知りたいと思う気持ち
その話し合いの後、夜爪にプライベートの時間があることを確認した北川は、夜爪をそのカフェでの食事に誘った。
「その、大丈夫ですか、時間とか」
「はい、今日は特に用事はありませんから」
久しぶりに女性を食事に誘ったからか、緊張がなかなか解けてくれない。
「すみません」
夜爪が唐突に謝罪し、北川は、え、と顔を上げた。
「……変な依頼をしてしまって。北川さんを悩ませてしまっていますね」
「い、いえ、」
謝られるとは思っていなかったため、次の言葉が出てこない。
「北川さんなら、何でも希望を叶えてくれると、聞いていたので。これでも、わがままを言っている自覚があります」
料理が運ばれてくる合間を縫って、北川が慌てて否定する。
「いえいえ、そんな。仕事ですから、全然大丈夫です」
何が大丈夫だよ、大した提案できなかったくせに、と心で自虐ツッコミしながら、箸に手をつける。話が続かず、黙々と食べ進めていく北川を夜爪が笑った。
「アスパラガス、美味しそうにお食べになるんですね」
「え、ああ。美味しいですよ、実際」
「私は、苦手で。野菜は、あまり……」
「嫌いな野菜って、何ですか?」
「にんじんと、ピーマンと、ナスと、水菜と……」
どんどんと挙がっていく野菜の名前に、夜爪にはなかなか雑多な好き嫌いがあることを知り、その話題で盛り上がった。
「じゃあ、北川さんは、好き嫌いはないんですか?」
北川が散々に、嫌いなものが沢山ありますねえ、と繰り返したためか、少しムクれて口をむっと結んでいる。
そんな様子がアイと重なって、可愛いな、と思う。
そう思った自分の気持ちの中に、北川は土の中からぴょこりと頭をもたげて芽生え始めた双葉のような、小さな情を見つけ出してしまった。自分が彼女に対して、好意を抱いていることは、途中からは何とか彼女を笑わそうと、努めて明るく振る舞っている自分を見ても、一目瞭然であった。
(こんな気持ちは、久しぶりだな)
北川は、どうしてこの人なんだろう、と思った。ただ美人で気立ての良い、それなら大谷に勧められた、あの受付嬢でも良いはずだ。
発症するかどうか分からない病気によって、死ぬか死なないかもはっきりしない曖昧な人生を生きる彼女とではなくても、恋愛は成立するだろう。いや、アイのためにしばらくはと、恋愛を拒否しているのだから、今回だって、そうすべきなのだ。
けれど、この人をもっと知りたい、北川は強く思った。
「ありますけどね、ネギだけですよ」
「結構どんな料理にもネギって入っていますから、よけて食べるのは大変ですね」
反撃しているのかとは思うが、そんなに攻撃力はない。北川は笑って言った。
「大丈夫ですよ。いちいち、ちゃんとよけてますから」
「アイちゃんは、好き嫌いはありますか?」
北川が、話題を変えたな、と思いながら、手元の水を一口飲むと、目の前のサラダに箸をつける。
「アイはクセのあるものがダメなんです。この水菜とかセロリとか」
「子どもはそういうの、ダメな子多いですよね」
「ピーマンとかナスとか? 夜爪さんも十分、子どもの舌ですよ」
「それは、アイちゃんと一緒ってことですか」
すると箸を取り上げて、サラダの皿を前へと引き寄せる。じっと見つめてから、レタスと水菜を一緒に一口の量ほど摘み上げると、口の中へと放り込んだ。
北川は慌てて言った。
「ちょ、夜爪さん、無理しなくて良いですよ。具合が悪くなってもいけませんから」
口を恐る恐る、少しずつもごもごさせながら、彼女は眉間に皺を寄せた。直ぐに手元のコップの水を流し込む。所々、歪んでいる顔を、北川に向けて言う。
「食べられましたので、嫌いな物リストから水菜は削除してください」
北川は吹き出してから呆れ顔を作り、「分かりました」と答えた。
食事代を支払い、夜爪の次は払わせてくださいという言葉に、次もあるのかと少しだけ嬉しくなってから、北川は保育園にアイを迎えに行った。遅くなると連絡はつけてあったが、いつもよりさらに遅い迎えで、アイが普段より勢いよく腕の中に飛び込んでくる。
「お帰りなさい」
いつもそう声を掛けてくれる32歳独身だという保育士がいて、アイの一日の様子を事細かに話してくれる。それを上の空で聞きながら、北川は足にまとわりつくアイを抱き上げると、それじゃあと言って早々に切り上げた。
「パパ、なんだかうれしそう」
「そうかな」
北川は鼻歌交じりでいつもより大仰にハンドルを切っている自分に気がつくと、途端に恥ずかしさが込み上げてきて、鼻の頭を人差し指で掻いて答えた。
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「変わった依頼主、だな」
大手玩具メーカーの部長にして、仲間内で一番の出世頭、大谷が首を傾げている。
「まあな」
「でもこれ、お前の提案なんだろう。だからまあ、お前が変わりもんってことになるのか。しかし、こんなにたくさんのひらがな積み木、どうするんだ?」
そこで、購入したエアリアルルームをひらがな積み木を使って日記にするんです、何てわけの分からないことを言ったら、この男前の顔をビビらせて歪めることが出来るのになあ、と心底悔しく思う。
「それは言えねえ。個人情報だからな。それより、お前が紹介してくれた下請け、定価に近い卸値ふっかけられて困ってんだ。一応、お前の名前も出したんだがな。効果なかったぞ」
「あそこの社長、俺らに対しても、そうなんだよ。足元見てくんだよなあ。悪かった、一番クセのあるところ紹介しちまった。実は、お前とあちらさんの商談が上手くいきゃ、今後、俺らも使いやすくなるかもって算段だったんだけどな」
そう言って舌を出す。
「ああ、そういうのでも別に構わんけど、今回は悪りい、断らせてくれ。いくら何でも法外過ぎるからな」
「分かった。別の下請け紹介するから、ちょっと時間くれ」
大谷の会社を後にしてから、夜爪に連絡する。納品が遅くなると、伝えるためだった。けれど、予想外の反応に、北川は狼狽えてしまった。
「その値段で良いですよ。おもちゃ屋さんで普通に買うくらいの値段なら、それで別に構いません」
「けれど、最初は積み木をいくつ使うか分かりませんから。これでも数は抑え気味に発注していますし。後で追加となると、結構な金額になってしまうかも知れません。価格はやはり少しでも安い方が良いと思いますけど」
「まあ、そうですね。じゃあ、北川さんの仰る通りにします。請求書が出来ましたら教えてください。ご迷惑が掛からないように、直ぐにお支払いの前金を用意しますので」
「分かりました」
分かりましたと言っては見たものの、このなかなか法外な価格の見積書を見て、直ぐにも現金を用意できるということ自体が、信じられないという気持ちだった。不動産収入があるので、仕事という仕事はしていないと聞いてはいた。どこかの大金持ちのお嬢様かと思ったら、すでに両親は他界しているという。兄弟は、弟が一人という話だった。
「そういえば、俺のことは誰から聞いたんだろうな」
次に会った時に聞いてみようと、北川は携帯を握った手を両方のポケットに突っ込んで、車へと向かった。