17.心
芝崎礼香の心の中は、空こそ暗かったが、穏やかな大海だった。
気がつくと海に浮かんでいた佳奈恵は、立ち泳ぎをしながら周囲を見渡した。
このままではいずれ泳ぎ疲れて溺れてしまう。
陸地はないものかと周囲を見ても島のひとつもない。
水平線の彼方まで、海が広がっているのだ。
もったいないが、霊符を使うしかない。
佳奈恵は一枚の霊符を鉄の小舟に変えた。
心の中の世界だからか、外で使うよりも簡単に術の発動ができた。
「芝崎さん!」
大声で呼びかける。
返って来るのは波の音だけだ。
佳奈恵は叫び続けた。
この世界のどこかにいる彼女の耳に届けば、自分という異物を排除するために、必ず出てくるはずだ。
そう思ったのもつかの間、海が荒れ始めた。
波は徐々に高くなり、風が強くなっていく。
不意に、海面が盛り上がり、まるでクルーズ客船のような大きさの赤黒いクジラが姿を現した。
その生き物は大小様々な目がたくさんついており、そのどれもが佳奈恵に無感情な視線を向けている。
「芝崎さん、芝崎さんだよね!?」
佳奈恵が言うと、クジラが吠えた。
明らかな敵意をもって威嚇している。
緊張で心臓がどくどくと音を立てる。
いざ、目の前にすると、何と声をかけたらいいかわからない。
佳奈恵が言葉に詰まっていると、クジラの口の中から同じく赤黒い体をした人型の影が現れた。
表面をどろどろとした粘着質の液体で覆い、外見的な特徴は見えない。
「また、また出た」
小さく、それは呟いた。
「なんで、お前は、消えてくれない! あの男も! あの女も! 全部殺したのに! お前だけは、なんで!」
癇癪を起こしている芝崎の影は、頭を抱えてのたうち回った。
「芝崎さん、助けにきたよ」
佳奈恵は逃げ出したくなる気持ちを抑えて、震える声で言った。
「……は?」
芝崎は動きをぴたりと止めて、佳奈恵を見た。
「お前が、私を?」
信じられないものを見る目をして、芝崎はうすら笑った。
「お前が、私を、助ける? どこまで思いあがってるんだ? 調子に乗ってるんだ? 馬鹿にしてるんだろ? 自分ばっか良い思いをして、私を見下してるんだ」
彼女が何を言っているのか、わからない。
見下したことなんて一度もない。
むしろ、それは彼女の方じゃないのか。
「私は芝崎さんを馬鹿にしたことなんて、一回もないよ」
「嘘をつくな!」
芝崎は口の中から小舟に飛び移り、佳奈恵の細い首を掴んだ。
「だったら、なんで、あの時、見せびらかしたんだ!? 母親と博物館に来て! 仲がいいってところを、私に見せたかったんだろう!」
それを聞いて、佳奈恵はやっと理解した。
彼女が何に怒っているのか、佳奈恵の何が気に入らなかったのか。
しかし、腑に落ちないところもある。
「し、芝崎さんに何の関係があるの……」
そう言うと、芝崎は首を掴んでいた手をゆっくりと離す。
その手はわなわなと小さく震えていた。
せき込む佳奈恵を見ながら、芝崎は小さく呟いた。
「知らないって言うのか? お前は、私のことを、知らない……?」
信じられない、という顔をして、芝崎は後ずさった。
「何を、知ってほしいの?」
佳奈恵が聞くと、芝崎は狼狽えるように、手を動かした。
彼女は気持ちを振り絞って、何か言おうとしている。
佳奈恵は言葉が出てくるのをじっと待った。
やがて、彼女は少しずつ、吐き出すように言った。
「片親だろ! 私たちは、どっちも、親がひとりしかいない……。だから、お前となら、分かりあえると思った……。親が、クズだから、ひとりしかいないんだって! だけど、お前は、違った! なんで、何が、違うんだ! 私と、お前と!」
涙声になりながら、芝崎は言った。
誰かに訴えたかった。
言いたかった。
そんな気持ちが、見て取れた。
心の中では、素直な気持ちを隠せない。
それは芝崎だけでなく、佳奈恵もそうであった。
そんな理不尽な理由だったのか、と少し苛ついた佳奈恵は思わず言い返した。
「知らないよ、そんなこと! 芝崎さんのことを、私が何でもわかっていると思わないで! 自分の境遇に耐えられないなら、そう言えばいいじゃない! あんなことやっておいて、わかってもらおうなんて、虫がよすぎるでしょ!」
自分でも驚くほどすらすらと言葉が出てくる。
自分の気持ちを隠して正直になれていないのは、佳奈恵も同じだったのだ。
「だいたい、私と、芝崎さんの何が違うって、そもそも同じ人間じゃないんだから、違うに決まってるじゃない! 相手に問題があるような言い方をして、分かり合えなかったのは、あなたがそう言わなかったからってだけじゃないの!?」
芝崎は怯んでいた。
佳奈恵がここまで言い返すとは思っていなかったのだろう。
「だって……」
「だって、何? 私はね、芝崎さんはなんで暴力をふるうんだろうって、ずっと考えてた。ろくに話をしたこともないし、関わりあったこともないあなたが、私の何をそんなに気に入らないんだろうって、理由があるなら改善しようって、思ってた。だけど、悪いのは私じゃなくて、あなたの親でしょう? よく考えて、芝崎さん。向き合わないといけない相手は、誰?」
佳奈恵は諭すように言った。
芝崎の耳に届いているか、赤黒い粘液に覆われたその表情からはわからない。
少しずつ、波が高くなっていく。
空が暗雲に包まれていく。
それは、芝崎の心情を現しているのだろう。
言われたことを素直に認められず、佳奈恵を否定しようとしているのだ。
「芝崎さん!」
「うるさい!」
芝崎はそう言って、鯨の口の中へ飛び乗った。
「ゲイハ! あいつを殺して!」
ゲイハは口を閉じて、たくさんある目で、佳奈恵に焦点を定めた。
「もう、分からず屋!」
佳奈恵は残った一枚の霊符を出して、ゲイハの動きに備えた。
戦うための準備などしていない。
自分の身を守れるか、自信がない。
しかし、気持ちで負けなければ、勝機はあるはずだ。
ゲイハは音もなく静かに、潜水艦のように海中へ沈んでいく。
天候はますます悪くなり、空に稲光が見え始めた。
佳奈恵は振り落とされないように、自分の立っている小船の底の一部を変形させて、足を包み込むようにして固定した。
(あの悪霊を倒すしか、芝崎さんを救う手段が……)
金気しか使えない佳奈恵は、相性に頼れない。
鯨の姿をしているのだから、水気の悪霊なのだろう。
水気に相性のいい属性は土気だ。
五行くらいは使えるようになっておくべきだった、と佳奈恵は悔やんだ。
突如、佳奈恵のいる海面が大きく盛り上がり、小船ごと空中へ大きく打ち上げられた。
ゲイハの巨大な尾ひれが、力強く跳ね飛ばしたのだ。
佳奈恵の小さな体は船と共に空を舞う。
足を固定していなければ、彼方へ吹き飛ばされていただろう。
海面を見ると、ゲイハが大口を開けて待っている。
佳奈恵を飲み込むつもりだ。
(そう簡単に食べられるもんか!)
佳奈恵は鉄板に手を触れて形を変え、自分を球体状に覆った。
そして、その表面に、ウニのように無数の針を生やした。
鉄の針球となった佳奈恵を、ゲイハは口で咥えこむ。
しかし、口の中で針が引っかかり、口腔内をずたずたに引き裂くと、彼も耐えきれなかったのか、佳奈恵を吐き出した。
海の上を、上下もないまま跳ね転がっていく。
一度は防げたが、このままではいずれ食われてしまう。
(なんとか、なんとかしないと!)
焦った佳奈恵は、霊符を両手で挟み、自分の思い描くもっとも強い形を作り出した。
「いくよ、カガシ……」
金属の球を解き、広い板状にする。
その傍らには、ぬらぬらした金属の光沢をもつ、真鍮の大蛇がいた。
ケモノツキである佳奈恵には、内に潜むカナヘビを使役できる才能がある。
彼女は無意識の内に、それを操る方法を掴んでいた。
足場に使っていた鉄板も、カガシの体を大きくするために使い、立派な鱗を作り出す。
カガシは海の霊気と反発しあっているのか、沈まずに済んでいる。
この風景は全て霊気でできているようだ。
「これで、体格だけは、対等になった……!」
カガシの頭に乗り、佳奈恵はゲイハの出現を待った。
これだけ嵐が吹いていると、視覚で影を察知することは困難だ。
佳奈恵もそれは分かっている。
だから、熱を探知することに、意識を集中した。
雨、風、波。
それとは別に、人肌ほどの体温を感じる。
ゲイハがどこにいるか、なんとなくわかる。
しかし、向こうもなかなか海面へあがってはこなかった。
クジラの出す音波、エコーロケーションによって、こちらの大きさを知ったのだろう。
警戒して、周囲をぐるぐると徘徊している。
とはいえ、膠着状態は長く続かない。
より攻撃性の高い芝崎の方が、先に動いた。
海面が大きく盛り上がり、ゲイハがカガシへ噛みつこうと、迫った。
海上での動きは、ゲイハに利がある。
その大きな口は、カガシの胴を挟み込んで、間髪入れずに、海へと引きずり込んだ。
振り落とされないようにカガシに掴まっていた佳奈恵も、海中では息ができなくなる。
気力を沸かせて、カガシの頭を動かして、ゲイハに噛みつかせた。
(カガシ、巻きついて!)
残った胴体で、ゲイハの体を締めつけ始めた。
金属の体が、ぎいぎいと音を立てて、暴れるゲイハの体を絞めつける。
たまらず、ゲイハは海の底へ向かって泳ぎ始めた。
(芝崎さん、絶対、助けるから!)
カガシはまだ、力強くゲイハを絞めつけている。
万力のように、じわじわと、ゲイハの体を潰していっているのだ。
そうしている間、佳奈恵の霊気はどんどんカガシに吸われていた。
力を出せば出しただけ、意識が遠くなっていく。
手の力が抜けていく。
(あとは、頼んだよ……)
最後の霊気をカガシに注ぎ込むと、佳奈恵は完全に気を失って、海中に放り出された。
海底を目指して進みながら、礼香はあえいだ。
(苦しい、苦しい!)
礼香は体の自由を奪われて、息ができなくなるような感覚に陥っていた。
実際に絞めつけられているのはゲイハなのに、まるで自分の体が潰されているようだ。
(加賀山、いつの間にこんなことができるようになって……!)
黄金色の大蛇なんて初めて見た。
そして、それを手足のように扱う加賀山に、礼香は嫉妬していた。
(私と同じようなことができるなんて、絶対に許さない)
ゲイハにある無数の目で加賀山を睨みつけようとする。
しかし、彼女の姿が見えない。
その一瞬、動揺してしまった。
体の力が抜け、大蛇の絞めつけが、皮膚を裂いて食いこむ。
ゲイハの泳ぐ速さが、だんだんと落ちていく。
体の自由が利かない。
みしみしと、骨のきしむ音が、海中に響く。
(嫌、嫌だ。ゲイハ、死なないで! 私、ゲイハがいなくなったら、ひとりぼっちになっちゃう!)
礼香の思いも空しく、ゲイハは力を失っていく。
今まで感じていた温かさが、海中に溶けるようにして、消えていく。
やがて、ゲイハの体は赤黒い水になって、溶けてなくなった。
礼香はひとり残されて、日の光も届かない深海を、茫然と漂っていた。
ひどく寒い。
氷の中にいるような冷たさだ。
(もう嫌だ……。このまま、ここにいたい)
ゲイハもいなくなって、ここから出てももう何もできない。
この夢も、ここで終わり。
夢から覚めて、現実世界に戻る理由がない。
体を丸めていると、不意に何かに包まれた。
それがあの大蛇の口だと気がついた瞬間、礼香は恐怖に震えた。
(食べられる!? 嫌だ、私まだ死にたくない!)
そう思って手足を使って口をこじ開けようとするが、まったく歯が立たない。
凄い勢いで、海面へ上がっていく感覚がする。
(加賀山が私を殺さないわけない! あんなことした私を!)
地上に上げてから、いたぶって殺すに決まっている。
恨みを晴らそうと思ったら、そうするのが当然だ。
自分が母やあの男にやったように、楽しんでいたぶるに違いない。
大蛇の口の端から海水が漏れていく。
どうやら海上まで上がったようだ。
真っ暗な空間が裂け、その明るさに礼香は目を細めた。
嵐が嘘のようにやんでいた。
青い空が、どこまでも広がっている。
自分の心の中でありながら、こんな景色を見たのは初めてだ。
しばらく、何もかも忘れて茫然としていたが、やがて、はっと気がついた。
「加賀山、加賀山はどこだ?」
海はどこまでも続いているが、そのどこにも加賀山の姿はない。
「おい、お前、加賀山のだろ!? あいつはどうしたんだよ!」
大蛇に聞いても、彼もわからないようで、ただのどを鳴らしている。
「ふざけんな! お前が私の代わりに死んでいいわけないだろ!」
ゲイハが消えてから、不思議とそう考えられるようになっていた。
礼香も気がついていないが、悪霊にフタをされていた感情が、心の中に戻っていた。
ゲイハと共に暮らした一か月は、とても気持ちが良かったし、心地の良いものだった。
しかし、自分だけに都合のいい世界は、とうてい生きていると言えるものではなかった。
不快なもの全てを排除すれば、世界は輝いて見えるはずだった。
実際はどこまでも灰色の世界であり、いつ現れるか分からない不安要素に、常に心を緊張させ、怯えていなくてはならなかった。
嫌いなものが無くなったのではなく、見えないところに隠れただけだったのだ。
一か月の間、それに気がつけなかった。
加賀山が目の前に現れて、言葉を投げかけてきて、初めて正面から向き合ってくれる人に出会った。
『お前のやり方は間違っている』と言われることを、待っていたのかもしれない。
自分勝手な願いであったが、加賀山にその役目を期待していた。
芯が強く、何者にも流されないその姿に、礼香はずっと憧れていた。
だから、怒ってほしかった。
同じ境遇を持つ彼女に、自分を正してほしかった。
加賀山は覚えていないだろうが、初めて会ったのは地域で参加する子供会のキャンプに行った時だ。
三波の不動ヶ岡公園で、加賀山とはたまたま出会った。
そこで、彼女が自分と同じく片親であると知ったのだ。
友好的に接するつもりだったが、どうしたら人と仲良くなれるかわからず、話しかけることもできなかった。
しかし、名前だけはずっと覚えていた。
中学校に入って、偶然の再会に喜んだ。
礼香は向こうもこっちを覚えていると思っていた。
なぜなら、同じ境遇の仲間なのだから。
しかし、加賀山は覚えていなかった。
彼女にすれば、芝崎礼香という人間は、たくさんいる人間のうちのひとりにすぎなくて、何も特別な存在ではなかったのだ。
そのやり場のない気持ちは、怒りという感情に変わって、いつしか、彼女に暴力をふるう自分がいた。
情けない話だった。
自分を特別に見て欲しくて、忘れられたくなくて、そのような行動に出てしまったのだ。
礼香は、大蛇の口の中で膝を抱えて海を見ていた。
加賀山の姿はまだ見えない。
涙が、溢れてきた。
こんなに救う価値のない人間ですら、助けにきた彼女のことを考えると、たまらなく悔しくて、自分が許せない。
「加賀山、ごめん。ごめんな。私が、馬鹿だったから、加賀山を傷つけた。本当に、ごめん。許してもらえないと思うけど、私もすぐ、行くから」
礼香が立ち上がって、海に飛び込もうとした時だ。
「待って、待って! 芝崎さん!」
「え?」
潤む目で大蛇の頭の方を見ると、加賀山が慌てて、開いた口の中へ降りて来た。
「お前、生きてたのかよぉ……」
礼香の喉から嗚咽がもれた。
もう、何も言葉にならなかった。
しゃくりあげて泣く礼香を、加賀山は優しく抱きしめた。
「ごめんね。気を失ってたみたい。もう、大丈夫だから」
頭を撫でられながら、礼香はしばらくそのまま、加賀山の腕の中で泣いていた。
カガシを鉄の小舟に変えて、散々泣いてやっと落ち着いた芝崎を座らせた。
目を赤く腫らして、膝を抱えて座っている。
「ごめん、加賀山」
何度目かになる言葉を、芝崎が口にする。
「うん」
「ごめん……」
芝崎は、本当に後悔しているようであった。
この調子なら、もう暴力をふるうことはないだろう。
「私もね、芝崎さんは悪い人じゃないと思ってたんだ。とても不器用な人で、ああいう形でしか、コミュニケーションをとれない人なんだって思ってた」
芝崎は何も言わず、耳を傾けている。
佳奈恵は続けた。
「だからって、怒ってないわけじゃないからね。あんなこと、二度とやっちゃダメだよ」
「……はい」
「もうしない?」
「……はい」
芝崎は力なく返事をした。
「じゃあ、握手」
「え?」
差し出した右手に、芝崎は戸惑っているようであった。
動かない芝崎の右手を掴んで、無理矢理自分の手を握らせる。
「はい、これでおしまい! もうこの話はしないこと!」
「なんだよそれ……」
最初は呆気にとられていた芝崎も、やがては吹き出して、笑い始めた。
「まだ私たちは中学生なんだからさ、いくらでもやり直せるんだよ。間違ったら、謝って、正しい方に進めばいい。そうやって、大人になっていくんだから」
「……お前、お母さんかよ!」
そう言われた佳奈恵が笑うと、芝崎も笑った。
「いっぱい話したいことあると思うけど、あとは、外でね」
外、と言うと、芝崎の顔から血の気が引いた。
「い、嫌だ。出たくない。私、とり返しのつかないことした……」
震える芝崎の肩に手を置いて、佳奈恵は言った。
「全部大丈夫だから。私、ううん、私たちに任せて。じゃあ、そろそろ行くね?」
そう言って立ち上がった佳奈恵の腕を、芝崎が掴んだ。
「待って、行かないで……」
泣きそうな顔で言う芝崎に、佳奈恵は言った。
「ううん、ダメ。芝崎さんは、できる。大丈夫。だって、ちゃんと謝れた」
「そんなの誰だって……」
「自分の間違いを認めるのって、誰でもできることじゃないよ。芝崎さんは、自分が思っているほど弱くない。一歩踏み出せば、世界は変えられる。だから、がんばって」
佳奈恵は、それだけ告げると、目を閉じて、術を解いた。
あとには、虚空を掴む芝崎だけが残った。
佳奈恵が目を開けると、芝崎の室内には神楽の姿があった。
「佳奈恵さん!? いったい何を……」
「もう、大丈夫です。悪霊は、退治しました」
体が冷えを感じるほど、大量の汗をかいていたらしい。
佳奈恵は額をぬぐって言った。
「結界はどうなったんですか?」
「主さまのおかげで、消え去りました。もう、帰られますよ。それより、佳奈恵さん、どこでそんな術を習ったのですか?」
そんな術、と言われて、何のことを言われたのか理解するまで少しかかった。
「藤ヶ崎さんは、私の夢の中に入ってきて助けてくれたので、同じことができるかな、と思って……」
たどたどしくそう言うと、神楽は少し怒って言った。
「あの、ダメですよ。今回はたまたま上手くいったからいいものを、思いつきで術を披露しては。人の心の中に入るのって、大変技術がいることなんです。今度からは、やめてくださいね」
申し訳なく愛想笑いをする佳奈恵を見て、神楽は呆れたようにため息をついた。
「とは言え、悪霊を祓えるとは、凄まじい進歩です。やはり、佳奈恵さんは才能があるみたいですね」
神楽は少し喜んでいるように見えた。
佳奈恵は一息ついて、芝崎の毛布を外した。
まだ眠っているようだが、その表情は、どこか安らかだった。
「芝崎さんを、藤ヶ崎神社に連れていってもらえますか?」
佳奈恵が聞くと、神楽は驚いたように言った。
「え? でも、自宅で療養した方がいいのではありませんか?」
「ここは、彼女のいる場所じゃないみたいです。あの、家の中のものの修理とかって、術でなんとかなりませんか?」
「ああ、それならできますよ。物品の補修と、関係者の記憶消去までは、事後処理に含まれていますから」
佳奈恵はそれを聞いて、安心した。
これからのことも、頭の中では考えてある。
それを口に出そうとすると、視界がかすんだ。
床と天井が回転して、音が遠くなる。
(あっ……ダメだ)
佳奈恵は、霊気の使い過ぎによって、また気を失ってしまった。




