表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
けものつき  作者: 上辻樹
第二章
11/18

11.接触

家へ帰りつくころには、辺りはもう真っ暗になっていた。

母がまだ帰っていなかったことに安心して、佳奈恵はアパートの鍵を開けた。


「次はもう少し早く帰らないとね……」


独り言をつぶやきながら、佳奈恵は部屋の電気をつけて、机の上にさっき習ったばかりの陰陽術が書かれたノートを取り出した。


五行のことは、なんとなく理解できた。

しかし、霊符の文字については、努力が必要であった。

連なった糸のような文字で、区切りがどこにあるのかもわからない。


佳奈恵は今日習ったこの文字を分解して、ひとつひとつどんな意味があるのか、詳しく調べてみようと決めた。

成り立ちが分かれば、そこから覚えられるはずだと思ったからだ。


明日は母が休みだ。

午前中のうちに、図書館へ連れて行ってもらおう。

そんなことを考えていると、母が帰ってきた。


「あ、おかえりなさい」

「ただいまー」


母はクツを脱ぎながら、佳奈恵に言った。


「佳奈恵、明日ひま?」

「え?」


質問の意図が分からず、佳奈恵は頭をひねった。


「片桐の博物館で、恐竜展やってるんだって。行かない?」


恐竜展とは、また唐突な提案であった。

佳奈恵も母も、恐竜に興味があると言ったことはない。


「なんで恐竜なの?」

「気分転換にいいでしょ」


母はそう言って、爽やかに笑った。


気を遣わせている。

佳奈恵は母の笑顔を見て、そう感じた。


佳奈恵は、素直に嬉しい気持ちと心配をかけてしまったという気持ちとが、複雑に胸中で渦巻いていた。

それを顔に出さないようにして、佳奈恵は明るい笑顔を見せた。


「ねえ、帰りに図書館に寄ってもいい?」

「じゃあ、朝から博物館に行って、お昼ごはんを食べて、それから図書館に行って、帰ろうか」

「うん!」


佳奈恵は、大きく頷いた。




次の日、佳奈恵たちは九時すぎに家を出た。

片道およそ十五分の道のりを行き、博物館の前へついた。


日曜日ではあるが、早い時間であったこともあり、人はまばらだ。

昼過ぎになると子供連れの人も増えるだろう。


いざ、展示場へ向かおうとした、その時だった。


(なんで、ここに?)


少し離れたところに、見覚えのあるウェーブかかった茶髪が見える。

芝崎礼香がなぜこの博物館に来ているのか、と佳奈恵は混乱した。


とはいえ、こんな公共の場で、佳奈恵に何か仕掛けてくることはないだろう。

そう信じて、佳奈恵は気がつかないふりをしようと決めた。


母に早く中へ入ろうと促そうとしたが、場所を移動する前に芝崎が振り返り、こちらを視界にいれた。


一瞬、驚いたように目を開き、すぐに無表情に戻る。

そして、彼女はつかつかと、歩み寄ってきた。


「え、あ」


判断能力が、うまく働かず、意味を持たない言葉が、口からあふれる。

それを聞いて、母はこちらに向かってくる少女が、佳奈恵の知り合いだと察したのだろう。


「こんにちは。佳奈恵のお友達?」


母がそう声をかけると、芝崎は見たことのない笑顔を見せた。


「はい。学校でも仲良くさせてもらっています」


その異常に落ち着いた様子は、そんな表情や声色ができたのかと驚くどころか、この人物が芝崎礼香ではないのではないか、とすら思えた。


「芝崎さん……」

「なに?」


佳奈恵が声をかけると、声色を変えず、彼女は言った。


「恐竜、好きなの?」

「……悪い?」

「ううん、悪くないけど、意外だったから……」


周囲には、いつもの取り巻きのふたりも、母親の姿も見えないところを見るに、彼女はひとりで来ているのだろう。

それほどまでに、興味のあることだったのか。


「じゃあ、もう、行くから。さよなら」


芝崎は軽く礼をして、足早に奥へ進んでいった。


「ひとりで博物館に来てるなんて、すごいね」


母はそう言って、感心していた。


「……うん。私も、びっくりしてる」


どう考えても、博物館にひとりで来るような人ではないはずである。

しかし、その本当の理由をいくら考えても、佳奈恵にはわからなかった。


それにしても、自分でも驚くほど、芝崎について知らなかったことがわかった。

学校以外では、こういう一面もあるのかもしれない。


「佳奈恵? どうしたの?」

「え? なんでもないよ。行こう?」


恐竜展と書かれた大きな看板のそばを通り、ふたりは中へ進んでいった。




大小様々な化石や、シダ植物、白亜紀の解説。

芝崎礼香は、その数々をゆっくり見て回る気分ではなかった。


(なんであいつがここにいるんだ!? しかも、母親を連れて!)


奥歯を強く噛み、礼香はずんずんと歩いて行く。

さっさと出て、一刻も早くここから離れたいのだ。

あんな不愉快なものと、同じ空間にいたくない。


この博物館には、二週間に一回ほどの頻度で訪れている。

考古学に興味があるわけでも、歴史に興味があるわけでもない。


非日常的な空間と、学校の同級生に会う可能性が低い場所がよかったのだ。

それを、加賀山佳奈恵に台無しにされた。


礼香はこれまでになく、佳奈恵のことを憎く感じていた。

唯一の楽園を壊されて、はらわたが煮えくり返っていた。


外へ出ると、太陽の光が顔を照らして、礼香は眩しさに目を細めた。

他に、どこかひとりになれるところはあっただろうか。


博物館の近くには図書館もあるが、読書の趣味もないのに図書館へ行っても、時間を持て余すだけだ。

片桐市の三波の方なら、人の来ない大きな公園がある。

しかし、歩いて行くには距離がありすぎる。


家へ帰るのだけは、絶対に嫌だった。

母が男を連れ込んでいて、居場所がないからだ。


父は、礼香が小さかったころにふたりを捨てて、どこかへ行ってしまった。

それからというもの、母も礼香を邪魔者のように扱っていた。


自分のやりたいことをやるには、子供が邪魔なのだ。

最初の数年間は大人しかった母も、今では毎日のように、家に男を連れ込んでいる。


そして、その間は帰って来るなと言って、少しのお金だけを渡して、家から礼香を追い出すのだ。


礼香もそんな家にはいたくなかった。

何度も家出することを考えたが、ひとりで生きていける自信がない。


まるで海の底に沈められたかのように、呼吸のできない、苦しい生活だった。

人と会えば、必ずそのことを思い出す。

だから、礼香は誰にも会いたくなかった。


全てを忘れられるには、誰もいない場所に行くしかない。

知っている人に、会わなくてすむ場所に。


礼香は先程思いついた、三波の公園を目指して歩き始めた。

まだ午前中であり、この時間から外を歩いている中学生など、部活に向かう生徒くらいのものだろう。

誰かに鉢合わせする心配はない。


思惑通り誰にも会わず、太陽が真上に上がるころ、礼香は三波の公園についていた。

大きな湖を囲うようにして、整備された道が広がり、空へ向かって手を伸ばすケヤキが何本も植えられている。


鳥の鳴き声しか聞こえない、とても静かな場所だった。

もう少し日が傾けば、虫の音も聞こえてくるだろう。


礼香は何も考えず、湖のふちにあるベンチに座って、景色を眺めた。

しばらくしてから、コンビニで買った昼ごはんを取り出し、静かに食べ始めた。


考えごとですら、したくなかった。

解決しないことを思い悩むことで、心は疲弊していく。


食べ物がおいしい。

景色がきれい。

礼香の頭の中で思い浮かべることは、それくらいだ。

それ以上、深くものを考えないように、普段から習慣づけていた。


そうすることで、次第に時間の流れすら感じなくなる。

長い間じっとしていることが、苦ではなくなってくるのだ。


しかしながら外から見ると、派手な髪の色をした少女が、携帯も持たずに一時間や二時間もじっとしていると異様だろう。

そういう理由もあってか、外から歩いてきた年のころ四十くらいの男性が、礼香に話しかけてきた。


「やあ、となり、いいかな?」


礼香はあからさまに嫌そうな顔を作り、彼を見た。

短い髪をワックスで固め、どこか清潔感のある男性だ。手にはコンビニの袋をさげている。


「……どうぞ」


礼香はできるだけ端に詰めて、彼のために場所をあけた。

あと二回話しかけて来たら場所を移動しよう、と心に決めた。


「ありがとう」


彼は座るとコンビニのおにぎりを取り出して食べ始め、礼香の予想通り、ひとつ食べ終わったところで話しかけてきた。


「ここ、いいところだよね。よく来るのかい?」

「……いえ、初めて来ました」

「そうなんだ。ここに来る中学生なんて珍しいから、つい話しかけちゃったけど、迷惑だったかな」

「はい」

「はは、正直だね」


彼は笑って、お茶を一口飲んだ。


「僕はさ、医者をやっている者でね。今とっても悩んでることがあるんだ」


礼香は聞いてもないのに話し始めた彼の方を見ないようにして、耳だけを傾けた。


「今までずっと、人間の命を助けることに、従事してきた。でも、僕の力だけじゃ、どうしても助けられない命があった。それは、今でも変わらない。この現実世界で、彼らを救う方法はないのかもしれない。でも、逃がすことはできる。辛い世界で生き続けること、甘い世界で生き続けること。そのふたつのどちらかなら、君はどちらを選ぶ?」


彼は抽象的なことをつらつらと並べると、一呼吸おいて、礼香に言った。


「君は、死にたいと思ったことがあるかい?」


何を、聞いているのだろうか。

礼香は無視してそっぽを向いていた。


「この世界に居場所がないと感じたことは? 他人が怖いと思ったことは? 心に隙間を感じたことは?」


この人、普通じゃない。

気味が悪くなった礼香は、離れるようにして立ち上がった。


彼はただ、不気味に微笑んでいた。

そして、手の平を広げてみせた。


「何が見える?」

「何って……」


何もない。

何もないはずだった。


銀色の、ビー玉のようなものが、いつの間にかそこに現れていた。

不可思議な現象に、礼香がわずかに目を見開いたところを見て、彼は言った。


「見えたんだね」


次の瞬間、その玉が跳ねあがり、礼香の口に飛びこんできた。

急いで吐き出そうとするも、それは煙のように、姿を消してしまった。


「て、てめえ!」


声を荒げて正面を見ても、すでにそこに彼はいなかった。

それどころか、時間がまるで消し飛んだように、夕暮れへと変わっていた。


カラスが空を渡っていく。

礼香はただひとり、しばらく茫然と立ち尽くしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ