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転生者のこうかい

そうして約束の日、私は、前世も含めて生まれて初めての仮病を使った。

頭が痛くてベッドから出られないと主張したのだ。本当ならば月に二度しかない定休日をそんな風に潰すのはすごく勿体ないことだけど、背に腹は変えられない。

何しろ、例の若様がドレス作りのために来るというのだから。

あの手紙を受け取ったあと、私はなんとかお城行きをお断りできないものかという内容を丁重なオブラートに包んでしたためた。しかし、願いは通じなかった。

もはや打つ手はないと分かった私は、布団に籠城することを決めたのだ。

度重なる苦行に耐えてきた精神力は、もうすり切れていて、どうしてもあの目立つ人と目抜き通りに出かける気力が湧かなかった。そして、お城に行く勇気はもっと湧かなかった。

「ヘスター、相手は領主様の若様なのよ。我が儘言わないの」

「お城行きはどうする気?」

「案外誰にも会わないかもしれないわよ」

当然、家族はなんだかんだと説得しようとした。

しかし、何を言われても頭が痛いの一点張りの私に、とうとう両親も姉たちも諦めたのか、二時間ほどすると出かけていった。店が休みの日にも、いろいろこの日に済ませなければならない用事があるのだ。モナ姉は、多分デートだ。

ミラ姉が私のために1人残ってくれたようだが、にぎやかなミラ姉も話し相手がいなければ静かなもので、グレン家はしいんと静まり返っていた。

いつもの開店時間間近になって、下の方で話し声がした。

「…本当に…申し訳ありません」

時間的に、若様だと分かる。

それに、ミラ姉の改まった言葉遣いからも。

全く、どうしてミラ姉の声は二階まで聞こえるのだろう。聞きたくないのに漏れ聞こえてくるものだから、気になってしまうじゃないか。

私は音をたてないようにそうっとベッドから這い出ると、部屋の扉を細く開けた。

店と厨房の間にある階段はちょうど私の部屋の前まで伸びていて、扉を開けると店先の声がかなりよく聞こえるのだ。

そのとき、図ったようなタイミングでミラ姉の声がした。

「ヘスターがあんなふうに引っ込み思案になったのは、私のせいなんです」

やめてよ。

何を言う気なんだ。

飛び出したい衝動をぐっと胸もとを握りしめてやり過ごす。

「あの子の記憶が覚醒したのは、5才のときでした」

なんでそんな昔のことを話すの。

家族でもなんでもない若様に、話してどうなるの。

「それがわかったとき、私、ものすごく興奮して。それで、近所のみんなに自慢して回ったんです」

ミラ姉の辛そうな声が耳に刺さる。

「どうなったかは、想像できるでしょう?覚醒直後の混乱したあの子に、町中の期待が一斉に押し寄せました。毎日、たくさんの人が家に来て、あの子に会わせろと言って…何か思いついたか、何か作ったんじゃないかって、期待した目で聞くんです」

ああ、たしかにそんなこともあった。

あったけど。

「私でも恐ろしくなるようなそれを、当のヘスターが抱えきれるわけがなかったんです。たった、5才だったんですもの。それ以来、あの子は外に出るのを怖がるようになりました」

ミラ姉の考えていることは見当違いだ。

まるっきり、聞いていられないくらい、間違っている。

「的外れもいいとこだよ」

「!ヘスター」

振り返ったミラ姉が目を見開く。

その向こうには若様も見えるけど、仕方がない。

私は階段を降りた。

裸足なのに、ダン、ダン、と踏み板からすごい音がした。私は怒っていた。

「あのねえ。覚醒した時点で前世の人格が融合したから、あのとき私の精神年齢は20才近かったよ。全然、全く、たった5才、じゃなかったの!」

階段を降りきると、少し背の高いミラ姉を見上げる形になる。

誰にでも愛想がよくて、せっかちで強気な姉は、珍しく眉尻を下げていた。

今だって、18才のミラ姉は、正真正銘私の『姉』だけど、私にはときどき妹のようにも感じられる。

私はため息をついた。

「だからね、ミラ姉がどうしたとか、関係ないの。遅かれ早かれ、転生者であることは周りにも知れることだったし、あのとき私の精神年齢は大人だったんだし。だから、私自身がただ、人より臆病だっただけ」

こんな情けないことを自分で白状するのは、うれしくない。

うれしくないけれど、人のせいにしておくのもうれしくないから、仕方なく全力で主張した。

ついでとばかり、顔を合わせてしまった若様にも言っておく。

「貴方もこれでお分かりでしょう?私はこのとおり、中身はいい大人なのに、臆病者で、人の期待に耐えることすらできない人間なのです。ですから、もうこんな小娘のことはお忘れ置き下さい。わざわざお城へ呼ぶような価値のある人間ではありませんから」

全く、せっかくの仮病が台無しだ。

でも、怒りの勢いにまかせてはっきり言えたのは、むしろよかったのかもしれない。

私の姿をじっと眺めていた彼は、不思議そうに首を傾げた。

「私はそうは思わないが」

何を言うのか。

私は多分、盛大に顔をしかめたはずだ。

しかし、彼は気にした様子もなかった。

「お前は確かに怖がりなようだが、それでもこうして出てくるだろう?姉の自責の言葉を聞き流せずに」

「それは」

今の話と関係無い、と言おうとしたところを、彼の声に遮られる。

「この前もだ。私が騙されるのを見過ごさずに、声を上げただろう」

「偶然、気付いたから言っただけです」

分からず屋な若様に苛立ちがつのって、私は目をすがめて彼を見上げた。

「面倒で嫌で、さっさと終わりたがっていたのに、私が騙されていることを信じなかったら、協会へも同行させただろう」

面倒がっているのもさっさと終わりたがっていたのも分かっていたのだから、あの手紙の内容を私が嫌がることも想像がついただろうに。

その辺は都合良く無視するのか。身分の高い人間とはそういうものなのか、それとも彼が強引なのか。

どちらにしろ私の苛立ちがおさまる理由は一つもなくて、私の口はきっとへの字だ。

「私は」

それでも平気で話を続けるから、やっぱり彼は強引だ。

「そういう場面を捨て置けない人間を、ただの臆病者とは思わない。それにこの前のあれは、なかなか的確な指摘だった」

感心した、なんて言うのはやめてほしい。

私はこんなに不機嫌の極みなのに。

それに、なにより。

「あれは、ただ、前世ではよく聞くパターンの詐欺だっただけですから」

だから、私自身の洞察力が優れているわけではないのだ。それを誉められても困る。

そう説明したつもりだった。

ところが、彼はなぜか私の言葉を聞いて、満面の笑みを浮かべた。

「なるほど。それはいいことを聞いた」

あ、間違った。

さあっと、部屋の温度が下がった気がした。これは、うっかり皿を割ったときと同じ、あの怪現象だ。

私は、やっと気付いた。

なんて、間抜け。

なんて、馬鹿。

何を焦って、『前世で』なんて言ってしまったのだろう。せっかくこの前、全力ではぐらかして、『さぎ』という言葉を流したのに。

若様が勘づいていることも、自分で分かっていたのに。

春先なのに滝のような汗が背中を流れていく。

寒い。寒気がする。

私の気持ちに反比例する明るさで、若様が機嫌良く言った。

「まあ、詳しい話は、着替えてからにしよう…そのまま行っても私はかまわないが」

若様の視線をたどって、私は自分の格好を見下ろした。

そして、ざあっと血の気が引いた。

他人の前で、裸足で薄い寝間着一枚だけとか、信じられない…

思わず仮病中なのに姿を現した後悔、

うっかり口を滑らせた後悔、

寝間着姿公開、の3つの「こうかい」です。

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