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けものつき  作者: 上辻樹
第二章
16/18

16.悪意

芝崎の家が近づくに連れ、神楽の表情は険しくなっていた。


悪霊の気配というものは、そうそう感じられるものではない。

神楽は探知に優れた感覚を備えているが、せいぜいヒトガタの体に触れてわかる程度だ。

離れているうちから、このようにぴりぴりとした感覚を味わうことはない。


大物だ。

神楽は歩きながら、そう確信した。


民家から溢れる霊子が雨を突き抜けている。

白い霊子と黒い霊子が、混ざり合って、民家を包んでいる。


芝崎礼香の家は、霊視の開いているものなら誰もが危機感を覚えるほどに異様な光景であった。


「佳奈恵さん、私が先に入ります。慎重に、後からついてきてください」

「……はい」


佳奈恵は緊張の面持ちで、そう返事した。

知っている人物がヒトガタになってしまった時の気持ちは、神楽にも痛いほどわかる。


「絶対に、大丈夫ですから。落ち着いてくださいね」


佳奈恵に声をかけながら、敷地の中へ入ってしまってから、神楽はそれに気がついた。


「な、何で……」


雨で見えづらかったなどということはない。

意図的に可視化できないように、この民家を囲うようにして、結界が張られていることに気がついた。

「どうしたんですか?」


神楽の動揺を見た佳奈恵が、不安そうに聞く。


「結界が張られています。……佳奈恵さん、外に出ようとしてみてください」


わけもわからず、佳奈恵は外へ出ようとしたが、ぴたり、と動きを止めた。


「か、神楽さん、これ、どうなっているんですか? 足が、動かないんです」


佳奈恵は、泣きそうな顔をしながら言った。

心に悪霊がいる佳奈恵は、結界を超えられない。


神楽は舌打ちをした。

誰かが意図的に、この場所にヒトガタを閉じ込めている。


「佳奈恵さん、これは罠です。迂闊、というより、こんなこと考えもしなかった」

「罠? いったい誰が……」


佳奈恵がそう言っていると、雨の中に動く影が見えた。

誰かがこの様子を見張っていた。


「佳奈恵さん! 私はこの結界を張った相手をこらしめてきます! 佳奈恵さんはここでじっとしていてください!」


神楽はそれだけ言うと、道路へ飛び出した。

犯人と思わしき人物は、東へ向かって走っていったように見えた。


神楽が霊符を一枚出して空中へ放ると、大きな馬の式神になった。

ひらり、とそれに飛び乗って、神楽は風のように消えた人影を追いかけていった。






ひとり残された佳奈恵は、見えも触れもしない壁に自分が阻まれていることを知り、途方にくれた。

腕や足、体の一部ですら、ある境界を超えようとすると、拒否を起こす。


「帰れない、か」


佳奈恵は芝崎家を見上げた。

不気味なほど静かで、こんこんと黒い零子を吐き続けている。


神楽はどれくらいで帰ってくるだろうか。

そんなことを考えていると、家の中で何か重い物がぶつかって壊れるような衝撃音がした。


こんな音が鳴ることは異常だ。

何かあったに違いない。


佳奈恵はためらいながらも、玄関のドアノブに手を伸ばした。


(神楽さん、ごめんなさい)


自分が行ったところで何もできないかもしれない。

でも、ここで待っていて、もし手遅れにでもなったら、一生後悔する。


佳奈恵は通学カバンの中から、ずっと持ち歩いていた三枚の霊符を取り出す。

細かい泡のような霊子のついているその様子を見るに、霊気は切れていない。

ちゃんと使える霊符だ。


左手にその三枚を持って、ドアノブに手をかけて、ゆっくりと回した。

音を立てないように、慎重に扉を開く。


中は薄暗く、廊下にはゴミが散乱している。

奥へ続く廊下と、左手には上へ続く階段がある。


あの時、視線を感じたのは二階からだ。

芝崎は二階にいるはずだ。


確信じみたものを感じながら、佳奈恵はクツと靴下を脱いであがった。

ひやりとした床材と、ざらついた埃の感触がする。


この一か月の間、誰も掃除をしていないのだろう。

まるで物置のような空気の悪さを感じる。


佳奈恵は足音に気をつけながら、階段へ向かった。

まるで泥棒のようだが、先に向こうから見つかりたくない一心であった。


階段をのぼると、飛び散った木片が短い廊下に広がっていた。

いったい何があれば、こんなことになるのか、佳奈恵にはまったく想像できない。


(カガシ、ここにいたの?)


カガシがその破片を避けるように壁にはりついていた。

向こうも佳奈恵を見つけたのか、素早く這ってきて懐に飛び込む。


(見張っていてくれてありがとう。カガシ、ゆっくりおやすみ)


佳奈恵は廊下から、扉のない部屋をそっと覗いて、息を飲んだ。


(芝崎さん……!)


部屋の隅で、うずくまって毛布をかぶって動かない人影があった。

俯いた顔の辺りからは、もう何日も洗っていないのか、以前と比べものにならないほどぼろぼろになった茶色の髪が垂れている。


耳をすませると微かに寝息が聞こえる。


(生きてる!)


ひとまずは安堵した。

さっきの音は、この扉が砕け散った音なのだろうか。


佳奈恵は、部屋の入り口に立った。

室内に目をやると、背筋の凍るような気配がした。


家具のほとんどは凄まじい力で粉砕され、無事なものはなにひとつない。

ベッドも、中心から真っ二つになって部屋の隅に転がっている。


暴力衝動を物にぶつけていたのだろう。

壁にも亀裂が入っており、天井の一部からは雨が降り込む。

まるで廃墟のようであった。


(こんなところで生活しているなんて……)


軽いめまいを覚え、佳奈恵は額を抑えた。


あの強気な芝崎が、ここまで弱っているなんて。

人は、こうまで変わるものなのか。


足元には、無造作に置かれた皿と丸まったラップがある。

そこから食事風景を想像してしまう。


あまりにも、ひどい。

悪霊に憑りつかれるということがどういうことなのか、佳奈恵は初めて客観的に見ることになった。


人としての尊厳を奪われて、生活の全てを悪霊に捧げる。

ヒトガタとは、そういうものなのだ。


気持ちを整理して、一度落ち着いた佳奈恵は、拳を強く握った。


許せない。

今まで感じたことのない、激しい怒りが込み上げてきた。


芝崎はまだ眠っている。

よほど心地の良い夢を見ているのだろう。


誰に習ったでもなく、佳奈恵は目を閉じた。

黒い霊子がどこから生まれているか、感覚を頼りに探す。

なぜだか、わかる気がしたのだ。


そして、まるで心がそこにあるとでもいうように、彼女の胸の中心から、漆黒の霊気を感じた。


(芝崎さん、待ってて)


霊符への命令は、書きこむことだけが全てではない。

文字は、想像を助けるためのもの。

しっかりとした霊気の流れを思い描けるのなら、形式は必要ない。


佳奈恵は白紙の霊符を自分の手の平に貼りつけて、眠る芝崎の額へ優しく押し当てた。

すると、佳奈恵の意識は、腕を伝って流れ込むようにして、芝崎礼香の中へと入っていった。






雨の降り続く中、神楽は馬の式神に乗って、ひたすら走っていた。


相手は馬よりも早く移動しているようだが、一度見つけた獲物を逃すほど神楽も間抜けではない。


屋根にあがり、道路をまたぐようにして、跳ねていく。

ここまでして、なんとか距離を空けられずに追うことができていた。


(なんて速さ……。車に乗っているのね)


大通りのビルの上を走り抜け、車を探す。

信号が多い道路なら、馬でも充分に追いつける。


神楽は自身に姿を消す術をかけ、歩道に降りた。

どれだけ人ごみに紛れても、一度見た人間を探すことは簡単だ。

神楽の式神としての力は、そういう部分に特化している。


(見つけた!)


視線の先に、傘もささずに走っていく男がいる。

あの男が、さっき民家の周りをうろついていた男だ。


馬はいななき、一気に距離を詰めた。

走って逃げられるはずもなく、男の背中へすぐに追いついた。


「観念しなさい!」


神楽の飛ばした霊符が男の背に貼りついて、電撃が走る。

人間を捕縛する時に昔から使っていた、体を麻痺させる術だ。


男は地面へ倒れ込んだ。

体を丸めて起きようともがいているが、痺れているせいで、思うように動かないようだ。


「何者ですか!?」


神楽は言いながら、倒れた男の腕を掴んで仰向けに転がした。


「や、やあ。久しぶり」


言葉を失った。

それは、よく見知った顔だったからだ。


神楽は開いた口を一度閉じて、しっかりとした口調で言った。


「木村……」


それは、無精ひげを生やし、ぼろぼろの服を着た、木村だった。

彼はへらへらと笑いながら言った。


「参った。僕の負けだ。神楽さんがついてくるなんて、計算違いだった」

「待ってください。なんで、あなたがあそこにいたのですか?」

「あそこにいた理由? もちろん、僕が仕組んだことだからだよ」


木村は笑っていた。

彼の感情が理解できなくなった神楽は、ひとまず場所を変えるために、彼を霊符で拘束し、馬に乗せた。


藤ヶ崎に連絡をとりたいが、今日の夜まで帰ってこないと言っていた。

まだあと数時間は、会えないはずだ。


神社の境内まで走り、彼を地面に転がすころになって、神楽は少し気持ちの余裕ができた。

そして、優先順位を違わないよう気をつけて、彼に言った。


「あの結界を解いてください」


まずは、佳奈恵の身の安全を確保しなくてはならない。

結界を解かせて、彼女を助けに戻らなくては。


「嫌ですよ。やっと捕えたんだ」

「捕えた?」

「佳奈恵ちゃんを見て、思いついたんだ。悪霊と人が、上手く付き合っていく方法を」


彼が狂っていると判断することに、迷いはなかった。

悪霊の話を楽しそうにする彼は、まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供のようだ。


「僕はずっと考えていた。悪霊を祓うことが必ずしも良いことではない。僕は、人の命を助けるために医者になったんだ。悪霊を祓って人を死なせる陰陽師になんかならないってね」


雨粒が、彼の顔を濡らす。

悪霊よりも不気味な笑みを浮かべていた。


「ほとんどの場合、問題というものは、暴力で解決できる。これは真理だ。強い力さえあれば、何も障害にならない。金や人徳なんて、クソくらえだ。問題を抱えた人から悪霊を取り上げても、本人に問題を解決する力はない。だったら、悪霊の力を利用して、問題を解決する方がいいんだ。ケモノツキというものを知れたのは、幸運だった。だけど、僕の手元にその手札はない。だから、芝崎礼香には、実験台になってもらった」

「芝崎礼香と佳奈恵さんの関係を、どこで?」


こんなことをしている場合ではないのに、素直な質問を投げかけてしまう。


「彼女が学校でいじめられていることはわかっていたからね。あとは少し調べたら芝崎礼香には簡単にたどりつける。面白かったのは、彼女の家庭が燦々たる有様だったことさ。悪霊に憑かれるのも時間の問題だっただろう。だから、僕が特別に持っていた種を、彼女にあげたんだ」

「種……?」

「悪霊を極小サイズの結界で封じ込めた、悪霊の種だよ。医者をやっているとね、悪霊と触れ合う機会がよくある。少しずつ集めていたんだ」


彼はポケットに手をつっこんで、パチンコ玉のような銀色の球体を手に乗せて見せた。

そのどれもから、禍々しい黒い霊子を感じる。


「これを使えば、好きな悪霊を人に植えつけられる。芝崎礼香はそれを証明してくれた。僕の目的は、あと一歩だった。芝崎礼香と加賀山佳奈恵のふたりを捕まえて、次の段階へ進むはずだった。悪霊と人間の共生、僕の夢見た、誰も不幸にならない世界……」


恍惚の表情を浮かべる彼に、神楽は初めて恐れを感じた。

彼の話を聞いていると、こっちがおかしくなってしまいそうだ。


「もう一度言いますよ。芝崎家の結界を解いてください」

「だから、嫌だって言ってるじゃないか」

「解いて!」

「あはは、必死だね」


聞く耳をもたない彼に、神楽は術を使おうと指先を向けた。

だが、それよりも早く、彼を灰色の結界が包んだ。


「やあやあ、木村の坊主。元気そうだな」


木の上から声がして、その主は軽やかに地面へ降り立った。


「藤ヶ崎さん、ひと月ぶりですね」


木村は結界に捕えられても顔色ひとつ変えずに言った。


「君のおかげで、おれは大忙しさ。祓っても祓っても、数が減らないんだからな」

「それは、その人の問題を放置したまま、悪霊だけを祓うあなたのせいですよ」


藤ヶ崎は肩をすくめて、神楽の肩を叩いた。


「お疲れ。あとはおれがやる。佳奈恵ちゃんを助けにいってやってくれ」


神楽は無言で頷くと、馬にまたがって、その場から立ち去った。


「さて、木村。わかっているな? お前はこれから都に送られて、死ぬよりもつらい目に会う。悪霊の私的利用は、重罪だ」

「あははは、重罪、死ぬよりもつらい目。そんなものが脅しになる段階じゃないんですよ。僕は自分が正しいと思うことをした。人の命を最優先に考えた結果です。なぜ裁かれる必要があるのでしょうか」

「そういうことは都のやつに言ってくれ。おれに言われても知らん」


藤ヶ崎は結界の中であぐらをかく彼から顔をそむけて、未だ雨の降り止まない空を見上げた。



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