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転生者とちいさななやみ

その夜、私は夢を見た。

白い顔の男がしゃべる。髪まで白い男だ。

耳にたくさんのピアス。

…カットモデルやってくれる子探してるんだ…

下卑た笑い方。

…君、イメージぴったりなんだよね…

どうして気付かないんだろう。こんなにじゃらじゃら指輪した美容師なんて、いるはずないじゃない。爪も長いし、到底真面目に修行してるはずがなかったのに。

敢えて前世に潜る作業を続けていたせいなんだろうか。無自覚に前世の夢を見ることになるなんて。

私はげっそりした気分で目覚めた。

カットモデルなんて言葉が出てきたし、服装を見るにつけても、あれが前世であることは残念ながら疑いようがなかった。ただし、見る気もなかった前世だからか、特に収穫もなし。目覚めは最悪だ。

ベッドサイドのコップを空にして、戻す。やや乱暴な置き方で、がちゃんと音をたててしまった。

まだ起きるには早いけど、もう一度寝直す気にもなれなかった。カーテンを開け、朝の薄日を部屋に入れる。ガラス越しに、きんと冷えた空気が肌を刺した。

それで身体を起こしながら、つらつらと思い出した。

そういえば、年末にも、こんなことがあったなと。

あれは、牢で私を殺そうとしたあの男と、話した日の夜だった。そのときは、ものすごく奇妙で、リアルな夢を見たと思っていた。でも、景色も服装も見えなかったけど、あれももしかしたら前世だったのかもしれない。

あの、倦怠感と目覚めの悪さ。あれは、今日と同じだった。

…見ようと思っていないのに、前世が勝手に覚醒している。

指先が震えたのは、窓際の寒さのせいだったんだろうか。

私は冷えすぎた身体を温めるためにもう一度布団を被った。でも、何度寝返りを打っても、眠気はおそってこなかった。

諦めよう。

私は、起きあがって出勤準備をした。

雪のちらつく街を、お城を目指して歩く。

いつもの出勤時間より一時間以上早いせいで、道に人影はほとんどなかった。

坂の上に立つお城は、冷たい霧の中まだ残された外灯の光を受けて、ぼんやりと浮かび上がっていた。

早すぎる私の出勤に門番のおじさんは驚いていたけど、急な仕事だと言えばすぐに通してくれた。

ノックして執務室に入ると、若様もロンもすでに執務室にいた。

2人はびっくりしたように私を見た。

「どうしたんだ、こんな時間に」

「何があった」

代わる代わる尋ねられても、私には、なんと言っていいのか分からなかった。

「特に理由は」

私の答えに若様の眉が上がった。

「理由に自覚がなくてそんな顔色をしているなら大問題だぞ」

びっくりした。多少寝不足だけど、そんなにおかしな顔をしているとは思わなかったから。

「お前が言わないなら、私は勝手に調べる」

私は慌てた。前に確かにそんなことを言われていたけど、この人の場合、本気の上に即実行だから。

すでにどこへかける気なのか空話に手を伸ばしている若様に、急いで口を開いた。

「大袈裟です。単に、嫌な過去を見ただけです」

事態を納めるつもりで白状したこの言葉が、かえって相手を怒らせるなんて、私は予想もしていなかった。

だから、若様がだん、と音をたてて立ち上がったことに心底びっくりした。

「前世を、みたのか」

「はい…」

「潜らない、約束だっただろう?!」

そんなことに怒っているのか。私は二度びっくりした。

「そういえば、お城を出るときにそんなお話しをしましたけれど…それは、労働条件や時間外勤務や、そういう話でしょう?今回は別に仕事がらみではありませんから、これは私個人の問題です」

だから貴方が気にする必要はないと伝えたつもりだったけど、若様はこれを聞いて顔を真っ赤にした。

「お前は…!もういい、ロン、ヘスターは城に戻す」

ちょっと待て!

きれいな眼をつり上げて頬を赤くして怒っている若様は怖かったけど、そもそも夢のせいでとても機嫌が悪かった私は、黙っていられなくて声を上げた。

「何ですか突然。勝手に決めないで下さい」

「意見は聞かない。決定だ」

「はぁ?!横暴です」

なんなの、急に。最近情緒不安定みたいだけど、それを私に向けないで欲しい。

怒鳴った分だけ、興奮が増す。胃の辺りがかっかと熱くなっていく。

私は、不遜は承知で若様と睨みあった。

「待て、マーカス」

若様と私がまた何か言うより先に、ロンが口を挟んだ。

「動こうにもまだどの部署も仕事前だ。先に本人に事情を聞くべきだ」

ロンの介入がこれほどありがたかったことはない。ロンは、若様の肩を上から押して座り直させると、無言を肯定ととってさっさと私に質問を始めた。

「それで、何を見た」

「特に何も見ていません」

「見たと言う以上、何かあるだろう」

淡々としたロンの口調が、私の心を少しだけ落ち着かせた。

「…本当に、意味のあるものなんてなかったです。感じの悪い男がしゃべっているだけで」

ロンはかすかに片方の眉を上げたけど、また立ち上がりかけた若様を椅子へ押さえつける。

「そもそも、何を見ようとした」

「何も。ただ眠くなって、寝たら見えただけですから。だから約束を破ったとか、そんなことを言われても困ります」

思い出したらまた腹が立ってきて、ぶっきらぼうな言い方になった。

ロンは、分らず屋の若様をちらりと見た。赤かった若様の頬は、すっかり熱を失ったように白くなっていた。

氷の色の目はそれから、じっと私を見つめた。

「…見ようとせずに、見えたのか」

責められたわけではない。でも、その目の奥に切なげなものが瞬いているようで、私はまごついた。

「そう、言っているじゃないですか」

「その前に、何か変わったことはあったか」

変わったこと。急にものすごく眠くなったことか。あと、リリがしゃべってくれたこと?

首をかしげていると、ロンがため息をつくように言った。

「…ともかく、予見もできずに自覚なく見たということで、ヘスター·グレンに責任はない。約束は無効だ」

そう、そうなんだ。

見たかと若様を振り向くと、彼はしばらくむすっと黙り込んだ後に盛大なため息と共に言った。

「…むしろ、一番さけたい事態だがな」

呼気と一緒に、いろいろな力が抜け出してしまったようなため息だった。

ロンがすかさずなだめる。

「それはそれだ。今言っても仕方がないことより、建設的なことを話せ」

「城で安全確保」

「本人の意志無しに介入する建前がない上、それが意味のあることかも不明だ」

「…せめて、何がきっかけかを探って可能な限り同じ状況を避けさせたい」

「本人は何も思い当たらないようだぞ」

若様ははあ、とまたため息をついて金髪に両手を差し込んで頭を抱えてしまった。

私はそんなやりとりをぼんやり見つめていた。

戸惑っていたんだ。自分が思っている以上に大騒ぎされて、しかも彼等はたかが部下一人の個人的な問題なのに、深刻な顔をするから。一時的な怒りが通り過ぎた今、私には困惑しかなかった。

ロンが、若様を宥めるように、軽く身を屈めてその肩をぽんと叩いた。

「幸い、今週は週末のパーティに向けて非日常が続く。少なくとも、昨日一昨日と状況が被ることは少なくなるはずだ」

あ。

私は叫びかけた。

「パーティ…!」

若様が両手の陰から緑の目を覗かせた。

「先月話しただろう。そういうわけだ、ドレスの調整や前日準備や諸々、今週は忙しい」

寝不足で気分が悪いんですけど、なんて職場で使える言い訳じゃあない。それに、この件に関しては腹立ち紛れに『ちゃんと出ます』と大見得を切ってしまっているし。

…なんだか、この頃調子がいいと思っていたのは気のせいだったのかもしれない。

私は項垂れたい気持ちを堪えて、はい、と小さく頷いた。


せっかく早くきたんだから、と言われて午前の予定を始末させられて、私はさっそくパーティ準備のため奥方様のもとへ放り込まれた。

薄紫色の光沢ある生地に、オーガンジーが優雅にドレープを描いている。

胸元は慎ましく首まで覆ってリボンを後ろに結んで、その代わりに両肩はさらされる。

「ドレスの露出はバランスが大事なのよ」

張り切って取り仕切ってくださった奥方様が、そうおっしゃって、胸を出すか肩と背中を出すか、と私に選択を迫ったんだ。

ない胸は、出せない。だから、私は泣く泣く肩と背中を差し出した。

前に、ドレスはレディの戦闘服だと教えられたから、私はもう仕事先に行くのにドレスが嫌だとか、これは着ないとか駄々をこねる気はないし、全面的に奥方様の指示に従った。

さすがは奥方様、お陰で素晴らしいドレスが出来上がった。

問題点を挙げるなら、着るのが私、ということだけ。白い華奢な靴は、前回の祭のときより若干ヒールが高い。

「少しずつ、レベルアップしていきましょうね」

にっこり笑って奥方様がおっしゃった。これは、つまり、あれか。最終的にはさらに高いつま先立ちみたいなヒールを履こうってことだろうか。エスコートを受ける女性と男性には、美しく見える身長差というのがあって、長身の若様とコンパクトサイズの私だと、それより少し差が大きいという。

若様、足長いんだから少し削ってよ、と思ってしまったのは、本番まで馴れるためにと履かされた靴で爪先が痛いからだ。

奥方様つきの侍女さんに、今回のパーティは身分の高い方ばかりだから失礼のないようにと散々歩き方やお辞儀の仕方の指導をされて、もうくたくただ。

私が痛い思いをして身長嵩ましするんだから、若様も痛い思いをして差を縮めればいいのに。疲れて執務室に戻った私は、そう思って若様の脚を眺めた。

じっと見ていると、若様が足をびくっと震わせた。

「な、なんだ?何か企んでいないか?」

「いえ、少しその足を短く出来ないかなと」

「ああ。靴が心配なのか。大丈夫だ、転びそうになっても支えてやるから」

そこでとびきりの笑顔。緑色の目が、光を浴びた新緑みたいにキラキラ光る。

こんな人に支えられたら、鼻血が出ない保証はない。それくらいなら、死に物狂いで歩こう。

「ありがとうございます。絶対に転ばない決意で練習出来そうです」

ひどくないか?!と騒ぐ若様を残して、私はもう一歩きと、部屋を出た。

廊下に出て、小さく息を吐き出した。

困った。

若様は最近、過敏だ。

私がエリザベス・ダブロー嬢に殴られたことに責任を感じているからだと思う。

前世の記憶が勝手に蘇ったことだって、あそこまで心配したのはそのせいだろう。

これは、困った。

「…無自覚タラシに心配性が上乗せされたとか、始末におえない…」

お城を出るまでエスコートされたり転びかけたら支えると言われたり、まるでお姫様を扱うようなことをされると、ものすごく落ち着かない。

美しい顔には前より慣れたつもりでも、手をとられるたび、その温かさと意外にごつごつした指の感触に胸がぞわぞわする。

きれいな新緑の色をした目で微笑まれると、心臓が止まりそうになる。あんな美形が、私みたいな一般庶民をみて慈しむような目をするのは反則だ。そういうのは二次元限定で楽しむものだ。

確実に、私の寿命は縮んでいると思う。

ただでさえ前世が勝手に覚醒したり、パーティまでにお作法をマスターしなくちゃいけなかったり、いろいろあって、若様のことまで悩んでいられないのに。

私はぱん、と片方の頬を叩いた。

頭を切り換えよう。

ともかく。

今考えるべきなのは、数日後のパーティで転生者としてきちんと役目を果たすことだ。

若様のあの顔が治安ナイト成功の重要な武器であるように、私にとっては転生者という看板が今、仕事上の武器なんだから。

ああ、でもそれにはこのヒールに慣れてお辞儀をマスターして、ついでに正装した若様にエスコートされて…やめよう。

私はもう一度反対の頬を叩いて、えい、とヒールの足で踏み出した。

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