるかもしれんぞ」

「実験……」


 じりり、と楓は赤ちゃんをかばうように半歩後ろに下がる。


「そんなに身構えるな。初歩的な実験だ。解析は専門のエンジンを借りるが、要は味付きの水を四種類ほど少しずつ舐めてくれればそれでいい」

「毒物とか……」

「そんなことをして何になる」

「……」


 楓は一言も肯定の言葉を返さなかったが、目は少し伏せがちに、迷っているような表情を見せる。


「……準備をする。火を止めてそこで少し待っていろ」

「……どうしてこんなことをしてくれるんです? 困ってるのは私で、別に先生は関係ないのに」

「面白そうだからさ。もう二度とこんな機会はないかもしれんしな」

「それだけ、ですか?」

「そうだな……他に理由があるとすれば、あいつ(こくと)の頼みだからってくらいか? あいつはあまり人に頼みごとをせんからな。一回くらいは聞いてやってもいいかと思ったんだよ。これをネタに向こう一年はこき使えるしな」


 朝の態度から考えると、最後にとってつけたような一言がメインの理由のような気がしないでもなかったが、楓の中の疑念は少しだけ軽くなった。


「……まぁ、育て始めて数日の赤ん坊に極端な味の好みがあるとも思えんが」


 女教師は背中を向けたまま実験の準備を進めている。

 楓の位置からその手元は見えない。


 本を読むでもなく、子どもをあやすでもない。宙に浮いたわずかな間隙。

 楓がちょっとした気まぐれに取りつかれたのも、そんなささいな理由からだったのかもしれない。


「……朝は言いませんでしたけど、実はこの子、私たちの正式な子どもじゃないんです」

「ん? なんだいきなり」

「A市のアンドロイド生産工場でたまたま見つけた拾い子なんです」

「あー、あの時の子……ども……」

「だから……」

「……ちょっと待ってくれ、待ってくれよ。えっと……そこの子どもを拾ったのはA市の廃工場、日時は先週の木曜日、夕方の六時頃、で間違いないな?」

「え、はい……。そうですけど……」

「やはりあの時の……そうだ。たしかあの時、機能停止寸前にサンプルNO.11が送ってきたデータが残っていたはず……」


 突然、意味不明な独り言をつぶやき始める女教師。


「え、ええっとあの、いきなりどうしたんですか……?」

「黙れ。今はお前の主観的な証言一つよりも物的証拠の解析が優先だ」


 その時、空気が凍りつく音が聞こえた気がした。が、低すぎる空気読解力と高すぎる集中力によって、呉羽女史はこれを華麗にスルー。

 およそ十五分あまりの間、ただ、打鍵音だけが小部屋に響く。


「やはりそうとしか……いや、決めつけるのは早計だ。状況証拠だけでは意味がない。……おい、お前にいくつか聞きたいことが……おま、雪見君……?」


「…………………………」


 今更気づいても時すでに遅し……かどうかは分からないが、楓は何者をも寄せ付けない氷の如き塩対応。鉄壁の守りで呉羽女史を言動ごとシャットアウト。


 ……結局、二人の間にホットラインが復活するまで三十分、呉羽女史が実験の説明を始めるまでに一時間余りの時間を要したことをここに記しておく。


「……さっきも説明したが、雪見君は赤ちゃんにこの神経回路測定器をかぶせた状態で、四……いや五種類の水を舐めさせればよい」

「……」


 五秒ほどの沈黙。……やっぱり、ホットラインまだ生き返ってないかもしれない。


「何か質問は?」

「この、トゲトゲしい測定器? は、なんだかローテクな感じがしますね。私は専門外ですけど」

「たしかに。しかるべき研究機関には雪見君が想像するような装置もある、が……」


 まさかそれを使わせてもらうわけにもいかない。二人ともそれはよくわかっていた。


「それにな、私も一度例の測定装置に入ってみたことがあるんだが、『ガンガン』と、なかなかな轟音が鳴るぞ。六歳以下ならギャン泣き必至だ」

「はいはい、分かりました。これをかぶせればいいんですね」


 楓は観念したように赤ちゃんを抱きかかえ、測定器の側に近づいた。

 ……は、いいものの、装置に振れる寸前で手が止まる。


「……こっちのはガンガン鳴ったりはしないから安心しろ」

「そんなことは言われなくても分かってます。それで、どこを持てばいいんです?」

「どこを持ってもトゲが刺さったりはしない。好きなように持ってくれ」


 ……そして、少しだけ殊勝な態度を取り戻した代わりに、威厳とか尊敬をごっそり失った感のある赤ら顔の少女の眼の前で、実験は始まった。


「……本当にこんなので偏食の原因がわかるんですか」


 楓は五つの小皿に注がれた液体とコップの水を、赤ちゃんの口にかわるがわる含ませていく。

 四つ目までを制覇しても赤ちゃんの反応に劇的な変化は見られない。実は頑固な一面もある楓でなくとも、懐疑的なスタンス取り続ける理由は十分にあったかもしれない。


 だが、赤ちゃんの口が五つ目の液体と接触した瞬間、明らかな変化が現れる。


 ある者は『予想通り……!』と言わんばかりに口元を歪め。

 ある者は驚きのあまり小皿から指を離してしまい。

 ある者はそれを自分の両手でつかんで一気に飲み干した。


 後に、その場面に居合わせていた親バカ女子は語る。

 それはSUM○UのY○K○DUNAに勝るとも劣らないいい飲みっぷりであったと。


「な、言っただろう? 詳しい解析にはもう少し時間がかかるが、とりあえずお手製の離乳食にコレを混ぜれば食べっぷりは良くなるはずだ」


 呉羽女史の言葉を裏付けるように、赤ちゃんは舐めとるように空になった皿へ舌を這わす。

 その姿はまるで、広大なサバンナで五日ぶりのオアシスを発見した肉食獣のよう。


「もしや、酒? タバコ? それとも○薬? 乾燥大○?」


 嗜好品への依存はしばしば負のスパイラルと表現され、断絶期の餓えは砂漠の水に例えられることもある。……考えてもみてほしい。三日、一週間あるいは一月、自分の生活に潤いをもたらす心のオアシスが消えてしまったときのことを。


「いいですか! あなたがしたことは、いたいけな赤ん坊を底なしの深淵に引きずり込むような極悪非道の所業なのです!!」

「溶質も溶媒も普通に食用だ。君も飲んでみるか」

「私まで○薬漬けにしようと……」

「だから違う。いいから飲め」

「むぎゅ、っっ!! な、何をするんですか!?」

「ほら、別に変な味はしないだろう」

「確かに全然味がしない……いや、でも、無味無臭の薬物の可能性も」

「いいか。溶質、要するにこの水に溶けた物質は、人工的に合成したアミノ酸の一種だ。アミノ酸というのは……」

「あれ? でも、味がしないならどうしてこの子はこんなに勢いよく飲んだのでしょう?」

「……まぁいい、答えてやろう。簡単に言えば好みの問題だよ。私たちの味覚は育ってきた環境に大きく依存している。これまで食べてきた物や食体験によって、特定の感覚が鋭くなったり、逆に鈍くなったりすることがある」

「……つまり、この子の感じる“おいしい”と私の“おいしい”に差があるってことですか」

「ほぅ……悪くない理解力だ。そう思ってくれて構わん」


 呉羽女史は意外そうに眼を見開き、それに気づいた楓がつんと顔を背ける。


「あなたに褒められても嬉しくありません」

「(まぁ今回はそれ“だけ”ではないのだが)」


 生徒たちからもドス黒いと噂の腹の中に、教師は言葉を呑みこむ。


「でも、“おいしい”が違うってことは、もしかすると私の手料理は全滅ってことになるんじゃなんですか」

「何を言う、簡単な話ではないか。この水溶液を離乳食に使えばよい。そう、ダバッといけばいいんだ、ダバッと! 過剰摂取が害になるようなものでもない」

「舌が馬鹿になりますよ! 味見もできないのに! ……なんだかあなたが料理できない理由がわかった気がします」

「勘違いするな。私は料理ができないのではなく、神経回路を巡る快楽の量と時間的損失を天秤にかけ合理的に判断した結果として料理をしないという選択をしているに過ぎない」

「はいはい。……とりあえず、今日のところは出汁(だし)代わりに使ってみましょうか。ついでに一応聞いてあげますが、あなた昼ごはんは要りますか?」

「君の時間的損失をわざわざ増やす必要もない。よって不要だ」

「面倒くさい人ですね……。手間は一人分も二人分も大差ありませんよ」

「いただこう」

「……初めから素直にそう言っていればいいんです」

「勘違いするなと言っているだろう。これはあくまで別々に昼食を取ることによる損失の総和が、君が二人分の料理を作る場合のそれを超えたからであって、つまり、まずい料理を出したら許さんからな」

「あー、無性にそこら辺にあるカップ麺にお湯を入れて十分くらい放置したくなってきました」

「なめるな。待ち時間三十分を推奨するカップ麺も用意してある」

「さっき時間的損失が云々と言っていたのはあなたでしたよね」



 「……悔しいが、うまい」


 それからしばし。呉羽女史は即席めんを利用した雑炊をかっ込み、あっという間に鍋を空にすると、彼女にしては珍しく殊勝でどこか敗北感を含んだ声を漏らした。


「や、やったっ……ぁぁっ!」


 噛み締めるように叫んだ楓の眼尻にはうっすら涙さえ浮かんでいた。

 だが、その喜びようを目撃した呉羽女史の反応は若干の不満を含んでいるようにも見える。


「わざわざこの私が肯定的評価を述べているというのに……ええい、こっちを向かんか!」


 ……そう。楓の顔は女史の座る椅子ではなく、ソファで自らスプーンを口へと運ぶ赤ちゃんの方へと向いていた。


「望月君の時も自分から食べてくれたことなかったのに……!」

「あ、だめだなこれ、聞こえてない」


 一口、一口、今まで喉から先へと落ちることのなかった柔らかなかけらが消えていく。

 初めは驚き、次第に喜びへと、楓の顔に浮かぶ感情は移ろいゆく。

 少なめに用意していた離乳食はあっという間に器から消えた。


「隣の流し借りますね……」


 楓は震える手で空の器とスプーンを受け取ると、赤くなった目尻を隠すように隣へと続く扉へと駆け込んでいく。


「まったく。具体的なアドバイスを贈ったのは私だというのに」


 ……だが、面白い。

 呉羽柚月。彼女の人物評価は相当に(から)い。

 はた目には褒めているのか貶しているのか怪しいところではあったが、その評価は相対的にかなり高いところに位置していると言えた。少なくも彼女の中では。


「(ま、もっと面白くなりそうだから、この子どもの“正体”については黙っておくけどな)」


 ……ただ、その好評価が楓の今後に良い影響を与えるのか否か、ということには、まだまだ議論の余地がありそうだった。


「さっきも言った健康診断だが、どうする? やってみるか?」

「……改造はなしでお願いしますね」



◇◆◇◆◇



 「次回予告のコーナー」


 無事、黒兎くんの心配の種と楓さんの憂慮も解決に向かい、ほっと一息をつく科学部御一行。

 しかし、彼らのあずかり知らぬところで、事態は少しずつ動き出していた……。

 話数も若干不吉な13話、ついにシリアスパートに突入か!?


 次回、第13話「もう一方の大人たち」お楽しみに!

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