13.訪問
月曜日になり、佳奈恵はいつものように登校した。
今日こそは芝崎に会って、暴力を振るう理由を何としてでも聞き出したいと思っていた。
教室に入り、芝崎の席を目の端で見る。
しかし、彼女はまだ来ていなかった。
始業のチャイムが鳴っても、彼女は来なかった。
芝崎は、ああいう性格だが、学校を休んだことはあまりない。
変に真面目というか、佳奈恵はそういうふうにとらえていた。
朝のホームルームが始まり、疲れた顔の男性教諭が来て、ようやく芝崎が無断欠席であることがわかった。
いつもの取り巻きのふたりですら、彼女がなぜ休んだのか知らないらしく、彼に聞かれても答えられなかった。
そこまではまだ理解できるが、彼はあろうことか、佳奈恵にまで同じ質問を投げかけた。
「加賀山は、何か知ってるか?」
「え? 私ですか?」
「お前、芝崎たちとよく一緒にいるだろ」
それを聞いて、クラス中の空気が固まった。
みんな事情を知っているだけに、触れてはいけない話題だと思っているからだろう。
佳奈恵は少し考えて、答えた。
「私も、何も聞いていません」
彼は肩をすくめてため息をついた。
彼女は携帯を持っておらず、家には固定電話を引いていない。
母親の携帯電話と繋がらなければ、連絡がとれないのだ。
芝崎の家に連絡をすることが、億劫なのだろうか。
たとえそう思っていたとしても、隠していてほしいものだが。
その日の午後に、芝崎の母親から、学校に行きたくないと言っていると連絡が入ったようで、先生たちは慌てるのをやめ、何事もなかったかのように日常に戻って行った。
佳奈恵は、もしかして自分が余計なことをしたせいではないか、と思った。
あの日、博物館で最後に会ったのは、自分だ。
もし、自分のせいで、芝崎に何かあったとしたら。
佳奈恵も芝崎のことが好きではないが、自分が原因で誰かが傷つくことは何より嫌だった。
芝崎が学校に来なくなって四日経ち、佳奈恵は彼女の取り巻きであった大里や安川に話しかけて、芝崎の住所を聞き出した。
意外にも彼女たちは、佳奈恵が話しかけると、普段とはまるで違う大人しい様子で、佳奈恵の言葉にもちゃんと返した。
「ふたりは、行かないの?」
佳奈恵が聞くと、ふたりはあざ笑うように言った。
「行くわけないじゃん。あんなクズのとこなんて」
「そうそう。そのまま来なけりゃいいのよ」
そう返されて、佳奈恵にはもうそれ以上何も言えなかった。
(みんな、芝崎さんのこと、心配してないんだ……)
芝崎のことは好きではない。
これは本当のことだ。
それでも、なんだか胸の辺りが苦しくなり、物悲しくなった。
このふたりは、芝崎が学校から排除されたら、次は加賀山につくつもりなのだろう。
彼女たちは、自分より強い人間の傘の下でしか、居場所を作れないのだ。
すでに、芝崎と共に佳奈恵をいじめていたことにより、大多数の人間には嫌われていた。
彼女たちは、学校での身のふり方を考える時期が来ている。
(友達だったなら、心配してもいいはずなのに……)
その日の放課後に、佳奈恵は家へ帰らず、そのまま芝崎の家へ向かった。
学校からそう遠くないところに、彼女の自宅はある。
二階建ての公営住宅で、周囲には、同じ形をした家がずらりと並んでいる。
知らずに迷い込めば、迷路のように感じたことだろう。
佳奈恵は、聞いていた住所につくと家の灯りを見た。
電気は消えている。
しかし、駐車スペースに車はある。
(留守なのかな?)
そう感じたが、念のためインターホンを押した。
これで誰も出てこなければ、本当にどこかへ行っているのだ。
しばらく待っても、誰も出ない。
返事も、足音も、聞こえない。
佳奈恵は肩を落として帰ろうかと、ふと二階を見上げた。
綺麗に締まっているカーテンが、かすかに揺れ動いた気がした。
じっと見ても、それ以上何も起こらなかった。
佳奈恵は、自宅へ帰ろうと、踵を返した。
その途端、背中に刺すような視線を感じ始めた。
後ろを振り返っても、誰もいない。
(見ているのかな……)
確信はないが、芝崎は家にいるような気がした。
待っていれば出てきてくれるだろうか。
(出てきて、それで、どうするの?)
佳奈恵は自分でも、自分がどうしたいかわからなくなっていた。
ただ、芝崎のことが心配だったのだ。
芝崎のことを考えながら、とぼとぼと家に帰ると、母はすでに帰ってきていた。
「え、あ、あれ? 今日早いね」
戸惑う佳奈恵に、母は笑った。
「ああ、ちょっと早めに終わったんだ。もう晩ごはんできてるよ」
それを聞いて、佳奈恵は急いで手を洗いに行く。
「……ねえ、お母さん」
「うん?」
「学校でね、今週まだ一回も来ていない子がいてね、その子と最後に会ったのが、私なの。私が、怒らせちゃったから、来てないんだと思う。どうしたら、来てくれるようになるかな」
「その子って、博物館の?」
そう聞き返されて、佳奈恵は驚いた。
「なんでわかったの?」
「あの時、様子おかしかったじゃない」
母は、食器を洗う手を止めて、佳奈恵に言った。
「佳奈恵は、自分のせいでその子が学校に来てないって思ってるのよね?」
「うん」
「それは考えすぎだと、お母さんは思うな」
「どうして?」
「たとえ、佳奈恵に対して怒っていることがきっかけだったとしても、大きな行動を起こす理由って、日ごろからの積み重ねが重要だったりするんだよ。その子が学校に来ないのって、他に思い当たる理由ないの? ほら、たとえば、他の子から、いじめられていたとか」
「それはないよ。むしろ――――」
言いかけて、佳奈恵はやめた。
「むしろ?」
「ううん、なんでもない。芝崎さん、いじめられるような大人しい人じゃないよ。やられたら、確実にやり返すタイプだと思う」
「ああ、たしかに。そんな感じだった」
あれだけ攻撃的な人が、追い詰められるようなことってなんだろう。
「向こうのお母さんは、なんて言ってるの?」
「芝崎さんが学校に行きたくないって言ってるって、ただそれだけ」
「……それは、難しいね。学校に原因があるとは限らないし、家にこもっているってことは、家族からの虐待で出られないとかじゃないだろうし……」
「虐待……」
佳奈恵は小さく繰り返した。
芝崎が家で虐待を受けていることなど、考えていなかった。
学校で見ている姿だけが、全てではない。
わかっていたはずなのに、どうしても、見えている部分だけで判断しようとしてしまう。
母はつい口走ってしまった言葉を慌てて取り繕うとしていたが、言ってしまったことはそうそう取り消せない。
「佳奈恵、虐待っていうのは、少し言い過ぎた」
「うん、わかってるよ」
虐待かどうかということが重要なのではなく、原因が外にあったかもしれないということが重要だ。そうであったなら、芝崎に起きた問題をどうにかするのは、佳奈恵のやることではない。
芝崎の身に何があったのか考えを巡らせていると、母が佳奈恵の両肩に手を置いて、真っ直ぐに顔を見つめた。
「聞いてね、佳奈恵。私が心配しているのは、あなたがその現場を見かけたら、関わりそうだから、怖いのよ。佳奈恵は、人が困っているところ見るの、我慢できる方じゃないでしょ」
母の言う通り、今だって、芝崎のために調べたり考えたりしている。
相手が誰であっても同じように助けようとするだろう。
「お母さんに似たのかな」
「お父さんよ」
反射的に言ってしまったのか、母はバツが悪くなったように、顔をそらした。
まだ話したくないことなのだろう、と佳奈恵は察して、微笑んで言った。
「お母さん、晩ごはん、食べよう?」
暮れかかった夕日が、窓から射し込み始めていた。
真っ暗な部屋の中で、礼香は膝を抱えて座っていた。
その目は何か見ているようで、何も見ていない。
黒い瞳は、深淵そのものだった。
部屋の中に霊子が漂っている。
礼香は時折、それに手を伸ばすが、体を突き抜けていき、触れることができない。
インターホンの音がして、礼香は窓の方へ這って動いた。
外を見ると、あの加賀山佳奈恵の姿が見えた。
ここまで追ってきたのか、と目を丸くした。
ずっと夢の中で生活していたために、現実との区別が、曖昧になっていたのだ。
夢の中で、何度殺しても、何度波に飲まれても、加賀山は起き上がって、礼香を見ていた。
殺せない加賀山の姿は、それを繰り返すたびに、礼香の中で恐怖そのものに変わっていった。
カーテンの端を少しだけめくって外を見ていると、不意に、加賀山がこちらを見た気がして、礼香は飛び退いた。
(見られた!?)
心臓が、破裂しそうなほど大きな音を立てて鼓動している。
緊張で粘り気のある不快な汗が溢れる。
礼香は一度大きく離れたあと、またゆっくり静かに近寄って、外の様子を眺めた。
加賀山は諦めて帰って行くようだ。
その後ろ姿を見ていると、彼女はそれに気がついたように、後ろを振り返った。
(嫌だ……怖い……)
息が荒くなり、歯が震えて、がちがちと音を鳴らす。
空っぽの胃から、胃液がせりあがってくる。
「か、帰らないと……」
礼香は布団にくるまって、目を強く閉じた。
あの世界に帰る。
あの世界なら、加賀山とも戦える。
すぐに礼香は、ゲイハの上で目を覚ました。
彼とは、もはや一心同体と言えるほど、気持ちが通じ合っていた。
右へ左へ、自在に操縦できる。
その気になれば、大嵐を起こすことも容易い。
すでにゲイハと同じく、赤黒い色に変色してしまっている自身の体を見ていると、いかに彼と一体になれているかわかり、安心できる。
彼だけが自分の味方であり、また、自分自身なのだ。




