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けものつき  作者: 上辻樹
第二章
17/18

17.心

芝崎礼香の心の中は、空こそ暗かったが、穏やかな大海だった。

気がつくと海に浮かんでいた佳奈恵は、立ち泳ぎをしながら周囲を見渡した。


このままではいずれ泳ぎ疲れて溺れてしまう。

陸地はないものかと周囲を見ても島のひとつもない。

水平線の彼方まで、海が広がっているのだ。


もったいないが、霊符を使うしかない。

佳奈恵は一枚の霊符を鉄の小舟に変えた。

心の中の世界だからか、外で使うよりも簡単に術の発動ができた。


「芝崎さん!」


大声で呼びかける。

返って来るのは波の音だけだ。


佳奈恵は叫び続けた。

この世界のどこかにいる彼女の耳に届けば、自分という異物を排除するために、必ず出てくるはずだ。


そう思ったのもつかの間、海が荒れ始めた。

波は徐々に高くなり、風が強くなっていく。


不意に、海面が盛り上がり、まるでクルーズ客船のような大きさの赤黒いクジラが姿を現した。

その生き物は大小様々な目がたくさんついており、そのどれもが佳奈恵に無感情な視線を向けている。


「芝崎さん、芝崎さんだよね!?」


佳奈恵が言うと、クジラが吠えた。

明らかな敵意をもって威嚇している。


緊張で心臓がどくどくと音を立てる。

いざ、目の前にすると、何と声をかけたらいいかわからない。


佳奈恵が言葉に詰まっていると、クジラの口の中から同じく赤黒い体をした人型の影が現れた。

表面をどろどろとした粘着質の液体で覆い、外見的な特徴は見えない。


「また、また出た」


小さく、それは呟いた。


「なんで、お前は、消えてくれない! あの男も! あの女も! 全部殺したのに! お前だけは、なんで!」


癇癪を起こしている芝崎の影は、頭を抱えてのたうち回った。


「芝崎さん、助けにきたよ」


佳奈恵は逃げ出したくなる気持ちを抑えて、震える声で言った。


「……は?」


芝崎は動きをぴたりと止めて、佳奈恵を見た。


「お前が、私を?」


信じられないものを見る目をして、芝崎はうすら笑った。


「お前が、私を、助ける? どこまで思いあがってるんだ? 調子に乗ってるんだ? 馬鹿にしてるんだろ? 自分ばっか良い思いをして、私を見下してるんだ」


彼女が何を言っているのか、わからない。

見下したことなんて一度もない。

むしろ、それは彼女の方じゃないのか。


「私は芝崎さんを馬鹿にしたことなんて、一回もないよ」

「嘘をつくな!」


芝崎は口の中から小舟に飛び移り、佳奈恵の細い首を掴んだ。


「だったら、なんで、あの時、見せびらかしたんだ!? 母親と博物館に来て! 仲がいいってところを、私に見せたかったんだろう!」


それを聞いて、佳奈恵はやっと理解した。

彼女が何に怒っているのか、佳奈恵の何が気に入らなかったのか。

しかし、腑に落ちないところもある。


「し、芝崎さんに何の関係があるの……」


そう言うと、芝崎は首を掴んでいた手をゆっくりと離す。

その手はわなわなと小さく震えていた。


せき込む佳奈恵を見ながら、芝崎は小さく呟いた。


「知らないって言うのか? お前は、私のことを、知らない……?」


信じられない、という顔をして、芝崎は後ずさった。


「何を、知ってほしいの?」


佳奈恵が聞くと、芝崎は狼狽えるように、手を動かした。

彼女は気持ちを振り絞って、何か言おうとしている。

佳奈恵は言葉が出てくるのをじっと待った。

やがて、彼女は少しずつ、吐き出すように言った。


「片親だろ! 私たちは、どっちも、親がひとりしかいない……。だから、お前となら、分かりあえると思った……。親が、クズだから、ひとりしかいないんだって! だけど、お前は、違った! なんで、何が、違うんだ! 私と、お前と!」


涙声になりながら、芝崎は言った。

誰かに訴えたかった。

言いたかった。

そんな気持ちが、見て取れた。


心の中では、素直な気持ちを隠せない。

それは芝崎だけでなく、佳奈恵もそうであった。


そんな理不尽な理由だったのか、と少し苛ついた佳奈恵は思わず言い返した。


「知らないよ、そんなこと! 芝崎さんのことを、私が何でもわかっていると思わないで! 自分の境遇に耐えられないなら、そう言えばいいじゃない! あんなことやっておいて、わかってもらおうなんて、虫がよすぎるでしょ!」


自分でも驚くほどすらすらと言葉が出てくる。

自分の気持ちを隠して正直になれていないのは、佳奈恵も同じだったのだ。


「だいたい、私と、芝崎さんの何が違うって、そもそも同じ人間じゃないんだから、違うに決まってるじゃない! 相手に問題があるような言い方をして、分かり合えなかったのは、あなたがそう言わなかったからってだけじゃないの!?」


芝崎は怯んでいた。

佳奈恵がここまで言い返すとは思っていなかったのだろう。


「だって……」

「だって、何? 私はね、芝崎さんはなんで暴力をふるうんだろうって、ずっと考えてた。ろくに話をしたこともないし、関わりあったこともないあなたが、私の何をそんなに気に入らないんだろうって、理由があるなら改善しようって、思ってた。だけど、悪いのは私じゃなくて、あなたの親でしょう? よく考えて、芝崎さん。向き合わないといけない相手は、誰?」


佳奈恵は諭すように言った。

芝崎の耳に届いているか、赤黒い粘液に覆われたその表情からはわからない。


少しずつ、波が高くなっていく。

空が暗雲に包まれていく。


それは、芝崎の心情を現しているのだろう。

言われたことを素直に認められず、佳奈恵を否定しようとしているのだ。


「芝崎さん!」

「うるさい!」


芝崎はそう言って、鯨の口の中へ飛び乗った。


「ゲイハ! あいつを殺して!」


ゲイハは口を閉じて、たくさんある目で、佳奈恵に焦点を定めた。


「もう、分からず屋!」


佳奈恵は残った一枚の霊符を出して、ゲイハの動きに備えた。

戦うための準備などしていない。

自分の身を守れるか、自信がない。

しかし、気持ちで負けなければ、勝機はあるはずだ。


ゲイハは音もなく静かに、潜水艦のように海中へ沈んでいく。

天候はますます悪くなり、空に稲光が見え始めた。

佳奈恵は振り落とされないように、自分の立っている小船の底の一部を変形させて、足を包み込むようにして固定した。


(あの悪霊を倒すしか、芝崎さんを救う手段が……)


金気しか使えない佳奈恵は、相性に頼れない。

鯨の姿をしているのだから、水気の悪霊なのだろう。

水気に相性のいい属性は土気だ。

五行くらいは使えるようになっておくべきだった、と佳奈恵は悔やんだ。


突如、佳奈恵のいる海面が大きく盛り上がり、小船ごと空中へ大きく打ち上げられた。

ゲイハの巨大な尾ひれが、力強く跳ね飛ばしたのだ。


佳奈恵の小さな体は船と共に空を舞う。

足を固定していなければ、彼方へ吹き飛ばされていただろう。


海面を見ると、ゲイハが大口を開けて待っている。

佳奈恵を飲み込むつもりだ。


(そう簡単に食べられるもんか!)


佳奈恵は鉄板に手を触れて形を変え、自分を球体状に覆った。

そして、その表面に、ウニのように無数の針を生やした。


鉄の針球となった佳奈恵を、ゲイハは口で咥えこむ。

しかし、口の中で針が引っかかり、口腔内をずたずたに引き裂くと、彼も耐えきれなかったのか、佳奈恵を吐き出した。


海の上を、上下もないまま跳ね転がっていく。

一度は防げたが、このままではいずれ食われてしまう。


(なんとか、なんとかしないと!)


焦った佳奈恵は、霊符を両手で挟み、自分の思い描くもっとも強い形を作り出した。


「いくよ、カガシ……」


金属の球を解き、広い板状にする。

その傍らには、ぬらぬらした金属の光沢をもつ、真鍮の大蛇がいた。


ケモノツキである佳奈恵には、内に潜むカナヘビを使役できる才能がある。

彼女は無意識の内に、それを操る方法を掴んでいた。


足場に使っていた鉄板も、カガシの体を大きくするために使い、立派な鱗を作り出す。


カガシは海の霊気と反発しあっているのか、沈まずに済んでいる。

この風景は全て霊気でできているようだ。


「これで、体格だけは、対等になった……!」


カガシの頭に乗り、佳奈恵はゲイハの出現を待った。

これだけ嵐が吹いていると、視覚で影を察知することは困難だ。

佳奈恵もそれは分かっている。

だから、熱を探知することに、意識を集中した。


雨、風、波。

それとは別に、人肌ほどの体温を感じる。

ゲイハがどこにいるか、なんとなくわかる。


しかし、向こうもなかなか海面へあがってはこなかった。

クジラの出す音波、エコーロケーションによって、こちらの大きさを知ったのだろう。

警戒して、周囲をぐるぐると徘徊している。


とはいえ、膠着状態は長く続かない。

より攻撃性の高い芝崎の方が、先に動いた。


海面が大きく盛り上がり、ゲイハがカガシへ噛みつこうと、迫った。


海上での動きは、ゲイハに利がある。

その大きな口は、カガシの胴を挟み込んで、間髪入れずに、海へと引きずり込んだ。


振り落とされないようにカガシに掴まっていた佳奈恵も、海中では息ができなくなる。

気力を沸かせて、カガシの頭を動かして、ゲイハに噛みつかせた。


(カガシ、巻きついて!)


残った胴体で、ゲイハの体を締めつけ始めた。

金属の体が、ぎいぎいと音を立てて、暴れるゲイハの体を絞めつける。

たまらず、ゲイハは海の底へ向かって泳ぎ始めた。


(芝崎さん、絶対、助けるから!)


カガシはまだ、力強くゲイハを絞めつけている。

万力のように、じわじわと、ゲイハの体を潰していっているのだ。


そうしている間、佳奈恵の霊気はどんどんカガシに吸われていた。

力を出せば出しただけ、意識が遠くなっていく。

手の力が抜けていく。


(あとは、頼んだよ……)


最後の霊気をカガシに注ぎ込むと、佳奈恵は完全に気を失って、海中に放り出された。






海底を目指して進みながら、礼香はあえいだ。


(苦しい、苦しい!)


礼香は体の自由を奪われて、息ができなくなるような感覚に陥っていた。

実際に絞めつけられているのはゲイハなのに、まるで自分の体が潰されているようだ。


(加賀山、いつの間にこんなことができるようになって……!)


黄金色の大蛇なんて初めて見た。

そして、それを手足のように扱う加賀山に、礼香は嫉妬していた。


(私と同じようなことができるなんて、絶対に許さない)


ゲイハにある無数の目で加賀山を睨みつけようとする。

しかし、彼女の姿が見えない。


その一瞬、動揺してしまった。

体の力が抜け、大蛇の絞めつけが、皮膚を裂いて食いこむ。


ゲイハの泳ぐ速さが、だんだんと落ちていく。

体の自由が利かない。

みしみしと、骨のきしむ音が、海中に響く。


(嫌、嫌だ。ゲイハ、死なないで! 私、ゲイハがいなくなったら、ひとりぼっちになっちゃう!)


礼香の思いも空しく、ゲイハは力を失っていく。

今まで感じていた温かさが、海中に溶けるようにして、消えていく。


やがて、ゲイハの体は赤黒い水になって、溶けてなくなった。

礼香はひとり残されて、日の光も届かない深海を、茫然と漂っていた。


ひどく寒い。

氷の中にいるような冷たさだ。


(もう嫌だ……。このまま、ここにいたい)


ゲイハもいなくなって、ここから出てももう何もできない。

この夢も、ここで終わり。

夢から覚めて、現実世界に戻る理由がない。


体を丸めていると、不意に何かに包まれた。

それがあの大蛇の口だと気がついた瞬間、礼香は恐怖に震えた。


(食べられる!? 嫌だ、私まだ死にたくない!)


そう思って手足を使って口をこじ開けようとするが、まったく歯が立たない。

凄い勢いで、海面へ上がっていく感覚がする。


(加賀山が私を殺さないわけない! あんなことした私を!)


地上に上げてから、いたぶって殺すに決まっている。

恨みを晴らそうと思ったら、そうするのが当然だ。

自分が母やあの男にやったように、楽しんでいたぶるに違いない。


大蛇の口の端から海水が漏れていく。

どうやら海上まで上がったようだ。

真っ暗な空間が裂け、その明るさに礼香は目を細めた。


嵐が嘘のようにやんでいた。

青い空が、どこまでも広がっている。

自分の心の中でありながら、こんな景色を見たのは初めてだ。


しばらく、何もかも忘れて茫然としていたが、やがて、はっと気がついた。


「加賀山、加賀山はどこだ?」


海はどこまでも続いているが、そのどこにも加賀山の姿はない。


「おい、お前、加賀山のだろ!? あいつはどうしたんだよ!」


大蛇に聞いても、彼もわからないようで、ただのどを鳴らしている。


「ふざけんな! お前が私の代わりに死んでいいわけないだろ!」


ゲイハが消えてから、不思議とそう考えられるようになっていた。

礼香も気がついていないが、悪霊にフタをされていた感情が、心の中に戻っていた。


ゲイハと共に暮らした一か月は、とても気持ちが良かったし、心地の良いものだった。

しかし、自分だけに都合のいい世界は、とうてい生きていると言えるものではなかった。


不快なもの全てを排除すれば、世界は輝いて見えるはずだった。

実際はどこまでも灰色の世界であり、いつ現れるか分からない不安要素に、常に心を緊張させ、怯えていなくてはならなかった。


嫌いなものが無くなったのではなく、見えないところに隠れただけだったのだ。

一か月の間、それに気がつけなかった。


加賀山が目の前に現れて、言葉を投げかけてきて、初めて正面から向き合ってくれる人に出会った。


『お前のやり方は間違っている』と言われることを、待っていたのかもしれない。

自分勝手な願いであったが、加賀山にその役目を期待していた。


芯が強く、何者にも流されないその姿に、礼香はずっと憧れていた。

だから、怒ってほしかった。

同じ境遇を持つ彼女に、自分を正してほしかった。


加賀山は覚えていないだろうが、初めて会ったのは地域で参加する子供会のキャンプに行った時だ。

三波の不動ヶ岡公園で、加賀山とはたまたま出会った。

そこで、彼女が自分と同じく片親であると知ったのだ。


友好的に接するつもりだったが、どうしたら人と仲良くなれるかわからず、話しかけることもできなかった。

しかし、名前だけはずっと覚えていた。


中学校に入って、偶然の再会に喜んだ。

礼香は向こうもこっちを覚えていると思っていた。

なぜなら、同じ境遇の仲間なのだから。


しかし、加賀山は覚えていなかった。

彼女にすれば、芝崎礼香という人間は、たくさんいる人間のうちのひとりにすぎなくて、何も特別な存在ではなかったのだ。


そのやり場のない気持ちは、怒りという感情に変わって、いつしか、彼女に暴力をふるう自分がいた。


情けない話だった。

自分を特別に見て欲しくて、忘れられたくなくて、そのような行動に出てしまったのだ。


礼香は、大蛇の口の中で膝を抱えて海を見ていた。

加賀山の姿はまだ見えない。


涙が、溢れてきた。

こんなに救う価値のない人間ですら、助けにきた彼女のことを考えると、たまらなく悔しくて、自分が許せない。


「加賀山、ごめん。ごめんな。私が、馬鹿だったから、加賀山を傷つけた。本当に、ごめん。許してもらえないと思うけど、私もすぐ、行くから」


礼香が立ち上がって、海に飛び込もうとした時だ。


「待って、待って! 芝崎さん!」

「え?」


潤む目で大蛇の頭の方を見ると、加賀山が慌てて、開いた口の中へ降りて来た。


「お前、生きてたのかよぉ……」


礼香の喉から嗚咽がもれた。

もう、何も言葉にならなかった。

しゃくりあげて泣く礼香を、加賀山は優しく抱きしめた。


「ごめんね。気を失ってたみたい。もう、大丈夫だから」


頭を撫でられながら、礼香はしばらくそのまま、加賀山の腕の中で泣いていた。






カガシを鉄の小舟に変えて、散々泣いてやっと落ち着いた芝崎を座らせた。

目を赤く腫らして、膝を抱えて座っている。


「ごめん、加賀山」


何度目かになる言葉を、芝崎が口にする。


「うん」

「ごめん……」


芝崎は、本当に後悔しているようであった。

この調子なら、もう暴力をふるうことはないだろう。


「私もね、芝崎さんは悪い人じゃないと思ってたんだ。とても不器用な人で、ああいう形でしか、コミュニケーションをとれない人なんだって思ってた」


芝崎は何も言わず、耳を傾けている。

佳奈恵は続けた。


「だからって、怒ってないわけじゃないからね。あんなこと、二度とやっちゃダメだよ」

「……はい」

「もうしない?」

「……はい」


芝崎は力なく返事をした。


「じゃあ、握手」

「え?」


差し出した右手に、芝崎は戸惑っているようであった。

動かない芝崎の右手を掴んで、無理矢理自分の手を握らせる。


「はい、これでおしまい! もうこの話はしないこと!」

「なんだよそれ……」


最初は呆気にとられていた芝崎も、やがては吹き出して、笑い始めた。


「まだ私たちは中学生なんだからさ、いくらでもやり直せるんだよ。間違ったら、謝って、正しい方に進めばいい。そうやって、大人になっていくんだから」

「……お前、お母さんかよ!」


そう言われた佳奈恵が笑うと、芝崎も笑った。


「いっぱい話したいことあると思うけど、あとは、外でね」


外、と言うと、芝崎の顔から血の気が引いた。


「い、嫌だ。出たくない。私、とり返しのつかないことした……」


震える芝崎の肩に手を置いて、佳奈恵は言った。


「全部大丈夫だから。私、ううん、私たちに任せて。じゃあ、そろそろ行くね?」


そう言って立ち上がった佳奈恵の腕を、芝崎が掴んだ。


「待って、行かないで……」


泣きそうな顔で言う芝崎に、佳奈恵は言った。


「ううん、ダメ。芝崎さんは、できる。大丈夫。だって、ちゃんと謝れた」

「そんなの誰だって……」

「自分の間違いを認めるのって、誰でもできることじゃないよ。芝崎さんは、自分が思っているほど弱くない。一歩踏み出せば、世界は変えられる。だから、がんばって」


佳奈恵は、それだけ告げると、目を閉じて、術を解いた。

あとには、虚空を掴む芝崎だけが残った。




佳奈恵が目を開けると、芝崎の室内には神楽の姿があった。


「佳奈恵さん!? いったい何を……」

「もう、大丈夫です。悪霊は、退治しました」


体が冷えを感じるほど、大量の汗をかいていたらしい。

佳奈恵は額をぬぐって言った。


「結界はどうなったんですか?」

「主さまのおかげで、消え去りました。もう、帰られますよ。それより、佳奈恵さん、どこでそんな術を習ったのですか?」


そんな術、と言われて、何のことを言われたのか理解するまで少しかかった。


「藤ヶ崎さんは、私の夢の中に入ってきて助けてくれたので、同じことができるかな、と思って……」


たどたどしくそう言うと、神楽は少し怒って言った。


「あの、ダメですよ。今回はたまたま上手くいったからいいものを、思いつきで術を披露しては。人の心の中に入るのって、大変技術がいることなんです。今度からは、やめてくださいね」


申し訳なく愛想笑いをする佳奈恵を見て、神楽は呆れたようにため息をついた。


「とは言え、悪霊を祓えるとは、凄まじい進歩です。やはり、佳奈恵さんは才能があるみたいですね」


神楽は少し喜んでいるように見えた。

佳奈恵は一息ついて、芝崎の毛布を外した。

まだ眠っているようだが、その表情は、どこか安らかだった。


「芝崎さんを、藤ヶ崎神社に連れていってもらえますか?」


佳奈恵が聞くと、神楽は驚いたように言った。


「え? でも、自宅で療養した方がいいのではありませんか?」

「ここは、彼女のいる場所じゃないみたいです。あの、家の中のものの修理とかって、術でなんとかなりませんか?」

「ああ、それならできますよ。物品の補修と、関係者の記憶消去までは、事後処理に含まれていますから」


佳奈恵はそれを聞いて、安心した。

これからのことも、頭の中では考えてある。


それを口に出そうとすると、視界がかすんだ。

床と天井が回転して、音が遠くなる。


(あっ……ダメだ)


佳奈恵は、霊気の使い過ぎによって、また気を失ってしまった。


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