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空間に綴る  作者: 三千
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箱の中の秘密

「何か偉業でも成し遂げるのですか?」


言われるまでもなく、23歳の若さですでに偉業を成し遂げていた代表取締役に、北川が少しおどけた口調で聞いた時、もちろん有名人を前にして多少の興奮もあるにはあるのだが、実は彼の心中は、それだけに止まらない複雑な様相を呈していた。


空間コーディネーターとして長年働いてきた会社を辞めてフリーになり、まだ独立したてにも関わらず、事故で妻を呆気なく失ってしまった、そんな時期であったからだ。遺った幼い一人娘のアイを前にいつまでも呆けているわけにもいかず、しっかりしなければと自分を奮い立たせている最中でもあった。


そんな中の、順風満帆な人生の持ち主からの依頼。日々の生活にも一杯一杯だった北川の目には、その人生が輝かしく、そして羨ましく見えても仕方がないことだった。


この依頼を受けた時、その複雑な気持ちが正直、足に絡みつく鎖のように、北川の枷となっていた。けれどそれ以上に、彼がこの上ない上顧客だということは否めなかった。


今やあちこちで金儲けの極意を聞かれることで有名な彼が、まだ名も知られていないような駆け出しの北川の元へと足を運んでくれたこと、提示された依頼料の金額に震え上がったこと、その二つが依頼を受けた北川の自尊心を歪めてはいた。


そうやって、北川は複雑な気持ちを持たされたまま、依頼者の前に立っていたのだ。


(別荘の一つでも増やすのか、そんなもんだろ)


穿った見方をしていたら、それを見透かしたように、若き社長は言った。


「渡したメモは、僕が寝食を削って検討し、導き出した大切なものです。私のライフワークと言っても良いでしょう。どうか軽く考えずに、そのメモの通りにお願いします。共感して欲しいとは言いません。けれど、文句の一つでも、つけて欲しくないのです」


そして、社長は帰っていった。


北川は、次には違う荷物を持たされたような思いがして、苦笑しながらそのメモを仕事専用のクリアファイルに入れると、仕事机の鍵のかかる引き出しへと、滑り込ませた。


✳︎✳︎✳︎


「昔の依頼者より、今の依頼者、だよな」


追想するのを止め、アイを保育園に送ったその足で、現在取り掛かっている依頼主の要望を叶えてくれる、大手の玩具メーカーへと足を運ぶ。大きなビルの中にワンフロアを借り切っているそのトマツトイの受付の女性に来訪を告げる。


すると、電話で確認していた受付の女性が、にこやかな笑顔で北川を促した。


「北川様、会議が終わり次第、大谷が参ります。それまで会議室で少々お待ちください」


立ち上がると、先に歩き出す。姿勢の良い、美しい女性。


北川は女性の後をついて行きながら、そのガラス張りの廊下から見える仕事風景をちらと横目で見た。


(大谷のヤツも、ここから社員がちゃんと仕事してるかチェックしてんのかねえ)


会議室に着くとイスを一つ充てがわれ、そして数分後、紙カップに入れられたコーヒーが運ばれた。

お礼を言って、コーヒーを飲む。ブラックの苦味が舌に纏わりついて、今朝の追想を呼び覚ます。


(まあ、あれもこれも、最後は結局、このコーヒーの如く、苦味が残っただけだったがな)


余命宣告された老人は、北川が老人の希望通りの居心地の良い空間に仕立て上げた次の月、余命であったはずの二年を待たずして、帰らぬ人となった。購入した空間にはコタツでも入れて、その中でうつうつと微睡みながら死ねたら良いと零していたことを思い出す。


そして、読書家だった彼のために、彼の自宅にあった大量の愛読書や、読みたいと希望していた本を、エアリアルルームに設置した本棚に片っ端から詰め込んだ。


「ほら、桜のもとにて春死なむ、ってあるでしょ。そんな風に桜ではないんですけど、私の場合、本にまみれて死にたいんです」


そして最後に。ようやく見つけ出した小ぶりなコタツを運び入れた。大層嬉しそうに、彼がコタツに潜り込んでは、子どものようにはしゃいでいたのを覚えている。


たくさんの本をエアリアルルームの本棚に運び入れるより、前時代の電化製品であるこのコタツを探し出して改良するのに、かなりの労力を使った。


それは、安全上の理由から、エアリアルルームには電気を引いてはいけないという法律があり、特に前時代の電化製品には、自家発電装置をつけなければ、エアリアルルームで使うことはできないのだ。


そして、前時代の家電の、その需要と供給。


店に並ぶ目新しい家電。その、徐々に増やしていく機能が複雑過ぎて使いこなせず、その家電の進化についていけなくなった高齢者が、使い勝手の良い、古き良き時代のシンプルな家電をなかなか手放さなくなったことに起因する。とにかく、コタツ自体がなかなか中古市場にあがってこないのだ。


街中のリサイクルショップを駆けずり回って、数少ないリサイクル品の山の中からようやく見つけ出した時には、北川はこぶしを突き上げて歓喜したのだった。


けれど、そんな苦労もあったはあったが、この老人の笑顔に、北川は心から満足していた。肌寒い季節の日本海の上では、このコタツも堪能出来ますねえ、そう笑った翌月に、彼は息を引き取った。


机の上には、家族に宛てた手紙。


その他に、財産分与の遺言を家族の誰でもなく、正式な弁護士に預けてあったと聞いて、見かけは平和な家族の中に、晩年を委ねられなかった老人の寂しさと悲しみを知った。


北川は手元にあるコーヒーを見た。ほとんどを飲み干したカップの底には黒い液体が、べっとりと張りついているように見える。


それは依頼者の希望通りに、エアリアルルームの一室をコーディネートするだけが大半を占める北川の仕事の中で、こんな風に自分の中心へ黒々とした跡をつけて去ったこの老人と若き社長を思い出すだけで蘇ってくる苦味と同じなのだと、北川は薄く笑った。


カップをクルクルと回す。


北川はその行為に飽きると、次にはその苦味を伴うもう一方の残像に、思いを馳せていった。


✳︎✳︎✳︎


北川はその時、一枚のA4サイズの紙を、愛用の仕事机で唯一鍵の掛けられる引き出しから出してはしまい、出してはしまってを繰り返していた。


冒頭には『秘密厳守』の文字。


それは会社で使うものなのか、大ぶりの判で力強く押されていた。朱肉のインクが所々、滲んでいる。


若き社長は独身だということを事前に知っていたため、その依頼を受けた時は、浮気だの不倫だのの恋愛事情が絡んだ秘め事と、直接的には結びつかなかった。まだ若いこともあり、そして現在の会社の飛び抜けた業績を見れば、色事に見向きもせず、がむしゃらに仕事に取り組んできた人生だろうことは、想像に難くない。勝手に、仕事人間のイメージを作り上げてしまってもいた。


けれど、そのメモの内容。


「これはどう見ても、女の部屋だな」


リストに挙げられた家具や電化製品は、パステル調の可愛らしい色合いで、形も丸みを帯びている。そして何と言っても、その中でも象徴的な家具が、この天蓋付きのお姫様ベッドだ。


カタログと品番を突き合わせて、その写真を前に頭を抱える。


「こんなの、アイでも嫌がるぞ」


苦く笑うしかない。


彼女は居ないはず。彼を紹介してくれた、トマツトイの大谷からは、そう聞いていた。だからこその、邪推。


相手の女に配偶者がいるか何かで、浮気にでも使う空間なのだとしたら。まさか、この部屋の好みから、女子高生、とか。そう考えると、提示された金額と『秘密厳守』に辻褄が合うような、そんな気もしてくるのだ。


けれど、もちろん依頼者のプライバシーの守秘義務もあるし、その色恋沙汰に片足でも突っ込んで、何らかの機会に暴露されでもしたら、その火の粉がこちらにも降りかかってくるのは間違いないのだから、深くは追求すべきではない。気分は良くはなかったが、北川は目を瞑ってコーディネートを粛々と進めていった。


その準備の過程、若社長はちょくちょく北川の事務所を訪ねてきた。北川が何も問うてこないからか、彼もそれに関しては沈黙を通していた。ただ、自分のイメージと合わない部分は、容赦なく変更させられたし、細かく口出しもされた。


「では、また様子を見に来ます」


玄関まで見送ろうと、北川が彼の後ろをついていく。ドアに手をかける前に、若社長は北川へと振り返って、必ずこう言うのだった。


「何度も言うようですが、この件については秘密厳守でお願いします。不動産の、秋田あきたさんにもです。内容についてはトマツトイの大谷君にも、何も伝えてはいません。よろしくお願いしますよ」


北川が、分かっていますと言うと、ほっとした表情で、玄関のドアを開けて帰っていくのだった。


北川は、邪推でいっぱいの頭を振ると、リビングに戻った。そして、『秘密厳守』の判を見つめると、溜息を一つ大仰についてから、鍵のついた引き出しへと仕舞った。

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