街へ
学校の門をくぐると、眼前には街と大きな海が見渡せた。
こんな所に別荘でもあればなと、正嗣は呑気なことを考えていた。
「ここを抜けるとすぐ商店街なの。入ってすぐの パン屋がすごく美味しくてね、オススメはカレーパン!一回食べたら病み付きになっちゃうよ」
ブリットは嬉しそうに正嗣に街を案内していた。
「ブリット、さっきから食べ物の紹介しかされてないんだけど、もっと生活用品が帰るところとか教えてくれないかな」
「例えば?」
「そうだな、とりあえずは着替えが欲しいな。ずっとスーツってわけにもいかないし」
「別にいいじゃない、スーツを着回せば」
「洗濯したら僕は丸裸じゃないか」
「そっか。じゃあ、その辺の葉っぱでもつけとけば?」
そう言ってブリットが手渡したのは虫に喰われた穴だらけの葉っぱだった。
「これじゃどこも隠せないよ」
そして、仕方ないなと彼女が連れてきたのは、小さな古着屋だった。
「ワタシ、ここの古着屋気に入ってるんだ」
その古着屋はどう見ても紳士服など扱っているようには見えなかった。
入り口からピンクや赤の極彩色の服が並べられ、靴はチュニックやパンプス。どれもラメ入りだった。
「僕の服を見にきたんじゃないよね」
「そうよ」
あっけらかんと彼女は言う。
「これってデートみたいなモノでしょ?せっかくこんな可愛い女子歩いているんだから、プレゼントの一つくらいしたってバチはあたらないんじゃない?」
彼女の視線は、もう店内の服の中だった。
ブリットが僕に街を案内したがっていたのはこのためだったのかと、正嗣が気づいた頃には既にレジで清算の準備がされていた。
「クラスのみんなには言うなよ」
「へ?なんで」
「全員分買わなきゃいけなくなるだろ」
「なるへそ、わかりまんた」
「いいな、絶対だぞ」
「それってフリ?」
「いい加減にしろ」
正嗣が一通りの生活用品を買い終え一息つけたのは、陽が橙になる頃だった。
シャワーで一汗流し、これでビールでもあればと、買い忘れを少し悔やんでいた。
死を確信してからの一瞬。その一瞬で正嗣の生活は劇的に変化していた。
(いや、もしかしたら、何も変わっていないんじゃないかな)
ホームシックも何も感じなかった。
彼には懐かしむ家も、友人も(元の世界)にはいなかった。
あるいは、その虚無感こそが、温故知新のありかなのではとさえ思えた。
正嗣は蛇口をひねり、コップに水を注いだ。
僅かな冷たさが、彼の喉を潤した。
「先生、オフロ上がった?」
「ああ、いい湯だったよ」
「じゃあ、次ワタシ入るから、タオル用意しといて」
「わかったよ」
「ありがと、じゃあお湯借りまーす」
スリガラス越しにブリットの身体が透けていた。いくら子供でも、一応はレディだ。凝視するわけにもいかず、正嗣は窓のそとに視線をやった。
そこでようやく疑問が浮かぶ。
「何でお前がいるんだ!ブリット!!」
「何でって、お前、おかしいだろ!担任の部屋でシャワー借りるなんて!!」
「なんでよ、フィアンセがハニーの部屋でシャワーを浴びるのがそんなに変なこと?」
「は?フィアンセ?何を言っているんだ。僕は君の担任の先生だろ」
「そうよ」
「じゃあ.....」
「担任の先生だけど、私達のフィアンセでもあるの」
「へ?私達?」
「先生、ちゃんと書類読んだ?ちゃんと書いてあるでしょ。それ婚約届けだから」
返事をする間もなく正嗣は昼にもらった書類の控えを読んだ。
そこには自分の名前と生徒達五人の名前、そして母印と婚約の文字が記されていた。